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『天使を殺す契約をした』 ~たとえ神を敵にしても~  作者: 彩川準


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空を支配する魔獣

◆レオニス王国・深緑の森

 森の上空を旋回していたエレナは、まだぎこちないながらも飛行の感覚を掴み始めていた。

 黒い翼が風を受け、ゆっくりと高度を上げる。


 地上ではアベルが見上げていた。

「姉さん……本当に飛んでる……」


 ベルツは静かに頷く。

「まだ不安定ですが、十分戦闘に使えるレベルです」


 ジルは腕を組みながら笑う。

「じゃあ、そろそろ本番ね」


 ベルツがエレナへ言う。

「では、実戦です」


 ジルも笑う。

「飛べるようになったからって安心しないで」

「空中戦は地上戦とは別物よ」


 その瞬間だった。

 すると森の上空から風が吹き抜ける。

 ヒュオォォ……


アベルが見上げる。

「今の……何?」


木々の間を緑色の影が高速で駆け抜ける。

一瞬しか見えない。


 更に風を切る鋭い音が森を貫いた。

 ――ヒュッ。

 

 ベルツの表情がわずかに険しくなる。

「来ます」


 次の瞬間、森の影から五匹の白銀の獣が飛び出した。

 狼のような姿。

 その背には翼がある。


 しかしその身体は風そのもののように軽く、輪郭が揺らめいている。


 白銀の体毛が風に揺れ、鋭い瞳が三人を見据える。


 ジルが笑う。

「五体ね。ちょうどいいわ」


 エレナが息を呑む。

「これが……ウインドウルフ……」


 ジルは笑った。

「そうよ。空を支配する魔獣。地上戦しか知らないアンタには最悪の相手」


 ベルツが低く呟く。

「ちょうどいい?今のエレナ様には五匹は厳しいでしょうか」


 五匹のウインドウルフは木々の間を縫うように走る。


 次の瞬間――

 一匹が空へ跳んだ。

 風が巻き起こる。

 白銀の影がエレナへ向かって一直線に突っ込んできた。


「速っ――!」

 エレナは慌てて翼を動かす。

 身体が横へ流れ、ギリギリで回避した。


 しかしウインドウルフは空中で方向を変え、再び襲いかかる。


 ベルツが説明する。

「ウインドウルフは、速度を生かした一撃離脱を得意とします」


 ジルが付け加える。

「空中で止まって戦う相手じゃない。」

「捕まえられなければ永遠に攻撃され続けるわ。」


 エレナが飛び上がる。

まだ飛行に慣れていないため姿勢が不安定。


そこへ。

ヒュン!

もう一匹のウインドウルフが横を通過。


エレナは腕を少し切られる。

「速い!」


 ベルツが叫ぶ。

「エレナ様、上昇を!」


 エレナは魔力を背中へ集中させる。黒い翼が風を掴み、急上昇する。


 ウインドウルフはエレナを追う。

 その速度はエレナより速い。


 アベルが叫ぶ。

「姉さん、逃げて!」


 ジルは笑う。

「逃げるんじゃないわよ。戦うの」


 エレナは歯を食いしばる。

(速い……)

(でも、追ってくるなら――)

 エレナは急に翼を閉じた。

 エレナの身体が落下する。


 ウインドウルフは一瞬だけ反応が遅れた。


(今!)

 エレナは降下の勢いを利用し、ウインドウルフの腹へ拳を叩き込む。

 ドガァッ!!


 白銀の獣が空中で大きく弾かれた。


 アベルが叫ぶ。

「当たった!」


 ジルは満足そうに笑う。

「いい判断ね。空中戦は“落下”も武器になるのよ」


 しかし―― ウインドウルフはすぐに体勢を立て直し、空中で風を纏った。


 ベルツが低く呟く。

「……また来ます」


 ウインドウルフの身体が白銀の光を帯びる。

 風が唸り、木々が揺れる。


 アベルが震える声で言う。

「何これ……」


 ベルツは静かに答える。

「ウインドウルフの固有能力――《風纏い》です」

「速度がさらに上がります」


 次の瞬間。

 白銀の影が消えた。

「えっ――?」

 エレナは周囲を見回す。

 どこにもいない。


 アベルが叫ぶ。

「姉さん、後ろ!」


 風が裂けた感じがした。


 ウインドウルフが背後から襲いかかる。


 エレナは反射的に翼を広げ、身体をひねる。

 爪がエレナの頬をかすめた。

「くっ……!」


 ジルが叫ぶ。

「エレナ!風を読むのよ!」


「風を……読む?」

「どうやって?」


 ベルツが指示を出す。

「エレナ様、目で追わないでください」

「風を感じるんです」

「風の流れで来る方向が分かります」


 ジルが引き継ぐ。

「ウインドウルフは風を使って動く!」

「風が揺れた方向に必ず来る!」


 エレナは息を整え、目を閉じた。

 風の流れを感じる。

 木々の揺れ。

 空気の震え。

 葉の擦れる音。


 その瞬間――

 右後方の風がわずかに揺れた。(そこ!)

 エレナは振り向きざまに拳を突き出す。


 ドガァッ!!

 ウインドウルフの顔面へ直撃した。白銀の獣が地面へ落ちる。


 アベルが叫ぶ。

「姉さん、すごい!」


 ジルは満足そうに頷く。

「風を読めるなら、もう勝てるわ」

 

 ウインドウルフは立ち上がり、最後の咆哮を上げた。

 風が渦を巻く。


 そのときだった――


 一体のウインドウルフが、地上のアベルへ向かって跳んだ。「えっ――!」

 白銀の影が一直線に迫る。


 風が裂け、アベルの髪が大きく揺れた。アベルは反射的に腕を上げる。

 しかし、間に合わない。

(来る――!)


 その瞬間だった。

 ――シュン。

 音すらなかった。

 ウインドウルフの身体が、アベルの目の前で真っ二つに割れた。

 白銀の体毛が風に散り、二つの肉塊が地面へ落ちる。


 アベルは固まったまま動けない。

 ゆっくりと、ベルツが歩み出る。細い指先から黒い魔力が淡く揺れていた。

「アベル様」

 ベルツは穏やかに言った。

「危険ですので、もう少し後ろへ」


 アベルは震える声で答える。

「い、今の……ベルツが?」

 

 ベルツは軽く頷く。

「ええ。ウインドウルフは速いですが、直線的です」

「軌道を読めば、対処は容易です」


 ジルが空から笑い声を上げる。

「ベルツって、本当にこういう時だけ強いのよねぇ!」


 ベルツは淡々と返す。

「こういう時“も”強いのです」


 アベルはまだ胸の鼓動が収まらないまま、ベルツの背中を見る。

 その姿は、いつもの穏やかさのまま。


 しかし――

 その一撃は、あまりにも静かで、あまりにも強かった。

(ベルツ……)

(こんなに強かったんだ……)


 アベルは拳を握る。

(僕も……守れるようになりたい)


 ベルツはアベルの視線に気づいたように、少しだけ微笑んだ。

「アベル様。あなたはあなたの役目を果たせば良いのです」


 アベルは小さく頷いた。

「……うん」

 森を風が吹き抜ける。


 空では、エレナが残り四匹のウインドウルフと対峙していた。

 黒い翼が風を切り、白銀の影が空を駆ける。


 ウインドウルフが四匹同時にエレナに襲いかかる。


 エレナは間一髪回避し、空中で体勢を立て直しながら、一匹のウインドウルフを追う。

 だが、風のような速度には、まだ反応しきれない。


 ヒュンッ!

 一匹が背後へ回り込む。


「後ろ!」

 アベルの叫び。


 エレナは振り向きざまに拳を振るう。しかし、その一撃は空を切った。


 ウインドウルフはニヤリと笑うように牙を見せると、急旋回する。


 そのまま一直線に飛んだ。

 狙いは――。

 岩の上で退屈そうに座っているジルだった。


 アベルが目を見開く。

「ジル!」


 ウインドウルフは大口を開け、首筋へ噛み付こうと飛びかかる。

 あと一メートル。

 あと五〇センチ。


 その瞬間だった。

 ジルは座ったまま、小さく指を鳴らした。


 パチン。

 ――ドンッ。

 一瞬だけ黒い衝撃が走る。


 次の瞬間。

 ウインドウルフの身体が、空中で粉々に砕け散った。

 血も悲鳴もない。

 肉片は黒い粒子となって風へ溶けていく。


 静寂。


 ジルは欠伸を一つした。

「だからさぁ」

「先生を襲っちゃ駄目でしょ」

 まるで、虫を払った程度の口調だった。


 アベルは言葉を失う。

「……え?」

「何をしたの?」


 ベルツは静かに答える。

「魔力を一点へ圧縮し、接触した瞬間に内部から破壊しました」


 ジルは笑う。

「難しいこと言わなくていいのよ」

「要するに、アタシの邪魔したから壊しただけ」


 エレナは空中から、その光景を見つめる。

(……見えなかった)

(今、何をしたの?)


 ジルはエレナを見上げ、ニヤリと笑った。

「ほらほら」

「よそ見してると、次はアンタが食べられるわよ」


 その声と同時に、残る三匹のウインドウルフたちが一斉にエレナに飛びかかってきた。


 エレナは黒い翼を広げ、空へ舞い上がる。

 風の流れを読む。

 獣の動きを読む。


 そして――

 渾身の一撃を叩き込んだ。

 一匹の白銀の獣が地面へ崩れ落ちた。

 森が静まり返る。


 しかし、群れはまだ二匹残っていた。


 ジルがエレナを見て笑う。

「今日はここまでね」

「一匹倒せたなら十分合格よ」


 そう言うと、ジルは軽く手を振った。

 次の瞬間。

 ――ドォンッ!!

 残る二匹のウインドウルフは、一瞬で吹き飛んだ。

 ジルのあまりにも圧倒的な力。


 エレナもアベルも、ただ呆然とその光景を見つめるしかなかった。


 ベルツが苦笑する。

「まったく……」

「ジルさんは相変わらず派手ですね」


 ジルは悪びれる様子もなく笑った。

「長引かせても仕方ないでしょ?」


 エレナはゆっくりと地上へ降り立つ。

 黒い翼を畳み、肩で息をした。

「……飛ぶのって、思ったより疲れるわね」


 ジルは優しく微笑む。

「でも、初めてにしては悪くなかったわよ」


 ベルツも静かに頷く。

「ええ」

「空中戦の基礎としては十分です」


 アベルは姉の背中を見つめていた。

 風に揺れる黒い翼。

(姉さん……)

(本当に、どんどん遠くへ行く……)


 その胸の奥に、言葉にならない不安が静かに積もっていった。


 ジルが楽しそうに笑う。

「明日は、さらに速い相手と戦ってもらうよ」


 エレナは思わず顔をしかめる。

「……まだいるの?」


 ベルツが静かに呟く。

「そうですね」

 一拍。


「今日は、まだ入門編ですからね」


 エレナは大きくため息をつく。

「入門であれって……先が思いやられるわ」


 アベルも苦笑した。

「僕たち、明日も生きて帰れるかな……」


 ジルは声を上げて笑う。

「大丈夫、大丈夫!」

「死なせない様にするから」


「その言い方が一番怖いんだけど……」

 アベルが肩を落とした。


 しばらく歩いたところで。

 ジルが突然、お腹を押さえた。

「あー、お腹空いた!」


「帰ったら、また今朝のダイナーで夕飯にしましょう!」


 エレナとアベルは顔を見合わせる。

「……もう、僕たちお金ないよ」

「今朝ので使い切っちゃったし……」


 ジルの笑顔が固まる。

「え?」

「えぇぇぇ!?ご飯食べられないの!?」


 数秒の沈黙。


 ベルツが静かに口を開いた。

「……分かりました」

「今日は私がご馳走します」


 二人の表情が明るくなる。

「本当!?」

「助かったぁ……」


 アベルが首を傾げる。

「でもベルツ、人間界のお金なんて持ってるの?」


 ベルツは穏やかに微笑んだ。

「ええ」

「紅茶の茶葉を仕入れたり、人間界で買い物をすることもありますので」

「常に、ある程度は持ち歩いています」


 エレナが不思議そうに尋ねる。

「でも、そのお金ってどうやって稼いだの?」


 ベルツは少しだけ考え込む。

 そして、小さく微笑むと、足元に転移魔法陣を展開した。

「……その質問は」

 一拍。


「聞かないほうがいいと思います」

「……企業秘密です」


 エレナとアベルは顔を見合わせる。

「え……?」


 ベルツは何事もなかったように微笑んだ。

「さあ、四人でダイナーへ向かいましょう」


 転移魔法が四人を包み込む。

 夕暮れの森から、四人の姿は静かに消えていった。


 ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!


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