第9話 ボルワート商会
その日のディナーの時間。
「明日は、クラリスとちょっと出掛けてくる」
レオナールがそう言うと、傍に立つホーディンクはわずかな間をおいて口を開いた。
「左様でございますか、行ってらっしゃいませ。どちらまで向かわれますかな」
「内緒」
ちゃめっ気たっぷりにレオナールがそう言うと、ホーディンクが困惑した顔になる。
「旦那様、それは執事として困ります。行き先とお帰りの時間はお教えいただきたく」
「そうだなあ。じゃあ、ホーディンクも一緒に来る?」
今度はクラリスがスープを吹き出しそうになる。
「お邪魔でなければ、ご一緒させていただきます」
恭しく頭を下げるホーディンク。
――レオナール様、何を考えているの? ……いや、お父さんは本人の目の前だからって言うことを変えるようなタイプじゃないから、逆に良いのかも?
クラリスにはレオナールが何を考えてこう言ったのかは計りかねたが、父の性格を考えるとそれほど悪いことにはならないだろうと考え、平静を取り戻した。
翌朝。
結局、メイも含めた四名で行くこととなり、馬車に乗り込む。
「それで、どちらに向かわれるのですかな?」
ホーディンクが改めて問う。
「うーん、着いてからのお楽しみ。僕は筆が欲しいんだよね」
「画材店ですか、かしこまりました」
なお、メイにはクラリスが目的を話してあるので、行き先も知っている。
知らないのはホーディンクのみであった。
「そんな感じ。ああ、それと今日僕はお忍びで楽しみたいから、僕のことはレオと呼ぶようにしてね。クラリスの付き人みたいな感じで」
「ええっ? 私も、ですか?」
メイが驚きの声をあげる。
それはそうだろう、公爵閣下とお出かけなどというだけでメイには一大事だった。そこにこんな裏設定が追加されれば、商会の者が失礼を働かないかといった気配りまで必要になってしまう。
「うん、よろしく。細かいことは気にしなくていいよ」
「はあ……」
レオナールはそんなメイを見てどこか楽しげにしていた。
しばらく進み、馬車が停まる。
同じ王都の中なので、それほど遠くはない。小一時間というところだ。
「こちらは、商店ですかな? ボル、ワート……ボルワート商会!?」
ホーディンクが驚きの声を上げる。まさかクラリスの実家の商会に来るとは思っていなかったのだろう。
「うん、ここ。さ、クラリス。案内よろしく」
「はい、レオナ……レオ。本当になんの連絡もしていないので、不在でしたらごめんなさい。いるとは思いますけれど」
クラリスは、そう言って店の扉を開ける。
「クラリス様? おかえりなさいませ」
馴染みの店員が声をかけてくる。
「ただいま。お客様がいるの。お父さん、いる?」
「会長なら、たぶん三階ですよ」
「ありがとう。レオ、いるそうなので向かいましょう」
「……私は馬車でお待ちしておりましょう」
ホーディンクがそんなことを言い出す。
「いいからいいから」
しかしレオナールに背中を押され、階段に連れて行かれる。
四人は三階まで昇り、他に比べると大きく、装飾の施されたドアの前で止まる。
「ここです」
クラリスがドアをノックする。
「誰だ」
クラリスにとって、久々に聞く父の声。
「クラリスです。お客様がいるのだけれど、入ってもいい?」
「おお、クラリスか。入って良いぞ」
クラリスは扉を開ける。奥の大きな執務机に父、ゴードンが座っている。
「久しぶりではないか、良くやっていると聞いているぞ……おお、これはホーディンク殿! いつぞやは助かりましたぞ! おい、メイ! 茶だ! 一番いいやつだぞ!」
ゴードンは、活力に満ちた笑顔でホーディンクに一目散に歩み寄り、その右手を両手で握る。
ホーディンクは顔をしかめたりはしていないものの、笑顔でもない。場に不釣り合いな無表情になっていた。
――もう、決まったようなものね、これは。レオナール様はこのためにホーディンクを連れてきたのかしら。そうだったら、やるものね。
メイはお茶を淹れに下に降りてゆく。部屋にはクラリス、レオナール、ホーディンク、ゴードンの四名となる。
「となるとそちらの方も公爵家のご関係で? いや、よくぞ参られました、クラリスの父、ゴードン・ボルワートです」
ゴードンは持ち前の笑顔のまま、特に差し出してもいないレオナールの右手を取る。
この強引さが父の良さでもあり、悪さでもあった。
「あ、ああ、よろしくお願いします。従者のレオと申します」
「お父さん、皆さん引いているから、ちょっと落ち着いて。座ってお話ししましょう」
「そうだな、ああ、皆さんどうぞ。公爵家には敵いませんが良いところのソファを取り揃えましたのでな」
「これはご丁寧に」
レオナールが率先して下座に座り、その横にクラリスが腰掛ける。
上座の方にゴードンとホーディンク。
――居心地悪そうね、ホーディンク。
「お父さん、実はね、先日正式に私とレオナール様は婚約したの。なんと国王陛下にもそのご報告をしたのよ。すごいわよね、公爵家って。お家のパーティに国王陛下がいらっしゃるのよ?」
「なんと! でかしたぞクラリス! いや、レオナール様には感謝申し上げに行かないとな。お忙しいのだろうが、今度時間を取ってもらえるようにお伝え願いたい」
「そ、そうですな」
ホーディンクは引き攣った笑顔を浮かべる。
「ただね、そこで一つ問題が起きたの。ほら、この家って半年前までただの平民で、今でも男爵家じゃない。公爵家に釣り合っていないとは思っていたのだけれど、結構な嫌がらせを受けていてね」
「……ほう?」
公爵家の面々の前で娘がそのようなことを言い出した。その意味を、風向きが変わったことを誰よりも早く肌で感じ取る。クラリスはそれがこの父であると、よく知っていた。頭の中ではさまざまな展開を考え、先手を講じている。ゴードンは、そういう商人だった。
「レオナール様は縁談があってはうまく行かないということを繰り返していました。そのことはお父さんも知っているわよね」
「うむ」
「私もその破談の繰り返しの一つに『させたい』人がいるみたいなのよね。もう邪魔だから早く処分しろ、って」
「……ほう」
ゴードンがホーディンクの方を見る。
ホーディンクは顔色を変えずに座っているが、視線は定まっていなかった。
「……初耳ですな、そんな話は」
ホーディンクはゴードンの顔は見ず、それだけを答える。
「貴殿が今回の婚約に向け、相当な金を使ったとクラリス……様から聞きました。そういう者が本当にいるかも定かではないのですが、いるとしたら金欲しさにまた婚約を破談にさせたがっているのではないかと踏んで、ここに伺いました。誰に金を渡したか、教えてもらえないでしょうか」
レオナールが言う。
「ははぁ? ……なるほど、なるほど。まあ、まずは皆さん、冷めてしまう前に、ひとまずお茶をどうぞ」
ゴードンは、メイが淹れてきたお茶を一口飲む。
「あっち! メイー、熱湯で淹れてはダメだと言っているだろう?」
「ええ? そんな、熱いですかね……まあ、淹れたてですから、お気をつけて」
返答の前に、お茶と他愛もない会話で考えをまとめるための時間を作る。わが父ながら上手い手だとクラリスは舌を巻く。
「……それで? 金の話でしたな」
「はい」
「そうですなあ」
まだ思案顔のゴードンを見て、クラリスが身を乗り出す。
「お父さん、私ね、寵姫のセラフィーヌ様にも応援いただいているの。セラフィーヌ様ってレオナール様ととても仲が良いんです。知らなかったでしょう? メイだってエリオット王子に気に入られてね。たった一週間ほどで色んなことがあったわ。公爵家に無事嫁げたら、すごいのでしょうね」
ここぞとばかりにゴードンの「好物」を捲し立てるクラリス。
すなわち、大物との繋がり、人脈である。
「……なるほど、クラリスは随分良くしていただいているようで。ねえ? ホーディンク殿。そうだ、お渡しした金貨二百枚、是非公爵家のお役に立てていただけると嬉しいですな。愛しい娘のために使ってくださるなら、もう二百枚お出ししましょうか?」
――お父さん、やっぱりあなた、貪欲で強欲な商人だわ!
娘を己の打算のために売った父は、その娘に売られかけてもなお、利を求める商売人であった。クラリスは癪にさわるやら感心するやら、複雑な心境になった。
「……なんのことやら。ゴードン殿、レーム卿には推薦料としていくばくかをお支払いになったかもしれませんが、私には特段そういったことはありませんでしたな?」
逃げようとするホーディンクだったが、カップを持つ手が僅かに震えている。
「ゴードン殿、それは真ですな?」
レオナールが念押しする。
「ええ、私も商人の端くれですので、授受に際して一筆は取り交わしております。ご確認を」
ゴードンは、金庫から一枚の紙を取り出し、レオナールへ手渡す。ホーディンクのサイン入りの覚書だ。
「確かに。ホーディンク、これはわが家への収入であるな? 屋敷に戻ったら帳簿を確認させてもらうぞ」
「へ? あなたは、一体……?」
ホーディンクという、アーヴィング公爵家で最も格上な使用人に対し強く出る「従者」に驚くゴードン。
「もうよろしいですね。お父さん、こちらの方は、レオナール・アーヴィング公爵閣下その人ですわ」
「いや! それはそれは! もしかしたらそうではないかと思っておったのですよ、ガッハッハ! お会いできて光栄ですぞ。娘が大変お世話になっております」
にこやかに歩み寄り、膝をついてレオナールの手を両手で握りブンブンと振るゴードン。嫌味なくこの瞬時の変わり身ができる才能は真似できないと、クラリスは呆れるしかなかった。
「お邪魔した、ボルワート卿。娘さんは大変聡明であられるな。貴殿の教育が良かったのでしょう。またいずれお会いしましょう。さあ、屋敷に帰ろうか」
レオナールは、ソファから立ち上がれずにいるホーディンクの腕を引っ張り上げた。
クラリスは、アネッサから守ってくれたときのレオナールを思い出す。
――ホーディンクはレオナール様を甘く見ていたわね。この人は、絵しか描けないような人ではないわ。決してね。




