第30話 名前記念日
「85K、名前をモニターに表示して」
ぼくがそう言うと、彼女は不思議そうな表情をうかべた。
「名前……わたしの? いいけど」
モニターに「85K-L1LY」と表示された。
「これでいい? あ、できれば間違えないでね。L『1』LYだから。よく『1』を『I』と間違われるんだ。文書とかで間違って書かれて、何度も訂正して……はあ、ちょっときらいなんだよね、これ。いっそ改名――」
「『リリィ』、かな」
「……え?」
あえて「1」を「I」に置き換え、言葉として読めば「リリィ」と発音できる。故郷の星を出て以来、こんなに親しく話した相手がいなかったから分からなかったが、数字とアルファベットだけの「記号名」は呼びにくい。なにか、いい感じの名前がほしい。
「『リリィ』って、どうかな。いま急に考えたから、正式な名前じゃなくて、あだ名ってことで。気に入ってくれたら、そう呼ぶけど」
彼女の顔が、さっと青ざめる。
「待って! だめ! 言っちゃだめ!」
叫ぶように、そう言った。
「い、いまのは、聞かなかったことに、するから……」
「でも『リリィ』って、なかなかよくない?」
気に入らなければ、別のなまえを考えよう。
「やめて! 犯罪だよそれ!」
彼女は青ざめたまま、すこし震えつつぼくを見た。
「め、『命名規制法』……知らないの? それとも、わざと言ってるの?」
航海関係以外の法律には詳しくないが、ぼくもそれくらい知っている。
「知ってるよ、『命名規制法』――すべての星系・海域・天体そのほか地名、船名、人名などに名を付ける際、意味を持った単語を用いてはならない――つまりは、ことばのちからを恐れた誰かがつくっちゃった、変な法律だね」
この辺りの人間にとっては強力な強制力を持つ法律、命名規制法。みな、この法律の存在を当たり前、かつ支配的に思っている。はるか遠い星から来たぼくからすれば、変な法律だ。
言葉にはちからが宿るという。その発言者の意図や、言葉の意味、また発音そのものまで、目には見えないが、それらは時に大きなちからを含む――とか。
大昔の科学だか魔法だかの学術会議でそれは実際に確認され、恐れられるようになった。当時の資料がほぼなく、もう詳細はわからない。
とにかく、昔の人が言葉のちからを恐れすぎたために、何かに名前をつけることが規制されてしまった。いまは記号と番号のみで構成された「記号名」だけが、名前として使用できる。それ以外のものを名前としてつけた場合、その者は重罪となる……これは死刑だっけ、ちがったっけ?
人命を軽視しがちなこの世界では、この法律に違反するのは確か殺人より罪が重いんだったと思う。彼女が驚くのも無理ないが――
「その法律、例外規定があるよね」
そう、「記号名」じゃなく、言葉として成立する「個有名」をつけられる例外規定。この規定が適用されるなら、罪には問われない。
「れ、例外規定って、満たせるはずないよ……7ST、あなた――」
「それ、本名じゃない。きみはこの名前を、おれの本当の名前だって言ってくれたけど……これはここで生活するために作っただけのもの。たしかに偽名なんだ」
彼女はぼくを見て、目を見開く。そんなにびっくりしなくていい。
いやまあ、これくらいが普通の反応なんだろうけど。ここでは。
「おれの故郷は、とても遠くにある。どこだか分からない。義勇団の船に乗せられてから相当遠くまで航行したみたいだし、このあたりの星じゃないのは確か。なんとか帰ろうと思って海図を調べあげたけど、記載がなくて。昔の伝記や冒険記に伝説、伝承、オカルトのたぐいまで調べたけど、ひとかけらの情報もないんだ」
あの星……青くて美しいとされるぼくの故郷。義勇団の新規団員輸送船で連れ去られ、その船は窓もモニターもなかったから、一目みることもなく別れた青い星。
「その星は、科学力なんてここの足元にもおよばない。魔法はそもそも存在しない。でもあそこに『命名規制法』はないから、生まれるすべての人間が『個有名』を持つんだ。人だけじゃない、大地も、海も、星も、みんな」
思い返せばなつかしい……そう、あらゆるものに名前があった。ひとが口に出し、伝えられていく名前――
「そこの主星は『太陽』。その第3惑星、名前は『地球』――そこが、おれが生まれて、名前をつけられた星」
やや驚きの表情でとまったままのこのひとは――たぶん、ぼくが放った情報の洪水を処理しきれていないのだろう。
ぼくはここまできて、ようやくこのひとに自己紹介をする。本当は、誰にも教える気はなかったけれど――
モニターを操作して、船内システムからひとつの画像ファイルを見つける。ファイル名をタップして、出てきた画像をウィンドウごと拡大し、彼女の席へまわす。
- 七星 優輝 -
おそらく見たこともないであろう表意文字をみつめる彼女に、ぼくはぼくの本名を教える。
「読みは『ナナホシ ユウキ』。『ナナホシ』は先祖から受け継がれてきた姓で、七つの星、ってことだろう。『ユウキ』は両親からもらった。そのまま読むと勇気と読めるけど、その文字の意味は、やさしいかがやき。親がそうやってつけたんだ」
あぜんと文字をみている彼女が、言葉を出すまでには時間がかかった。
「これ、……この文字、『ナ・ナ・ホ・シ』『ユ・ウ・キ』?」
「そう、七星優輝。おれは個有名所持者なんだ。だから『命名規制法』の例外規定――すでに個有名を持つ者は本法の適用を受けない――この規定により、おれには個有名の命名権がある」
彼女は聞いているのかいないのか、画像ファイルの文字をたどたどしく指でなぞっている。それは漢字だ、面倒だぞ。
「それは覚えなくていいから。それ地球でもわりと複雑な文字だったから。さすがにきみでも、今すぐは無理」
彼女はまだモニター上のぼくの名前に手をのばしたまま、ゆっくりこちらを向いた。その彼女の黒いひとみを、まっすぐみつめる。
「で、どう? きみのなまえ。急なことだから、まずあだ名として、『リリィ』って……嫌、かな?」
しばらく固まっていた彼女が、恥ずかしそうに、上目づかいでぼくをみた。
「い、いいです、そのなまえ。わたし、もらいます。ありがとう……」
このひとにしては珍しい、消えそうな声。個有名をつけられるのって、こんなふうになるものなのか。
「『リリィ』……わたしが、『リリィ』……」
胸に手を当てて繰り返している彼女に、ひとつリクエストする。
「それでさ、リリィ。おれにもひとつ、あだ名つけてよ」
がたん、と音を立てて、彼女の腕が操縦盤にぶつかった。
さすがにちょっと、びっくりしすぎだよ。そんなに固くならなくていいから。
「あだ名とはいえ、きみはいま個有名所持者だ。だからその名をすてないかぎり、きみにも『命名規制法』の例外規定が適用される。おれもきみに、あだ名で呼ばれてみたいんだ」
命名規制法があるかぎり、この世界ではあだ名さえ許されない。でも、死ぬまでぼくと一緒に行くと言ってくれたひととなら、こんな贅沢もしていいだろう。
彼女はまたしばらく固まっていたが、ゆっくりとモニターを触りはじめた。
「7ST-7037」と表示して、「七星 優輝」と並べて、じっとみている。
「……」
――さすがに、長い。
ぼくはべつに待てるが、彼女がこんなに動かないのはおかしい。急に想像もしていなかったことをさせられて、あまりに負担が大きすぎたのかな……
あだ名は後でも考えられる、ここは――
「な、な……」
なにか言った……消えそうな声だ。
「『ナナ』、って、どう、ですか?」
敬語になって、がちがちに緊張している。ぼくが急にリクエストしたせいだから、ちょっとかわいそうだ。
それにしても、どうして「ナナ」だろう。ぼくにあんまり似合わないような。
「えっと、どうしてそれ思いついたの?」
彼女は消え入りそうな声のまま、下を向いて説明する。
「あなたのなまえ、個有名の最初が、『なな』。それから、記号名に、『7』がみっつ……」
……まだ続きがありそうだ。
「……あと、こんなの関係ないけど、わたしの誕生日、7月7日で、おなじ『なな』、だから」
なるほど、「なな」には確かに縁がある。もとの名字の読みに通じているし、いいかもしれない……後半は彼女の願望だろうけど。
さすがにわかる。ぼくのあだ名を「ナナ」にして、自分の誕生日もがっちり覚えさせる気だ。もしかして、ぼくが彼女の名前を覚えていなかったこと、まだ恨んでるかな。
「よし、これからぼくは『ナナ』。あらためてよろしく、『リリィ』。きみの誕生日も、ぜったい忘れないから。この名にかけて」
彼女は、くすりと笑った。よしだいじょうぶ、ネタは通じた。
「よろしく、『ナナ』。……ありがとう」
彼女の黒いひとみにみつめられつつ、横目で計器盤を確認する。船内システム時刻、今日の日付けは6月12日。
6月12日――なに記念日だかわからないが、たぶんこれが、いつか思い出す記念の日付けになるだろう。




