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宇宙航路は遥かにて  作者: 星川わたる
第1章 航路のはじまり
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第20話 そのやさしさ

 彼女とふたりで、前甲板エアロックを離れて――


 いきごんで進みだしたぼくたちは、すぐに障害にぶちあたった。


 階段室だ。降りるときは何度か転げ落ちたが、こんどはのぼる。船内は環境制御システムによって、船底方向に1Gの人工重力が作用している。ふだんはいいが、階段昇降ではからだの重みが負担になる。

 でも、ここだけ無重力に設定することはできない……人工の重力もどきにさからって、無駄に体力を消耗する場所だ。

 両側の手すりをつかんで、ハシゴにちかい角度の階段をのぼる。うす暗い階段室を、ひたすら上へ――


 ……あれ?


 「うしろ」が、来ない。


 振り向くと、彼女はふたつ下の階段の手すりにしがみつき、激しく息をきらしていた。

 どうして。そんなに体力がないのか。


 あ、そうか。このひとはぼくとは違う。ぼくみたいに人外のちからなんてないから、ぼくにはついてこれないんだ。

 どうする……彼女は戦力的には大きくない。置いていくか。


 ぼくは手すりをつかみ、うしろ向きに階段をおりた。この階段は本来、こうするもの。ぼくが操舵室を飛び出したあと、前向きにおりたのはほぼ自殺行為だった。そりゃあ転げ落ちる。

 ぼくがすとんと踊り場に降りると、彼女も息をきらしながらのぼってきた。

 だが、その場に座り込んでしまい、立ち上がらない。はあ、はあ、と荒い息をしつづけている。


「おい――大丈夫か」


 いまこうしている間にも、システムの設定がいじくられているだろう。ぼくの船が、きたない手でべたべた触られている。はやくあいつら全員痛めつけて意識をうばって、もういちど起こして、さらに痛めつけてやらないと、ぼくの気がすまない。

 もどかしい。ここに置いていって、操舵室を制圧した後に再合流しようか。


「きみ、進めないか。ここで待つか?」


 彼女は、まだ肩で息をしながら、こちらをみた。

 なんだろう、ひとみに怒りがこもって――


 ――とつぜん、襟首をつかまれた。


 これが敵なら、つかまれる前に腕を切り落としただろう。

 だが、味方だったから……やられた。


 あとすこしで、首を絞められる。

 ネクタイとワイシャツの襟が、強く握られる。どうして――


  『射撃能力きわめて高し、されど警戒能力を著しく欠く』


 むかし、ぼくに出されていた評価……そう、他の人間への警戒は、いつもおろそかだ。

 だから、今回も不覚をとった。


 やられた、はめられた。


 こいつは息をきらしたふりをして、ぼくを目の前まで来させ、油断して手の届くところまできたら、首を絞めようと……!


 くそ、いまからでも、こいつの腕を切り落として……


 切り落として……


「く……」


 ――落とせない。


 あのとき……このひとを抱き寄せたときの、からだのぬくもり。

 吹けば飛び散りそうないのちが発する、あまりにも、もろいあたたかさ。


 それが思い出されて――反撃が、できない。


  『情に流されやすく敵に欺かれるおそれ大なり』


 ……敵、そう、いまぼくの首を絞めようとしているこいつは「敵」だ。


 落とせ、腕を――!


「な、なまえ……」


 ――?


 なにか言った。


 彼女はぼくの襟首をつかんだまま、怒りのこもった眼でぼくをみる。


「わたしの、なまえ……おぼえて、ないでしょ……!」

「……?」


 何を言ってる?

 精神攻撃か。いや、この発言では攻撃になってない。


 まだ襟首をつかまれている。

 ……首を絞めにこない。


 彼女は息をととのえ、ぼくの眼をみて――


 この眼……怒り、じゃない、「抗議」だ。


「あなた、わたしのなまえ――!」


・・・・・・


「――わたしのなまえ、覚えてないでしょ!」


 言えた。言ってやった。

 さあどうなの、覚えてないんでしょ!


 だめ、まだなにも分かってない顔をしている。


「あなたのなまえは7ST-7037、わたしはおぼえてる。無線できいた。あのとき、わたしもあなたにおしえたでしょ」


 確かに言った、教えたはずだ。


 それなのに――


「あなたはさっきから、『おい』とか『きみ』とか……いちども、わたしのなまえを呼んでない。おぼえてないんだ。ひどいよ!」


 わたしは抗議しつづけるが、彼の表情はまだかわらない。そのぼけっとした顔、それがわたしのなまえを覚えてないことを証明している。


 引き締まらない表情、ずれたままのネクタイ。素のこのひとが、みえてくる。


 襟首ごと、彼を引き寄せる。もっと近寄れ。


 エアロックの中にいたとき、このひとはわたしにどぎまぎしていた。

 好意を持たれてる、なんて妄想はさすがにしない。でも――ちょっとくらい興味あるんでしょ、あんな態度するんだから!


 彼はわたしに襟首をつかまれたまま、動かない。


 血まみれの彼と、どぎまぎする彼――まるで違う。そしてあの時どきまぎしたのは、たぶんわたしに対して。

 もういちどそうさせてやる。わたしへの興味でもとに戻ってくれるなら、安いもの。

 戻ってこなかったら――そのときは、わたしはこのひとの手にかかるだけだ。


 触ってやる、この。たじたじになってしまえ。


「ネクタイ、曲がってる。気になってしょうがない。船長さんなんだから、しっかりして」


 「船長さん」と呼んでやる。ちょっとくらい、どきりとしてみろ。


 彼はすこしたじろいだようにみえた。


 ……そして、わたしはまだ殺されない。


 ネクタイをなおすだけなら、どうせすぐ終わってしまう。なおってもしばらくいじくってやろう。


 ――あれ?


 ネクタイはちょっとずつほどけていく。触れれば触れるほど、ほどける……

 なんだこれ、どういう結びかたなんだ。おい、どうしてこんなになるんだ、そこのあなた。


 うす暗い階段室で、彼の顔色はよくみえない。でもまだ、わたしにされるがままだ。なんの抵抗もしない。


 ついにネクタイはほどけた。どうして。


 ええい結びなおしだ。そうだ最初からわたしが結んだほうが、うまくいく。

 あ……わたしと彼は向き合っているから、結びかたは、わたしからみて逆になるのか。く……難しい。


 ネクタイとわたしの攻防がつづく。いや、ネクタイとの攻防ってなんだ。どうしていま、わたしがネクタイと戦わなければならないんだ。


 ネクタイがほどけた彼はなかなか情けない姿だが、あなたの結びかたがわるいんだ。決してわたしのせいじゃない。

 何度もほどけるネクタイ。わたしはずっと、指先で彼の首元に触れている。くすぐったいだろう、ほら。


 するり……


 ――ネクタイはほどけんでいい!


・・・・・・


 彼女はぼくの襟首をつかんだまま、まくし立てた。


「あなたのなまえは7ST-7037、わたしはおぼえてる。無線できいた。あのとき、わたしもあなたにおしえたでしょ」


 なまえ……なんだ、なまえって?

 どういうことだ、どういう状況だ。


 なまえ、って……


 いま言うことか、それ――!


「あなたはさっきから、『おい』とか『きみ』とか……いちども、わたしのなまえを呼んでない。おぼえてないんだ。ひどいよ!」


 い、い、いや、確かにまったくおぼえてないけど、無線できいたあと、即座にわすれたけど……いや、ぼくはもともと、人のなまえを覚えるのが苦手で――!


 ぐい、と、襟首ごと引き寄せられた。彼女のにおいがぼくを包んで、思わずどきりとする。


「ネクタイ、曲がってる。気になってしょうがない。船長さんなんだから、しっかりして」


 彼女がことばを発するたびに、あたたかい吐息が、ぼくをくすぐる。

 顔がちかい――


 う、動けない……


「あれ……あれ、直らない。どういう結びかたしたの、これ」


 それどころじゃない。息がくすぐったい。

 考えが、まとまらない。思考が――もう止まりそう。


「え、ほどけた……なんで? あなた、ほんとうにどう結んでたの」


 ことばを話さないで。まだすこし荒い吐息が、ずっとぼくの胸にかかってる。くすぐったい、耐えられない……


「ああもう、最初から……あ、またほどけた。ちょっとまって、いつもと逆だから、もう」


 きれいな指で首元に触れられつづけて、のぼぜそう。

 もうだめだ、手をはなして……


 ――ネクタイは、するりとほどけた。


・・・・・・


「よし、できた。こんなに手間かけさせて……さあ、埋め合わせ、当然するよね?」


 ぼくはすこし湯気がでているかもしれない。

 このひと、分かってやっていたのか――? ああ、ダメージが大きい。蒸発する……


 ほどけたネクタイを直すのに首元に触れられつづけて、あたたかくこそばゆい吐息にさらされつづけて――

 このひとエアロックの中では耳まで真っ赤になっていたのに、どうしてこんなことを……


「ねえ、わたしのなまえ。おぼえてよ、からなず」


 うん、おぼえる、おぼえるから……!


「わたしは、85K-L1LY。いい? 復唱!」

「ふ、復唱。85K-L1LY……おぼえました」


 85K、85K……つぎからは、絶対この名で呼ばないと。


 彼女はちょっとくちをとがらせていたいたが、急にやさしい笑顔をみせた。


「おちついた? 船長さん」


 おちつかないです、85Kさん。むしろあなたが乱しました。


 あれ、そういえば、このひといつから敬語をやめたんだろう。

 印象がだいぶちがう。こんな雰囲気もだすんだ、このひと。


「あなた、ちょっとこわかった。人をあんなふうにして……そりゃあ、あの人たちはわるいことをしたんだけど」


 ああ、そうか――


 ぼくはすこし、理性を失いかけていたか。

 その状態ではあれがふつうなんだだけど……このひとはそれを知らないんだ。


「あなたはきっと、いいひと。だからわたしはあんな姿みたくない。わたしがこわかったのは、あなたがあなたでなくなること」


 ぼくが、ぼくでなくなること――か。


 そうだ。このひとは、知らない。まだ、なにも。

 ぼくのほんとうのすがたは、むしろ……


 そう――このひとはぼくのことを、なにもわかってない。


 ぼくのその姿がこわいというのなら……あなたは、ぼくのそばにはいられない。そのうち――そう遠くないうちに、その時がくる。


「……7ST、だいじょうぶ?」


 顔をのぞきこまれた。

 黒いひとみが、ぼくをみつめている。


「……」


 「本当のぼく」は、いまとはちょっと違うのだけど……


 このひとは、すこし理性を失ったぼくから逃げずに、むしろぼくに害される危険をおかしてまで理性をとりもどさせた。

 そんなこのひとの気持ちにこたえるのも――いまのぼくの義務、かもな。


 ……できるだけ、理性的でいよう。彼女がみたくない姿を、さらさないように。


「うん、だいじょうぶだ……85K、きみのおかげで」


 彼女はぼくのことばをきいて、ぱっと花のような笑顔をみせた。


・・・・・・


 彼のほどけるネクタイは、さんざんわたしを手間取らせてくれた。

 それでもかろうじて、わたしはその強敵をねじふせた。


 きりっと締まったネクタイは、彼を一段とかっこよくみせている。


 そして……ついにわたしは、彼に手をかけられなかった。


 このひとは……いや、こいつは、やっぱりわたしのなまえを覚えていなかった。

 あなたのネクタイ相手に、ここまで善戦したのだ。埋め合わせは、きっちりしてもらおうじゃないか。


「ねえ、わたしのなまえ。おぼえてよ、かならず」


 彼はただ、こくこくとうなづく。

 わたしはちょっと気分よくなって、復唱までさせた。


 よーし、復唱したな。したからには、おぼえなさいよ。つぎはないぞ。


 でも――よかった。これでもう大丈夫そうだ。あの血まみれの彼は、もう見えない。なんだか呆然としているようだけど、階段室の照明がくらくてよくみえない。


「おちついた? 船長さん」


 ちょっと首を振ったようにもみえたけど、気のせいだろう。


 あれ……わたしいつから敬語つかってなかったんだろう。

 おこられないから、このままでいいかな。


 このひとは、わたしのヒーロー。そしてわたしの勇者さま。ずっとずっと、そうであってほしい。

 このひとのほんとうの姿は、きっとそう。あの血まみれのすがたは――なにか分からないけれど、ほんとうのこのひとじゃない。


 わたしは彼にそのことを言ったが、彼はなんだか複雑な表情をした。


 うん、そうだ――


 かならず、これには事情がある。わたしの知らない、なにかたいへんなものが。予感が――とてもいやな予感が、このひとからする。

 それはいまさっきしていた、ピュアな少年少女みたいな触れ合いじゃあ、解決できるものじゃないと思う。そんな簡単なものなら、もう彼が自分で解決しているはずだ。


 でも――いま、わかったことがある。


 まず、彼はやっぱりやさしいひとであること。

 そして、もしそうでなくなっても――


 わたしは彼を引き戻せる、ということ。


 わたしは、彼のことをなんにも分かっていない。もし彼に「お前に、おれの何がわかるんだ!」と言われたら、わたしは何もいうことができない。


 だから、少しずつでも、あなたのことを分かりたい。

 もうしばらくは、一緒にいたい。


 ……。


 でも、できれば……


 すっと、一緒にいたいな。


 一生のなかで、死のふちから落下したあと、すくいあげられた経験はなかなかないだろう。いや、いちど死んでしまったから、もうわたしの一生は終わっている。

 ……今日は、わたしの新しい誕生日なんだ。


 わたしに新しい命をくれた勇者さまと、簡単に別れてしまいたくはない。


 キスひとつでわたしの目をさまさせた勇者さまと、かんたんに別れてしまいたくない。


 彼の表情は、まだすこし暗い。


「……7ST、だいじょうぶ?」


 わたしがそう言うと、彼はわたしに視線をむけた。おたがいの黒いひとみが、みつめあう。


「うん、だいじょうぶだ……85K、きみのおかげで」


 ようやく呼んでくれたなまえと、「きみのおかげ」という言葉。

 そう、わたしのおかげ……


 返答は言葉じゃなくて、いちばんきれいな笑顔にしよう。

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