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『天使を殺す契約をした』 ~たとえ神を敵にしても~  作者: 彩川準


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11/12

黒い翼と禁じられた名

◆アルディア共和国・東の山岳地帯

 最後のホーンベアが地響きを立てて倒れた。

 エレナは大きく息を吐く。

「ふぅ……」


 ジルは満足そうに頷いた。

「いいじゃない」

「最初に比べれば、ずいぶん動けるようになったわ」


 エレナは汗を拭う。

「疲れたけどね」


 ジルは倒れたホーンベアを見ながら話し始める。

「ホーンベアみたいな力押しの魔獣は、観察できれば怖くない」

「アンタは相手の癖や重心を見るのが意外と上手い」

「昨日のオーガもそうだったけど、力任せじゃなく、弱点を探そうとする癖がある」


 エレナは少し照れくさそうに笑う。

「ベルツにも似たようなこと言われたわ」


 ジルは笑う。

「だから、この手の相手には強い」

「でも、それだけじゃ駄目」


 アベルが尋ねる。

「まだ何かあるの?」


 ジルはニヤリと笑った。

「もちろん」

「世の中、止まって殴り合ってくれる魔獣ばかりじゃないもの」

 黒い魔法陣を地面へ展開する。

「次は場所を変えるわ」


 アベルが周囲を見回す。

「また転移?」


「ええ」

「次はアルディア共和国じゃない」

「隣国──レオニス王国よ」


 エレナが驚く。

「レオニス王国まで移動できるの?」


「その程度なら一瞬」

 ジルは得意げに笑う。

「次の相手は、ウインドウルフ」

「風のように走る魔獣」

「おそらく、アンタが一番苦手なタイプよ」


 アベルが首を傾げる。

「どんな魔獣なの?」


 ジルは人差し指を立てた。

「速い」

「とにかく速い」

「ホーンベアみたいに待ってくれない」

「一瞬でも目を離したら、喉を食いちぎられるわ」


 エレナは口元を吊り上げる。

「面白そうじゃない」


「その顔、嫌いじゃないわ」

 ジルは笑い、三人は魔法陣へ足を踏み入れた。

「さあ、次の授業を始めましょう」

 黒い光が三人を包み込んだ。


◆レオニス王国・深緑の森

 黒い魔法陣が静かに消える。

 三人が降り立ったのは、深い森だった。

 木々は空高く伸び、風が枝葉を揺らしている。


 エレナは周囲を見回した。

「ここは?」


 ジルが答える。

「隣国、レオニス王国の森よ」

「ここにはウインドウルフが群れで住んでる」

「空から襲ってくる魔獣だから、今までとは少し勝手が違うわ」


 アベルが空を見上げる。

「空から……」


 エレナも同じように空を見る。

「でも、どうやって戦うの?」

「飛んでる相手なんて届かないじゃない」


 その言葉に、ジルはエレナをじーっと見つめた。


「……何?」


「ふーん」

「アザエルさんも、意外と気が利くのね」


 エレナが首を傾げる。

「どういう意味?」


「アンタ」

「飛べるわよ」


 一瞬、空気が止まった。


「……え?」


「翼よ」

「アザエルさん、強くするって契約の中に翼も付けてくれてるわ」


 エレナは思わず背中へ手を回す。

「翼なんて無いけど?」


 ジルは笑う。

「普段は出してないだけ」

「私みたいな鳥の翼じゃないけどね」

「コウモリみたいな悪魔の翼よ」

「背中から生えるイメージをしてみなさい」

「魔力を流す感じで」


 エレナは半信半疑で目を閉じた。

 背中を意識する。

 魔力が肩甲骨の辺りへ集まっていく。


 その瞬間――

 ボワッ。

 黒い粒子が背中へ集まり始めた。


 アベルが目を丸くする。

「姉さん!」


 エレナも振り返る。

「え……?」


 背中から、大きな黒い翼がゆっくりと広がっていた。

 鳥の羽ではない。

 黒い膜でできた、悪魔らしいコウモリの翼。

 翼を軽く動かすだけで風が巻き起こる。

「……本当に生えた」


 ジルは満足そうに頷いた。

「ほらね、やっぱり」

「アザエルさんなら、ちゃんとその力も与えてると思ったわ」


 エレナは翼を見つめながら苦笑する。

「こんなの……」

「使い方なんて分からないわよ」


 ジルはニヤリと笑った。

「でしょうね」

「だから今日は――」

 ジルは一歩前へ出る。

「ウインドウルフと戦う前に」

「飛行訓練から始めるわ」


 エレナの背中に広がった黒い翼が、ゆっくりと風を受けて揺れる。

 自分でも信じられないというように、何度も翼へ視線を向けた。

「……重い」

「ちゃんと感覚がある……」


 アベルも目を丸くしている。

「姉さん、すごい……」


 エレナは翼をゆっくり動かしてみる。

 バサッ。

 風だけが巻き起こる。

「……で?」

「これ、どうやって飛ぶの?」


 ジルはニヤリと笑った。

「飛んでみれば分かるわ」


「え?」


「ほら、見てなさい」

 ジルの背中から黒い羽根の翼が大きく広がる。


 次の瞬間。

 バサァッ!!

 強い風が吹き抜け、ジルの身体がふわりと浮かび上がった。


 そのまま木々より高く舞い上がる。

 くるりと一回転。

 急降下。

 地面すれすれで止まり、再び上空へ。

 まるで鳥のようだった。


 アベルが思わず声を漏らす。

「すごい……」


 ジルは空中で笑う。

「こんな感じ!」

「さぁ、やってみなさい!」


 エレナは顔をしかめた。

「いや、説明になってないわよ」

「大丈夫、大丈夫!」

「飛べば分かるから!」


 エレナは恐る恐る翼を広げる。

 羽ばたく。

 バサッ。

 ……終わり。

 身体は一ミリも浮かない。

「飛ばないんだけど」


 ジルが叫ぶ。

「もっと!」

 バサバサッ!

「まだ!」

 バサバサバサッ!!

 エレナの翼だけが激しく動く。

 土埃だけが舞い上がった。


 アベルが苦笑する。

「姉さん……飛ぶっていうより暴れてる」


「うるさい」

 さらに二〇分。

 三〇分。

 エレナは汗だくになっていた。

「はぁ……」

「はぁ……」

「全然飛べないじゃない……」


 ジルは首を傾げる。

「変ねぇ」

「アタシは最初から飛べたけど?」


「それ、参考にならないわよ!」


 そのときだった。

 空中に白銀の魔法陣が浮かび上がる。

 淡い光が降り注ぎ、一人の悪魔が静かに姿を現した。

「お待たせしました」

 ベルツだった。


 アベルが笑顔になる。

「ベルツ!」


 ベルツはエレナの翼を見ると、小さく頷く。

「飛行訓練ですか」

「もう少し魔力の扱いを覚えてからお伝えする予定でしたが……」


 アベルが驚く。

「えっ?」

「翼があること知ってたの?」


「ええ」

 ベルツは穏やかに頷く。

「もちろんです」

「ですが私の中では、まず地上戦の基本」

「次に身体強化」

「その後に飛行」

「そういう順序で教える予定でした」

 一拍置き、ジルを見る。

「……もっとも」

「ジルさんには、そのような計画は無いのでしょうけれど」


 ジルは笑い出す。

「あははっ!」

「ベルツ!」

「アンタみたいに頭でっかちじゃないのよ」

「実際にやれば覚えるんだから」


 ベルツはため息をつく。

「だから毎回問題が起きるのです」


「細かいわねぇ」


「慎重と言ってください」


 二人を見ていたアベルが苦笑した。

「本当に正反対なんだね」


 ベルツはエレナへ向き直る。

「飛行訓練は私の方が適任でしょう」

「エレナ様」

「ここからは私がご指導いたします」

 そしてジルへ視線を向ける。

「ジルさんは少し休んでいてください」


 ジルは岩へ腰掛ける。

「はいはい」

「ベルツ先生、お願いしまーす」


 ベルツはエレナの背中へ目を向けた。

「翼で飛ぼうとしていませんか?」


「え?」


「違います」

「空を飛ぶのは翼ではありません」

「魔力です」

「翼は姿勢を安定させ、方向を制御するための補助」

「まず身体を浮かせる意識を持ってください」


 エレナは目を閉じる。

 ベルツの言葉どおり、魔力を身体全体へ巡らせる。


 ふわっ。

 エレナの両足が地面から少し浮いた。


「浮いた!」

 アベルが声を上げる。


 ベルツは静かに頷く。

「そのまま翼を動かしてください」


 エレナはゆっくり羽ばたく。

 身体が前へ進む。

「できる……!」


 一五分後。

 ぎこちないながらも、エレナは森の上を旋回できるまでになっていた。


「すごい……」

 アベルは思わず見上げる。

「もう飛べてる」


 岩に腰掛けたジルが笑う。

「やっぱりベルツは教えるの上手ね」

「理屈は嫌いだけど」


 ベルツは聞こえないふりをしていた。


 その様子を見ながら、アベルが小さく口を開く。

「ねぇ、ジル」


「ん?」


「さっき話してた……セラフィナって」

「どんな人なの?」


 ジルは少し黙った。

「話しても、アタシは構わないんだけどね」


「でも?」


「アザエルさんは、あまり良い顔しないでしょうね」

「ベルツなんか、もっと嫌がるわ」


 アベルは真剣な眼差しを向ける。

「知りたいんだ」

「僕も、この世界のことを」


 ジルはアベルの真剣な瞳を見て、小さく息を吐いた。

「……仕方ないわね」

「セラフィナは悪魔じゃない」

「元は天界の住人」

「しかも、普通の天使じゃないわ」

 一拍置く。


「数年前に天界から地獄へ堕とされた――元大天使」


 アベルが目を見開く。

「大天使……?」


 ジルは指で頬を掻きながら続ける。

「そのあと地獄を脱出して、悪魔界へ住むようになった」

「今は堕天使として生きてる」

「それ以上は――」


 その瞬間だった。

「ジルさん」

 ベルツの静かな声が飛んできた。


 ジルは苦笑する。

「やっぱり聞こえてたか」


 ベルツはエレナへ飛び方を教えながら、こちらを見もせず言う。

「それ以上は、アベル様へお話ししないようお願いします」


 アベルは思わず笑ってしまった。

「……流石、地獄耳だね」


 ベルツは穏やかに答える。

「悪魔ですので」


 ジルは呆れたように笑う。

「はいはい」

「約束どおり、この話はここまで」


 アベルは空を飛ぶエレナと、意味深なまま終わった話を交互に見つめ、小さく息をついた。

「また気になることが増えちゃったな……」


 アベルの頭上では、ベルツの指導を受けたエレナが、ぎこちないながらも森の上を飛び続けていた。

 次の相手は――空を支配する魔獣、ウインドウルフ。

 新たな戦いが、もう始まろうとしていた。


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