第50話 『騒血殺合【後】』
——認めたくない。
鉤爪状にした右手を目の前の男に振るいながら、リフルはこの男、ダッグトンが自分に言った言葉を脳裏で反芻する。
感情はあまり顔に出ない方だ。しかし、楽しい時は笑顔にはなるし、ムカつく時は怒った顔にもなる。
戦闘——他者を傷つける行為に対して思う事は悲しみもないが、楽しく思う事はない。ないのだ。ただ戦う必要があるから戦う。それだけだ。
「(ッ・・・・・・)」
そう。
ハルマレアとユレスに襲いかかった時やこの賊の一人から鼻を引きちぎった事や他の賊三人をぶちのめした事や前にプゼムの夜の路地裏で三人の男に絡まれ、最終的には三十八人との乱闘で暴れた事や戦闘屋の仕事で様々な人間と戦った事や仕事の標的や私的に出会った『怪魔』を色々な方法で殺した事など決して。
ケッシテ、タノシクナンカナカッタ。
「(今ぅだって楽しくなんかないう!!)」
早く終わらせてファヲに行くのだ。
/——ドコヒキサクベキカ。
自分達には、こんな賊どもとじゃれ合っている暇などない。
/——チガミタイ。
だから、とっとと倒れろ・・・・・・!!
/——カンタン二タオレルナ。
「——いいねェ。爛々と目が輝いてるぜ? 楽しくて仕方ないって風にな」
ぶんッ! と思い切り振るった右手が空ぶる。顔を後ろに反らせたダッグトンはしっかりとリフルの右手が見えていたようだ。
ミシ・・・・・・とリフルは鉤爪状にした右手を今度は思い切り握り——拳にする。
ここからが、本番だ。
「ふっ!!!」
さらにダッグトンの方に一歩踏み込み、振るったのを巻き戻すように拳にした右手で裏拳を繰り出す。迫るリフルの裏拳をダッグトンは右手を上げて右手首で受け止めつつ、人差し指と中指だけを立てた左手をリフルの顔に突き出してきた。
無論回避するのは造作も無い。顔を左側に傾けたリフルの右側をダッグトンの二本指が過ぎ去っていく。
しかし少し余裕を持ったせいか、ちっ、と微かに彼の中指が右耳に触れてしまう。
直後、
「ッ!」
ぶしゅッ! とリフルの右耳の外側から血飛沫が飛び散ったのだ。
微弱な痛みが伝わる中、リフルは確信——この男が使う魔法を理解する。
それは勿論、
「(緑風魔法ぅか。切れ味はまぁまぁうね)」
しかし驚愕で厄介なのは無音だ。緑風魔法は風を思い通りに生み出し扱える魔法。人工的とはいえ風なのだから吹く音は出るはずだが、今ダッグトンが使った緑風魔法はまったくの無音。耳が切られて初めて、切られたという事実を認識出来たのだ。
面倒な相手だ、とリフルはダッグトンの右手首に重ねたままの右手を開き、そのまま手を返しつつ右手首を掴む。
そして、
「お!?」
土から草を引き抜くように容易くダッグトンの体を空中に持ち上げる。ここからする事はただ一つ。先程の男のように地面に叩きつけてやる。
後ろに振り返りつつ、死なないだろう程度の力でダッグトンを持った右手を地面に振りかぶっていく。とはいえ、死ぬほどの痛みを味わう事になるだろうが。
ぶんッ! と勢いよく地面に向かっていくダッグトン。仲間が同じ事されて自分がどうなるのか想像出来るだろう。
——そう。
想像出来るからこそ、動揺せずに魔法が使えるのだ。
投げられながらもダッグトンは、右手の薬指で物を弾くようにリフルの手首の下部分に触れつつ擦る。
直後だった。
ズバァ!! と、リフルの右前腕、ちょうど肘まで一気に縦一線に切れたのだ。
「!!?!?」
無音なのはもう理解出来ている。
その代わりに威力は大したものではない、と耳を切った切れ味から想像していたのに、少し指を擦っただけでここまでの威力が・・・・・・!?
顔を大きくしかめるリフルの右手が緩み、叩きつけようとしたダッグトンの右手首を離してしまう。空中で突然離された彼は慌てる事なく上手く両足を地につけて無傷で着地。
からの、左足を伸ばしての横蹴りをリフルの腹に放ってきた。
「いづ・・・・・・!!」
急激に走ってきた痛みに耐えつつすかさずに出してしまった右腕で防御して、さらに切られた部分を刺激されて後ろにたたらを踏みつつもなんとか尻餅をつく事なく済んだリフルだが、その表情はもはや無表情でも笑顔でもなく・・・・・・だらりと右腕を力無く下げている彼女は誰が見ても苦し気な顔だ。
ぱさ・・・・・・と彼女の足元に何かが落ちる。
手袋だ。ぱっくりと前腕を覆う部分が左右に広がったリフルの黒く長い手袋が落ち、切られた傷から血が流れ出て右手の五指から地面に垂れ落ちていき——ポタポタと右腕に着けていた長い手袋を赤く染めていく。
「おお、かなり痛そうだなァ。見ててグッとくる光景だぜ」
「・・・・・・お前、わうの耳を切った時わざと威力落としましたなー?」
「そりゃあな。いきなり全力を見せる馬鹿じゃないんでな」
「(——こいつの緑風魔法は完全に『切る』方に特化してるぅな)」
ユレスなどの例外を除く生物なら誰もがそれぞれどれかを持つ四大魔法である赤熱魔法、青氷水魔法、緑風魔法、聖光魔法。
一見誰もが似た様に魔法を行使するように見えるが、それでも使い方はそれぞれ個性が出ているのだ。
例えば緑風魔法だとしたら使い方的には、『切る』、『浮かす』、『吹き荒れさせる』などがある。
『浮かす』、『吹き荒れさせる』は出来ても『切る』のは出来ないというのもあるし、『切る』は出来るが『浮かす』、『吹き荒れさせる』が出来ないというのも決して珍しい事ではない。それで言うならその三つを十全に行使出来るラゥルは緑風魔法の使い手として相当高みにいる部類だろう。
しかし、その三つを行使出来ても一つの事に特化した魔法に負ける事もあるのが現実だ。
そう、リフルの想像通り、ダッグトンは前述にも述べた『浮かす』、『吹き荒れさせる』は出来ないが、『切る』事に関しては相当極められている緑風魔法なのだ。
僅かな指の動きだけであれ程の切れ味を出す事は、ダッグトンにとっては造作も無い。
「よぉ、まだやれるかい?」
「当然ですなー。この程度で降参する程ぬるい戦いはしてこなかったので」
「そりゃ良かった。降参なんて言ったら俄然イジメたくなっちまうからよ俺は」
「ふん・・・・・・」
右手をゆるゆると持ち上げ、力強く握っていく。
大丈夫だ。まだ、使える。
右手で左手、黒い手袋に覆われている指先を掴み、外して地面に落とす。左手の五指を軽く曲げたり伸ばしてパキパキと骨を鳴らしつつ姿勢を低くして——最大加速を出せるように構えを取るリフル。
さすが頭を張ってるだけあって、この男はそれなりに強いようだ。ぶちのめした他の仲間や怯えて彼の後ろにいる男とは全てが違う。
——タノシクナッテキタ。
「いいねェ・・・・・・やる気が出て来たようだな」
「————」
呼吸を、一つ。
吸って。
——吐いて。
「!!!!!」
瞬間だった。
彼女が顔を下げた直後にはもう、彼女はそこにはいなかった。
「(消えた・・・・・・?)」
視線を下げると、右足の横に一滴の血。
「後ろかいっ」
言うのと同時にダッグトンは左側に飛ぶ。そのすれすれでリフルの手刀にした右手がダッグトンのいた位置を一直線に突き抜けた。
そして間を置く事なくリフルは左側に倒れるように体を傾け、両手で側転したかと思うと素早くその場で飛び、バク宙の要領でダッグトンの頭上を越えつつ、
「っと!」
空中にいるまま右足の蹴りを繰り出したのだ。振り返り、一瞬で頭を低くしてかわしたダッグトンだが、リフルの空中での攻撃はこれで終わりではない。
ぐるん! と前回りに回転したリフルは回転の勢いを利用した左足のかかと落としをしてきた。
「よく動くな・・・・・・!」
地上で後ろに転がりつつこれも回避出来たダッグトンだが、彼はさらに目を見張る事になる。
——リフルの速度がどんどん上がっていく。
「チッ!」
かかと落としで地面に着地したリフルは立ち上がる事はせず、そのまま両手を地面に当てて逆立ちの姿勢に移行。何の冗談か、彼女はその逆立ちの姿勢のまま変則的に両足且つ連続で蹴ってきたのだ・・・・・・!
ドズッ! ガッ! ゴッ! ドゴッ! と打撃音が響く。響く。響く。
防御と回避が追い付かない。両手で触れる事も出来ない。後ろに追いやられながらリフルの蹴りを浴びるダッグトンはもはや防御を捨てて緑風魔法で切ってやろうと右手の人差し指と中指を立てた二本指をリフルに振りかぶろうとするが、
「ふッ!!」
激しい蹴りを繰り出している中でも気付いているのか、蹴りの一つがダッグトンの右手を一瞬で跳ね上げた——!
触れてもこの一瞬では魔法を使う隙がない。しかもこの女、蹴りの一つ一つが重いのだ。
じわじわ来る打撃の痛みにダッグトンは歯噛みしながらも、この状況を解決する案を思いつく。もうこれしか脱せないだろう。
「(一旦倒れるしかねぇ・・・・・・!)」
思案すると同時にリフルの蹴りを食らいつつ背中側から倒れ始める。あとは素早く起き上がって、
「やっと、倒れる事を選びましたなー!!」
迂闊。
倒れるしかないと分かっていたが、ダッグトンのこの案は迂闊としか言いようがなかった。
リフルは待っていたのだ。
この男が倒れる瞬間を——!
「!?」
逆立ちのままリフルは前方に飛び——飛び掛かるように彼の腹の上に乗り、すぐさま両手で彼の両手首を掴んだ。
「(馬鹿が・・・・・・単細胞かこいつ? 手首を掴まれても手は動く。そして少しでも指で触ればさっきみてぇにぶった切れるんだぜ)」
ダッグトンの緑風魔法は指で触れた箇所の近くだが、対象を如何様にも切れる普通ではない緑風魔法だ。その気になれば前腕を大きく切るなんてかわいい事ではなく、手首切断だって可能なのだ。
こいつは自分の同士、暴力が大好きな女だ。それが分かってからは捕らえて好き放題するのではなく、調教して仲間にしてやろうと決めて体の部位を欠損させる真似は控えていたが、もはやそうも言ってられない。
「(多分右利きだろこいつ。左手で勘弁してやるよ——!)」
右手を動かす。
「・・・・・・・・・・」
右手を動かす。
「・・・・・・・・・・?」
右手を、動かす・・・・・・。
「————」
右手、否、左手も——、
「(まったく動かせねぇ・・・・・・!!?!?)」
「どうです? 今相当力入れて握ってるんですけど、ピクリとも手が動かせないでしょう?」
「(く、そが・・・・・・! こいつ、なんて力してやがる!!?)」
しかも、相当という事は全力ではないという事か?
成人男性を持ち上げる時点で普通の女の力ではないと理解していたが、それでも・・・・・・この手首を握りつぶしかねない力は異常と言う他ない!
「と、頭領・・・・・・!」
唯一意識があるメオグは完全にリフルに恐怖を抱いているのか、助けには入れず尻餅をついたままだ。
そんなメオグには興味が無いのか、リフルはダッグトンに視線を張り付かせたまま顔を彼の顔——鼻同士がくっつく程までに近づけた後、こう言ったのだ。
「最後に、お礼は言っておきますなー。お前のおかげで体が十分に温まりました。あの害獣二匹と闘る前にいい準備運動になりましたよ」
目線を左右に走らせる。
リフルの両手——橙色の爪が日光を受けて輝いているように見える。
しかし右手の場合は血で赤黒くなっているからか、どこか色が鈍い・・・・・・。
「・・・・・・お前」
目線を正面に戻しつつ、ダッグトンは口を開く。
自分でもどうかとは思いながらも、口にせざるを得ないのだ。
「お前、人間か?」
その彼の問いに——。
彼女にとっては大嫌いな問いを聞き、目を薄く細めたリフルはゆっくりと顔を上げて、ハッキリとこう断言した。
「——わうは人間だぅ。クソぅッタレのクソ中のクソの血が流れてるぅけうど、正真正銘この体も心も意思も、人間としてのわうのものだぅ!!!」
直後、だった。
バギリ!!! ボギッ!!!
と、粉砕音が大きく響いた。




