第53話 巣食っていた不可解
「な、ナナ……?」
草の上に、びちゃびちゃと音を立ててその液体がばらまかれる。ナナが口に当てた手のひらを押しのけて……わたしは、なにが起きたのか分からず立ったままそれを見ていた。
液体の流れがとまって、ナナは激しくせき込んだ。
「……!」
嘔吐した、のか? どうして――
駆け寄って、地面に手をついたままのナナの背中に手をそえた。
ここに来るまで健康状態に問題はなかった……はず。食事に問題があったか、前の星で潜伏期間の長い病気にかかっていたのか、それともこの星の病気――? 大気成分は問題ないはずだ、海図でも船のセンサーでも確かめた。
とにかく帰ろう、船へ――
「ナナ……船、戻れそう?」
「……ああ。ごめんよ」
袖で口を拭こうとして、さすがに思いとどまるナナ。わたしがポケットから出したハンカチで拭こうとすると少し嫌がったが、両手を頬に添えると素直に力を抜いた。
「んぐ……」
口をゆすがせたいけど、水がない。船まで我慢してもらうしかない。
「歩ける? 肩を貸すから――」
「……待って」
ナナはそう言って、急にわたしの肩を抱き寄せた。
「囲まれた。防護フィールドで包む、離れないで」
・・・・・・
船がまだ宇宙空間にいる時から感じていた不調――それに吐き気が加わって、不覚にもリリィとの散歩中に吐いてしまった。それだけならぼくの体調不良で済むところだったが、いま周囲に10……15……20に増えた、人間くらいの大きさのなにかが続けざまに出現して危機を自覚した。生命体らしいものが気配探知に反応している。
急な出現……考えられるのはテレポートの可能性。人間ひとりでも魔法の腕がよければテレポートはできる。無人の星と油断していたが、人間がいたんだ。
気配の数は22。ぼくたちふたりに対してずいぶんな人数だが、これはどういう奴らだ――?
相手の態度が敵対かそうでないかまだ分からないが人数差が大きい。万一の場合、早い段階で射殺する判断を下すべきだ。目は見えずとも気配探知で狙いは正確につけられる、頭部がどこにあるかまでみえている。指を銃にして速射22発――
「ナナ、いい?」
リリィが小声で言ってきた。うなづいて先をうながす。
「周りの人たち、みんな同じ。見た目が……何から何まで」
「見た目が同じ?」
服装、装備、髪型――? いや、何から何までと言った。それ以上の何かが……
「……どんな見た目?」
「格好は、昔の……メイドさん? みたいな服。みんな同じ。女の子ばかり。だけどおかしいのは……」
リリィは一旦言葉を切ってから、続けた。
「顔が同じ――ひとり残らずみんな」
……。
「顔のパーツ全部、ってこと?」
「そう。コピーしたみたいに」
なんだ、それ……どういう集団だ? クローン技術でも使っているのか。その辺の知識はないから……
……!
1人、前に進み出てきた。
「――空より降り来たる者よ」
低めの女の声が妙に響いて聞こえてくる。まだ距離はあるが……魔法で増幅しているか、これは。
「命によりわが主の御前に引き立ててゆくゆえ、われらに従え」
そっと指を銃の形に、ひとさし指に力を込めた。
「従わざるならばわれら身を捨てて互いを盾とし汝らの喉笛をかき切らん」
……。
込めたちからを、そっと抜く。
感情がみえない。感じている気配からはおびえや躊躇が全くないが、敵意も戦意も感じ取れない。単にプログラムに従って命令を処理しているだけと思わせるくらい、およそ人間らしい感情の波も揺らぎも感じられない。
これが人間なら感情をすべて遮断できる技能の持ち主、ロボットや人造人間のたぐいなら命令を実行するためだけに存在する機械。どちらにしても、22のそういうものが一斉に身を捨てて喉笛をかき切りにかかってきたら、ぼくひとりはともかくリリィまで守るのは難しい。やればできはするだろうと思うが……
胃酸に晒された喉が灼けるように痛んでいる。口の中を満たした苦味がまだ消えない。不快感に気が散って頭が冴えない。これでは……
戦闘は控えて――こいつらはとりあえず話しかけてきたんだ、急に襲い掛かってはこなかった。それなら、多少は話せる相手とみていいか。
「……どうしておれたちを連れていこうとする? どこへ?」
平和的な答えを期待しつつ、聞いた。
「わが主に聞け」
「主とはだれだ」
「汝らが知る必要はない」
……違う、話せる相手じゃない。ただ言葉が通じているというだけ。
どうする? 気配によく狙いをさだめて一気に速射、相手が互いの身を盾にする前に撃つ。いけるか、頑張れば……
「……!」
あ、れ……
なん、だ……重い、からだが……
・・・・・・
わたしの肩を抱き寄せていたナナの手が力を失い、とっさに支えようとしたその身体はわたしの両腕をぐにゃりとすり抜けて地面に倒れた。
「ナナ――!」
地面に膝をついて、動かないナナを抱き起す。口元に耳を近付けると、眠っているかのような息の音が聞こえてきた。
……ひとまず、息はある。
ずらりとわたしたちを取り囲む古風なメイドの格好をした女の子たちを見渡す。本当に、何から何まで同じ。10代半ばくらい、けどあどけなさを微塵も感じさせない冷たい顔。首筋を隠す程度の栗色の髪には少しくせがある。一人残らず、みんな同じに。赤い瞳がいくつも、わたしとナナを見つめている……
どうするべきか――わたしが決めなければならない。わたしとナナ、ふたり分の運命がわたしの選択ひとつにかかった。
ナナが倒れた理由はわからない。さっきまでの体調不良のせいなのか、あるいは相手が目に見えない何らかの攻撃を行ったのか……
どちらにしても、わたしに戦うちからはないし、気を失うほどのなにかに晒されたナナを守るためにとるべき行動は――
本当にこれでいいか、自信を持てないけれど……
一歩前に出たまま無表情に佇む相手に、わたしは指示に従うことを伝えた。
「ただし、ナナの……このひとの身の安全を保障できると約束することが条件です」
それだけは、明確に要求した。それが果たされないなら、従う意味なんてない。
「わが主の御前までは、生かして引き立てゆかん。その者の生命が自ずから消えぬ限りは」
「……」
自分から命の火が消えてしまった場合を除いて、生かして連れていく――か。なんだか分かりづらい、古臭い言い回しをする。
しかし、それよりも――
「……そこから先は?」
「わが主の思し召し次第だ」
……。
これまでのやりとりから考えて……ここでなにか言っても答えを変えてくれないことは想像がつく。ならば仕方ない、か……
ひとまずその「主」とやらのところまで行って、改めて先の安全を保障させるよう頑張って話すのがいいのだろう。
「わかりました」
そう答えると、草を踏む足音があちこちから迫ってきてあっという間に周囲を固められた。
彼女らがナナに触れようとするのを遮ろうとしたが、わたしは簡単に押しのけられた。体格のわりに彼女らは力があった。
そのうち一人が、言葉のひとつも紡がないナナを眉ひとつ動かさず背負って、わたしは周囲を固められたまま後について歩き出した。栗色の髪の下で眠ったまま息をし続けるナナを見ているうちに、いつしか両手を握りしめていたが……実際のところ、こうする以外にナナを連れていく方法はない。わたしひとりで力が抜けたナナの身体を背負うのは厳しいだろうし、引きずるとか両手足を持ってぶら下げていくとか、そういう扱いをされなかっただけ多少は感謝すべきか。
足首まで覆う黒服に白いエプロンの女の子の背に、ナナはゆっくりと揺られ連れられて行く――
・・・・・・
1分も歩かないうちに着いた場所の地面に魔法陣が書かれており、そこに乗った者から順にテレポートで飛ぶのを見て、わたしは彼女らがテレポートでここへやってきたらしいことを知った。
急に現れたのはおそらく個人でテレポート魔法が使えるから。そしていま魔法陣を使ってテレポートしようとしているのは、おそらくわたしとナナを伴っての個人テレポートはできないからだろう。
魔法陣の中央を踏むと瞬時に周りの景色が変わった。
船のテレポートと違い、星の上では人間が知覚できるほどの時間経過は起こらない。今はもう、どこか違う場所へ飛ばされた後だ。
辺りには緑の草原。茶色の山が近くに見えている。
正面には妙な形の……大きな、家か? 大きさだけなら豪邸、いやそれ以上だ。間口は何十メートルあるか、高さはビルの5階ほど……無計画に増築を繰り返したのか、色も材質も違う構造物がごちゃ混ぜに寄せ集まって建っている。各構造物の高さが不揃いで、いったい何階建てなのか、どこまでがひとつのフロアなのか分からない。上階が頭上にまでせり出して、崩れそうな姿に思わず足が止まった。
「止まるな、歩け」
うるさい、立ち止まったのはこの変な建物のせいだ。文句をわたし言うな。
それにしても……おおよそ1Gの引力をもつ星の地上で、こんな妙ちきりんな建物が自立しているのは不自然だ。風がふくたびにあちこちから木材が軋む音が聞こえる。太古の昔の木造帆船が揺れるさまが、思い起こされた。
物理学的にはたぶん成り立たない建物だろう。おそらくこれ全部、魔法で結合したり支えたりして立たせている。建物はふつう骨組みで強度を負担し魔法による支持は補助程度にしか使わないが、この建物はその逆で建てられているらしい。
……偏屈。
倒れそうなつぎはぎの建物に、そんな人格がみえた気がした。
コピー品のような女の子たちが歩んでいく先には、せり出した上階の影に覆われたひとつの扉。頭上から伝わる存在感と軋み音に顔をしかめたが、今度は立ち止まらない。
「……」
そっと右を振り向くと後ろの数人と目が合ったが、だれも表情を変えなかった。
視線を前に戻し、歩む。
見間違いじゃない……あそこに宇宙船が1隻。入港時には見えなかったけど、ここは「GSL209」が入った港から遠いのだろうか。
あの船、ずいぶん塵や埃を被っている。メインマストに異物が絡んで垂れ下がり、化け物じみた姿をしていた……
大昔からある放置船か、それにしては船体の劣化が少ないようだが――
・・・・・・
開かれた木の扉をくぐった先は、薄暗い部屋――大きな建物にふさわしい広間などはなく、暖炉のような構造物と机、椅子2脚が置かれている。こんな場所が生活空間かと思ったが、なんだか生気が感じられない物ばかり。ここは使っていないようだ。窓はあるが、あれだけ上階をせり出させたのだから全てに影が落ちてしまっている。
一緒に中に入ってきたのは5人だけ……さすがに全員でぎゅうぎゅうになるのは避けたらしい。もっとも、ナナが気を失っている今はこの人数で充分なんだろう。
左奥に隠れるように作られていた扉を抜けると、薄黄色の魔法照明が点いた。窓はない――何に使うか分からない物が雑多に積まれたその部屋を抜けると、廊下はなくまた別の部屋。右へ左へ、迷路のよう……帰り道を分からなくするためか、あるいは侵入者を迷わせる目的か。内装も一貫性がなく、位置も角度もバラバラの棚が林立した部屋、なにかが入ったビンがずらりと並んだ部屋、小さな机と椅子1脚だけがぽつんと佇んだ部屋――入れ替わらない淀んだ空気が、歩むわたしたちの身体にゆらりとかき乱される。
一貫性のない部屋たちを通っていて、ただひとつ変わらなかったのは階段の昇り降りがなかったこと。部屋の奥に唐突に階段が作られている場所もあったが、わたしを取り囲む5人の女の子たちはそれを昇らず、迷いをみせずに扉を開いて進んでいった。
・・・・・・
何枚目か分からない扉の前で、わたしたちは立ち止まった。
「――あア、入ってよいぞ」
ノックもしていないのに、中から声が聞こえた。
低い女の声……妙な音程の変化が、あまり気持ちよさを感じさせない。
これが女の子たちが言っていた「主」の声か。
「失礼致します」
先頭の子がドアノブに手をかける。
かすかな軋みをあげて、扉が開かれた――




