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『天使を殺す契約をした』 ~たとえ神を敵にしても~【金曜朝7時更新】  作者: 準


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変わりゆく血

◆倉庫地下・拘束室

 冷たい石の床。

 湿った空気。

 鉄の匂い――血の匂いが濃く漂っていた。

ミナは壁に固定された鎖に縛られたまま、荒い呼吸を繰り返していた。

「……はぁ……はぁ……」

 身体が熱い。

 心臓が痛いほど脈打つ。

 指先が痺れ、視界が揺れる。


 そのときだった。 

 ――ドクン。

 胸の奥で何かが脈打った。

 自分のものではない“何か”が、血管を流れている感覚。


「や……だ……」

 ミナは震える手で胸を押さえた。


 熱が全身へ広がる。

 皮膚が焼けるように熱い。 


 ――ドクンッ。


「っ……あ……!」 

 ミナの身体が跳ねた。

 鎖がガチャッと音を立てる。

 ミナの瞳が揺れ、視界が赤く染まる。

 「いや……いや……いや……!」 

 必死に拒絶する。

 だが、血は止まらない。

 体内で何かが変わっていく。


 暗闇の奥から、あの男がゆっくりと姿を現した。

「始まったね」

 ミナは涙を流しながら叫ぶ。「やめて……!お願い……やめて……!」


 男は優しく微笑んだ。

「僕はサミュエル。君の名はミナだったね」

「君は若くて美しい、一六歳だったかな」

「大丈夫だよ、ミナ。痛いのは最初だけさ」


 ミナは首を振る。

 鎖が軋む。

「いや……!私は……私は……!」


 サミュエルはミナの頬へ触れた。

 冷たい指。

 人間の温度ではない。

「君の血は綺麗だ。変異も早い」


 ミナの瞳が赤く光り始める。

「……あ……あぁ……」

 呼吸が荒くなる。

 胸が苦しい。

 背中が熱い。

 骨が軋む。


 ――ドクンッ!!

「っ……ああああああああ!!」 ミナの叫びが地下室に響いた。


 サミュエルは楽しそうに見つめる。

「いい声だ。そのまま受け入れれば楽になるよ」


 ミナは涙を流しながら叫ぶ。「いや……!妹が……リーナが待ってるの……!」


 サミュエルの表情がわずかに変わる。

「妹……?」


 ミナは苦しみながら叫ぶ。

「妹を……守らなきゃ……!絶対に……!」


 サミュエルはゆっくりと笑った。

「その強さ……素晴らしいね。君が変われば、妹もすぐに連れてきてあげるよ」


「やめて!!妹には……触らないで……!!」

 ミナの叫びは、痛みと恐怖と怒りが混じったものだった。


 その瞬間――。

 ミナの身体がさらに大きく跳ねた。

 ――バキッ!!

「っ……ああああああああ!!」 骨が軋む音。

 皮膚が裂けるような痛み。

 身体から黒い粒子が溢れ出す。


 サミュエルは満足そうに頷いた。

「もう少しの我慢だよ」


 ミナは涙を流しながら叫ぶ。

「いや……いやぁぁぁぁ!!」 


 男は優しく囁く。

「大丈夫。すぐに慣れるよ。君はもう――」

 一拍置く。

「“夜の住人”だ」


 ミナの瞳が赤く光り、涙が頬を伝う。

「……リーナ……ごめん……」  その声は、誰にも届かない。 闇の中で、ミナの変異は静かに進んでいった。


◆倉庫地下・拘束室

 ヴァンパイアたちとの戦闘が始まった直後。

 エレナは影を殴り飛ばしながら、奥の部屋へ視線を向けた。


 ――聞こえる。

 誰かの苦しそうな呼吸。

 誰かの泣き声。


 エレナは胸が締め付けられるような感覚に襲われた。

「ベルツ!奥の部屋に誰かいる!」


 ベルツはアベルとリーナを背にかばい、襲いかかる影を払いのけながら言った。

「エレナ様、行ってください。ここは私とジルで引き受けます」


 ジルが口元を吊り上げる。

「さっさと行きなさい!こいつらは私たちが遊んであげるわ」


 エレナは黒い翼を広げ、奥の扉へ向かって駆けた。


 扉は古く、錆びていた。

 だが、エレナが触れた瞬間

 ――ガンッ!!

 扉は簡単に吹き飛んだ。


 中は暗く、冷たい。

 壁には鎖。

 床には黒い粒子。


 そして――

 「……っ……はぁ……はぁ……」

 部屋の中央に、鎖で拘束された女性がいた。


 赤く光る瞳。

 涙で濡れた頬。

 少女の姉――ミナだった。


「……ミナさん……?」

 エレナは息を呑む。


 ミナはゆっくりと顔を上げた。

 赤い瞳が揺れ、エレナを映す。「……だれ……?」

 その声は弱く、震えていた。


「私はエレナ。あなたの妹さんに頼まれて……」


ミナの瞳が大きく揺れた。

「……妹……?」


「あなたを助けに来たの」


 ミナの唇が震える。

 涙がこぼれた。

「……リーナは……無事なの……?」


「ええ。私の仲間といるわ」


 ミナは胸を押さえ、苦しそうに息をする。

「よかった……よかった……」 


 その瞬間――ミナの身体が、ビクッと動く。

「っ……あ……ああ……!」


 エレナは慌てて駆け寄る。

「ミナさん!?」


 ミナは必死に首を振る。

「来ないで……!私……もう……人間じゃ……ない……!」


 エレナはその言葉に胸が痛む。

「そんなことない!あなたは――」


「違うの!!」

 ミナは叫んだ。

 涙が床へ落ちる。

「血が……血が欲しくなるの……!リーナの顔を思い出しても……その次に……血の匂いがするの……!」


 エレナは息を呑む。


 ミナは震える声で続けた。

「私……リーナを……妹を……傷つけるかもしれない……だから……来ないで……!」


 エレナはゆっくりと首を振った。

「ミナさん。あなたは妹を守りたいと思ってる。それが“人間の心”よ」 


 ミナの赤い瞳が揺れる。

「……でも……身体が……違うの……背中が熱い……心臓が痛い……血が……欲しい……!」


 エレナはミナの手をそっと握った。

「大丈夫。あなたはまだ人間よ。私が必ず助ける」


 ミナは涙を流しながら首を振る。

「……お願いが……」


「何でも言って」


ミナは震える声で言った。

「私を……妹には……絶対に……近づけないで……私が……変わる前に……私を……止めて……」


 エレナの胸が締め付けられる。「ミナさん……」

 その瞬間――。 

 ――ヒュッ。

 黒い影がミナの背後から現れた。


ヴァンパイアの男が、赤い瞳で笑っていた。

「感動的だね。でも、もう遅いよ」


 ミナの瞳が赤く光り、呼吸が荒くなる。

「……いや……いやぁ……!」


 男は楽しそうに囁いた。

「さあ、ミナ。君の“初めての狩り”は――」


 赤い瞳がエレナを見た。

「この子にしようか」


 ミナは叫んだ。

「やめて!!エレナさんに触らないで!!」


 エレナは拳を握りしめた。

「ミナさん……大丈夫。あなたは私が守る」

 エレナが男を見る。

「おい!ヴァンパイア!」

「お前がミナさんを!」


 男はエレナを見て言う。

「僕はサミュエルです」


 エレナが睨み、拳を強く握る。

「名前など聞いていない、お前を殺す!」


 その瞬間――

 ミナの赤い瞳が光る。

「っ……ああああああ!!」

 変異が進む。


 エレナは叫んだ。

「ミナさん!!」


 サミュエルが笑う。

「さあ――始めようか」

 闇が揺れた。

 牙が光った。

 姉妹の悲劇が、今まさに始まろうとしていた。


 ミナの身体が跳ね上がった瞬間。

 空気が変わった。 

 赤い瞳が獣のように光る。

 呼吸は荒く、喉から漏れる声はもう人間のものではなかった。「っ……あああああああ!!」


 エレナは思わず後ずさる。

「ミナさん……!」


 サミュエルは楽しそうに笑った。

「いいね……その声。変異が進んでる証拠だよ」


 ミナは鎖を引きちぎらんばかりの勢いで暴れ始めた。

 ガンッ!ガンッ!

 鉄が軋み、壁が崩れ落ちた。


「やめて……!」

 エレナは叫ぶ。

 しかしミナの耳には届かない。


 ミナの瞳がエレナを捉えた。  赤い光。

 獲物を見る目。

「……あ……あぁ……」

 ミナの喉から漏れる声は、言葉ではなく本能の唸りだった。


 エレナは拳を握る。

(来る……!)


 次の瞬間。

 ――バサッ!!

 ミナが飛びかかる。

 エレナへ一直線に突っ込む。


「ミナさん!!」

 エレナは横へ跳ぶ。


 ミナの爪が床をえぐり、石が砕け散る。


 アベルが叫ぶ。

「姉さん!!危ない!!」


 ミナは床を蹴り、再び跳ぶ。

 動きが速い。

 ウインドウルフより速い。

 

 エレナは翼を広げ、空中へ逃れる。

「ミナさん、やめて!!」


 しかしミナは追う。

 黒い粒子のようなものでミナも宙に浮く。

 そして、エレナの背後へ回り込む。


「っ……!」

 エレナは反射的に腕で防御する。


 ミナの爪が腕をかすめ、血が飛ぶ。


「痛っ……!」


 ミナはその血の匂いに反応した。赤い瞳がさらに光る。

「……血……」

 ミナの声は震え、苦しみと渇望が混じっていた。

「血……欲しい……」


 エレナは息を呑む。

「ミナさん……!」


 サミュエルが笑う。

「ほら見てごらん。ミナはもう人間じゃない」


「黙れ!!」

 エレナは叫ぶ。


 ミナは苦しそうに頭を抱えた。

「いや……いやぁ……!」

「血……欲しい……でも……いや……!」


 エレナは胸が締め付けられる。(ミナさん……まだ人間の心が残ってる……)

 だが、身体はもう止まらない。


 ミナは再びエレナへ突っ込む。 エレナは拳を構えた。

(攻撃しないと……でも……!)


 ミナの爪が迫る。


「ミナさん!!」

 エレナは拳を振り上げ――

 寸前で止めた。

「……っ!」


 ミナの爪がエレナの肩を深く切り裂いた。

「くっ……!」

 鋭い痛みとともに鮮血が飛び散る。


 ミナの赤い瞳が、その血を捉えた。

「血……血ぃ……!」

 獣のように喉を鳴らし、理性を失ったまま一歩、また一歩とエレナへ迫る。


 そのときだった。

「お姉ちゃん!やめて!!」

 リーナの悲痛な叫びが地下室に響く。


 ミナの身体が、ぴたりと止まった。震える瞳がゆっくりとリーナを捉える。

「……リー……ナ……?」

 かすれた声。

 その瞳に、一瞬だけ人間だった頃の優しさが戻る。

 だが――次の瞬間、その赤い瞳は再び狂気に染まった。


 ――ヒュッ。

 黒い影がエレナの前へ滑り込む。

「下がってください」

 ベルツだった。


 ミナは獣のような叫び声を上げ、ベルツへ飛びかかる。

「どいてぇぇぇっ!!」


 ベルツは静かに片手を差し出す。

「……眠りなさい。」

 黒い魔力がミナの身体を包む。

 ミナは空中で動きを止め――

 床へ落ちた。

「っ……はぁ……はぁ……」

 ミナは苦しそうに呼吸しながらも、動けなくなっていた。


 エレナは駆け寄る。

「ミナさん!!」


 ミナは震える声で呟いた。

「……リーナは?……」

「ごめん……私……もう……人間には……」


 エレナは首を振る。

「違う!まだ戻れる!!」


 ミナは涙を流した。

「……妹……守って……」 

 その言葉は、かすれていた。


 サミュエルがゆっくりと拍手した。

「素晴らしいね。でも――」 

 赤い瞳が光る。

「まだ終わってないよ」

 影が揺れた。

 複数のヴァンパイアが姿を現す。


 ベルツが構える。

「エレナ様、ミナさんを守ってください」


 エレナはミナを抱き寄せ、立ち上がる。

「絶対に……守る」

 闇が揺れた。

 牙が光った。

 

 そして、ジルはヴァンパイアの胸から心臓を引き抜いた。

 ――グシャッ。

 握り潰された心臓が黒い灰となって崩れ落ちる。

 ジルは血で濡れた手を軽く払い、愉快そうに笑った。

「さあ、第二ラウンドよ!」




 ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!


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