第20話 そのやさしさ
彼女とふたりで、前甲板エアロックを離れて――
いきごんで進みだしたぼくたちは、すぐに障害にぶちあたった。
階段室だ。降りるときは何度か転げ落ちたが、こんどはのぼる。船内は環境制御システムによって、船底方向に1Gの人工重力が作用している。ふだんはいいが、階段昇降ではからだの重みが負担になる。
でも、ここだけ無重力に設定することはできない……人工の重力もどきにさからって、無駄に体力を消耗する場所だ。
両側の手すりをつかんで、ハシゴにちかい角度の階段をのぼる。うす暗い階段室を、ひたすら上へ――
……あれ?
「うしろ」が、来ない。
振り向くと、彼女はふたつ下の階段の手すりにしがみつき、激しく息をきらしていた。
どうして。そんなに体力がないのか。
あ、そうか。このひとはぼくとは違う。ぼくみたいに人外のちからなんてないから、ぼくにはついてこれないんだ。
どうする……彼女は戦力的には大きくない。置いていくか。
ぼくは手すりをつかみ、うしろ向きに階段をおりた。この階段は本来、こうするもの。ぼくが操舵室を飛び出したあと、前向きにおりたのはほぼ自殺行為だった。そりゃあ転げ落ちる。
ぼくがすとんと踊り場に降りると、彼女も息をきらしながらのぼってきた。
だが、その場に座り込んでしまい、立ち上がらない。はあ、はあ、と荒い息をしつづけている。
「おい――大丈夫か」
いまこうしている間にも、システムの設定がいじくられているだろう。ぼくの船が、きたない手でべたべた触られている。はやくあいつら全員痛めつけて意識をうばって、もういちど起こして、さらに痛めつけてやらないと、ぼくの気がすまない。
もどかしい。ここに置いていって、操舵室を制圧した後に再合流しようか。
「きみ、進めないか。ここで待つか?」
彼女は、まだ肩で息をしながら、こちらをみた。
なんだろう、ひとみに怒りがこもって――
――とつぜん、襟首をつかまれた。
これが敵なら、つかまれる前に腕を切り落としただろう。
だが、味方だったから……やられた。
あとすこしで、首を絞められる。
ネクタイとワイシャツの襟が、強く握られる。どうして――
『射撃能力きわめて高し、されど警戒能力を著しく欠く』
むかし、ぼくに出されていた評価……そう、他の人間への警戒は、いつもおろそかだ。
だから、今回も不覚をとった。
やられた、はめられた。
こいつは息をきらしたふりをして、ぼくを目の前まで来させ、油断して手の届くところまできたら、首を絞めようと……!
くそ、いまからでも、こいつの腕を切り落として……
切り落として……
「く……」
――落とせない。
あのとき……このひとを抱き寄せたときの、からだのぬくもり。
吹けば飛び散りそうないのちが発する、あまりにも、もろいあたたかさ。
それが思い出されて――反撃が、できない。
『情に流されやすく敵に欺かれるおそれ大なり』
……敵、そう、いまぼくの首を絞めようとしているこいつは「敵」だ。
落とせ、腕を――!
「な、なまえ……」
――?
なにか言った。
彼女はぼくの襟首をつかんだまま、怒りのこもった眼でぼくをみる。
「わたしの、なまえ……おぼえて、ないでしょ……!」
「……?」
何を言ってる?
精神攻撃か。いや、この発言では攻撃になってない。
まだ襟首をつかまれている。
……首を絞めにこない。
彼女は息をととのえ、ぼくの眼をみて――
この眼……怒り、じゃない、「抗議」だ。
「あなた、わたしのなまえ――!」
・・・・・・
「――わたしのなまえ、覚えてないでしょ!」
言えた。言ってやった。
さあどうなの、覚えてないんでしょ!
だめ、まだなにも分かってない顔をしている。
「あなたのなまえは7ST-7037、わたしはおぼえてる。無線できいた。あのとき、わたしもあなたにおしえたでしょ」
確かに言った、教えたはずだ。
それなのに――
「あなたはさっきから、『おい』とか『きみ』とか……いちども、わたしのなまえを呼んでない。おぼえてないんだ。ひどいよ!」
わたしは抗議しつづけるが、彼の表情はまだかわらない。そのぼけっとした顔、それがわたしのなまえを覚えてないことを証明している。
引き締まらない表情、ずれたままのネクタイ。素のこのひとが、みえてくる。
襟首ごと、彼を引き寄せる。もっと近寄れ。
エアロックの中にいたとき、このひとはわたしにどぎまぎしていた。
好意を持たれてる、なんて妄想はさすがにしない。でも――ちょっとくらい興味あるんでしょ、あんな態度するんだから!
彼はわたしに襟首をつかまれたまま、動かない。
血まみれの彼と、どぎまぎする彼――まるで違う。そしてあの時どきまぎしたのは、たぶんわたしに対して。
もういちどそうさせてやる。わたしへの興味でもとに戻ってくれるなら、安いもの。
戻ってこなかったら――そのときは、わたしはこのひとの手にかかるだけだ。
触ってやる、この。たじたじになってしまえ。
「ネクタイ、曲がってる。気になってしょうがない。船長さんなんだから、しっかりして」
「船長さん」と呼んでやる。ちょっとくらい、どきりとしてみろ。
彼はすこしたじろいだようにみえた。
……そして、わたしはまだ殺されない。
ネクタイをなおすだけなら、どうせすぐ終わってしまう。なおってもしばらくいじくってやろう。
――あれ?
ネクタイはちょっとずつほどけていく。触れれば触れるほど、ほどける……
なんだこれ、どういう結びかたなんだ。おい、どうしてこんなになるんだ、そこのあなた。
うす暗い階段室で、彼の顔色はよくみえない。でもまだ、わたしにされるがままだ。なんの抵抗もしない。
ついにネクタイはほどけた。どうして。
ええい結びなおしだ。そうだ最初からわたしが結んだほうが、うまくいく。
あ……わたしと彼は向き合っているから、結びかたは、わたしからみて逆になるのか。く……難しい。
ネクタイとわたしの攻防がつづく。いや、ネクタイとの攻防ってなんだ。どうしていま、わたしがネクタイと戦わなければならないんだ。
ネクタイがほどけた彼はなかなか情けない姿だが、あなたの結びかたがわるいんだ。決してわたしのせいじゃない。
何度もほどけるネクタイ。わたしはずっと、指先で彼の首元に触れている。くすぐったいだろう、ほら。
するり……
――ネクタイはほどけんでいい!
・・・・・・
彼女はぼくの襟首をつかんだまま、まくし立てた。
「あなたのなまえは7ST-7037、わたしはおぼえてる。無線できいた。あのとき、わたしもあなたにおしえたでしょ」
なまえ……なんだ、なまえって?
どういうことだ、どういう状況だ。
なまえ、って……
いま言うことか、それ――!
「あなたはさっきから、『おい』とか『きみ』とか……いちども、わたしのなまえを呼んでない。おぼえてないんだ。ひどいよ!」
い、い、いや、確かにまったくおぼえてないけど、無線できいたあと、即座にわすれたけど……いや、ぼくはもともと、人のなまえを覚えるのが苦手で――!
ぐい、と、襟首ごと引き寄せられた。彼女のにおいがぼくを包んで、思わずどきりとする。
「ネクタイ、曲がってる。気になってしょうがない。船長さんなんだから、しっかりして」
彼女がことばを発するたびに、あたたかい吐息が、ぼくをくすぐる。
顔がちかい――
う、動けない……
「あれ……あれ、直らない。どういう結びかたしたの、これ」
それどころじゃない。息がくすぐったい。
考えが、まとまらない。思考が――もう止まりそう。
「え、ほどけた……なんで? あなた、ほんとうにどう結んでたの」
ことばを話さないで。まだすこし荒い吐息が、ずっとぼくの胸にかかってる。くすぐったい、耐えられない……
「ああもう、最初から……あ、またほどけた。ちょっとまって、いつもと逆だから、もう」
きれいな指で首元に触れられつづけて、のぼぜそう。
もうだめだ、手をはなして……
――ネクタイは、するりとほどけた。
・・・・・・
「よし、できた。こんなに手間かけさせて……さあ、埋め合わせ、当然するよね?」
ぼくはすこし湯気がでているかもしれない。
このひと、分かってやっていたのか――? ああ、ダメージが大きい。蒸発する……
ほどけたネクタイを直すのに首元に触れられつづけて、あたたかくこそばゆい吐息にさらされつづけて――
このひとエアロックの中では耳まで真っ赤になっていたのに、どうしてこんなことを……
「ねえ、わたしのなまえ。おぼえてよ、からなず」
うん、おぼえる、おぼえるから……!
「わたしは、85K-L1LY。いい? 復唱!」
「ふ、復唱。85K-L1LY……おぼえました」
85K、85K……つぎからは、絶対この名で呼ばないと。
彼女はちょっとくちをとがらせていたいたが、急にやさしい笑顔をみせた。
「おちついた? 船長さん」
おちつかないです、85Kさん。むしろあなたが乱しました。
あれ、そういえば、このひといつから敬語をやめたんだろう。
印象がだいぶちがう。こんな雰囲気もだすんだ、このひと。
「あなた、ちょっとこわかった。人をあんなふうにして……そりゃあ、あの人たちはわるいことをしたんだけど」
ああ、そうか――
ぼくはすこし、理性を失いかけていたか。
その状態ではあれがふつうなんだだけど……このひとはそれを知らないんだ。
「あなたはきっと、いいひと。だからわたしはあんな姿みたくない。わたしがこわかったのは、あなたがあなたでなくなること」
ぼくが、ぼくでなくなること――か。
そうだ。このひとは、知らない。まだ、なにも。
ぼくのほんとうのすがたは、むしろ……
そう――このひとはぼくのことを、なにもわかってない。
ぼくのその姿がこわいというのなら……あなたは、ぼくのそばにはいられない。そのうち――そう遠くないうちに、その時がくる。
「……7ST、だいじょうぶ?」
顔をのぞきこまれた。
黒いひとみが、ぼくをみつめている。
「……」
「本当のぼく」は、いまとはちょっと違うのだけど……
このひとは、すこし理性を失ったぼくから逃げずに、むしろぼくに害される危険をおかしてまで理性をとりもどさせた。
そんなこのひとの気持ちにこたえるのも――いまのぼくの義務、かもな。
……できるだけ、理性的でいよう。彼女がみたくない姿を、さらさないように。
「うん、だいじょうぶだ……85K、きみのおかげで」
彼女はぼくのことばをきいて、ぱっと花のような笑顔をみせた。
・・・・・・
彼のほどけるネクタイは、さんざんわたしを手間取らせてくれた。
それでもかろうじて、わたしはその強敵をねじふせた。
きりっと締まったネクタイは、彼を一段とかっこよくみせている。
そして……ついにわたしは、彼に手をかけられなかった。
このひとは……いや、こいつは、やっぱりわたしのなまえを覚えていなかった。
あなたのネクタイ相手に、ここまで善戦したのだ。埋め合わせは、きっちりしてもらおうじゃないか。
「ねえ、わたしのなまえ。おぼえてよ、かならず」
彼はただ、こくこくとうなづく。
わたしはちょっと気分よくなって、復唱までさせた。
よーし、復唱したな。したからには、おぼえなさいよ。つぎはないぞ。
でも――よかった。これでもう大丈夫そうだ。あの血まみれの彼は、もう見えない。なんだか呆然としているようだけど、階段室の照明がくらくてよくみえない。
「おちついた? 船長さん」
ちょっと首を振ったようにもみえたけど、気のせいだろう。
あれ……わたしいつから敬語つかってなかったんだろう。
おこられないから、このままでいいかな。
このひとは、わたしのヒーロー。そしてわたしの勇者さま。ずっとずっと、そうであってほしい。
このひとのほんとうの姿は、きっとそう。あの血まみれのすがたは――なにか分からないけれど、ほんとうのこのひとじゃない。
わたしは彼にそのことを言ったが、彼はなんだか複雑な表情をした。
うん、そうだ――
かならず、これには事情がある。わたしの知らない、なにかたいへんなものが。予感が――とてもいやな予感が、このひとからする。
それはいまさっきしていた、ピュアな少年少女みたいな触れ合いじゃあ、解決できるものじゃないと思う。そんな簡単なものなら、もう彼が自分で解決しているはずだ。
でも――いま、わかったことがある。
まず、彼はやっぱりやさしいひとであること。
そして、もしそうでなくなっても――
わたしは彼を引き戻せる、ということ。
わたしは、彼のことをなんにも分かっていない。もし彼に「お前に、おれの何がわかるんだ!」と言われたら、わたしは何もいうことができない。
だから、少しずつでも、あなたのことを分かりたい。
もうしばらくは、一緒にいたい。
……。
でも、できれば……
すっと、一緒にいたいな。
一生のなかで、死のふちから落下したあと、すくいあげられた経験はなかなかないだろう。いや、いちど死んでしまったから、もうわたしの一生は終わっている。
……今日は、わたしの新しい誕生日なんだ。
わたしに新しい命をくれた勇者さまと、簡単に別れてしまいたくはない。
キスひとつでわたしの目をさまさせた勇者さまと、かんたんに別れてしまいたくない。
彼の表情は、まだすこし暗い。
「……7ST、だいじょうぶ?」
わたしがそう言うと、彼はわたしに視線をむけた。おたがいの黒いひとみが、みつめあう。
「うん、だいじょうぶだ……85K、きみのおかげで」
ようやく呼んでくれたなまえと、「きみのおかげ」という言葉。
そう、わたしのおかげ……
返答は言葉じゃなくて、いちばんきれいな笑顔にしよう。




