第16話 気まずいはじめまして
なんだろう、この感覚―――
口から「なにか」を吸うたびに、身体が暖まっていく気がする。
唇がすこし、こそばゆい。
背中を抱かれて、だれかの胸に安心してからだをあずける、この気持ち。
ここからでたくない。
……いま、わたしどうなっているんだろう。
身体の奥からわきだした、さわやかな風。中から、外へ。いままでとちがうあたらしい色が、わたしのからだを塗りかえていく――
からだの奥から指の先まで、活力がはいる。心臓がつよく鼓動し、血液と、そのほかのすべてが体内をめぐった。
……え?
だれかが、わたしを抱いて――
「――! ん――!」
目をひらいて、腕をふりほどこうと全身でもがく。唇がはなれ、がつん、と何かに頭をうった。
「あっ……ああ!」
誰かがこえをあげる。
「あ――あれ?」
すぐ目の前に、しらない男。
無遠慮にわたしの顔をのぞき込む、若い男。
「あ――……」
その男は、急に身体から力を抜いて壁に背中をぶつけ、そのままどさりと横にたおれた。
わたし、いままで……
この男に――
「……」
――どうしたのだろう。「続き」をしようとしない。
大きく息をはいて、じぶんから倒れた。わたしは何もしていない。
倒れた男は、呼吸がすこし上がっている。なんだか顔色もわるい。すこし待っても、なにもいわない。もう、わたしを見てすらいない。
わたしとおなじ、くろい髪。くせ毛だ、よくみると髪があちこちはねている。すこしめずらしい顔立ち……目はとじたままでひとみはみえない。服装は船乗りの標準的な……あ、ワイシャツに少ししわがある。ネクタイの結び方がへたくそだ。靴はいちどみがいたほうがいい。
でも……上衣の袖には金線が4本。肩章も同じく金線4本。そして、胸には金色に輝くバッジに「CAPTAIN」の文字。
宇宙船長――その最上級の金色の記章。
本当に着けているひとを、はじめて見た。うちの船長は銅色だ。
あれ……?
どうしてここに、「船長」が……
わたしの知らない「船長」が、どうしてここに――?
わたしは――
そうだわたしの船は、無人惑星に不時着したんだ。
そして後から、救助に来た船が1隻。船首を当てて、ぴたりと止まった。
だからこの星にいるのはわたしの船の乗員と……あの無茶苦茶なことをする、救助船の乗員だけ。
船は2隻――だから「船長」は、ふたり。
わたしが顔を知らない「船長」は、この星で……ひとりだけ。
『「救命7号」、船尾上甲板へ移動せよ、いそげ!』
『えと、こちらはGSL209船長――』
この男……
このひとが、あの――
・・・・・・
まだ倒れたままのその肩に手を添えた。
「あなた――」
あのとき無線で聞いた、たいせつな――
『7ST、たいせつにおぼえておきます』
「――7ST、さん?」
男は、力なくうなづいた。
それじゃあ、わたしは……
無線越しにしか話せなかった「彼」の、顔がみられたんだ。絶対にみられないと思った、その顔が。
「……」
どうしてこのひとは、こんなに弱っているのだろう。
それにさっきの行動は、いったい――
あれ……?
――わたし、生きている。
・・・・・・
わたしがさいごに見たもの――
防護フィールドが破れる寸前、その瞬間に見た気圧計……その指示値はほとんどゼロ、すなわちほぼ真空だった。
そこで、記憶は途切れている。
見回してみると、ここはエアロックの中だと分かった。
船内扉がひらいている。壁のパネルもひとつひらいていて、床には黒いボンベが転がされている。
非常用酸素供給器――これを使ったのか。
いや、それではだめだ。生きられるはずがない。
防護フィールドが破れて、わたしが吸える空気はなくなった。だから、わたしは窒息して死んでしまったはずだ。あの状態から、加圧が間に合うはずがない。
じぶんの身体に触れてみる。どこも異常はない。とても軽やかにうごく。思考も明瞭。低酸素の影響はみられない。わたしはいま、生きている。
状況からみて……
このひとが、わたしを生かした。
どうやって――?
7STは、ようやく目をひらいた。ああ、ひとみの色も、わたしとおなじ。まるで宇宙のような黒色だ。
「うぅ……きつ、かった。……思った、より」
具合が悪そうにそう言う。
それから彼は、わたしを見上げた。
「どこも、痛いところ……ない? 怪我、してない?」
その顔色で言う台詞じゃない。
そして逆に、わたしはなぜか大丈夫……
彼は重そうに上体を起こして、それからばつの悪そうによそを向いた。
「ごめん、その、きみの同意もとらずに、その、あの……」
「……」
……その行動も、全然わからない。
わたしが目を覚ましたとき、どうしてあんなことを……
あれをしたから、わたしは目を覚ました――
――というのはあり得ない。それができるのはおとぎ話の中だけだ。
眠りの呪いに目を覚まさない村娘が、勇者の男の子のこころ一杯のくちづけに目を覚ますお話は、なんども聞いたけれど。
現実はちがう。科学的にも魔法学的にも――
「……」
いや、魔法学的には――
・・・・・・
魔法は専門ではないから、詳しくは知らない。
何百年か前に、魔法学会で長期間にわたって検討された「夢の極大回復魔法」というものがあったという。
それは、究極の回復魔法――死んだ者を生き返らせる魔法だった、と。
術者の持つ「たましい」ないし「生命」を分割し、すでに死んだ者に移すことで「再活性化」する魔法。
自分のいのちを削って、死者をよみがえらせる魔法。
それが必要とする条件はとても厳しかったそうだが、特に「男女のペア」という条件で、理想的な状態に最も近づいたという。
その詳しいところまでは、わたしは知らない。
この魔法の実験は失敗を繰り返したという。
そして「死者をよみがえらせる魔法」の実験に失敗するということは、被験者の命は……
結局、技術的な問題があまりに多く、実現しなかった。
いちおう「理論的には可能」らしかったが、「実質的には不可能」だったのだ。
死者をよみがえらせるなんて、逆立ちしたってできないこと。現に、それから数百年が経過した現在でも、この魔法で生き返ったひとは知られていない。
だから、できるはずがない。それができたなら、間違いなく伝説になる。
でも――
「男女のペア」という条件、さっき行われていた不自然な行為……そして、いま生きていて、ものを考えているわたし。
言葉に出しづらくてためらったけど、わたしは聞いてみた。
「あの、さっきの……『あれ』って。わたしを、生き返らせるために――?」
彼はきょとんとした顔でわたしを見た。
「あれ……? どうして、わかった?」
そして伝説へ――
あなたはいったい何なんだ、本物のおとぎ話の勇者なのか。
わたしは今日死んだ。命を失った。
そしてわたしを呼び続け、ここまで走らせてくれたこのひとは、ついにわたしの死すらも覆して――
――助けて、くれたんだ。
・・・・・・
「その、ほんとう……ごめん……」
まだ具合が悪そうにしながら、彼はそう言う。
どうしてそんなにぐったりしている……
例の「究極の回復魔法」をやったから?
確かそれは、自分のたましいを削る、と――
「あなたこそ……だ、大丈夫なんですか!」
彼は非常に危険で、かつ成功例のない魔法を使った。
蘇生には成功しても、術者がそのあとどうなるのか――だれも知らない。
「まさか、ここで死なないですよね、あなた大丈夫ですよね!」
わたしは彼の肩をつかみ、揺さぶる。
彼はぐらぐらと揺さぶられたあと、えへ、と笑った。
「だいじょうぶ、むかしから持久力はあるから」
たましいを持久力で回復するつもりだろうか。
わたしは手をはなし、片膝をついて彼を顔色をうかがう。さっきよりはよくなってきけど……まだここから動かさないで、様子をみていよう。
……?
彼が急に視線をそらした。なんだかきまりがわるそうに。
……あ。
・・・・・・
船長に指示されてはいていた、宇宙船乗員ではほんらい認められない、スカート。
こんなもの……
……ううん、こんなものはいつものこと。
隠しても無駄なのは分かっている。船長の「命令」には従うほかにない。
「隠すな」と言われれば、そうするほかにない。
もともと、わたしはそのために乗せられたんだから。
意識しない、考えない――
「……」
……どうして彼は、気まずそうにするんだろう。
あなたにとって、まずいことはないはずだ。とがめる者のないこの船の中では。
すこし横を向こうとして動いた彼の左胸で、金色のバッジが光る。「CAPTAIN」の文字が、誇らしげに。
船長資格のなかでも最高位の、金色の記章。ここでは、あなたは最高権力者。だれもあなたには逆らえない。
逆らえない……
そうだ――わたしたちの船長でさえ、彼には逆らえないんだった。
そして、ここは……
ここはもうあの船じゃない――このひとの船「GSL209」だ。
わたしたちの……まえの船の船長たちの命令は、ここではもう効力がない。
そう、それなら……
わたしは気付いていないふりをしながら、ゆっくり、ゆっくり膝をおろした。
彼はすこしおちついたようにみえた。
でもちょっと、視線がさだまってない。わたしでも分かるくらい、どぎまぎしている。
「……」
そういう態度をとられると……
かえって、その――
あ、れ――?
顔が、熱い。
なんだか耳まで、熱い気がする。
――!
これ、顔あかくなってる……?
だめだ、とめろ――!
「……」
とめようと思えば思うほど、もっと熱くなる。たぶんわたしはいま、湯気を噴ける。
おそらく真っ赤な顔のわたしと、その前で妙にどぎまぎする彼と……ものすごく気まずい空気が、この場をみたした。
「あの、えっと、その……ご、ごめんなさい」
……いや、どうしてわたしがあやまるんだろう。
「いや、その、べつに……」
なにこの空気。
……。
でも、この空気……
すごく気まずいけど……過去変えて、なかったことにしたいくらいだけど――
わたしとおなじくらいの女の子って、おなじくらいの男の子と、こんな経験してるのかな。
「そういう感覚」を満たすための存在じゃなくて――同い年くらいの男の子と、こんなふうにどぎまぎして。
ぜったいに恥ずかしいだろうけど……わたしはこれまで、それも許されてこなかった。
いまわたしは、「ひとりの女の子」としてみられたんだろうか。
それは……これまでの人生で、はじめてかもしれない。
……でも、いまが幸せとはおもわない。
この顔が熱いのが、とまらない。くそ、彼の顔がみられない。
お願いだから、いまここに居ないで。
ひとりにして。とりあえず顔がさめるまで――!




