第55話 『一日目夜②』
早く・・・・・・。
「ん。ユレス、あいつの言ってた路地裏ここだよ」
まだいないでくれ・・・・・・。
「うわ、ここ明かり入ってないから真っ暗だね。アタシ青氷水魔法だから役に立たないな・・・・・・ユレスは赤熱魔法?」
「いえ、私は・・・・・・緑風魔法、です」
嘘を、つく。
仮に『黒魔刻魔法』と言っても伝わるはずがないし、どんな魔法だ、と突っ込まれるのは非常に面倒だからだ。
今みたいに時間が惜しい状況では尚更な話だろう。
「そっか。じゃあこのまま進むしかないね。暗いし、手を繋いで行こっか。ほらユレス」
「え、ええ。よろしくお願いします」
差し出された彼女の左手をユレスは右手で掴み、リテネティスが暗闇の路地裏に入っていくのに続いてユレスも引っ張られる形で入っていく。本当に暗い。明かりに慣れた目のせいで余計暗く見える。
空いている左手で左側の壁を触りつつ進むと、ガランッ、と何かを蹴ってしまう。
恐らく酒瓶の類だろう。気を付けないと転んでしまいそうだ。
「ユレス、足元危ないからね」
「はい、気を付けます」
進む。一定の速度で歩き続ける。
リテネティスは右側を、ユレスは左側の壁に手を当てて進んでいるが、いまだに平面の壁しか感触が伝わらない。
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
会話も無く進み続けるユレスとリテネティス。摩耗するのは体力よりも精神だ。暗闇で先がまったく見えず、本当に自分達は進んでいるのだろうか? という疑念が脳裏によぎるせいで進む足を止まらせたくなってしまう。
だが、足は決して止まらない。止まりそうになるのをこらえて前へと踏み出していく。
止まっている間に何かが起きたら、目も当てられないからだ。
・・・・・・路地裏に入ってからどれ程進んだだろうか。もう結構進んだような気がするのだが。
と、そう不安に駆られた時だった。
「あっ」
ピタリと、彼女の足が止まると同時にその声が耳朶を打ってきた。
「どうしました?」
こればかりは止まらざるを得なく、自分の手を握ったままのリテネティスにそう訊く。ようやく目が暗闇に慣れたが、それでも見えるのは彼女の全体像のみ。ハッキリしているのは、彼女の手の温もりと声だけである。
そして、リテネティスは「うん、うんうん」と納得するように声を上げると、
「幻覚じゃないね・・・・・・ユレス。ようやく見つけたよ。きっとここだ」
「ホ、ホントですか!?」
つい食い気味に訊き返してしまう。思わず彼女の手を握っている右手に力を入れてしまうが、それでもリテネティスは痛がる様子を見せずに、
「うんっ。行こ! ユレス!!」
「はい!」
やっと着ける、とユレスはリテネティスの手を握り直しつつ、手を引かれながら改めて進んで行く。
しかも気のせいか、否、気のせいではない。奥の方にゆらゆらと揺れる明かり・・・・・・恐らく火が灯っている松明が見えるのだ。
「あの奥でやってんだね。多分あの女は来てないでしょ。あいつ見て来たばっかだっただろうし」
「ええ。私もそう思います。早く行きましょうリテネティスさん」
そう時間も経ってないはずだ。もしリフルが来ていたら、先程の酒瓶を持った男があんな悠長に話すはずがない。
きっとまだ、奴隷の売買は行われている。
——やがて。
「着いた・・・・・・ぁ?」
「ようやくです、ね・・・・・・」
見えたのは。
見えたのは・・・・・・。
「「————」」
血が様々な所に飛び散り、こちら側に背中を見せて死屍累々の中心に立つ————橙色の細長い尻尾をぐねぐねと動かす、人型の、何か。
否、何かではない。尻尾が生えている人間などいやしないだろう。間違いなくあれは・・・・・・『怪魔』!
「う、ぶ・・・・・・! おぇええッ!!!」
と、視線をリテネティスに戻すと彼女は、ユレスの手を離してしゃがみこみ、ユレスの目も気にせずに吐瀉物をその場でまき散らし始めた。どうやらリテネティスはあの『怪魔』よりも、周囲の惨状の方が脳裏を占めたようだ。
確かに酷い。鼻に無理やり入ってくる濃い血の匂いにズタズタの死体の状態。それぞれの死体に目線をやると、手前の方の五人はそれぞれバラバラの普通の服装からプゼムの住人。奥の方では同じ露出が激しい服装をしている男一人に女性二人、共通しているのは服装だけではなく、首と両手に付けられた鉄枷状の物から判断するにあの三人がファヲから来た奴隷だろう。
そして、『怪魔』の足元にうつ伏せで倒れている、最も状態が酷い男。
まさに皆殺しという言葉を体現している光景。この光景を見て今も涙を流しながら吐き続けるリテネティスの反応は至極正しい反応だ。
だから、おかしいのは——眉間に皺を寄せているだけで済んでいる自分で間違いない。
「・・・・・・・・・・」
さらに、おかしい事がもう一つ。
この原因を作ったであろう『怪魔』が目の先にいるのに、自分は何もせずに棒立ちのままである事。
——理由は明白だ。何せ松明が二本もあるのだ。当然尻尾以外にも、彼女の姿はハッキリと照らされているのだから。
何か、とか『怪魔』で現実から目を背けたが、認めねばならない。逃げてはならない。
そこにいる『怪魔』が誰なのかを、しっかりと見なくては。
「・・・・・・なぁ」
声を掛けると、振り向いてくる彼女。
血を浴びているその姿は、もう誰も彼女を人間とは思えないだろう。橙色の尻尾が一番人間離れさせてしまっている。
「私達は遅かったのか・・・・・・?」
「・・・・・・さあ。ただ、あなたがそう思うならそうなんでしょうなー」
間に合わなかったのか。
自分は、止められなかったのか。
最悪の展開が、やってきてしまった。
否、最悪以上だろう。
・・・・・・訊きたい事はたくさんあるが、それでも一番訊きたいのは——やはりこれだ。
「どうして・・・・・・そんな尻尾が生えてんだよ・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「なぁ・・・・・・リフル!!!」
「・・・・・・・・・・」
ゆらゆらと揺れる松明の火が、彼女——リフルの血に濡れた姿を引き立てるように淡く、淡く照らしている・・・・・・。
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「——いやぁ、知らねぇな。逆に俺が知りたいぜ。一回行ってみたいんだよなァ」
「そうですか。ではお時間取らせていただきありがとうございました。わうはこれで失礼致しますなー」
「おいちょっと待てよ。せっかく出来た縁なんだ。俺と今から雰囲気ある場所で酒飲まねぇか? そこの酒うめぇ~んだぜぇ?」
「お酒は飲まないので。ではさようならですなー」
「あっ、おい! んだよつれねぇな・・・・・・」
もはやこの男に用はない。無視して次だ。
——一人で散歩と言って宿屋を出たリフルだが、当然散歩が目的ではない。無論このプゼムで奴隷市場を開いているクソッタレの奴隷商を探すためである。
ただの奴隷ならばそういう事もあると放置する所だが、売られている奴隷が故郷のファヲの人達だと知ってしまったならば、動かざるを得ない。
助けてあげなくては。
「とは言え、いまだ目ぼしい情報が手に入らないのが辛い所ですなー」
先程の男で六人目なのだが、どいつもこいつも知らない、だ。男に至ってはしつこく自分をどこかに誘おうとしてくるという面倒臭さ。
相変わらずロクでもない街で結構な事だ。
ため息をつきつつ、次は誰から話を聞こうかと歩いている・・・・・・時だった。
「ちょ~~~っといいですかぁ。今困ってる事があってぇ」
「そうそう。ホント困ってんのぉ~」
「・・・・・・・・・・」
自分の前に立ち塞がってきた派手めな女性一人と、後ろにも女性一人。
こいつらの目的は分かり切っているが、あえてリフルは訊いてみた。
「困ってるとは、どのようにですかなー」
「うん。ぶっちゃけお金が欲しくてねぇ。今どうしても買いたいものがあんだけど足りなくてさァ」
「だから優しい人に恵んでもらってんの。ね? あなた優しい心持ってるでしょ? その優しさをあたし達に分けて欲しいんだ~」
背中に、チクリとした痛み。
言わずもがな、後ろの女性が刃物の切っ先をリフルの背中に当てているのだ。
「ふぅ・・・・・・」
・・・・・・優しい心。
人間としての、心。
「・・・・・・訊きたいんですが、その欲しいものはなんですかなー?」
「男よ、男。今ねぇ、めっちゃいい男が売られてんのよ。あれだけは手に入れたいからさ。ほら、早く持ってる金ちょーだい。早く! 早く!」
「————」
それは。
つまり・・・・・・。
「何固まってるの? 背中に当たってる光モン分かるでしょ。早く出さないと刺さっちゃうよ? いいの? すごく痛いよ~」
「・・・・・・あなた達が欲しいものは、奴隷ですか」
「へぇ、あんたも噂知ってんだ? なら話が早いね。分かったならいい加減さっさと出せよっ。イライラさせんじゃないよこのノロマがッ!」
「痛い目見ないと分からないかな~」
俯くリフルの頬を叩こうと、右手を振りかぶる前の女。
——どうやら。
「ッ!?」
やっと、クソッタレ野郎の居場所を特定出来そうだ。
「こ、の・・・・・・!」
平手打ちをしようとした右手首をリフルに容易く左手で掴まれたからか、若干狼狽えたような顔を見せている前の女性は次に左手ではたこうとしてくる。
完全に素人の動きだ。脅す事には慣れているようだが、暴力には慣れていないようだ。
迫り来る左手も造作も無く左手首を掴んで止め、同時に右足で後ろの女性の右足首を圧し潰すように蹴る。無論手加減して、だ。
「いだぁッ!!?」
背中から刃先の感触が消える。やはりそうだ。こいつらは完全にド素人。もし本当に戦う覚悟があるならば、蹴られた瞬間に刺すのが基本だ。きっと後ろの女性の頭の中は痛みに耐える事しかないだろう。それ以前にこいつは刺す勇気がない。こいつの武器はまさに飾り物だ。
「こいつッ! 離せよクソアマァ!!!」
「なんでここの住人はこうも口が悪いのですかなー」
両手に、徐々に力を入れていく。
すると、
「ちょっ、いたっ、痛いってば。いたッ。痛たたたたたたたた痛い! 痛い!! は、離して痛い!!! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!」
怒りから苦痛へと顔が変化する前の女性。なんと脆い事か。まだ全然力を入れていないというのに。女だから仕方ないかもしれないが、まだあの頭目の方が硬かった。
本当に、脆い・・・・・・。
「いだいッ!! いだいぃぃぃぃぃぃぃ!! お願い離してェ!!! 折れちゃうッ!? 折れちゃうからぁ!!! あたしらが悪かったから離して!!!」
「やれやれですなー」
涙を流しながら懇願するその姿は実に哀れ。あまりに哀れすぎてこれ以上は萎える、とリフルはパッ、と手を離してやる。
萎える理由の他にも、仮にここから何をしようがいくらでも対処出来る余裕もあるからだ。
「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・あ、あんた何なの!?」
「ただのわうわう女子ですなー」
「わ、わうわう・・・・・・?」
「足痛いよぉ~・・・・・・」
チラリと後ろに視線を送ると、リフルの背中に突き立てていたであろう武器、短剣を足元に転がせて後ろの女性はいまだにうずくまっている。それ程強く蹴ってはいないのだが、本当に脆い奴らである。
後ろの奴はダメだ。訊くなら前の女性に訊こう。
「これ以上痛い目を見たくなければ、わうの問いに素直に答えてくださいなー」
「わ、分かったよ。何が訊きたいの・・・・・・?」
「わうが訊きたいのは一つだけです。とっても簡単な問いですなー。・・・・・・今日開かれている奴隷市場は、どこにあるのですか?」
知らないとは言わせない。何せ良い男が売られている、と現在進行形で言ったのだ。当然今日の奴隷市場に行っているはず。
そして、そのリフルの問いに前の女性は自分の手首をさすりつつ、
「ここの近くだよ・・・・・・この先少し行った所の路地裏に入って進んで行くと右側に入れる道があるから、その奥で今、奴隷市場が開かれてる」
「なるほどですなー。もし嘘だったら・・・・・・」
「嘘じゃないよっ。もうあんたとは関わりたくないしっ・・・・・・もういいでしょ? あたしら行くね?」
「はいはい。どうぞお好きにですなー」
「ほら行くよっ」
「痛いぃ~・・・・・・」
リフルの横を急いで横切った前の女性は、うずくまる女性に肩を貸しながら早足で去っていく。
よほど、リフルから離れたいのだろう。
「・・・・・・関わりたくない、ですか」
まぁ、別にどうでもいいぅけう、と思案しつつリフルは彼女が教えてくれた方向へと進み、
「路地裏・・・・・・ここですなー」
ここは明かりが入らないのか、先がまったく見えない暗闇だ。
左手を前に出し、人差し指だけを立てる形にしてリフルは赤熱魔法を発現させる。直後、ボッ、と人差し指の先に小さな火が灯り、路地裏へと入っていくリフル。
こんな火でも、無いよりはマシだろう。
右側の壁に右手を当てながら真っすぐ進んでいく。あの女性の話が本当ならば、いずれは壁の感触が消えるはずだ。
静かな路地裏。聞こえるのは、自分の足音だけ。
・・・・・・否。
「——ぅぃ~ひっく。あぁ、あの女もあれも良かったなァ畜生。金があればなぁ」
先から、酔ったような男の声が聞こえてきた。
男の声だけではない。何か・・・・・・盛り上がっている雑然とした何人もの声も耳朶を打ってきたのだ。
足を速めていく。
すると、
「んぁ? 何だおめぇ?」
酒瓶を持ったガラの悪い男と出くわした。一本道なのだから出会うのは必然とも言える。
確信を深めるため、リフルは真っ先にこう口を開いた。
「この先に、奴隷市場が開かれているんですかなー?」
「あ? んだよ、おめぇもその口か。ああ、そうだよ。そこの右側に曲がれる所あっから、その奥だよ。つってもまァ、俺もふらふらとしてたら偶然見つけたんだけどよォ・・・・・・」
「それは良かったですなー。ではわうはこれで」
「冷てェっ。くっそー、こうなったらヤケ酒だぜ! んぐんぐ!!」
酒を飲みながら帰っていく男にもう興味はない。
そうして振り向く事なく進むと確かに見つけた。右側に入れる道。ここで間違いない。どうやらあの女性はしっかりと本当の事を言ったようだ。
曲がり、右側に入ると奥の方で松明の明かりが見えた。もう自分の赤熱魔法は必要ない、とリフルは指先の火を消し、明かりに惹かれるように進んで行く。
「人間が人間を売るぅとは、まぅったく・・・・・・。・・・・・・?」
チリチリとした頭痛を苛々と感じながら進んでいる時だった。
何か、尻の方に違和感が・・・・・・。
「特にお尻は打ってないぅけう・・・・・・変ぅね・・・・・・」
気にはなるが、今重要視すべきは——奴隷の方だ。
止めていた足を再び動かしていく。目的の場所はすぐそこなのだ。早く行かなくては。
同郷の人達が、待っている。




