第14話 彼女のなまえは……
ぼくがもういちど顔を上げたとき、きらきらとした綺麗なひかりの粒が宙を舞っているのがみえた。
遭難船の後部甲板上、しだいに拡散してきえていく。
異物か?
いつ出てきた、どこから出てきた――
あのひかりの粒……あれは「氷」?
空気中にふくまれた水分が、真空の空間に急速に噴き出して凍ったものか。
つまり……「空気」が出てきた。
どこから――?
ほとんど真空のこの星にあって「空気」が存在するのは、この船と……モニターの向こうの遭難船だけ。
そして本船の計器盤に、空気漏れを示す警告は出ていない。
つまり……あちらの船から、空気が噴き出した。
空気が外に出やすい場所……候補としてまず挙がるのは――
――エアロック。
いや、まさか。
空気が出るはずが……開くはずが、ないだろう。そのための電力は――
「……!」
後部甲板で、なにかがうごいた。
なにかの蓋らしきもの、すこしずつ開いてくる。
前のめりに計器パネルを操作して、外部モニターで拡大表示した。
――あれは、エアロック船外扉だ。
そして――いまあの船に乗っているのは、ただひとりだけ。
「救命7号」、あなたは……
開けたのか、じぶんのちからで。
本当に、そこにいたのか。
ぼくのこえは、届いていたのか。
あくまでぼくのことばを、信じてくれたのか。
なら……
――まだ、終わってない!
・・・・・・
ぼくの「作戦」はまだ崩れてない。出てこられたのなら、まだ助けられる可能性は残っている。
右舷外板温度計を確認――さすがに上がってきたか。
でも、思ったよりは低い。このまま作戦決行だ。
エアロックの中から人が出てこようとするのが見えた。画像が荒く見えづらいが、肩まで伸びた黒い髪は、おぼろげに見えた。
これが、ぼくが呼び続けていた人の姿。
彼女はすこし顔を出した後、すぐエアロックに引っ込んだ。
日が出でいることを理解したのだろう。ぼくは「まだ日は出ていない」とか言っていたはずだから、驚いただろうな。
――いや、そんなことはいい。早くしなくては。
送信ボタンを押す。これまで何度も押してきて――それはすべて、無駄ではなかった。ちゃんと聞いている人がいたのだ。
「『救命7号』、そちらを視認した。いまから、本船への移乗手順をつたえる」
……すこし待っても、応答がない。この位置関係なら交信ができるはずなのに。
ここに出てきたということは、こちらの声は聞こえていたということ。無線機は動作しているはずだが……
とにかく、作戦をつたえる。いちばん気になるのは防護フィールド。たのむ、正常動作していてくれ。
「『救命7号』、救命具の防護フィールドは生きているか」
エアロックのなかで、なにを思っているだろう。「こんな防護フィールドでなにができる、この能無しめ!」とでも言っているだろうか。無線を切って。
無線を使って文句を言ってこないだけ、他のやつらよりだいぶ良心的な人だと思う。
応答がまだない。完全に無線を切ってしまったのだろうか。
すでに日が出ているこの状況、まのあたりにすれば、絶望してもおかしくない。
たまりかねて、ぼくから無線を送信した。
「『救命7号』、無線送信は可能か」
自分で無線を切っのたか、それとも送信機故障か。
応答してこない。
もういちど送信ボタンを押そうとしたとき、無線管理モニターの計器の指針が、わずかに振れた。
『GSL209、救命7号。ハロー、きこえています。防護フィールドに問題はありません』
声が聞こえた――応答してきた!
この絶望的状況の中で、落ち着いて、凛とした声。雑音が入りがちな無線交信にあって、理想的な聞きやすい発声だ。
声の雰囲気からして、いまは落ち着いているようだ。防護フィールドにも問題はないという。
なら、ただちに移乗作業だ。急がないと、ほんとうに身体ごと焼けてしまう。
「『救命7号』、こちらもきこえています。これより移乗手順を説明します、よろしいですか」
前甲板エアロック、準備よし。誘導灯点灯よし。
防護フィールドは、こちらのエアロックに入るまでもてばいい。大気がないから、空間そのものは熱くない。恒星の光から隠れてしまえば、熱は入らなくなる。エアロックに入ったら、それでゴールだ。
応答あり次第、移乗手順を――
『GSL209通信担当、わたしは航海士の85K-L1LYです。あなたの名前をおしえてください』
は……?
名前って……コールサインは知っているだろう、いまじぶんで言ったじゃないか。
頭が混乱しているのか。
いや、それにしては落ち着いて話していた。
むこうは、コールサインではなく自分のなまえを名乗ったが……
つまり、コールサインではなくて、ぼくのなまえを知りたい――と?
どうしてだ、必要ないだろう。
でも……無視するわけにも、いかないか。
送信ボタンを押す指が、いちど止まったが――
「えと、こちらはGSL209船長、7ST-7037です」
ちょっと戸惑った無線送信になった。
『7ST、たいせつにおぼえておきます。ありがとう』
妙なことをいう。口調もなんだかやさしげになった。
想像に反して、へんなやつだったのか。
……ちがう。
声色はすこし変化したが、それでも無線ではっきりと聞きとりやすい声をだしてくれている。
それに、このひとは電動エアロックをおそらく手動で突破した。とてつもない問題解決能力を持っている。おかしな人ではないだろう。
最後に、「ありがとう」と言ったか。もう、生き延びれないと思っているらしい。
だいぶ感傷的になっているのかもしれない。なんだろう、意外にロマンチストなのかな、このひとは。
時間がないのに――
それなら……言ってやろう。
「『救命7号』、おぼえなくてよい。移乗手順を説明するが、よろしいか」
彼女がせっかく教えてくれた名前ではなく、コールサインで呼びかける。あなたの名前はおぼえていないよ、と。
ここでいったん無線を切ったが、ふたたび送信ボタンを押した。
「名前は直接会ってからおぼえてくれ、いまから移乗手順を説明する」
応答はない。でも、さっき向こうの声がきこえたのだから、無線は生きている。
もう互いに話を聞き合うような時間はない。一方的に指示をきかせる。
「『救命7号』、本船は、貴船の船尾に衝突している。船首が当たっている」
すこしぶつけてしまった船首、いまはそれが唯一の生存ルートとしてつながっている。
「エアロックから出て、船尾衝突箇所へ走れ。そこから本船に飛び移れる」
簡単に言いはしたが、内容はとんでもない。死の熱線を放射する恒星のひかりを浴びながら、甲板を突っ走って船体の衝突部位を飛び越えろと――われながら、無茶苦茶なことを言っている。
「飛び移ったら、本船の前甲板エアロックへ向かえ。緑の誘導灯がついている」
伝えるべき内容は、これですべてだ。
あとは……すこしロマンチストかもしれない彼女に、前へ進むちからを送り届ける。
「『救命7号』、これまでの状況からみて、あなたは優秀な乗組員のはずだ」
ぼくのうしろで、まるで自分の家のようにふるまっている8人と同じ船に乗らされて、それでもここまで頑張ったひとだ。優秀にちがいないんだ。
見捨てられてひとりだけ残され、そして誰だかわからない男の無線指示に従って、さいごは電動エアロックを手動で突破し、ついにここまで来てくれたひとだ。
「本船の受け入れ準備はできている。あなたの、すぐれた行動力に期待する」
さあ――来い!
マイクに向かい、声を張る。
「『救命7号』、受け入れ準備はできている。こちらに来てくれ!」
そこから動き出せ。そうすればたぶん、あなたは止まらないはずだ。
うまくいくかどうか、もはやだれにもわからない。あとは運を天に任せるだけ……もしぼくが「超越者」だったなら、彼女の運命をねじ曲げてでもエアロックに飛び込ませるけど――
『――指示了解。今からいきます!』
ついに心を決めたらしい。無線の声にも力がある。
相手船の後部甲板、そのエアロックから、人影がひとつ飛び出した。本船のシステムがそれを自動認識し、モニターに矢印つきで「救命7号」の表示を出す。バイタルサイン――脈拍と呼吸がはやい。たぶん……いや、確実にこわいんだ。
エアロックから甲板に着地すると、彼女はまっすぐに走り出した。
迷いがない。こわくても、恐怖にすくんで止まることはない。あれはぼくには真似できない、まるで超人だ。
【LOW BAATTERY】
なんだ?
「救命7号」の状態表示、バッテリー残量が低下したとの警告だ。
おかしい、さすがに早すぎる。防護フィールドはいま全開にしたばかりのはず、まだレッドゾーンには……
あ、このクズ船長――!
救命具の定期点検をしてなかったな。放置されていたバッテリーが徐々に放電していて、もうだいぶ減ってたんだ。
せっかく助けられそうなのに……ここで死なせたら、あんた人殺しだぞ。
警告表示は、彼女のほうにも点灯しているはずだ。そしてそれは確実に精神に影響する。精神の乱れは身体のうごきの良し悪しに直結するから、これはまずい。
しかしまずいからといっても、この手の警告表示は切ることができない。彼女はおそろしい警告表示を見せられながら走ることになる。
ぼくは前甲板のようすをモニターごしに見ている。もしぼくの「作戦」が失敗したなら、彼女が熱にとけて消滅するありさまを、ここから見物することになる。断末魔のこえも、一瞬聞けるかもしれない。
われながらいい気なものだ。ひとに無茶苦茶な指示をだして、じぶんは安全な場所から座席に座ってそれをみている、か。
彼女はあくまで一直線に、衝突部へ向け走っていく。あとすこしで、飛び越し地点。もし足をすべらせたら、着地点を誤ったら……
上甲板から地面までは高さがある。もし失敗したら、彼女が墜死するところを、ぼくは見るわけだ。
恒星のひかりが、右舷方向からしだいに明るさを増してくる。
……正直、もう目をそむけたい。
でも、見ないのはもっといけない気がする。ぼくがやらせた「作戦」なんだ。そこから目をそむけちゃいけない。
「結末」がおとずれるまで、この目に焼き付けなければならない。彼女が死ぬさまを見たら、それをいつかぼく自身が死ぬときまで覚えておかなければならない。
飛び越し地点……彼女は、きれいに跳躍した。
本船のシステムが「不明な乗船者あり」と表示を出した。おそらく、甲板についた彼女の足を検知したのだ。あとすこし――
【EXCESSIVE HEAT INPUT】
あ――!
熱入力過大――「救命7号」の警告表示だ。防護フィールドが、もう熱で破れかかっている。
くそ、ここまできて……
それでも、彼女は突っ走ってくる。同じ警告がみえているはずだが、あくまで走ってくる。
この状況で、まだ足を止めない。
背中を押せ、無線送信――
「『救命7号』、緑の誘導灯だ。エアロックがある!」
防護フィールドの強度と、バッテリー残量。どちらかがゼロになったら、彼女は死んでしまう。エアロックに飛び込めば熱は大丈夫、しかし加圧が完了するまで防護フィールドがもたないと窒息する。バッテリーが切れたら防護フィールドが……
たのむ、間に合え――!
よし、エアロックまで来た!
前甲板エアロック、加圧用意。船外扉、閉鎖用意。
彼女がエアロックへ飛び込んだ。
ぼくはすぐタッチ式モニターを操作する。
「船外扉閉鎖――閉扉よし! ハンドル締めよし! 加圧目標1気圧、加圧はじめ!」
うまくいった――!
【WARNING】
- PROTECTION FIELD LIMIT REACHED -
真っ赤な警告表示が、計器盤に出ている。「救命7号」からのもの。
防護フィールドが、切れる――
「おい――!」
彼女を呼ぼうとして、ぼくはその名前をおぼえていないことに気づいた。




