第23話 『滅びの在処』
「おらァ!!」
不敵に笑う白髪の男とのステゴロ。舐めくさったその顔に一撃を入れようとドハドルは右拳で殴りかかっていく。
怒り心頭——に見えるドハドルだが、その内心は冷静だ。
冷静だからこそ看過出来る。
言葉では弱いと言ったが、この白髪の男は・・・・・・、
「せっ!」
「ッ!」
ガッ! と白髪の男の左腕、左拳が真下から迫り、その左拳は正確にドハドルの右手首を捉えた。無理やり右拳の軌道が真っすぐから上へと切り替わる。
その同時に、右足首から強烈な痛み。
蹴りだ。白髪の男の左足裏がドハドルの右足首を押し付けている。
「ぐっ・・・・・・」
ぐらりと、顔をしかめるドハドルの体が横に傾いていく。そして間を置く事無く——。
ゴッ!!! と白髪の男の右拳が、ドハドルの頬に突き刺さった。
「ぶッ!?」
細身の容姿とは反対に重い拳がドハドルの視界を大きく揺らがす。傾いていた体が勢いをつけられ地面に完全に沈み、転がってしまう。
すぐさま体を起こし、片膝をついた状態で見上げる視線の先には、不敵な笑みのままの白髪の男。彼は右手をぷらぷらと振りつつ、
「まさか、もう降参じゃねえよな? オッサン」
「・・・・・・たりめぇだ。まだ始まったばかりだろが」
この白髪の男は・・・・・・強い。それも相当に、だ。
のそりと立ち上がり、ドハドルは左手で自分の口元を拭いつつ後ろ——ハルマレアを見やる。彼女は心配気な顔つきで自分を見ている。
ハルマレアには、訊かなければならない事があるのだ。それは無論、この異常事態の中どこにも見当たらないバカ娘のラゥルとユレスの所在だ。
一体彼らはどこにいるのか。考えたくもないが、もうすでに・・・・・・。
「・・・・・・・・・・」
脳裏によぎるのは、自分の妻、亡くなっているラゥルの母親のミレイ・キャミニシ―。
ミレイはラゥルを生んで数日後に、忌まわしきあの王国の兵士どもに捕えられ、慰み者にされ・・・・・・殺された。
テレブール王国に運ばれた彼女の死体を見ても最初は受け入れられなかった。美しく保っていた黒髪は艶を失い、ラゥルと同じ活発さに溢れた顔は痣や汚れが多く、鼻につくのは、濃い性の臭い。
ラゥルを生んですぐ体が弱っているというのに、彼女はあそこでなければ売っていないという理由であの王国に出掛けてしまった。自分が行くと言ってもあんたじゃ分からないでしょ、と笑われ、赤子のラゥルを自分に託して——行ってしまったのだ。
ずっと後悔が止まない。もしあの王国が救いようが無い程腐っているとあの時知っていれば、今でも彼女はきっと自分の隣に。家族三人で過ごせていたはずなのに。
そうすればもっと早く、あの王国を滅ぼせたはずなのだ!
「・・・・・・早く、見つけてやらねぇと」
「あ?」
「これ以上後悔を抱えちまったら、俺はもう前に進めなくなっちまう・・・・・・」
「何言ってんだ、オッサン」
「・・・・・・オラァ!!!」
有無を言わずドハドルは白髪の男との距離を詰め、再び右拳、今度は顔ではなく腹を狙って振りかぶっていく。
単調な殴打だ。白髪の男は失笑しつつ左手の手のひらでドハドルの拳を受け止めた。
パンッ! と渇いた音が鳴る直後に、白髪の男の横からの右肘がドハドルの左側頭部に迫る。その肘をドハドルは頭を下げてかわし、
「甘いぜオッサンっ」
かわした先には、白髪の男の右膝頭——膝蹴りが繰り出されていた。
膝蹴りが決まったと、この男は確信を得ただろう。
しかし油断大敵。その確信は間違った確信だ。
「——甘いのはてめェだァ!!!」
ゴッ!! とドハドルは顎を引き、白髪の男の右膝頭に思い切り額を打ち付けてやった。
「いでぇッッ!!?」
白髪の男にとっては予想外の一撃。予想外だからこそ痛みも倍増だ。あまりの痛みに白髪の男が思わず両手で右膝頭を抱えようとした直後、ドハドルはぎしりと右手を握りこみ、
「お返しだ——クソガキがッ!!!」
ドゴガッッッ!!!!! と、突き出したドハドルの右拳がついに、白髪の男の顔の正面への殴打に成功した。
声を上げる暇もなく白髪の男は勢いよく地面に倒れ、先刻のドハドル同様転がりつつすぐに中腰で起き上がる。上げた顔にはまだ不敵の笑みが張り付いているが、鼻と唇からは多大な血が滴り落ちているせいか、その不敵の笑みは強がりに見えて滑稽だ。
小馬鹿にするようにドハドルは右手をぷらぷらと白髪の男の真似しつつ、こう言った。
「どうだ? 期待に沿えたかよ、俺の拳はよ?」
「・・・・・・そーだな。いい感じに痛いぜ。おかげさんでやる気湧いてきたわ・・・・・・」
ぐしぐしと乱暴に左手で自分の血を拭った白髪の男は、そう言って立ちあがると、
「それじゃあ、もう少し本気だして遊ぶとすっか」
瞬間、だった。
獣のように姿勢を低くしたかと思った直後に、白髪の男との距離が詰まっていた。
「ッ!?」
明らかに速くなった——。
反射的に後ろに下がったドハドルの目の前で、低い姿勢のまま白髪の男はさらに両膝を深く沈ませ、一気にその場から飛び上がった。
高く舞い上がる白髪の男。見上げるドハドルの頭と空中で前回りに一回転した白髪の男の逆さになった頭頂部が上下ですれ違う。
そして、ドハドルの背中側に入った白髪の男は抱えていた膝を地に着く前に解放——ドハドルの背中に向けて思い切り両足を突き出した。
「ぐぉ・・・・・・!!?」
ドゴッ! と背中に痛みと衝撃が走る。しかし攻撃されたのは背中だ。正面よりも防御が固い背中を蹴られた所で大した痛みではない。
たたらを踏みながらドハドルは一気に振り返り、勢いを乗せた右の後ろ蹴りを繰り出す。すでに地に立っている白髪の男はこちらに背を向けたままだ。
しかし、白髪の男は振り返らないまま、こちら側に側転しつつドハドルの蹴りを回避した。
「————」
速い上に、変則的な動きが加わってきた目の前の男にドハドルの肝が冷える。
先程までの格闘は、本当に本気ではなかったのだ。
繰り出したままの右足。側転し終えた白髪の男は左手でドハドルの右足首を掴むと、ぐいっ! と一気に引っ張って来た。同時に、軸足となっている左足を払われる。
当然のように背中から落ちるドハドル。顔をしかめる暇も無く、真上からの無慈悲な拳がやってくる。狙われてるのは顔だ。
バッ、と両腕を交差し、顔面狙いの拳の防御に成功するが、
「まだ終わりじゃねえぜッ!!」
ガッ!! と引いた白髪の男の右拳が再び交差した両腕に打ち付けられる。この男の言葉通り、まだ終わりではないのだ。
ガッ! ガッ! ガッ! ガッ! ガッ! ガッ! ガッ!
と、連続で殴打の嵐がドハドルの両腕を襲い続ける。避けようにも避けられない。自分は今仰向けで、左足を掴まれて起き上がれないのだから——。
防御し続けるしか、今は出来ない。
「ほらほらァ!! いつまでも耐えられると思い上がるんじゃねえぞ!!!」
「く、そが・・・・・・!!!」
「——あてを忘れるなよ。うつけ者がッ!!」
ぶるぶると震える両腕に限界を感じる中、耳朶を打ったのは見守っていた少女の怒りの声。さらにボゥ! と発火の音。
見ていられなくなったハルマレアが、赤熱魔法で援護しようとしているのだろう。
白髪の男も聞こえているはずだ。彼女が何をしようとしているか分かっているはずだが・・・・・・顔色変える事なく殴打を続けてくる。
「(こいつ・・・・・・!)」
理解する。
この男はたとえ赤熱魔法を受けても——自分を倒すまで殴打を止めないつもりだ。
それに白髪の男と重なるように下にいるドハドルがいるため、赤熱魔法は手加減せざるを得ない。それも分かっているからこそ、この男は止まらないのだ。
彼女の援護は・・・・・・無駄に終わってしまう。
「——ハルマレアッ!!」
否、無駄ではないだろう。少なくとも牽制にはなるはずだ。
しかしドハドルの口から出たのは、こうだった。
「手を出すんじゃねェ!! これは俺とこのクソガキの戦いだ!!!」
「!?」
白髪の男に突き出そうとしたハルマレアの右腕がビクリと止まる。
殴打を続けている白髪の男は笑みを深めつつ、
「オッサンッ。素直に助けてもらった方がいいんじゃねえのかァ!?」
「うるっせぇ! 大の男が小さい子に助けてもらうなんてかっこつかねェだろが!!」
「ハッ! その気概! 嫌いじゃねェぜ!!!!!」
そうだ。これは自分とこの白髪の男の戦い。
自分の力で勝たなければこの先何も守れないという予感が、ドハドルの脳裏に渦巻いているのだ。
「そろそろ終わりにしようぜ! オッサンッッ!!」
疲労と痛みが流れ続ける両腕が無意識に顔に落ちて・・・・・・交差が解ける。
視界に入るのは、何度目か数える程馬鹿らしくなる白髪の男の右拳——。
⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨
それは突然だった。
テレブール王国の王、レラフール・テレブールがミーゼの帰りを待ち続け、飽きる事なく夕暮れに染まる街を眺めていた時である。
バン! といきなり部屋の扉が開き、押しかけるように城に駐在する兵士の一人が入って来たのだ。
「ちょ、ちょっとあなた。ノックぐらいしなさい! 無礼にも程がありますよっ」
「申し訳ございません!! しかし急ぎ伝えねばならぬ事がございますのでどうかご容赦を!!!」
妃であるメシュクハーマの叱責をうけた兵士の男は、息切れしつつ思い出したように臣下の礼をして跪く。明らかに只事ではないと窺える兵士の様子にレラフールは息を呑み、
「何か・・・・・・あったのか・・・・・・?」
そっと窓から離れ、不吉の予感が膨れ上がっているレラフールは跪く兵士の前に近づく。こちらを見上げた顔は、恐怖と焦燥に彩られた顔だ。
——十数年前にも、今のように兵士が部屋に飛び込んで来た事があった。だがあの時は兵士の他にももう一人、怒りに身を震わせていた男、ドハドルもいた。
屈辱と憎悪。ドハドルの話を聞いた自分は共感し、上手く共存していたと勘違いしていたあの王国を・・・・・・、
「報告しますっ。今このテレブール王国に大人数の賊が攻めて来ました! 恰好から浮浪者や野盗と判断出来ますが、奴らは金品に目もくれず民を襲う事しかしていません! 我ら兵士で対処に当たっていますが、相手はあまりにも人数が多く・・・・・・!」
「そうか・・・・・・」
「そ、それに」
「?」
「お、恐れながら申し上げます! 先程偵察をしていた兵士からの情報で、その・・・・・・」
「落ち着け。ゆっくりでいいからしっかりと申せ」
「は・・・・・・はい。ッ・・・・・・姫様が」
体と唇を震わす兵士の口から出たのは、
「ミーゼ様が正体不明の女に連れられこの城に向かって来ています!!!」
待ち望んでいた、娘の帰りの報告であった。
「————」
体が硬直する。そう、待ち望んでいたのだ。しかしレラフールが待ち望んでいたのは今日も楽しかったと、笑顔のミーゼだ。
断じてそんな人質のような扱いのミーゼではない。
「・・・・・・その女の特徴は?」
「ハッ! 長い青髪に長身。武器などは持っていないようです!」
「・・・・・・待て・・・・・・青髪、だと」
「は、はい。ミーゼ様と、同じ・・・・・・」
言葉尻が弱くなった兵士はハッとしたように目を見開き、不躾にもレラフールを凝視し始める。
先程までのメシュクハーマなら、その兵士の態度にまた叱責を飛ばすだろう。
だが、兵士の言葉を聞いた今の彼女は——呆然と、強張った顔でただ黙っていた。
その妻の様子を横目で窺いつつレラフールは確信する。
女の正体と、この騒動の目的を。
「(生きていたのか・・・・・・あの幼子が・・・・・・)」
思わず嘆息が漏れるレラフール。なるほど、納得した、と王の彼は、
「お前達兵士は引き続き賊の相手と民の守護をしてくれ。ミーゼを連れている女は・・・・・・相手しなくていい。そのまま城に通せ」
「し、しかし、姫様が危険では?」
「大丈夫だ。その女は、ミーゼには決して危害を加えないだろう」
「・・・・・・そうですね。失礼致しました。では私は・・・・・・」
「ああ。頼んだぞ」
「ハッ!!」
一礼した兵士はすぐさま立ち上がり、急ぎ部屋を出て行く。その後ろ姿を見送ったレラフールは、いまだに呆然としているメシュクハーマの肩をそっと叩くと、彼女はビクリと肩を震わした。
そして彼女は、恐る恐るこちらに顔を向け、
「あなた・・・・・・ミーゼを連れている女は、」
「分かっている。きっと、あの子だろう。この騒動も復讐と見て間違いないな」
「でしたらなぜ通せなどと・・・・・・! あの子は私達の命を狙っているのですよ!?」
「だろうな。だが、逃げるわけにはいかない。王としても、彼女を孤独にした原因としても、な」
「あなた・・・・・・」
「お前はこの部屋に、」
「——いいえ。私も行きますわ。私も原因の一人ですもの」
ダメだ、この部屋にいてくれ、と口を開こうとするが、彼女の顔を見つめて・・・・・・開いたままで止まってしまう。
先程の呆然とした表情とは打って変わって、今の彼女の顔は、決意を——覚悟を決めたような顔をしているのだ。
何回も見た顔。こういう顔になったメシュクハーマは、決して折れない。
「・・・・・・分かったよ。一緒に行こう」
開いたままの口で、思案していた言葉とは反対の言葉を紡ぐ。それを聞いたメシュクハーマはニコリと笑い、
「ええ、それでいいのです。ふふッ。臆病な性格だけれど、いざとなったら立ち向かうあなたのそういう所、本当に好きよ♡」
「俺もお前が好きだよ。では、あそこで待つとするか。やっと帰って来る娘と・・・・・・悲哀に満ちた復讐者の彼女を」
頷いたメシュクハーマと共にレラフールは歩き出し、彼女を先に部屋の外へと出して首だけを振り返りつつ、橙色の陽光に染まる室内を見やる。
今日の夕暮れは、やけに長い気がするな、とレラフールは落ち着くように長い吐息を出してから部屋を出て、扉を静かに閉めた。
閉めたと同時に、諦めたようにレラフールはこう思案したのだった。
——ミーゼは、真実を知る事になるだろう、と。




