第7話 セラとレオ
「良からぬ話? セラがわざわざそんなことを言うのは珍しいね」
「レオ……そうね。あなたの耳には入れておきたかったの」
――お二人は、なんだかただ「よく顔を合わせる」なんて間柄じゃなさそうね。元々思い合っていたりしそうな……寵姫様にそんな失礼なことは絶対に言えないけれど。
レオナールと他の貴族との会話と比べても、二人が特別親密であることは想像に難くない。ただし、寵姫とは国王の愛を受ける立場。他の貴族との噂になるような行いは御法度だ。だからこそクラリスは二人の関係が気になっていた。
「先ほど髪留めが外れてしまって、侍女と奥へ下がりました。その際に、通りがかった部屋の奥から『これまでよりも厄介』とか『早く処分しろ』という声が聞こえたの。穏当ではないでしょう」
「……そう、だね。それだけだとなんとも言えないけれど」
「片方の、厄介と言っていた方は、おそらくホーディンクさんよ。私が彼の声を聞き間違えるとは思えないわ。もう片方はわからないけれど」
――セラフィーヌ様はホーディンクとも関係が? それにしても、ホーディンクが、厄介? 処分? それって、まさか……。
「違うかもしれませんが……私のこと、でしょうか。散々嫌がらせを受けていますが……」
「クラリス、家の者は僕を裏切るようなことはしないはずなんだ。だから、僕が婚約者と認めた君を裏切るというのは……考えにくいと思うのだけれど」
レオナールの使用人への信頼が厚いことはクラリスも知っている。
だが、クラリスは商人ならではの、ある「道理」を知っていた。
「お金が絡んでも、ですか」
お金で人は変わる。
クラリスは父のもとで散々それを見てきた。
父、ゴードンはクラリスの縁談のために「ずいぶん金を使った」と言っていた。つまりは、その金を受け取った者がいる。クラリスの婚約持参金とは別に、だ。
「それは……わからないが、しかし……」
――レオナール様は、いい人。いい人だけれど、やはり少々現実を見れていないところがあるわね。
クラリスは、その者たちの目的は、自分を処分――つまり破談させて家に帰らせ、次の縁談候補から金をせしめることなのだろうと考えた。使用人がレオナールに内実を知らせないようにして勝手を働く動機として、これ以上のものはない。
長年貢献してくれている使用人たちを疑いたくないレオナールの気持ちはクラリスも理解している。しかし、当主が短期に二度も変わり、その権力を動かす力を得て、人が変わらないとは限らない。
客観的に見れば十分に疑うに足る状況と言えるが、身内である、支えてくれているという心情がレオナールの疑う力を鈍らせているのだろう。
「何か、本当に不要なものの処分の話だったら、それで良いじゃない。私もクラリスちゃんの言うようなことがないか心配で、お話ししたのよ。これまでがこれまででしたからね」
「……レオナール様、先ほど王太子妃殿下のおっしゃっていた伯爵家のご令嬢とは、なぜ婚約を解消されたのですか?」
何を言い出すのか、と困惑顔のレオナール。
「それは……さっき王太子妃殿下にも申し上げた通り、僕が振られたのさ。来て一週間くらいだったかな。『あなたは絵ばかり描いて。こんな家にはもう居られない』って言われてね」
――「こんな家には」と言ったのね。それなら、やはり……。
「レオナール様が絵を描く方だというのは、上流貴族の間でも知られていないことなのですか?」
「それは……どうなのかな。隠してはいないけれど」
自分のことなので判断しかねている様子のレオナールを見て、セラフィーヌが代わりに答える。
「いいえ、とても有名な話ですよ。アーヴィング家の次男は画家志望だ、って」
「そんな、僕は画家志望なんて言ったことはないよ。ただ絵を描いているだけで」
レオナールにとってはこだわりのある点なのか、やや憮然とした顔をする。
「そうであれば、絵を描くレオナール様へ嫁ぐというのは覚悟の上でいらっしゃっているのではないですか? まあ、思った以上にというのはあるかもしれませんが……。私の口から言うような話ではないかもしれませんが、私が家を出る前に父が言っていたのです。この縁談にずいぶん金を使った、と」
その言葉に、レオナールが驚いたように目を見開く。
「そうだったの? まあ、確かに、わが家とクラリスの家は付き合いもないだろうし、考えてみればどうやって縁談に至ったのかは不思議ではあるけど」
「レオ、あなた本当に何も考えていないのね。小さい頃から言っていたでしょう、絵も良いけれど、最低限周りのことを見なさいって。縁遠い家からの縁談であれば、推薦状があったでしょう」
――セラフィーヌ様、なんだかレオナール様のお姉さんみたい。
「ごめんごめん、セラ。君は相変わらず手厳しいね。推薦状、確認するよ」
「あの……差し支えなければ教えていただきたいのですが、お二人はどういうご関係なのですか?」
おずおずと口を挟むクラリスを見て、セラフィーヌが少し驚いた顔をし、続けて優しい笑顔を見せる。
「あら、ごめんなさい。婚約者さんに心配をかけてしまったかしら。私とレオは乳姉弟なのよ。私の母が乳母で、一緒に育ったのです。最後の数年は私はアーヴィング家の使用人でしたけれどね」
「そうだったのですか!」
それであれば、ホーディンクの声を聞き間違えるはずがないと言うのも納得がいく話だった。
「そう、セラのお母さん、マリアというのだけれど、優しくてしっかり者でね。伯爵家の出で、王宮勤めも長かったんだよ。マリアには世話になったなあ。最近会っていないけれど、お元気かい?」
「ええ、それはもう。エリオットの成長をいつも楽しみにしていますわ」
「エリオット殿下も、もう十歳だったね」
第二王子の母――クラリスは、改めてそんな方と気さくにお話しする関係になるとは、つい十日前までは思っても見なかったことを思い起こす。
――そういうことなら、この方はレオナール様に関しては信頼できそうね。
無条件に他人を信用することはできないし、ただ過剰に不信がることもできない。これだけの貴族の中で、最も立場が不安定なのは確実に自分である。クラリスはそのことを心に留め、改めて気を引き締める。
「そうね、早いものね。さて、レオ。あなたこれまでの縁談、どれも長続きしなかったでしょう。ただ絵を描いているというだけでアーヴィング家に来た縁談が何度も流れるなんて思えないの。あなたはあまり自覚がないでしょうけれど、公爵家というのはそれくらいの力と魅力があるの」
「セラ……」
「だから、辛いかもしれないけれど、疑うべきは疑って。それがあなたの、そしてクラリスちゃんのためでもあるから。それで潔白だったらそれで良いじゃない」
「わかった。クラリスも協力してくれるかい」
「もちろんですわ、レオナール様。セラフィーヌ様も、お気遣いありがとうございます」
――さて、どうやって真実を明らかにしてやろうかしら。まったく、お父さん厄介な人に引っかかったわね。
クラリスは一礼しながら、レオナールが調べるという推薦状、そしてその先にいるだろうホーディンク、そして金を使ったと言っていた父の顔を思い浮かべた。
三人での会話は一旦そこまでとなり、二人は国王陛下の元へ向かい挨拶を済ませる。
「セラフィーヌから話は聞いておる。良き国とすべく、両家、励むように」
国王陛下は、クラリスの身分云々には触れず、対等な婚約相手として扱う。
セラフィーヌが上手く伝えてくれているのだろうと、クラリスは内心で感謝する。
一通りの挨拶を終え、レオナールがクラリスを会場の前方へ導く。
「お集まりの皆さん! レオナール・アーヴィングです。今宵はようこそわがアーヴィング公爵邸へお越しくださいました。心ばかりのもてなしではございますが、どうぞご歓談をお楽しみください。さて、本日は僭越ながら私の婚約者をご紹介したいと思います。……クラリス、こちらへ」
「は、はい」
なんの段取りの話もなく紹介が始まってしまったので、少し挙動不審になりながらもレオナールの脇へ立つクラリス。
――レオナール様、そういうところですよ……。
レオナールがあくまでマイペースなのは、変わらないようだった。
「クラリス・ボルワート男爵令嬢だ。皆さん、どうか温かくお見守りください」
クラリスはその声に合わせて淑女の礼を取る。
会場からは笑顔と拍手が返ってくる。
それがただの社交辞令であることはクラリスも理解している。だから、この反応で相手を見極めることは難しいだろう。そうは思いつつも、礼を終えたクラリスは会場をそれとなく見回してしまう。
前公爵夫人のアネッサだけは、腕組みをして拍手をしていない。わかりやすい敵意だった。
しかし、クラリスにとって今追うべきはそれではない。
――いた。
最も警戒すべき相手、ホーディンクも外れたところで拍手をしている。その横に立つのは、クラリスが見た覚えのある人物だった。
――確か、レーム伯爵? レオナールがはじめに案内していた方ね。帰りの馬車の話をするだけにしては、一緒にいる時間が長すぎるわね。随分親しげ、ね。
クラリスは、その顔を頭に焼き付けたのだった。
*
夜会が終わり、皆を見送り終えたエントランス。
使用人たちは残りの片付けのために散ってゆく。
「クラリス様、お疲れ様でした!」
メイがやってきた。
「ほんと、疲れました。一生分くらい気を遣ったわ。あなたの方は大丈夫だった?」
クラリスは肩をすくめる。
「大丈夫ですよ、いやー、エリオットくんって子に気に入られて、ずっと遊んでました。あんな小さい子も来るんですね、夜会って」
「えっ……」
クラリスは、そういえばメイに参加者の詳しい情報を教えるのを忘れていたことに気がついた。
「メイ、粗相はなかったでしょうね!?」
クラリスは、メイの両肩を掴んで問いただす。
「えっ!? ええ……まあ、特には?」
「その子……セラフィーヌ様のお子様、エリオット第二王子よ!」
「ええーっ!! さ、先に言ってください! 美味しいケーキの見分け方、とか変なこと教えちゃいましたよ!?」
「まあ、それくらいなら大丈夫だろうけど……」
そこに、ホーディンクが通りかかる。
「そんなことになるので、あなた方に今宵のことはお伝えしていなかったのです。くれぐれも妙な誤解はなさらぬように。お二人にも片づけをお願いして宜しいですかな?」
「ちょっと、私はわかるけれどクラリス様に片付けなんて……」
クラリスは、また嫌がらせかと抗議するメイを、片手で制する。
「良いでしょう、今宵はセラフィーヌ様に仲良くしていただいて私は機嫌が良いの。使用人の願いを聞いてあげても宜しいですわよ?」
クラリスは、夜会を通じ、これまでよりも強くホーディンクを「敵」だと認識した。だから、その声は機嫌が良いという響きとは真逆の、冬の井戸水のように冷たい一声だった。
「ふん、もう公爵夫人になったおつもりですかな。結構です、平民には価値もわからぬ高価な皿を割られても困りますゆえ。この夜会でいかにあなた方が場違いか、おわかりになりましたかな」
そのクラリスの態度に、あからさまに敵意をむき出しにしてくるホーディンク。
「レオナール様は、絵を描くことだけに熱心な、心優しい坊っちゃまでした。だから、その心を乱すことなく我々が露払いをする。そうやってこの家は回って来たのです。それを乱すあなたのような者は厄介者でしかない」
――やっぱりね。この男が問題の中心ね。私だけでなく、どれだけレオナール様を下に見ているの。
「あら、レオナール様のお相手として相応しくするためにあの花嫁修行をしてくださっていたのでしょう?」
皮肉を込めてとぼけるクラリス。
「アネッサ様からもお言葉をいただいたでしょう。上級貴族には相応の格というものがあるのです。ご理解いただきたいですな」
――そこの繋がりも、もう隠しもしないのね。
クラリスの頭の中には、レオナールとセラフィーヌとのやり取りがある。
ホーディンクは知らないやり取りだ。それがあるから、今は冷静にいられた。
「ご理解ですか。わかりませんわね、私、もと平民の下級貴族ですから」
扇で口元を隠し、クラリスは笑顔を向ける。
――全て、明らかにしていきましょう。処分されるのは、どちらの方でしょうね。




