第45話 ぼくのための勇者
急な階段をのぼる途中、真っ暗な視界の中で何度か足を踏み外した。
リリィがぼくの手に手をかさねてくれて、上まで連れていってくれた。
・・・・・・
空調の音が響き続ける操舵室――他船と大した違いはないはずだけど、どこかなつかしく落ち着ける音。
目では見えなくとも、ここがぼくがこの2~3年を過ごした操舵室なんだと感じた。
周りの物体の気配を感じながら主操舵席をみつけて、歩み寄る。どうせ何も操作できはしないだろうが、ここはぼくの……
……。
「……大丈夫? 座るの手伝う?」
立ち止まったぼくに、リリィがやさしく声をかけてくれる。
でも、そうじゃない。そうじゃなくて……
ぼくはもう、この船の乗組員じゃない。
「リリィ、こっち座って」
「え? でもこっちはナナの……」
そうだ。本来ならそこは、再先任の航海士であり船長であるぼくの席。
でも――書類上はまだそうだけど、現状は違う。
「今は、きみが船長だから」
彼女がどんな表情をしたかは分からない。
驚いたか、あるいは苦い表情を浮かべたか。
視力を失い操舵装置の操作もできなくなったぼくは、船長として、そして乗組員としてもその資格を失っている。いくらライセンスを持っていても、その通りの働きができないのだから。
1人乗務だったら、これでおしまいだった。
幸いにというか、辛うじてというか、いまこの船にはぼくの他にリリィが乗っている。正規乗組員ではないが、緊急時に現地任用される「応急乗組員」の扱いで乗組員として扱われる立場で。
彼女のライセンスは「3級航海士」。航海士としては最下級だが、前に航路算定を任せた時には素早くいい仕事をこなしていた。さらに義勇団の戦闘船20隻以上に包囲されながら航行した時にも、落ち着いて自分の役割に徹し続けた末に、針の穴ひとつくらいのわずかな活路を見出し、この船を救った。
だから――いけるはずだ。
「おれは……私は、身体故障により船長業務の遂行が不可能となった。法規に則り、『85K - L1LY』に対し船長権限を移譲する」
リリィはよろめいたのか、何回か不規則な足音を立て、気配が少し遠ざかった。
「……リリィ、頼むよ。サポートは全力でやるから」
・・・・・・
「私は、身体故障により船長業務の遂行が不可能となった。法規に則り、『85K - L1LY』に対し船長権限を移譲する」
――!
すこし視界が揺れて、数歩後ずさった。
そう、なんだけど。確かに、ナナのその身体じゃあもう船長なんてできないんだけど。
だから、ナナはいまここで船長権限移譲を宣言しなければ、そしてわたしはその宣言を受けなければならないんだけど……
ナナが、この船の船長じゃなくなる――
どこで手に入れたか分からない軍服を着たナナ。その胸に――金色の記章は、ない。
ナナが船長だということを示すものは何もなく、そしてその身体も、もう船長としての職務に耐えられない。
それくらい初めから分かっていたはずなのに、今になって、わたしは――
「……リリィ、頼むよ。サポートは全力でやるから」
やさしいナナの声。
……少し、舌が回ってない。
そう――わたしはこのひとを、身体を治せるところまで、必ず連れていかなければならない。わたしが、前に立たなくてはならない。
ナナがわたしに譲ろうとする主操舵席。本当は、座りたくない。そこはナナの席だ。
副操舵席でも、できる操作は同じ。そっちに座っても問題ない。
けど――
「分かった。……ナナ、無理はしないで」
わたしはそう言って、初めて座る宇宙船の主操舵席についた。
ナナは意外に平気そうに、副操舵席へするりと入った。
わたしが前に立つ。ならばわたしは、ここに座らなくてはならない。
その覚悟と責任の重さを、この身にきっちり刻むために。
もちろん、正式な船長じゃない。まだそういう登録はしていないし、そもそもわたしは船長資格を持っていない。あくまでこの緊急時を乗り切るため――法規上は「船長代理」と呼ばれる。
でも――「代理」とは言っても、やることが違うわけじゃない。わたしは今からしばらくの間、特高速貨物船「GSL209」号の船長。
心構え、する時間は全然なかった。いつかは船長に――なんて思ってはいたけれど、まさか今日ここで、なんて。
片手操作の操縦桿――いつもと逆の、左にある。
・・・・・・
「エネルギー」
「84%」
「主機関」
「スタンバイ、アイドル回転で安定」
「メインシステム」
「スタンバイ、エラーなし、警告なし」
ナナの手助けを受けながら、出港に向けた確認動作を行っていく。
「すごいな、今すぐにでも出られるんだ。いつの間にここまで?」
主機関の準備までできていたことにナナは少し驚いたようで、わたしは少しだけ得意顔をした。
そしてわたしの表情が見えないナナが何も言ってこなくて、わたしは改めて現実を突きつけられた。
「……うん。きっちり準備しておいたからね。後は索具とタラップを外すだけ。索具は、今は切るしかない。タラップは……」
ちょっとくらい、ナナもびっくりするかな。
「……爆破する」
「ふえっ?」
聞いたことのない声を出したナナ。わたしは思わず吹き出した。
「爆破? ……爆破って、あの爆破?」
おちついて、何言ってるかわからないから。いま説明するから。
「いまこの船は、軍用宇宙港の岸壁に係留中。そしてタラップが、運悪くというか、外側から――岸壁側から架けられているの。これは本船からは制御できない。岸壁側でやってもらうしかないけど……今それはできないから」
本船のタラップは引き込んだ状態、岸壁側に設置されたタラップが舷門に架け渡されている。岸壁に誰もいない今の状況では、タラップが外せない。
「それで困っちゃって……ナナならどうするかな、って考えて」
「……で、爆破?」
「うん」
ナナが渋い顔をするのを見て、また笑ってしまう。ナナはもっと渋い顔になった。
「大丈夫、ちゃんと加減するから……でも、いいアイデアでしょ、これ」
この船は、時に荒れ狂うこともある恒星間航路を往く船。電磁波、放射線、微細な漂流物――これらを遮るよう設計された外板は、多少のことでは傷付かない。人間ひとりが運べる程度の爆弾では、すぐそばで爆発させても船に影響は出ない。
わたしはあらかじめ、時限爆弾をタラップのそばに運んできてある。それを仕掛けて、舷門を閉じて……外で、どかんと爆発しても、船は何ともないはず。壊れたタラップが落下するだけ。
「出港するときに、落としたタラップを引っ掛けないよう気を付ければ大丈夫――でしょ?」
「あ、ああ……」
ナナは少し考えた。
「……そうだな。その手が一番よさそうだ」
・・・・・・
「ところでさ、リリィ」
「なに?」
何を聞かれるだろう。
何と聞かれても、ちゃんと答えなければ。でなければ、ナナをここから連れていくなんてできない。
「爆弾、どこから持って来たの」
なんだ、そのことか。
……でも、それ気になるよね。普通、わたしみたいな民間人が時限爆弾なんて気軽に持ってくるものじゃない。
「ここ、軍の施設内でしょ。弾薬庫か何かに、いいものないかな、って見に行ったらみつけたんだ」
「弾薬庫、って……」
そう言ってから、ナナは少し首を傾げた。
「あれ、リリィどうやってこんな軍港の中に? そもそもこの船、どこで見つけた?」
そうだ、そのことをまだ言ってなかった。
・・・・・・
「GSL209」から軽巡洋艦へ移乗して、ナナと引き離されたまま地上に降ろされたわたしは――
ひとまず、軍が指定した滞在施設に留まって、軍や交通庁と話し合いつつ今後のことを決めることになった。
ナナなら巡洋艦の外板くらい破れるだろうと思っていたけど、港に着いても、それからしばらく経ってもなにも起きなかったのは意外だった。
きっとなにか考えがあって、今は息をひそめているのだろうと思った。だからわたしも、今はなにもせず待っていようと思った。
ナナが行動を起こせば、たぶん派手なことをするだろうから分かる。やりすぎなければいいけど……とにかく、その時になったらわたしも合流しに行けばいい。そう思って待った。
それから何日も何事もなく過ぎて、心配になってきた時、ナナとは別のニュースが星全体を騒がせた。
「義勇団の船団が星系外縁に出現した」と。
軍艦が出港していく様子が流され、「わが軍これより迎撃す」とのテロップが出ていた。
そこから先は、早かった。
報じられる義勇団の戦力はぐんぐん増え、「屋内待機」「外出禁止」「避難準備」と続けざまに警報が発せられた。
ついに「国外退避命令」が出されると、人々はなだれをうって宇宙港へと向かい走った。
なにが起きたか分からない。もしかしたら、わたしとナナがここへ来たから義勇団が来てしまったのかもしれない。
でも、それはわたしにはどうでもよかった。
問題だったのは、ナナが行動を起こした様子がなかったこと。
なにか考えがあるんだろうと思って、わたしはこの星に残ることにした。
たましいすら分かち合ったひとと、何の言葉もなしに別れるなんて、ありえない。別れの言葉がないのなら、別れるつもりはない。
ナナはきっと、機会を得たら行動を起こす。わたしは、できればそれについていきたい――
わたしは近くのアクセサリー店に隠れて、宇宙港へ逃げる人々をやりすごした。こんなところで「きみ、早く逃げるんだ」なんて言われて手を引かれたら、迷惑だ。
外が静かになってから、わたしは床に散らばったアクセサリーをぱりぱりと踏みながら外へ出た。停電した街は夜の闇に沈んでいたが、わたしはいつも携帯している小型ライトがあるから平気だった。
ナナがこれから先を生きるためには、この星から脱出する以外に手はない。義勇団に攻められて、国民に国外退避命令を出すような国には、もう生き延びられる場所などないのだから。
そして星から脱出するには、宇宙船が必要だ。ナナは宇宙船がなくても10日くらいの宇宙飛行ができると言っていたけれど、裏を返せばそれ以上は無理ということ。やっぱり船が欲しい。
ナナはどんな船を欲しがるだろう……やっぱり速い船、できれば特高速船がいいって言うかな。
そしてたぶん、いちばん欲しがるのは彼の大切な特高速船「GSL209」。
「GSL209」は軍に拿捕された後、行方が分からないままだった。ニュースにも全く出て来ず、情報がなかった。
ナナはここでは義勇団員という扱い。そして義勇団員が乗っていた船を軍がすぐ手放すとは思えないから、「GSL209」はたぶん機密扱いでどこかに保管している。
軍が保管している、ということなら――
わたしは、軍港へ走った。
長いあいだ息をひそめていたのがよかったのか、大きくて重そうな門の前には誰もいなかった。軍人もみな避難したか、戦場へ向かったか。門を走り抜けたわたしを呼び止める者はいなかった。
軍港の中を走って、走って――ようやく、みつけた。一番奥の岸壁に。
隠れるように係留されている、ちいさな宇宙船。ナナと一緒に、わたしを助けに来てくれた宇宙船。ナナとここから旅立つには、やっぱりこの船がいい。
船に乗り込んで、すぐ操舵室へ入り状態を確かめた。
メインシステムはもう動いていて、エネルギーも84%まで入っていた。
この星に来る途中で、相応のエネルギー消費はあった。なのにこんなに残っているのは、たぶん軍が補給したんだろう。義勇団の船のサンプルとして、試験航海をしようとしていたのかもしれない。
これなら、すぐにでも恒星間航海ができる――
いつでも出港できるよう、主機関の始動プロセスに入った。
並行して、食料・被服等消耗品を積み込んだ。港内に軍人はひとりもいなかったから、倉庫から欲しいだけ持ってきた。これくらい、迷惑料ということで文句はないよね。
主機関の始動操作が終わり、船は出発できる状態になった。
懸念事項になっていたタラップの切り離しは、ナナならどうするかなと考えた末、弾薬庫のような建物を探して時限爆弾を持ってきた。タラップを吹き飛ばす必要はない、支持部を壊してしまえば落下するはずだ。
・・・・・・
「どう?」
そう言うリリィの声は、なんだか得意げ。いまの顔、見てみたいな。
それにしても、とてつもないことを――いくら誰もいないからって、ひとりで軍港の中へ駆け込んで、物資やら爆弾やら持ち出して。
それに……ぼくが必ず行動を起こすと、信じて。
情けない。ぼくはその時もう、きみのこともこの船のことも忘れて、諦めて――ひとり通信塔に登っていた。その信頼を、裏切っていた。
「物資の積み込みはもう終わってるから。あとはナナのタイミングで、出港するだけだよ」
当たり前のように、リリィはそう言ってくる。
ぼくのために、そこまでする――きみは、ぼくを救うための勇者なのか。
「リリィ……」
「ん?」
「……ありがと。助かったよ」
きっとやさしい笑顔を向けてくれている。
見えなくても、それはみえている。




