第51話 『その意思は人間か、怪魔か』
手に伝わってくる、骨の砕ける感触。
そして、肉を貫く指先の温かさ。
あぁ、なんて————、
「ぃ、ぎ・・・・・・!!?!??」
「・・・・・・凄いですなーお前。両手首を握りつぶしたのに声を上げないとは。殿方の鏡ですなー」
パッ、とダッグトンの両手首から両手を離すリフル。そのまま地面に落下した彼の両手はピクピクと動くだけでそれ以外何も反応しない。否、出来ないのだ。
リフルの両手の親指以外が新しい血で濡れている。無論自分の血ではない。全力で力を入れた結果、この男の手首の皮膚を突き破って中の肉に入ってしまっただけだ。
「これでお前は、もう緑風魔法を使えませんなー。下手したら二度と使えないかもです」
「ふーッ! ふーッ!」
「別に我慢しなくてもいいのでは? 殿方と言えどさすがにこれはもの凄く痛いでしょうからなー。どうぞ絶叫を。わうは構いませんよ」
「ふー・・・・・・ッ、ふー・・・・・・ッ」
「耐えますなーお前・・・・・・」
ゴッ!
「ぶはッ!?」
「あれ・・・・・・?」
今、とても不思議な事が起きた。
気付いた時には、拳にした右手でダッグトンの左頬を殴っていたのだ。
「???」
右拳を自分の顔の前まで持ってきて、観察する。
開いて。
握って。
開いて。
握って。
「(うんぅ。確かにわうの意思で動いているぅね)」
「は、は・・・・・・は・・・・・・」
「? 何で笑ってるんですか?」
「お前が・・・・・・おかしいからに決まってるからだよ・・・・・・! 楽しそうに俺を殴っておいて、殴った後は不思議そうに首を傾けてよォ! 何が自分の体と心と意思はわうのものだ、だよ。お前、全然自分の意思を統合出来てねーぞッ!!!」
ドゴッ!!
「ぶっ・・・・・・」
「あ・・・・・・」
まただ。
今度は、いつの間にか拳にした左手でこの男の右頬を殴っていた。
「クク・・・・・・ほら、だから言ったろ?」
唇を切ったのか、血を口の端から垂らしながらダッグトンは口を開く。
嗤いながら、こう言ってきたのだ。
「お前は、心底暴力が好きで好きで仕方ねぇんだよ。認めろや。自分のどうしようもねェ暴力性をよォ。あぁそうだ。なんか似てるな、と思ったけどやっぱりそうだわ・・・・・・その爪といい、お前・・・・・・」
言うな。
「お前」
聞きたくない。
認めたくない。
言うな。言うな。言うな。
言うな——!
「まるで、『怪魔』みてぇだな?」
「—————————————————————————」
プツン、と。
自分の中で何かが切れる音を、リフルは確かに聞いた。
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「・・・・・・凄まじいな」
あっという間に襲ってきた賊四人を倒して、さらには頭目であろう男まで地に着けたリフルを見て、ユレスは感嘆の息を吐くのと同時に呟く。
そして同時に理解する。もしあの時リフルと戦闘になっていたら、間違いなく自分とハルマレアは殺されていたか、半殺しにされていた事を。
「いや、本当に強いなリフルは。さすがは戦闘屋、」
顔を後ろに向けつつ、彼女の姉にそう言うユレスだが——口が止まってしまう。
なぜか、それはてっきり笑顔だと思っていたユルフの顔が。
まずい事態に直面したかのように、強張っていたからだ。
「・・・・・・どうした? ユルフ」
「?」
不穏な気配を感じたのか、ハルマレアも外の景色からユルフへと顔を向ける。
そして二人に見つめられる中、ユルフは二人に聞かせるわけではなく、独り言を呟くようにこう言ったのだ。
「リフルちゃんが・・・・・・リフルちゃんッ!!」
直後。
バンッ! と彼女らしくなくユレスとハルマレアを押しのけたユルフは力任せに扉を開け、リフルがいる所まで駆け始めた。
「おいユルフ!?」
「何なのだ・・・・・・?」
あのユルフの様子は一体何だ?
まさかリフルが負けそうだとかだろうか。否、それは違うだろう。誰が見たってリフルが圧勝している。
今だって・・・・・・。
「・・・・・・ん!?」
気付けばリフルは右腕を振り上げて男を殴り、さらに左腕を振り上げて殴り・・・・・・。
殴って、殴って、殴って。
殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って!
とにかく、殴りまくっているのだ・・・・・・!!
「あ、あれはやりすぎじゃないか? いくらなんでも・・・・・・」
「ふむ。ユレスよ、あてらも行くぞ。何やら只事では無さそうだ」
「そう、だな。ああ! 早く行こう!」
そうだ。何を呆けているのだ自分は。
ここは一も二も無く彼女の元に行くべきだろう!
そう決めたユレスは早速開かれたままの扉をくぐり、荷車から外へと移動して走り始めていく。その彼の後ろをハルマレアが追随してくる。すでにユルフはリフルを囲んでいる走巨蜥蜴六匹の円陣を抜けて妹の傍に着いていた。
その様子は、妹に必死に何かを叫んでいるようだ。だが当のリフルはあんな近くでも届いていないのか、姉を無視し続けたまま仰向けになっている男をひたすらに殴っているままだ。
「リフル・・・・・・どうしたんだよ本当に・・・・・・!」
そんなリフルに若干恐怖を覚えてしまったのは、無理もない話だろう。
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タノシイ。
「ぶぁ!?」
タノシイ。
「ぉぐッ!!」
タノシイ!!!
「うぶ・・・・・・!」
殴る度に飛び散る血。その血は顔、体、両拳を分け隔てなく赤色に染めていく。
昔から思っていたのだ。誰にも打ち明けた事がない。最愛の姉にさえも言った事がないのだけれど。
ああ、本当に・・・・・・、
「(血のこの真っ赤な色、すごく、すごく綺麗で素敵な色だぅ・・・・・・!!!)」
大好きな色だ。正直見てるだけで心が安らぐ。
もっとだ。
もっと。
もっと。もっと。もっと。
モットミタイ————!!!!!
「ひはッ! ヒハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!!!!!!!!」
狂笑がどこかから響く。この男が笑っているのだろうか。殴られて笑うなんておかしな男だ。色々な意味で反吐が出そう。しかしもの凄く楽しそうに笑うものだ。聞いてるだけで釣られてこちらまで笑ってしまいそうである。
——否、違う。よく見れば違うではないか。
笑顔を終始浮かべていた男は今や、白目を剥いて意識が無くなっているのだ。
では、誰が笑い声を上げたのだろうか?
あの腰を抜かしている賊の一人か? 違う。あの男は恐怖以外の感情を捨てている。決してあの男ではない。
と、すればもう——一人しかいない。
「わう・・・・・・?」
そう。
消去方でもう、自分しかいないのだ。
血に染まった右手で自分の口の端に触れるリフル。ああ、分かってしまう。触るだけで分かってしまった。
自分の口の端が大きく吊り上がり、愉快さで歪んでいる事を。
「ヒ、ハ。ヒハ! ヒハハハハハハハヒハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハーーーーーーーーハハハハハハハハハ!!!!!!!!!!」
自分は、こんな嗤いを上げる女だったのか。
ふと思い出す。そういえば、こんな嗤いを前にも聞いた事があった。
あれは確か・・・・・・『怪魔』の頭をこの爪で削ぎ、脳みそをえぐり出した時だ。それで感心したのだ。『怪魔』の脳みその色は青色なのか、と。その時にこの嗤い声を聞いたのだ。
今、理解した。
自分が嗤っていたのだ。そうだ、もう認めるしかない。だって楽しかった。凄く楽しかった。
今だって————めちゃくちゃに楽しい!!!!!!
「ほら起きろぅ! 反応が無いんじゃつまらないぅよ!! 同士だって言うなら分かるぅよねェ!? さっさと起きろぅ!!!!!」
ドガッ! ゴッ! ガッ! ゴシャッ!! ドゴッ!!
顔の中心、両頬、とにかく顔だ。持論だが、人体で一番殴って楽しい箇所は間違いなく顔である。顔、最高。
「ほら! ほらほらほらほらほらほらほらほら!!!!!」
あぁ、こいつ死ぬかも。姉に殺すなとは言われたが、止められない。止まりたくない。もう少しで高みに達せそうなのだ。
だからもう少し殴らせて欲しい。もう少しだけ。もう少しだけ!
「はぁ! はぁ! もう少し! もう少し!」
「————」
ん? とリフルは殴りながら心中で首を傾げる。
今、何か聞こえたような・・・・・・。
「(気のせいぅ。そんな事より今は・・・・・・!)」
殴る!
「——ん」
殴る! 殴る!
「——ルちゃんっ」
殴る! 殴る! 殴る!
「——ちゃん!」
殴る! 殴る! 殴る! 殴る! 殴る! 殴る! 殴る!!!
「リフルちゃんッ!!!」
「もう少しだけェ!!!!!!!!」
右腕を空高く振り上げる。全力で一撃を叩きこんでやるためだ。
「(これで終わりだぅ!!!!!)」
間違いなくこの一撃で男は死ぬだろう。殴った衝撃で目玉が飛び出すかも・・・・・・♪
「♪♪♪!!!!!」
もはや自分でもよく分からない奇声を上げながら右拳を振りかぶっていく。
——その時だった。
「ッ?」
ガッ! と右腕を抑えられる感触。止められた、と同時に思うのはまさかこの男の仲間が止めに来たのかという驚愕だ。
急いで振り返る。いくらなんでも夢中になりすぎた。ここまで接近されて気付かなかったとは・・・・・・!
「————」
目を見張る。
そこにいたのは、賊の一人ではなく——、
「もういいだろリフル・・・・・・そこまでにしとくんだ」
「・・・・・・ユレスちゃん」
否、ユレスだけではない。
彼の後ろには尊大に腕を組んでいる生意気なハルマレアに、そして。
「リフルちゃん、わうの声・・・・・・聞こえますか?」
「・・・・・・はいユルフちゃん。ちゃんと聞こえます・・・・・・」
最愛の姉が、潤んでいる目で傍にいたのだ。
やってしまった、と高まっていた気分が一気に下がっていくのをリフルは後悔と共に痛感しながら跨っていた男の腹から立ち上がっていく。
気のせいでは無かった、と自分に腹が立つ。
姉は呼びかけてくれていたのだ。自分を止めるために。
「・・・・・・・・・・」
真下に顔を向ける。男の顔は率直に言えば——悲惨だ。自分は、こんな変形させてしまう程殴っていたのか。
「・・・・・・止めてくれてありがとうございますユレスちゃん。そしてごめんなさいユルフちゃん。約束を破るところでした・・・・・・」
「——こっちにおいで。リフルちゃん」
ユレスに右手を離してもらい、手招きする姉の元へと素直に近づいたリフルはぺたんと膝を崩してユルフの前に座る。
そしてそっと、ユルフはリフルの右耳、右腕を触りつつ、
「腕の方は結構傷が大きいですね・・・・・・痛みはありますか?」
「いえ、もう血も止まってますし平気ですなー。ユルフちゃんも知っているでしょう? わうの傷の治りが早いって事」
「ええ。ですが、見てる側からは痛々しいものです・・・・・・」
確かにもう血は流れていないな、とユレスも横目で血が固まり、赤黒く染まっている彼女の右腕に視線を送る。しかしこんな短時間で血が止まるものなのか。
そう思案して、ある事を思い出す。
それはシュノレース王国でハルマレアがミーゼに聖光魔法を受けた時だ。本来なら癒すはずだった聖光魔法は『怪魔』のハルマレアには逆効果であり、顔が軽くだが爛れてしまったのだ。
普通なら一生治りそうもない傷だったが、後に再会したハルマレアは自然治癒で完治し、元通りになっていた。どうやら『怪魔』は治癒力が高いらしいのだが・・・・・・。
「(リフルは『境魔線人』。半分は『怪魔』だ。リフルのこの治癒力の高さは『怪魔』の血が為せる力というワケか。しかし尋常ではない怪力といい・・・・・・本人には口が裂けても言えんが、人間よりも『怪魔』としての部分の方が強いのかもしれないな)」
逆にユルフは、人間としての部分の方が強いのだと思う。リフルのような怪力ではなく、人並みの力である事がそれを裏付けている。
同じ母体でも、やはり違う所は出るものか。
「ユレスさん行きましょう。もう戦いは終わりました。プゼムでリフルちゃんを治療しなくては」
そう声を掛けてきたユルフを見ると、いつの間にかリフルは姉に抱き着き、血で汚れた顔をユルフの豊満な胸にうずめていたのだ。その顔はまさに幸福絶頂。無表情が基本の彼女とは思えない程感情豊かだ。
「わうわう・・・・・・わうぅ・・・・・・」
もはや言語すら忘れる程か。
「ああ、そうだな。業者の人も待たせてるし、さっさと荷車に戻ろう」
「ふむ、一ついいか? あと一人意識がある者がいるが、あやつはどうするのだ?」
ハルマレアの言葉に視線を飛ばすと、いまだ腰を抜かしている男——メオグが恐怖に引き攣った目でこちらを見ている。より具体的に言うならその視線は明らかにリフルに注いでいるのだ。それも当然の話と言えば当然だが。
周囲を見回し、倒れている賊五人を見て、このまま彼を無視して行くのもどうかと思案したユレスは、
「私達はもう行きます! これ以上はもうあなた方に危害は与えません。ですからあなたはこの人達を連れてどこか休める所にでも行ってください! では失礼します!」
「・・・・・・・・・・」
そのユレスの言葉を聞いた彼は、不思議な物でも眺めるようにユレスを見つめた後、ゆるりと頷く。
そして、
「それじゃあ戻ろう。彼がこの人達をなんとかしてくれるから」
「ユレスちゃんはお優しいですなー。襲撃してきたこのクソどもに気を遣うなんて驚きです」
「人情だよ。ほら、ユルフから離れて立ち上がってくれ」
「仕方ないですなー」
名残惜しそうに姉から離れたリフルは立ち上がりつつ、ユレスの後をついてくる。そんな妹に微笑みながらユルフも続いていき、
「プゼムに着いたら一泊しましょう。その次の日でファヲに向かい、一度野営して夜を明かしてからファヲ到着です」
「なるほど。それならプゼムでも食い溜めしておいた方がよさそうだな」
「もう腹が減ったのかレア・・・・・・」
ハルマレアの食い意地に呆れながら、ユレスは彼女達を連れて荷車へと戻っていく。
プゼムに着いたらまずは、一番安心出来る宿屋を探さなくては。
⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨
「・・・・・・行ったか」
ホッと、心底から安堵の息を吐き出したメオグはよろよろと立ち上がり、頭目であるダッグトンの元へと歩き、
「ぅ・・・・・・ひでぇ・・・・・・ここまでやるかふつー・・・・・・」
ダッグトンの状態、特に顔を見てメオグは唇を噛む。鼻は曲がり、青あざだらけ。血に濡れていない部分の方が少ないという悲惨さ。さらには両手首がありえない方向に曲がっている気持ち悪さだ。
この先、もうダッグトンはまともに生きていく事は出来ないかもしれない。
そんな少女の残虐性をダッグトンから感じている時だった。
サクッ、と後ろから何かが地面に刺さる音が耳朶を打った直後、
「——それ、ボクちゃんが治してあげようか?」
突然、意識がある人間がいないはずの後ろでそんな声が聞こえたのだ。
「!?」
「おっと、まだ振り向かないでね。ボクちゃんの話が終わってから改めて顔を向き合おう。もし振り向いたら、このまま殺すよ~」
同時に首に冷たい感触。首の右側から伸びてきたのは——刀身が汚れを許さないと訴える程の真っ白な色だ。
当然こんな状態では、振り向きたくても振り向けない。
青ざめた顔で黙ったメオグに声質からして男は「いい子でちゅね~」とふざけた言い方をした後、
「さっきも言ったけど、それ、治してあげようか? ボクちゃんなら治せるよ? た・だ・し、治してあげる代わりに聞いて欲しいお願いがあるんだけどもぉ」
「お、お願い・・・・・・?」
「うん。そのまま耳を貸して。お願いってのはね————」
ボソボソと、周りに人などいないも同然の場所で男はそれでも普通に口を開きたくないのか、小声でメオグに何事かを呟いていく。
・・・・・・やがて言いたい事を言い終わった男が離れ、全部聞き終えたメオグの表情は。
ポカンと、理解したくても出来ないような表情を浮かべていた。
「深く考えなくていいよ。君達はただ、実行してくれればいい。実行した後は適当に帰っていいから」
「・・・・・・本当にそれで、頭領を治してくれるのか」
「勿論。言っとくけど、そんな壊れてたらもう聖光魔法でも治らないよ。断言するね。ボクちゃんしか、この彼を治せない」
「・・・・・・・・・・」
どういう思惑かは知らないが・・・・・・。
確かにこいつの言う通り、こんな状態ではいかに聖光魔法だろうと限度があるだろう。
こいつの話に、乗るしかない。
そうして、重々しく頷いたメオグに男は、
「交渉成立だね。守らなかったら君達、全員不幸な目に合わすから気をつけて。それじゃ・・・・・・」
スッと首から離れていく冷たい感触。
同時に、唱えるような声が一つ。
「〝輪廻棺〟」
振り返ると、男の全身を隠すように——真っ白な棺が鎮座していた。
先程から理解が追い付かないメオグに、男は棺で身を隠したまま——。
こうワケの分からない事を、言ったのだ。
「さて、まだそこの彼は生きてるよね? じゃあ・・・・・・一度殺すから、よろしくね?」




