第54話 命名規制法違反
「うっ……」
まともに吸い込んでしまった。開かれた扉の向こうからあふれ出た、枯れ草のにおいを何十倍にも強めた臭気……
「……ヒヒ。そういう反応をする奴が来たのハ、初めてだねエ」
妙に神経を逆なでする声が、奥から聞こえた。
窓のない木造の部屋――四隅に浮かんだ魔法照明が頼りない光を放っている。魔導書らしい本、なにに使うか分からない道具、ペンや紙……壁際に、小机に、床の上に、あらゆる物が無造作に置かれている。建物がたてる軋みが、船の中にいる錯覚をかきたててくる。ここは奥深くにある船長室――
壁に向かって置かれた机の前で、椅子に座った小女がこちらを向いている。うつむき気味で前髪に隠れた目はよく見えない。辺りを黒く淀ませるような、見たことのない雰囲気を身にまとっている。
「一人ノビておるのはなぜだイ?」
「理由は分かりませんが気を失いました。手は出しておりません」
一緒に来た女の子がそう答えた。
ナナ……どうして気を失ったのだろう。その前には嘔吐もしていたけど、なにか悪い病気なのだろうか。
医術の心得はないし、回復魔法も使えない。航海術なら並みの人間に遅れをとるつもりはないが、病人の治療となると――いま打つ手がない。「GSL209」に船医はいないのだ。
この星に人間がいたのは、かえって救いだっただろうか。この女は感じはよくないが、この建物の様子からみて魔法が使えそうだ。ある程度の回復魔法が使える者なら――
「机を持っておいで、その辺かラ」
「承知しました」
それにしても小汚い女。バサバサの黒い髪は背の中程まで伸び、前髪の下からぎろぎろと視線を感じる。着ているぶかぶかの上着は黒と茶の色が不規則に混じり、下には黒に限りなく近いよれよれの赤いシャツ。黒のロングスカートはしわだらけ。くたびれた茶色の紐靴も清潔感がない。
「お持ち致しました」
「そこに置いとくれ……ホレ、降ろして良いゾ」
ナナが机の上に無造作に降ろされた。いとも軽そうに、まるで狩りの獲物を扱うかのように。
5人のメイドのような子たちは、誰言うとなくわたしの後ろに整列してマネキンのように姿勢を正した。
「後ろばかり見るでない、話す相手はワレだぞよ」
「……っ」
小女の声に、わたしは前を向かされた。
「人間に会うのは幾十年ぶりか。船乗りかネお主は。その男も? この星系までは随分な大航海だったろうナ」
「……」
名乗りもしないで質問から入るところが気に入らなくて、わたしは答えなかった。
「特高速貨物船GSL209、目的地情報なし――」
な――!
どうして知っている――?
「『AIS』の電源を投入していたろウ? 当然分かるサ」
Automatic Identification System――
自動船舶識別装置、略称AIS。
船名や目的地、針路速力等の情報を発信し他船との衝突防止など円滑な航海のために使われる装置。確かに、何の脅威もないと思っていたこの星系に入ってからは通常の手順に従い電源投入としていた。
でも問題はそこじゃない。その情報をどうしてこの女が手に入れたのか――魔法で支えた木造家屋にメイドみたいな女の子たちをずらりと揃える、原始的なことをしているこの女が、どうして。
「AISは民間船の信号にしてあったようだがネ、あんなモノは素人でも書き換えできル。実態はどこかの軍の特務艦か何かカ」
特務艦――? 確かに言う通り、AIS情報の書き換え・擬装は時折あるが、なにを思って「GSL209」を軍船と思ったか。
「舐められたものだネ、ワレも。信号は民間船に偽装しておきながらその格好で降りてくるとはナ」
……。
それは確かに、他人からみれば不可解だろうけど。
GSL209はひとつ前の星系で何もかもを失った。そして急ぎ出港するにあたって色々な物資を軍の倉庫から持ち出して補充した。
服も当然なかったから――気崩してはいるけれど、ナナもわたしも倉庫から適当に持ってきた着やすそうな服を着ている。だからいま着ているのはあの星の軍服。
「軍人サンがこんな僻地に何の用だイ? 今さらワレをひっ捕らえるつもりか、あるいはお主ら軍隊とみせかけた義勇団の尖兵かイ。この間も妙な船が走っていったが……そうダ、アレのAIS情報は何だったかネ」
「特高速貨物船GSL209、目的地『第57389恒星系』でした」
後ろの子のひとりが抑揚のない声で答えた。
この間……確かに一度ここを通っている。わたしとナナが出会ったあの星系から、使えないはずだった転移クリスタルを使って飛んだあのとき。あれも観測されていたのか。
「お主ら、何者だイ?」
「……あなたの側から名乗っていただければ」
「丸裸にして調べてやることもできるがナ」
……。
ただの例えでそう言ったのかもしれないが、本当に裸にされたら大変なことになるのに気付いてゾッとした。
ナナの身体には、たしか左胸に義勇団時代に刻まれたナンバーが――あれを見られたらわたしたちが義勇団の構成員と決めつけられることは間違いない。もうナナは義勇団員ではないのに、消えない刻印が彼をいつまでも……
意地を張って黙っていても、いいことはないか。
「……3級航海士、85K-L1LY。彼はGSL209船長、7ST-7037」
当たり障りのない情報は話しておこう。それがいい。
ナナの記号名も、わたしはおぼえてる。あのときからずっと。
「2人だけで恒星間船の運用はできまイ、他にも乗員がおるだろウ? まだ船の中かネ」
「船長7STは金色の記章を所持しています、1人乗務が可能です」
「……金色の記章、カ」
すこし遅れた女の反応。その声に、なぜだかため息に似たものを聞いた気がした。
「失礼致します、お耳に入れたいことが御座います」
垣間見えた感情らしきものを上書きして、抑揚のない声が後ろから発せられた。
「なんだイ」
「その2人、個有名を持っております。女は『リリィ』男は『ナナ』と。記号名を使わず、個有名で呼び合っておりました」
「ほウ――?」
うつむき気味だった女が、顔を上げた。前髪の下にあった目がぎろりと露わに……黒い、底のない闇のような瞳がみえた。
「特権階級か、その歳で。ならばワレをひっ捕らえに来たので間違いないナ」
ひっ捕らえ――?
さっきからこの女、なぜわたしたちに妙な疑いをかけるんだ。
「寄港目的は緊急避難で――」
「個有名所持者にその言い訳はできぬゾ。合法的に名前を持てる者にハ」
女はゆらりと立ち上がった。濃い茶色に染まった上着を床に摺り、ぎらぎら光る眼でわたしを見上げる。
「命名規制法違反――ワレにその罪状を持ってきたナ」
――?
命名規制法違反の罪状? 話が分からない。わたしとナナが互いに個有名をつけ合ったことを言っている?
「命名規制法には抵触しません。彼はもともと個有名所持者であるので――」
「そりゃアお主らはそうだろうサ」
黒い瞳が――何もかもを引きずり込む黒い穴がふたつ、わたしを捉える。
「個有名、意味を持つ名――その霊力、その恩恵。それをわが物にせんとし、既得権益を貪り続けんとしてこの世の全てに課した命名規制法――」
魔法照明が、ろうそくの火のようにちらついた。
「初めから名を持つ特権階級が自ら選んだ者だけに名を与エ、誰もが得てよいはずの力を独占すルための、その法の上に座す者。名が持つ力を以てワレを捕縛出来ると思うて来たのだろウが――」
部屋のどこかが耳障りに軋み、空気がゆらりと揺れて――
「ワレも名を持つ者――お主らのような特権階級ではない、命名規制法を犯して手に入れた名をナ。わが名の霊力侮るな、お主らの軽い名ではワレの名の力を上回ることはできヌ。わが名も、わが命も、くれてはやらぬゾ」
そうか……
この女、命名規制法を。だから……
命名規制法違反は必ず死罪。だから海図にないはずの、本来だれも来ないはずのここに降りてきたわたしたちを、命を刈りに来た者と思って――
・・・・・・
「――あア、入ってよいぞ」
しばしの静寂を破って、不意に女がそう言った。
「失礼致します」
振り返ると、メイド服姿の6人目の子が入ってくるところだった。また同じ服、同じ顔。白い顔に赤い瞳がつめたく光った。
「船は調べ終えました。外部からの探知魔法による走査に反応はなく、現在のところ人間の存在は探知されておりません」
船――!
わたしたちの船? 中に入られたか――?
「内部はどうカ。海図は調べたかネ」
「申し訳御座いません、機械の操りかたを知る者が居りませんので扉を開くことが出来ません」
「57号はどうしタ」
「2年前に死亡しております」
あっさりとしたやりとりが行われ、それから女は再びわたしを向いた。
「大儀だが、仕方なイ。後で調べに行くとするカ」
そう言って口元をひくつかせる。
この女に船を触らせることはできない。そんなことをすれば……
「船の機器類に触れないでください。私はともかく、彼が許しません」
ナナは「GSL209」をこの上なくたいせつに思っている。わたしと出会ってすぐ、その航海機器を他人が勝手に触っていることを知ったあのとき、彼は――
「ワレを素手で殺しでもするかネ」
「……場合によっては」
また、口元をひくつかせる。
これ、笑っているのか――
「そうか強いかネ、その男。お主と違って」
そうだ、わたしと違って強いひとだ。だから――
「妙な魔力波を出しておるからナ、何らかの力を持っておると踏んではいたガ、やはりナ。よく調べなければならヌ」
あっ……
「この女を押さえておケ」
その言葉が終わるより前に、背後から足音が聞こえわたしは羽交い絞めにされた。おそらく相手は1人――わたしより小さいはずなのに振りほどけない。経験したことのない強い力、それを呼吸も乱さず当たり前のように。
「じゃア、目を覚ましてもらおうカ。金色の記章を持つ船長サンに――」




