第55話 刻まれた名前は
なんだろう、この心地よい、揺れ……
あたたかくて、なつかしくて……
遊び疲れて、眠くなったとき、こうしてだれかの背にゆられて……
・・・・・・
「ぐぇっ……!」
衝撃――
腹になにか、叩き込まれて……!
「あ、ぁ……うぅ……」
内臓に沁みとおる痛みに、重い身体をよじって腹を押さえた。
「やめて――!」
「騒がんでよイ、ちと小突いただけでないカ」
……こ、小突いただけ? ノーガードの人間にボディーブローぶちかましやがってこいつ。
「目は覚めたかイ、男よ」
……あ。
ぼくは気を失っていたのか……たぶん、あのときから。
ここはどこだ? あのときいた草原とはちがう場所のようだけど。
聞こえたのはリリィの澄んだ声と、知らない女の声。低い声だが、気を失う前に話していた相手とは違う、ねっとりして不快な音程の上がり下がりがまとわりつく……この声だけで付き合いをしたくなくなる嫌な音。
それとなんだこの、枯草のにおいを何十倍にも強めた感じの、目に沁みそうな臭気は。
「多少の事情はそこの女から聞けたがナ、お主の口からも聞いておきたイ。女の胴を絞って言わせてもよいが――」
事情――?
おそらく……この星に降下着陸したいきさつについてだろうが、リリィはいまどうしてる? さっき声は聞こえたがこの目では姿を見られない……
いま相手は「胴を絞ってでも」と言った。それだけで、身体を雑巾のように絞られるさまが見えない目にみえてくる。言葉のせいじゃなく……この向こうから感じる得体の知れない気配とにじみ出る強い魔力が、その光景を想像させてくる。
この場所……周囲に壁らしき気配を感じる。おそらく部屋の中。なんだか木造帆船みたいな軋みが聞こえるがどんな場所だ、ここ。
感じられる気配はリリィと、そのほか7つ……1つはリリィと密着状態。考えられるのは拘束。強い魔力をにじませているのは別の1人だ。
リリィが拘束されているなら少々厄介だが、もし相手が攻撃的に対応してくるのならどうする。気配探知とぼくの照準の正確さの組み合わせなら正確に撃ち抜ける、はずだが。……ちょっと不調だがビーム7本なら出せる。不意を突いて全員の急所を――
「妙な気は起こすなヨ、分かっておるゾ」
……だめか。読まれている。
「口を利いてくれるなら平和的に遇してやらんでもないガ……男よ、ワレを満足させる答えを期待させてもらおウ。よいかナ」
どうする――
さっき考えを読まれた理由……ぼくの殺気がだだ漏れだったのかもしれないが、それでも、そのことに気付いたのはそれなりの実力を持つ者だということだ。相手はそういう奴。対してぼくは殺気を隠すのは苦手、それに……
何らかの力によるボディーブローを喰らったせいで腹の中がまだ痛むし、なんだか頭の中がぐらりぐらりと不規則に揺れている。波に揺れる水上船に乗っているかのように身体のバランスが乱れて落ち着かない。
この揺れ、建物のせいじゃない。ぼくの平衡感覚が……
……。
さっき「平和的に」と言ったな。ここはひとまずその言葉、あてにしてみるか。
「……なにを、話せばいい?」
・・・・・・
まず行われたのは情報の照らし合わせ。この相手は自動船舶識別装置の信号を受信していた。種別特高速貨物船、船名GSL209、目的地情報なし――
「民間船に偽装した、軍の特務艦かネ」
「服装は軍のものを持ってきているが、やむを得ない事情があったためだ。軍用船ではない」
明確に答えたが、相手はどうしてかそれを信じず「じゃア、それはひとまず置いておこうカ」と言って次の質問に移った。
以前にもここを通過したかどうか。前回の通過は……義勇団うんぬんの話はとりあえず抜いて、想定外の悪天候のため緊急テレポートを実行し、「破損ノタメ機能セズ」と海図に書かれていた転移クリスタルを通ってここに出たと話した。
「その転移クリスタルはどこと通じているんだイ」
「ええ、と……」
あの星系の名前――細かい数字なんか覚えてない。
「海図の通りだ、そちらにもあるだろう」
「そんなモノはない」
ない――? じゃあどうしてここにいるんだ。まさか数百年前の人間たちの末裔かなにか?
「特別な海図を持っておるようだナ。他に幾人がそれを手にしておル?」
「知らない。ただ相当な珍品だった、他船に渡してもいないから持っている者はまずいないだろう」
「珍品……買ったモノかネ。どこで、誰から?」
……。
「忘れた」
「いくらデ?」
「……わすれた」
なんだか自分の声が、情けなくなってきた……
「買った動機は?」
「い……いつか何かの、役に立つかな、と」
「役に立ったようだナ」
「はい……」
……。
とりあえず、相手はぼくたちがどうして迷わずこの星系の航路を走ることができたのかを知りたいようだったので、後で古式海図のデータを閲覧させることを約束しておいた。別にぼくたちにとってまずい情報は入ってない、いいだろう。
話がこじれたのは、そのすぐ後だった。
「お主らの名前ハ?」
「GSL209船長、7ST-7037。彼女は3級航海士、85K-L1LY」
「他には?」
……。
それ以外の名前の存在を、知っているのか。
この相手の前でリリィと名前を呼び合っては……いや、ぼくが気を失う前に包囲してきた22人、そいつらが聞いていたか。
それとも――
「……」
「どうしタ」
この相手が聞こうとしているぼくの名前……それはリリィがくれた「ナナ」という名前ではなく……
勘付いているか、ぼくの全ての名前に。
「――言えぬカ?」
ぞわりと、気配が変化した。
「……聞いて、どうする?」
「さて、ナ」
……。
射撃用意。
「……まず、あだ名として『ナナ』」
「次に?」
「義勇団時代につけられた『MSL03-99-3994』」
この名前……ここで隠す意味なんてない。どうせ服を脱がされればわかる。一生涯きえない刻印が胸にある。これは義勇団員として永遠に刻み込まれた名前。
「それから本名『七星 優輝』だ」
ついでに本当の名前も名乗った。義勇団時代の名前を知られたのだからもう隠すものなどないと思って。
これをすぐに言わなかったら、どうなっていたか分からない。
・・・・・・
「……どこの出身かネ」
その言葉が発せられるまでに、しばらくの時間を要した。
「所属部隊は頻繁に変わった。どこの出身ともいえない」
そのことを聞かれていると思ったが……
「生まれ故郷を聞いておル」
なんだ? 義勇団の情報よりも出身地を聞くやつがあるか。
「太陽系第3惑星、地球」
「――なんの呪文ダ」
呪文……たぶん母国語が直接出たんだな。その辺りの制御はぼく自身ではできないから。
「故郷の言葉だ、日本語という」
「……この世に言語はひとつだけダ」
「そうでないところから来た」
理解できる言語より、ひと言も理解できない言語のほうがずっと多かった。ひとつの星に無数のことばが――それぞれの民族の遠い祖先が物事をとらえ、そして与えた名前が星の数ほど。
「信じ難いナ」
そうだろう。地球は海図に載っていない星。いくら調べても、ひと欠片の情報も得られない星。地球の元素で構成されて生まれたこのぼくだけが、その存在を証明するただひとつのもの。
「しかし、あるいハ……信じねばならぬ話かもしれヌ」
……そんなことを言うやつは珍しい。ぼくが言うのもなんだが、相当な変わり者だろう。
「後で詳しく話してもらおウ……そのために、先に聞かねばならぬことができタ」
分かりづらい言い方をする。何を聞きたい――
「その身体、どこで壊しタ」
……。
・・・・・
やはり拘束されていたらしいリリィを、相手はここで放させた。
ぼくの身体の異常に気付いたのは、ここに連れて来られたときにぼくが気を失っていたのと、乱れた魔力波と、それから定まらない視線をみてのことだったらしい。
ぼくが話したひとつ前の星系での出来事――手にしていた義勇団の暗号表を全宇宙に送信しようとしたこと、破損した魔法通信塔のケーブルを手でくっつけて生じた閃光に視力を失ったこと、星の大気が通信魔法と反応して有毒化しそれを吸い込んだこと。この長い話を、相手は黙って聞いていた。
「女よ、ひとつ前の星系の名はなんダ」
細かい数字を忘れたぼくの代わりに、相手はリリィにそう尋ねた。
「『第57389恒星系』です」
「端末起動――接続『VBX4670』」
なんだ――? 「VBX4670」……船の名か?
「GSL209」以外の船が、ここから通信できる位置にいる――?
「海図データ送れ、海域指定――『第57389恒星系』」
おそらく音声読み取り対応の端末に指示を出している。海図を確認している……つまり、この相手は宇宙船用電子海図の操作方法と読み方を知っている。
「……本を取っておくれ、『23式通信魔法の機序詳説』」
「承知致しました」
無機質な声と共に遠ざかったひとりの足音は、意外に早く戻ってきた。
「こちらです」
重そうななにかが置かれる音――
「なにか知っているのですか、彼の身体に起きていることを」
「今それを見ているから黙っておレ」
リリィの焦りぎみの声はぴしゃりと退けられた。
張りつめた静寂が、何分続いたか。
小さなため息と、それから――
「お主は――」
軋んだのは、座っていた椅子か。
「生きてこの星を出ることハ、出来ぬナ」




