挑発
『よく、見逃しました!天城』
『ファントムボールですね。今日一番の落ち方でした。それを自信を持って見送れるのは天城の投手としてのカンでしょうか』
キャッチャーからボールを返球される氷室。グローブの中のヴァルキュリアボールをじっと見つめる。
おかしい。あの球は振る、振らないといけない。それが私のファントムボールなのだから——
『今の球、落ちる前の未来が2つに分かれてたよ。でも、ボクは選択したんだ。ボールになる方に』
頭に響き渡る少女の声。聞き覚えのある、高い声。はっとして氷室はバッターボックスを振り返る。
そこにはボックスを外してストレッチをするトウ華の姿があった。
信じられない——ヴァルキュリアボールでは基本、システムを介してのコミュニケーションは禁止である。そもそも、無線で情報のやり取りはできないようにシステムがくまれていたはずだ。それなのに、トウ華の声がまるで携帯電話を通じるように頭の中にこだまする。
『その本もう読んじゃったよ』
トウ華の声が続く。
『だから、手の内は丸裸。千雪ちゃんどうする?』
うつむいたまま振りかぶる氷室。ここまで挑発されては受けて立つしかない。ファントムボール。それもストライクゾーンにぎりぎり落ちる外角高めのボールを——小さなテイクバックのあとに遅れて出てくるボール。
今度は逆に見逃すはず。そうすれば、三振に。
しかし、トウ華は待っていたようにバットを出す。軽く当て後ろにボールは弾かれた。
『ファール!』
カウントは変わらず。しかし氷室は呆然とする。なぜこの球が『ストライク』になるとわかるのか。
『いったじゃん。千雪ちゃんの本は『もう読んじゃった』って。さあ、どうする?』
バッターボックスに構えるトウ華。無言のまま、再び氷室は振りかぶる。
『ふざけやがって——この私を——いいよ——やってやる!!天城もろとも、ふっとばしてやる!』
全力の投球。ヴァルキュリアボールが青く唸る。
小手先の変化球ではない。
全力を乗せたストレートである。
技巧派よりの氷室であったが、その気になれば160km超えのボールを放ることは造作もない。むろん、体力値を著しく削ることになるのだが。
ファールは打たせない。少しでもかすればフライになってアウトになる。そのような『運命視』を発動させる。
青い仮想運動体は、文字通り「光の矢」となって空間を切り裂き、バルドル量子演算プロトコルが弾き出す未来の軌道上を突き進む。全ては氷室の『運命視』に結果は集約する——はずであった。
しかし、トウ華はオープンスタンスの構えから、その細い体躯に似合わぬ鋭い踏み込みを見せた。
彼女の脳内では、氷室の『運命視』が作り出した「フライ」という確定事項が、『ユグドラシル・プロトコル』によって激しく書き換えられていく。
「……捕まえたよ、千雪ちゃん」
トウ華の銀髪が舞い、バットの芯が、青い閃光を放つボールにぶつけられる。
プッシュバント。
160km/hを超える凄まじい衝撃がトウ華の両腕を襲うが、必死にそれに堪える。
力と『運命視』でねじ伏せようとした氷室の意図を裏切り、ミートされた青い球は、氷室の足元を強烈なライナーとなって抜けていった——




