2つの未来
バッターボックスに入る美濃川。
一塁ランナーには目もくれず、集中する。
彼女が狙うのは本塁打のみ。
ここはそれで試合が終わるのだ。ならば、そうするのが最適解なのである。
ヴァルキュリアベースボールにおいて『運命視』は魔法のようなものである。
使うたびに、マジックポイントのようなものが消耗されていく。
五感が衰退し、肉体的疲労が蓄積していく。
最悪、立っていられなくなることもあるのだ。
美濃川は決心していた。相手が渾身の『運命視』を用いたボールに対して自分の『運命視』のすべてをぶつけてやろうと。
初球。セットポジションからの投球。
速い球。しかし高めに外れる。
二球目。スライダー。外角低めに落ちる。ギリギリストライク。
引き締まった体を、震わせる美濃川。じっとトウ華を睨みつける。
三球目。
なんとワインドアップからの投球。
ひさしぶりの160Km超えのストレートは内角をえぐる――はずであった。
思いっきりそれを引っ張る美濃川。かなり無理な態勢ではあったが、完全にボールの芯をとらえていた。
ドームが静まり返る。
急角度に弾道を伸ばしながら、左翼スタンドに伸びていく青い球。まるで彗星のようにゆっくりと尾を引きながら、弧を描く。
キャッチャーマスクを外して、凛は立ち上がる。
トウ華は一瞥もくれずにじっと立ち尽くしていた。
ゆっくりと――そして青いたまはぎりぎり左翼のポールの外側を通る。
『ファール!!』
AI線審によるコール。
『いやぁギリギリでした。もう少しでホームランでしたね』
『ドームなので風がない分、伸びませんでした。これは投げにくくなりますよ。天城投手』
バッターボックスを外し切り替える美濃川。
凛はゆっくりと腰を下ろす。
『予定通り。これで2ストライク。次で仕留めるよ』
『バルドル量子演算プロトコル』を経由しないトウ華からのメッセージ。
『さっきと同じ球。シュレディンガー・カッツェを発動させる』
シュレジンガー・カッツェ。それはまさに先程、柳川に投じた決め球である。
2つの状態を持つ球。横の変化と縦の変化の両方を同時に満たす魔球である。
シュレジンガー・カッツェ。日本語では『シュレジンガーの猫』。打者が打つ瞬間までそれは2つの状態がそれぞれ確率として存在する。打者が当てようとした瞬間にその状態は確定し、そして新しい状態を生み出すのだ。
『その時、『運命視』の力が勝っている方が勝利する。大丈夫。ボクは勝利する』
トウ華はサインを送る。
『高速スィーパー』
『高速スライダー』
の2つのサインを。
「うちとったら、明日はデートね。約束だよ!」
そう口に出して大きく振りかぶるトウ華。『運命視』が発動し、これが決め球であることが示される。
一方、美濃川の方もそれを読んでいた。同様に『運命視』を発動する。
彼女の作る未来は、変化球をホームラン。どちらに変化球が来ても、それを引き寄せる剛腕。逆転サヨナラの未来である。
ゆっくりと変化しはじめる青い球。縦に変化しはじめるその球筋はまさにトウ華の決め手のスィーパー。いかに切れが良くても『運命視』により未来を構築されればひとたまりもない。
目を見開く凛。
彼女の眼の前に新しい『未来』が構成されようとしていた――




