第34話 『復讐の果て』
目の前には、疲労困憊なエマーゼ。
「————私の、負けよ」
そう彼女が疲労感をそのまま言葉に乗せた直後、パキィン!! と何かが割れるような音がラゥルの耳朶を打った。
音が鳴ったであろう先をラゥルが見やると、
「・・・・・・ミーゼ」
ミーゼの下半身を覆っていた氷が、砕けた瞬間だった。
魔力切れで解けたのか、それともエマーゼ自身の意思で解いたのか。どちらにしてもミーゼが解放された事に変わりはない。
自由の身になったミーゼは、自分の下半身を前、後ろと見回した後に——ラゥルへと視線を向けてくる。
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
すぐに駆け寄って再会を喜び合う、というのが正しい気がするが、なぜか・・・・・・。
お互い黙ったまま、見つめ合う状況が出来てしまったのだ。
「あ・・・・・・」
理解した、とラゥルは口を固く結ぶ。そうだ。負い目だ。
ここに来て、ラゥルはミーゼに負い目を感じてしまっているのだ。
一度ミーゼを救う事を諦めてしまった心のしこりが、ラゥルの足を動けなくしている・・・・・・。
ミーゼから視線を外し、顔を俯かせるラゥル。直後に、ズキンッ、と額の上あたりから痛みが走り抜けた。
「づぅ・・・・・・!」
顔をしかめながら左手で痛んだ部分を抑える。痛みと共に脳裏に浮かぶのは、エマーゼの氷の槌だ。
勝負が終わって気が抜けたからか、痛みがぶり返してきた。
そうして、痛みに耐えている時だった。
タタタ・・・・・・と足音が徐々に、大きく聞こえてきたのだ。
左手で抑えたままラゥルが顔を上げると、目の前には——、
「怪我、見せて。私が治癒してあげるから」
「————」
詰められそうで詰められない距離を、あっという間に埋めたミーゼがそう言って両手をラゥルに翳してくる。
言葉を返さないままラゥルは素直に左手を下ろし、全身を委ねるようにミーゼの前に不動で立つ。
断る理由も、不安に思う事も無い。彼女は治癒に長けた聖光魔法の使い手で、自分はその彼女の魔法を、ずっと傍で見てきたのだから。
そして間もなく、ミーゼの両手からぽわ、と薄い白い光が発光し始めた。
「ぅ・・・・・・」
目の前のミーゼの口からうめき声が漏れてくる。顔も若干だが、吐き気をこらえているような顔だ。
「ミ、ミーゼ? 大丈夫?」
「だい、じょうぶ。大丈夫だから、ジッとしてて」
戸惑いつつ案じてくるラゥルにミーゼは改めて魔力を練り、聖光魔法を行使していく。
——吐き気を覚えたのは、まさに弱さでしかない。
ハルマレアに聖光魔法を使った時と重ねてしまった、己の心の弱さ。
歯を食いしばりながら、ミーゼはその弱さを押し殺す。もう弱い自分などいないのだ。
そうして——、
「・・・・・・うん。終わったよ。もう大丈夫」
「・・・・・・ありがと」
短く感謝を告げたラゥルにミーゼは頷きつつ、白い光が消失した両手をゆっくり下ろす。もう、吐き気は消え去った。
「——やっと、本当の意味でまた会えたね。ラゥル」
「うん・・・・・・」
詰められた距離は、現実だけの話ではない。
見えない心の距離も、二人の間にはすでに無かった。
「ミーゼ。あたしね。ミーゼに謝らないといけない事があるの」
「謝る?」
「その・・・・・・あ、あたし・・・・・・一度ミーゼを見捨てようと、」
「いらない」
「え・・・・・・?」
遮断。
力強く、叱るようにラゥルの言葉を遮ったミーゼは、呆気に取られたラゥルにずい、と顔を近づけ、
「ラゥルが言おうとした事、なんとなく分かったよ。だからいらないって言ったの」
「な、なんで・・・・・・?」
恐る恐るそう訊くラゥルは若干腰を引き気味だ。当然だろう。自分の知っているミーゼは、こんな脅すような真似はしないのだから。
しかし、当のミーゼはそんなラゥルの心情を無視したまま口を開いていく。
「せっかくこうして再会出来たんだよ? そんな後ろ向きの言葉、私は聞きたくないな」
「でも、」
「でもじゃない! 私の知ってるラゥルなら分かるはずだよ! 私が何を言いたいかを・・・・・・!!」
「————」
——さらに驚愕だ。
満身創痍のミーゼ。全身ボロボロながらもその瞳だけは鋭く、強い生命力を感じさせる。
間違いなく、かつての人見知りの彼女ではない。
変わった、否、大げさだが、まるで——生まれ変わったような変化だ。
息を呑みつつラゥルは、口にしようとした謝罪を飲み込む。
そして、王に従う臣下の気分を味わいながらラゥルは、
「分かった。もう後ろ向きな言葉も、態度も捨てるよ。あたしらしいあたしでミーゼと今、向き合う」
視線を合わせ、ラゥルは——思い切り破顔して言う。
ワガママに、傲慢にこう言ってのけたのだ。
「ここまでハチャメチャに大変だったけど、でも最後に笑って勝つのはやっぱりあたし! 随分待たせちゃったねミーゼ。でも分かってたでしょ? あたしが絶対に来るってさ」
「————ゔん」
深く。
深く頷いたミーゼは、声と体を震わせながら、
「必ずっ、ひぐっ! ラゥルがぎでぐれるってっ! わだしわがっでだから!!」
「でしょ?」
「生ぎで! ぜっだい生ぎでるっでわがっでたんだがらぁ!!!」
「あたしは死なないよ。まだまだ人生を謳歌し切れてないからね」
「ラゥルぅ!!!!!!」
もう、溢れ出る感情を抑えるのは無理だ。
がばッ!! とラゥルに飛びつくミーゼ。圧し掛かるミーゼの体重を受け入れるようにラゥルは彼女を抱きしめ返しつつ、背中から倒れ込む。
痛みなど感じない。
そんな感覚を奪う程の感情が、ラゥルの中を激しく渦巻いているからだ。
「ラゥル・・・・・・ラゥルぅ・・・・・・!!」
「もうっ、そんな泣きつかないでよ。ミーゼは王女なんだからさ」
そう言いつつもラゥルは、ミーゼを離さないように強く抱きしめていく。
矛盾した事を言っているのは、許して欲しい。
言葉だけでも、自分らしい自分であり続けたいから・・・・・・。
「(あたしは救えたんだ・・・・・・親友を・・・・・・ミーゼを・・・・・・)」
——確固たる、ミーゼの存在。彼女から伝わる暖かさ。
見えない繋がり。
絆はここに、確かにある————。
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「——っと、いつまでも抱き着いてはいられないよね。ほらミーゼ、立って立って」
「・・・・・・・・・・」
「ん? ミーゼ?」
「・・・・・・すー・・・・・・」
「嘘でしょ? この状況で普通寝る? ミーゼ起きてっ」
「・・・・・・んぁ。あれ、私寝てた?」
「寝てたね。思い切り寝てたね」
「ごめん! ラゥルの胸が良い感じに枕みたいで・・・・・・」
「胸の事は言うなぁ! 氷女といいミーゼといい! あたしホントは胸が大きいの気にしてるんだからね!?」
「そ、そうだったんだ・・・・・・知らなかったよ」
そう言いつつふきふきとラゥルの服で口から垂れていた涎を拭うミーゼ、
「あたしの服で涎を拭わないでよ!?」
「今のは、悪ふざけ♪」
「確信犯・・・・・・!!? ミーゼそんな性格だったっけ? 変わり過ぎじゃない?」
「弱い私は、もういないからね」
「人の服で涎を拭うのがミーゼの強さなの?」
ラゥルのその問いに答えず、ミーゼはクスクスと笑いながらやっと立ち上がっていく。生まれ変わったような変化というのは、あながち間違いではないかもしれない。
そしてミーゼに続いてラゥルも立ち上がった時だった。
「羨ましいわねぇ、ミーゼとそんな楽し気に会話を交わせるなんて」
いまだに座り込んだままのエマーゼがそう茶々を入れてくる。
その彼女に近づきつつ、ラゥルは「あっ」と思い出し、
「そういえば、まだあんたの名前聞いてなかったね」
「ミーゼとレラフール様が言ってたと思うけれど?」
「自己紹介はその当人の口から聞くものでしょ? あたしは名乗ったよね」
「大雑把に見えて細かい所があるわね・・・・・・はぁ、エマーゼ。エマーゼ・シュノレースよ。どう? 満足かしら?」
「エマーゼ、ね。じゃあエマーゼ、あたしが勝ったから条件、飲んでもらうよ」
条件。それはこのテレブール王国で罪を償い、ラゥルの友達になる事。
脳裏にそう想起しつつ、エマーゼは肩をすくめる。
その条件を飲むには、自分よりも彼を説得しないと実現しないだろう。
「あなたの言う通り私は負けた。そしてもう私に戦う力はないわ。だから私は言う事を聞かなければいけない立場にあるけれど・・・・・・私よりも、あの人と会話をした方がいいんじゃないかしら? ねぇ? レラフール様」
エマーゼの言葉に、ラゥルとミーゼは同時に沈黙を続けているレラフールに視線を向ける。
その彼を見て、一瞬戸惑ってしまう。
それはレラフールが——哀しい目で両膝を床に落とし、乾いた血を全身に張り付かせるメシュクハーマを両手に抱いていたからだ。
・・・・・・萎縮してしまっている自分がいる、とラゥルは息を呑む。
しかし、躊躇するわけにはいかないのだ。
ワガママを実現してやると、決めたのだから。
「レラフール様」
「・・・・・・・・・・」
存在感を示すためにわざと大きな靴音を立てながらレラフールの元まで歩む。
そしてピタリと、俯いてメシュクハーマの顔を見つめているレラフールの前で止まる。
彼は、顔を上げないままだ。
「レラフール様、メシュクハーマ様に思いを馳せている所すみません。ですけど、あたしの話をどうか聞いてくれませんか」
「・・・・・・本気で」
メシュクハーマから顔を上げたレラフールは、こう口を継いできた。
「本気で、今の俺にその条件を飲めと申すか、ラゥル・キャミニシ―」
「・・・・・・ええ。ハチャメチャに本気です」
「ッ! 貴様は何とも思わないのか!!? メシュクハーマを! 王妃を殺されたのだぞ!! それに貴様の母親はそのエマーゼの両親に殺されたようなものなんだぞ!? 許せる道理が一切ない!!!」
逆上とも云えるレラフールの怒りは、ラゥルを通り越してエマーゼに向けられる。どうあっても許せるはずがない。
——母親が殺された。
突然飛び出て来た事実に、ラゥルの中で衝撃が走る。母親は自分が生まれた時に亡くなったと、父であるドハドルに聞かされていたが。
「・・・・・・あたしの母さんは、殺されたの?」
「そうだッ、シュノレース王国に蔓延っていたどす黒い闇がお前の母親を殺したのだ! もう一度よく考えろラゥル・キャミニシ―・・・・・・何が正しくて、何が間違いなのかを」
くるりと、ラゥルは振り返り、
「エマーゼ、レラフール様が言った事は・・・・・・」
「そうね。あなたの母親かどうかなんて知らないけれど、間違いなく真実よ。クスッ、さあどうするのラゥル・キャミニシ―? その事実を知っても、まだ私とお友達になりたいかしら? まだ、私を生かしたいのかしら?」
「・・・・・・・・・・はぁ」
心底、ため息を吐く。
確かに許せない気持ちはある。母親の顔はもはや記憶から消えてしまったが、それでも家族が殺されたのは衝撃で悲劇だ。
しかし、ラゥルがため息——呆れたのは違う事である。
この人達は、本当に思考が狭いのか。
「何が正しいのか、何が間違いなのか、だったね。あたし、分かるよ」
そしてラゥルは、ダンッ!! と右足を上げて強く床を踏み鳴らし、こう言ったのだ。
分からず屋達には、ハッキリと言わねば理解しないだろう。
「生きる事は正しくて、そうやって何でもかんでも死で解決しようとするのは間違いだってね!!!」
「ッ!?」
予想外の答えだからだろう。レラフールは驚愕に顔を歪め、エマーゼは笑っていた表情から無表情へと変化した。
唯一ミーゼだけは、納得したようにラゥルを見続けている。
「母さんが殺された。メシュクハーマ様が殺された。エマーゼを殺そう。生かしたいのか・・・・・・もううんざり。ハチャメチャにうんざりだよッ!! そうやって殺し殺されを繰り返してその先に残るのは何!? 何も無いよ!!」
「いや、ある。エマーゼを殺せばメシュクハーマもきっと喜ぶ、」
「いい加減にしろぉ!!!!!」
無意識に、だった。
パァンッ!! と、ラゥルの右手がレラフールの左頬を叩いていたのだ。
「「「————」」」
ミーゼもレラフールも、さすがのエマーゼも息を呑む。
ミーゼの友とはいえ、平民の一人に過ぎないラゥルが王であるレラフールに手を上げたのだ。
絶対にやってはいけない事を、ラゥルはやってしまったのだ。
「・・・・・・ラゥル・キャミニシ―・・・・・・貴様、自分が今やった事の意味、理解しているのだろうな・・・・・・?」
「勿論。復讐っていう覚めない悪夢を見ようとするレラフール様の目を覚ますために、レラフール様を叩いたの」
「何・・・・・・?」
「あたしはもう嫌なの。これ以上誰かが死ぬのは、もう見たくないの」
「ッ、それは貴様の都合だろうが! 他人である貴様の都合に俺は関係ない!」
「——じゃあ、身内である私の都合なら、聞いてくれる? 父様」
よく通る声が、激昂するレラフールの耳にするりと入ってくる。
彼女は、静かに歩き、ラゥルの隣に佇むと、
「私もラゥルと同じ。もう人が死ぬ所は見たくない。だから・・・・・・もう終わりにしよ?」
「・・・・・・ミーゼ、お前・・・・・・」
「私、誰かを殺そうと躍起になっている父様なんて見たくないよ。いつもの、お城を抜け出してそっと帰って来た私に苦笑いしつつもおかえり、て言ってくれる父様に・・・・・・戻ってよ」
「・・・・・・・・・・」
そっと、レラフールはエマーゼに視線を向ける。
復讐に取り憑かれた彼女は、酷く——孤独だ。
次に、抱いているメシュクハーマの顔に視線を移す。
「・・・・・・・・・・」
そして、ミーゼの哀しみに満ちた顔。
「・・・・・・終わりに、か」
自分は、娘にこんな顔をさせているのか。
この場面をメシュクハーマに見られたら、何て言われるだろうか。
「(家族は仲良く、が一番ですよ・・・・・・てところか? メシュクハーマ・・・・・・)」
亡骸のメシュクハーマを見つめ始めるレラフール。
彼女なら、きっとそう言うだろう。
そして、時間だけがしばらく流れる中、
「・・・・・・・・・・」
抱いていたメシュクハーマをそっと床に下ろし、レラフールは立ち上がった。
そのまま彼は、
「エマーゼ」
厳かに、彼女の名を呼んだ。
座り込んだまま、ゆるりと顔だけをレラフールに向けたエマーゼに、レラフールは口を開く。
「お前の今後の処遇を、今決めた」
「・・・・・・・・・・」
「お前は・・・・・・」
エマーゼは苦い顔だ。
彼が何を言おうとしているかを、もう分かっているから——。
「俺が償っただろう、と判断するまでこの城の地下牢で暮らし、この王国のために働いてもらう」
「・・・・・・正気なの?」
「ああ。もう終わりにしよう。それに、お前だってミーゼの哀しい顔は見たくないだろう?」
「それはそうだけど。でも月並みな事を言うようだけれど、私が反逆するだろうという事は頭に置いてあるのかしら?」
「その時はあたしが相手になるよ。毎日あんたに会いに行くつもりだし」
「・・・・・・はぁ? 毎日???」
割り込んで来たラゥルに怪訝、否、呆れた顔を向けるエマーゼ。毎日ラゥルの顔を見る日々を想像して、ゾッとしてしまう。
そんなエマーゼにラゥルは鷹揚に頷き、
「だって友達だもん。ね、いいでしょレラフール様」
「・・・・・・ふっ。そうだな、その方がエマーゼもうんざりして反抗する気など失せるだろうな・・・・・・ふふ!」
よほど可笑しいのか、レラフールは顔をそむけて笑いを噛み殺している。
そのバカバカしさは、ラゥルに叩かれた事など忘れる程だ。
「最悪な毎日が待ってそうね・・・・・・」
吐き捨てるように言ったエマーゼの元へと、ラゥルは近づいていく。
そして、スッと——右手をエマーゼに差し伸べたラゥルは、
「安心しなよ。その最悪は必ず、最高になるからさ!」
「ふん。出来るものならしてみなさいよ。無理でしょうけどね」
パンッ、と差し伸べられた右手を払うエマーゼに、ラゥルは笑う。
彼女らしくて、実にいい。
——フグマハット歴1219年、デミハル真月。
長い夕刻の下、一つの戦い、確執が終わりを告げたのだった————。
⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨
「・・・・・・ミーゼ」
「ん、何? 父様」
「お前に、大事な話がある。耳を貸してくれ」
言われるがまま、ミーゼは彼に耳を近づける。
そして、
「————え?」
それしか、言葉が出なかった。
ミーゼの耳から離れたレラフールは、
「今のお前なら、資格がある。いや、今のお前だからこそいいのだ」
「で、でも私・・・・・・」
「頼む、ミーゼ」
頭をスッと下げた父に、ミーゼは目を見張る。
それ程本気という事か、とミーゼは理解し、
「・・・・・・分かったよ。父様はラゥルの頼みを聞いてくれたし。今度は、私の番って事だね」
「押し付けるような形ですまない・・・・・・」
「ううん、驚いたけど、納得もしてる」
ミーゼは自分の胸に左手を置き、宣言するようにこう言った。
「頑張るね私。色々拙い部分もあるけど、母様と父様に負けないぐらい頑張るから——!!」




