重い白球
ざわめく人混み。いつの間にか大通りに出ていたらしい。雨とはいえ人通りも多い。その人々が遠巻きにして囲む一人の男性。
「さわぐな!ばかにするな!」
なんとも言えない怒号。手には鉄パイプのようなものを持ち、よろよろと振り回していた。
それをスマホで撮影する野次馬の姿も見えた。
警察はまだ来ていないらしい。
突然男は人混みの中に飛び込んでくる。
悲鳴を上げる人々。逃げ遅れた子供が道路の上に倒れる。
(......!)
無意識に凛は飛び込む。子供を助けるために。
子供をかばうように地面に触れ付す凛。
男は動きを止め、にやりと笑みを漏らす。大きく鉄パイプが振り上げられ、凛の背中にそれは――
その時――光の矢が凛の上を走った。
子供を抱き上げ、振り向く凛。そこには鉄パイプを取り落とした男の姿があった。なぜか右手を震わせながら。
次の瞬間。男の顔面にボールが直撃する。ごき、と嫌な音がする。まるで顔面が歪んだように停止し、ゆっくりと男はその場に崩れ落ちた。
ボールが跳ねる音。子供を抱きしめながらそのボールを手に取る凛。
白い皮が貼られたボール。昔のベースボールのボールであるようだった。『硬式球』というのを凛は聞いたことがあった。
かつてヴェルキュリア・ベースボールが主流になる前は、現実世界でこの玉を使い野球をしていたという昔話である。こんな硬くて重いものを扱うとは想像だにしないことであるが。
あたりを見回す凛。多分、鉄パイプを撃ち落としたのもこのボールだろう。だとすれば、それを投げた『投手』がどこかにいるはずだ。
その瞬間、頭の中にイメージが弾ける。
それはヴェルキュリア・ベースボールでいつも受け取っている投手の『サイン』にも似ていた。『バルドル量子演算プロトコル』を通じてのみ聞くことのできるピッチャーのささやきである。
『内角低め。スライダー』
その声に弾かれるように無意識に両手を凛は構える。
次の瞬間、左手に重い感覚が突き抜ける。
いつもの感覚。
それは『ボール』がストライクを決めた、あの感触である。
ボロッとボールが地面に落ちる。同じ白い硬式球。手がびりびりする。無理もない。キャッチャーミットを付けてないのだから。
じっと凛はその手を見つめる。痛い、というよりなにか別のものを感じる。今まで感じたことない感覚。
サイレンが鳴る。警察がようやく到着したらしい。
制服姿の警官が何人も群がってくる。気を失った男を羽交い締めにして、無線で報告する警官。
『怪我をした人はいませんか』
そうメガホンで他の警官が呼びかける。
凛と泣いている子供に気づく警官。
『この人が子供を庇って――」
一部始終を見ていたおばさんがそう説明する。
ボールを手にしていた凛を見つめていた警官は、ふっと何かに気づく。
「もしかして、レイヴンズの九条選手?」
静かに凛は頷く。
「よく私のことなんか知ってますね」
「いや~、本官レイヴンズの大ファンで――凛ちゃんいえ九条選手のことも入団当初から応援してますよ。なんか大変だったみたいですが――少し話を聞かせてくれませんかね」
凛は子供の方を向く。まだ怯えている子供。そっとその頭を撫でると、少し子供は平常を取り戻したようだった。
この事件は次の日の新聞に小さく載ることとなる――




