第52話 蝕まれた身体
「テレポートアウトよし。両舷停止、推力モード切り替えよし、機関回転数よし」
最後のテレポートは問題なく完了した。わたしはひと通り計器表示に目を通したが、特に変わった値を示すものはみられなかった。
・・・・・・
もう二度と使われないだろうと思っていた転移クリスタルをもう一度使って、本船「GSL209」とわたしたちは第1842恒星系――静寂の海へ戻ってきた。
古式海図は探知装置が出してきた観測結果を元に船位を割り出し、この先を設定していない自動操縦装置が警告音を鳴らしながら解除された。左手で操縦桿を握り、付いているボタンを二度押しして警告音を止める。ペダルに足をかけ、急な外力の作用に備えて姿勢指示器に神経を集中させる。
わずかな動きも、乱れもない。
「……静かだね、相変わらず」
ナナは感覚で外の様子を探ったのか、そう言ってきた。
「うん……やっぱり、誰もいない」
計器の指示値をみて、わたしはそう答えた。
海図に幾本も描かれた標準航路、航路管制との交信周波数、航路標識の位置と標識電波の情報、天体や宇宙ステーションへの進入コースと出発コース。
その全てが、沈黙している。
具体的な到着地を決めていない本船は、かつての栄華を物語る5基の転移クリスタルを背にして漂泊に入った。通常ならこんな場所で停止していたら後続船から顰蹙を買い管制官に怒られるところだが、この星系では問題ない。後続船も管制官も、ここにはいない。
さて……この後はどうしようか。
この位置で義勇団の騒ぎが落ち着くまで漂泊を続けることも可能ではある。他船はおらず、空間状態もきわめて安定しており船の姿勢は一切乱れない。自動操縦を現在位置保持に設定しておけばナナもわたしも操舵席から離れていいだろう。
でも、それはなんだか落ち着かない。係留施設に船を繋いでいるわけでもなく、天体に着陸ないし投錨しているわけでもない。何の支えもなく、漂泊のため指定された空間でもない所で停船――状態としては、単に停止しているだけで航海中と言ってもいい。
「ナナ、どうする? とりあえずこの場から動く?」
「任せるよ。リリィのいちばんいいように決めちゃって」
……海図を見られないナナに、それを聞くのは悪かったかもしれない。
わたしはいま、この船の船長代理の役割を担っている。わたしがきちんと決めないといけないのに……いま何の決定権も決定能力も失っているナナに、無意識のうちに判断を委ねようとしていた。
いけない。しっかりしなさい。
よし、とりあえず移動しよう。しばらくの間はこの星系で過ごすことになるんだから……この落ち着かない場所で停船していたら気持ちの面でちょっとずつ負担が積み上がっていきそうだ。
行き先は……どこでもいいや。義勇団がいるわけでもないし、航路が混み合っているわけでもない。近場で船を安全に停泊させられそうな場所……それと万が一なにかが星系内に現れたとき、相手から見つけづらく、かつこちらからはできるだけ広い視野が確保できる場所がいい。星系内を広く見渡せるようにしておきたい。
ざっと海図を見ていくつか目星をつける。宇宙ステーションはやめよう、何百年か前に使われなくなった人工物に船を着けるのは安全じゃない。自然の天体……小惑星帯に進入して投錨するか、それとも思い切って大きめの星に着陸するか。巨大惑星の衛星のいくつかは固体の地表を持っていて着陸に適している。
いや――第4・第5惑星が可住惑星だ。地表・宇宙往還用シャトルの航路が書かれている。海図「詳細情報」呼び出し……どちらも引力はほぼ1G、大気成分も人間が呼吸できるもの。現在もこの状態が維持されているなら、船から降りてちょっと散歩するくらいはできそう。
宇宙空間にいるより探知装置の視野は狭まるが……1Gもの引力を産む大きさの天体の表面にいれば、まず他船に探知されることはない。よほど近づかれない限りは。
よし、惑星に降りる。行き先は……どっちでもいい。なら近いほうだ。
「ナナ、ここから動いて第5惑星に着陸するよ。可住惑星みたいだから、うまくいけば外の空気を吸えるかも」
「『外の空気』って……」
ナナはそう言ってから、少し考えた。
「そっか、そうだよな。立派な有人星系……だった場所だもんな。外に出て呼吸ができる星だってある、か」
そう。もしかしたら、人が手を触れてもいい植物なんかもあるかもしれない。花でも咲いていたら、ちょっと摘んでみてもいい。ナナは花を見られないけど……花冠でも作ってこっそりかぶせちゃおう。かわいい写真を撮っておいて、身体が治ったら見せてからかってみたい。
「航路算定が済み次第、出発するから。ちょっと待っててね」
「うん。たのむよ」
まかせて。
・・・・・・
星系内を通常航行するだけの航路算定はすぐ終わり、新たな設定を受け付けた自動操縦によって船は転移クリスタルの前を離れ航走をはじめた。
第5惑星への進入開始点までは特高速の「GSL209」でも半日あまりの時間がかかる航程で、わたしとナナは操舵室を離れ居住区画で過ごした。
ナナの食事のお世話をして、着替えと服の洗濯を。ナナが身体を拭いている間にわたしは急いでシャワーを浴びた。いつもは72時間おきなんだけど……ナナに汚いと思われたくなくて、この航海中は24時間おきに変えていた。
シャワー室を出てからナナの髪を洗って――今日も大バケツを使ったモップ式だった――それからいちど別れてそれぞれの部屋で眠った。
・・・・・・
2度目の食事を済ませ、船の様子をみるためふたりで操舵室へ入った。だんだん慣れてきた主操舵席に着席し、仮想モニターを立ち上げる。
こちらを置き去りにする形で公転する第5惑星に追い付こうと、船は主機関を吹かし続けている。星の形はまだ見えないが、淡い緑色の輝点が外部モニター船首方向に映っている。あれが、わたしたちの目的地。
「緑の星だよ。空気、どんなにおいするんだろうね」
少しくらい、ナナの身体にいい環境だったらいいな。きれいな草原があったら、そこに家を建てて住みたい――もちろん、いま航海を終えるつもりはないけれど、草原の中の家、本で読んであこがれてたんだ。いつか船を降りる日がきたら、そんな場所に落ち着きたい。
「……」
あれ――ナナ、なにも言わない。
隣を見ると、ナナはぎゅっと口をむすんで計器盤を見たまま動かない。
なにか異常値が……違う、ナナはいま計器が見えないはず。
見えていない視線を斜め下に向けて、時間がとまったかのように空間をみつめている。
「ナナ――?」
「……大丈夫」
ナナはそう言って顔を上げた。
「ああ……緑色の星、か。大気成分はなんだろう」
顔色は……普段通り。背もたれに身体をあずけて、落ち着いて息をしている。
大丈夫、という言葉を信じたわたしはそれ以上なにも聞かなかった。
それが危険なサインであるとは思わなかった。
どうして「大丈夫」という言葉が出てきたのか、その違和感を見過ごした。
・・・・・・
緑に輝く第5惑星は次第に大きく見えるようになり、やがてモニターの視野を埋め尽くした。ゆるく転舵した船は星のすぐ側を航過する軌道に入り、薄い大気の層が宇宙を透かして淡い緑色に見えてきた。
――ピ、ピ、ピ
小さな注意音声が鳴った。第5惑星に対する最小接近距離までもうすぐ。
海図は進入管制との交信周波数を拡大表示してきたが、いま人工の電波は出ていない。管制承認が出た扱いにして進入の用意を整えることにする。
大気圏突入のタイミングを待つための進入待機軌道に到達。推力レバーが「STOP」位置に戻り、停船した。
「進入用意。計器切り替え――」
対地速度計、電波高度計、気圧高度計、対地姿勢指示器――惑星内航行用の計器を立ち上げる。最低降下高度は55,000ft。許可なしに飛行機用の航空路を横切らないよう高めに設定されている。大気圧は高度ゼロのとき0.94気圧。空力ブレーキが使用可能だか大気上層に不安定で風速が高い部分があり、横切る際に外力が不規則に変わる。通過中は空力ブレーキ装置を格納した方がいい。
チェックリストは完了、自動操縦への諸元入力も済んで進入用意は整った。
「用意よし……ナナ、行くよ」
「うん、行こう」
自動操縦「執行」ボタン押下。機関が後進にかかり高度が下がりはじめた。
・・・・・・
大気を検出して作動を始めた気圧高度計の指示値がぐんぐん下がり、船外の空気が濃くなっていく。風を切るメインマストの空力負荷が制限値に達し防護フィールドを展開、船体がプラズマに包まれる。
丸く見えていた星が次第に平面に変わっていく。まとわりついていたプラズマが霧散し、真っ白な雲海を望みながら2度の風の急変化を乗り切って空力ブレーキを展開。真っ赤な夕焼けを見てすぐ夜の側へ入り、かつて人が栄えた地表が沈む真の闇に浮かびながら船首は風を切り開きつつ前へ。最低降下高度55,000フィートが迫ってくる。
夜の部分を飛びきった船体が朝日を浴び、一旦冷えた外板温度が少しずつ上がってくる。天候は快晴、眼下にはエメラルドグリーンの海がどこまでも広がっている。
最低降下高度に接近し水平飛行の態勢に変わる。自動操縦が下側船首スラスターを起動し推力全開、機関の出力方向をほぼ下向き一杯に切り換え、引力に逆らって空中に浮かぶ「リフティング」航法を始めた。
リフティング移行完了、船体バランス安定、高度55,000ft。すぐ着陸地点の検討に入る。
降りられそうな場所は進入前にいくつか目星をつけておいた。しかしいま使っている海図は数百年前のもの……自然環境はそこまで変わっていないだろうが、放置されたまま数百年が経過した人工物は当てにできない。風雨にさらされ補修もされず朽ち果てているであろう宇宙港のなかに使えるものはあるか、それがないのなら他に降りられそうな場所はあるか。いま上空から確かめて、着陸に適した場所を選ぶ。
降下、35,000ft――航空路へ進入。
広大な翡翠色の海に航跡は見えず、この航空路にもひとつも飛ぶものはない。この星は自然に還っている……
・・・・・・
海図上で宇宙港の表示がある島を探して5,000ftで低空通過し確かめること6回。緑の植物に呑まれたもの、岸壁が崩れて波に洗われているもの、倒壊した管制塔が横たわっているもの――降下、ローパス、再上昇……集中力と時間を浪費する航行が延々と続く。
前方に見えはじめた終わりの見えない陸地……海図によれば、あれはこの惑星で最大の広さを持つ大陸。近くの海岸に水上船の港と小さな宇宙港の表示がある。これの様子もみてみよう。
降下、5,000ft――
「……」
あった、防波堤らしいまっすぐな線がいくつか。
防波堤は所々切れているようで、直線は何ヶ所か途切れている。接近しつつ港内をみると焦げ茶色の大型物体がひとつ――崩れかかっているが、あれはおそらく転覆した水上船だ。
そばの陸上にみえる黒ずんだ小さな平地は……古びきった舗装路面か。あれが宇宙港。目を凝らすと、ピンセットでつまめそうな管制塔がみえた。
宇宙港内には特に損傷などはみられず、放置された宇宙船その他進入・着陸に支障となる物体もない。着陸するには黒くなった舗装の劣化が心配だが、それはこの星のどこの港も同じだ。
よし――
「決めた……入港用意」
・・・・・・
電波高度計で対地高度500ftを確かめ、進入。誘導灯のひとつも点かない入港航路へ滑り込むと、舞い上がる砂塵がモニターの映像を曇らせる。
減速を済ませ右回頭し、塵の下からうっすらと見えてきた「01」の白文字を頼りに着陸場01へ入った。
接地――ショックは既定の範囲内。すぐバウスラスター停止、推力レバーを「STOP」位置へ。
「……舗装は大丈夫みたい。ナナ、ここで機関止めていい?」
「ああ。任せるよ」
電源用の補機を起動し、回転が安定したのを確かめてから主機へのエネルギー供給弁を閉じた。くぐもった機関音が小さくなって、消える……入港作業は完了した。
・・・・・・
誘導電波の出ていないこの星の宇宙港へ、リリィは1発で進入を決め静かな着陸をしてみせた。
やっぱり、リリィの操船の腕は並みの航海士の比ではないらしい。第57389恒星系を出発した時もそうだった。ぼくも操船の腕には自信があるが、多少は勘に頼ってグイグイと船を進めるぼくとは違って、リリィは緻密で正確な操作で船を走らせる。この2~3年付き合ってきた「GSL209」が、別の命を吹き込まれたかのように生き生きと新しい表情をみせた。そんなふうに感じた。
ぼくとは違うタイプ――それだけに、かえってぼくたちは相性がいいかもしれない。ひとつの場面に対して、ふたり別々のアプローチのしかたをする。ぼくが苦手なこと、できないことをしてくれるのなら、船はこれまでよりもっといい走りかたをするはずだ。
この船は、そしてぼく自身は、ぼく以外の何者をも必要としない――そう思いながらずっとやってきたけれど、案外そうでもないらしい。
もちろん相手が誰でもいいわけじゃない。実際、大半の航海士はこの船では役に立たないだろう。操船の腕も、性格も――嫌なやつとこの小さな船の中で何週間も過ごせるものか。リリィはぼくと、奇跡的なくらい相性がいいんだと思う。そしてまず、この広い宇宙で出会ったこと自体がとんでもない奇跡。
しかし――ぼくも、うかうかしてはいられない。リリィがこんなに腕のいい航海士となると、下手をすればこの船の中でぼくの存在意義がなくなってしまう。ここを出たら、初心にかえったつもりでいろいろ見直して練習しよう。
……。
ここを出たら……か。
指先はまだしびれている。舌もうまく回らないままだ。そしてあの時からずっと、目がみえないでいる。
もういちど計器が見える日は来るのだろうか……
それとも、ぼくの船乗りとしての生命はもう――
・・・・・・
「うーん、いい風……」
リリィが気持ちよさそうに言う。
あれから、リリィは浮かれたように散歩に行きたいと言ってきた。船外の空気は呼吸可能、気温20℃快晴湿度55%だから行こう、って――この星への航海中に「うまくいけば外の空気を吸えるかも」って言っていたけど、ずいぶん楽しみにしてたんだな。
その気持ちはぼくもよく分かる。ひとつ前の星では離れ離れになって心配だっただろうから、落ち着いて星の上を歩くことなんてできなかっただろうし、その前の星は初めて会ったあの無人惑星。ほぼ真空のその星の上で、恒星の光を浴びて死にかけたんだ。安心して船の外を歩くのは久々だろう。
目がみえないからどんな景色なのかは分からないが、リリィが言うにはきれいな緑の空、いいにおいの草が地面を覆っている、と。
うん、そよ風に乗ってくるこのにおい……1歩足を降ろすたびに感じるやわらかな感触は、しなやかな草の葉。涼しい空気と、恒星の光らしい暖かな感触……いいところみたいだ。
「ナナ、歩くのつらくない?」
「うん、大丈夫。気配探知で見えてるし……」
……。
「あっちまで行こう、丘の上!」
「……ああ」
・・・・・・
絵本でしか見たことがない気持ちのいい草原を、ナナを連れて歩いていく。そうだ、いつかはこんなところに住んでみたい――わたしはそう思っていた。広い宇宙には、こんな場所が本当にあるんだ。
遠くには頭に雪をかぶった茶色い山脈がみえている。あそこには植物がないのだろうか……ここの自然環境はどうなっているんだろう。
ちょっと先の小高い丘――あそこの上まで行ってみよう。日差しも気持ちいいし、ナナとふたりでしばらく過ごすのによさそう。
「あっちまで行こう、丘の上!」
ナナの答えを聞くよりも先に、わたしの足は前へと進んだ。
すたすた歩いて、それから目がみえないナナより速く進んだらいけないと気付いて振り向いて……
――ドサッ
「……?」
あれ――
ナナが10歩くらい後ろのところで膝をついた。
「ナナ?」
片手を草の上について、もう片方の手を口に押し当てて……
「うぅ……っ!」
「え……?」
その手の隙間から、茶色がかった液体が飛び散った。
次の第53話投稿日は未定です。




