第4話 画家公爵
昼からは、クラリスは倉庫の掃除と整理をやらされた。
メイは手出しができないので、入り口で見ているだけ。他に、監視役だろうか、侍女長も立っていた。
倉庫には、雑然と積み上げられた箱や、半端に取り出された荷物が散乱していた。
「あんまり、公爵家の使用人はお行儀がよろしくないのかしら、ね」
いつもこうなのか、はたまた「花嫁修行」のためにこうしたのか。クラリスはチラリと侍女長を見た。
商店を任されていたクラリスにとって、倉庫など毎日見慣れた場所でしかない。しかし、さすがは公爵家と言うべきか、特筆すべきはその広さだ。庶民の家なら二つくらいすっぽりと入りそうな空間。クラリス一人で片付けをするような場所ではなかった。
「……ふぅ」
テキパキと仕事を進めていくクラリスだったが、さすがに半分もいかないうちに時間が来てしまった。
「この程度の仕事で音を上げるのですかな」
いつの間にかホーディンクが倉庫に入ってきていた。
「音を上げる? 時間切れなだけよ。あなたは一日でここを片付け切れるの? それより備品の収納の仕方と在庫の数の管理の仕方、使用人に教えてあげなさい。数字、結構間違ってたわよ」
クラリスは、数えた分の在庫明細をホーディンクに渡す。
「……これはご丁寧に」
まさか棚卸しを兼ねて作業しているとは思わなかったのか、ホーディンクの顔に一瞬驚きの表情が浮かんだ。
――こういうことをさせて貴族のご令嬢たちの心を折ってきたのかもしれないけど、私には通じないわよ。
それからしばらくして、ディナーの時間。
クラリスとメイは使用人に呼ばれ、食堂へと向かった。
今夜のディナーは公爵閣下のレオナールと共にいただくことになっていたので、自身での準備も不要となった。
食堂にクラリスが入る。レオナールはまだ来ていなかった。
「どうぞ」
クラリスが席の前まで行くと、椅子を勧めてくるホーディンク。
――その手に乗るか!
「レオナール様がいらしてから着席しますわ」
レオナールは「悪い人ではなさそうだけれど、あまりこちらに興味はなさそう」というのがクラリスとメイ、二人の見立てだ。そして、使用人たちはレオナールを主人として敬っているように見える。ホーディンクもだ。
それでいてこのようなことをするということは、つまり少々のことではレオナールに咎められない自信があるのだろう。クラリスはそう結論づけた。
――長年の、信頼の差。
それを埋めるのは一朝一夕にはいかない。クラリスは商売をしていてそのことは痛いほどよくわかっていた。
だから、少しでも良い婚約者であると示さなくてはならない。
レオナールが座って待つ婚約者候補に腹を立てるかはわからないが、クラリスは少しでも失態に繋がるおそれのある勧めに乗るつもりはなかった。
「左様でございますか」
ホーディンクは意に介さないという風に後ろに下がった。この男、決して致命傷になるような深追いはしてこない嫌らしさがある。
しばらくしてレオナールが入室する。
「ああ、ええと……」
クラリスは名前を忘れられていた。
「クラリスでございます」
「ごめんごめん、人の名前を覚えるの苦手なんだ、クラリス」
あはは、と愛想笑いをするレオナール。
「座って待っていてくれてよかったのに。遅くなってごめんね」
そう言って着席する。
――あら、思ったよりも紳士的な方なのかしら?
クラリスも続いて席につきながら、つい品定めするような目で見つめてしまう。
「? どうかした?」
見つめられてキョトンとしたレオナールが聞く。
「い、いえ、なんでもありませんわ」
「そう。やっとゆっくりお話しできるね。我が家の食事はお口に合っているかい?」
――良いフリが来た。
クラリスはここぞとばかりに昨夜の話をする。
「ええ、それはもう。昨夜はメインディッシュをいただけませんでしたけれど」
「ええっ、そうだったの? ホーディンク、何があったの?」
「は、申し訳ございません、詳しくは分かりかねますが、おそらくは何か手違いがあったのかと」
――手違いですって? そう言い訳するために部屋から退出したのね。
「あら、侍女長にそのようにご依頼されたのではなくて?」
逃すまいとニッコリ微笑むクラリス。
「もう、気をつけてよ。僕のお嫁さんになるかもしれない人にそんな失礼な。クルリス、我が家はうっかり屋さんが多くてね。それはお腹も空いたでしょうに、ごめんね」
「……クラリスです。いえ、あとでパンをいただきましたから」
――うっかり屋さん、ね。
使用人たちがこれまでどう乗り切ってきたのか、少し見えた気がした。「うっかり」なのだろう、何事も。
ただ、それが公爵閣下の「普通」の印象になっているとすると、少し厄介かもしれない。
――それにしても、はるかに身分の低い私なんかにもよく謝る人ね。
クラリスは「公爵」という響きから想像していた人物像とのギャップを感じていた。まるで偉そうなそぶりがない。
「今日も、倉庫の片付けなんかをやらせていただきましたの」
クラリスは「花嫁修行」についても探りを入れてみた。
「倉庫の? なんで君が?」
キョトンとするレオナール。それを見てクラリスは確信した。
――本当に一任していて、中身も知らないのですね。それなら。
「ホーディンクさんのご指示ですわ。花嫁修行ですって」
「そうなんだ。倉庫の片付けが? うーん、ホーディンクが言うならきっと意味があるんだろうけど。ホーディンク、あまり変なことはさせてはダメだよ?」
「は、かしこまりました。アーヴィング公爵家のため、しっかりと務めて参ります」
「ホーディンクは真面目だからなあ。困ったことがあったら僕に直接言ってくれていいからね」
そう言って、レオナールはクラリスへ柔らかな笑顔を向ける。
クラリスも笑顔を返しながら、頭の中をフル回転させる。
――変だとは思っても、執事への信頼が勝るというところかしら。随分信頼されているのね、この執事さん。でも、相談の許可を得られたのは大きいわね。
クラリスはホーディンクを一瞥する。
お互いに表情を変えずに視線が絡み合う。
――「うっかり」と「公爵家のため」。この組み合わせね、きっと。
「レオナール様は執事や使用人を信頼されているのですね」
「もちろん! ホーディンクのおかげで僕は絵を描くことに集中できるんだ。ありがたいよ。僕のお父様が小さい頃からうちに仕えてくれているんだ。僕の第三のお祖父様みたいなものだよ」
「まあ、そうなのですね」
相手の方が信頼されている中で批判を繰り広げるのは得策ではない。クラリスは直接の相談について許しを得ただけでも成果だったと考えることにして、笑顔で話題を変える。
「ところで、絵を描きに行ってらしたとおっしゃっていましたが、どちらまで?」
「そうなんだよ、秋は木々が綺麗でね。外でしか描けない絵があるんだ。いいかい、紅葉にもいろんな赤があってね、枯れ落ちる葉とこれから赤みが増す葉、この違いが絵のテーマを決めるんだよ。だから僕は川辺のよく陽の当たる並木でモチーフを探していたんだ。いやあ、あそこは前から目をつけていたんだけど、実に素晴らしい色彩だったよ」
絵の話になったら、途端に饒舌になるレオナール。エプロンの件といい、紅葉の色が好きなのだろうか。
「そ、そうなんですか。私、あまり絵の技法には詳しくないもので……エントランスにも立派な絵が飾られていましたわね」
クラリスは、圧倒されながらも話をつなげる。
「おっ、見てくれたのかい。あれも僕が描いたんだよ」
「ええっ!?」
ガタッ、と、クラリスは思わず机に腕をぶつけてしまう。
しかし、クラリスが見たエントランスの絵は、本職の画家の手によるものとしか思えなかった。
だから素直に驚いてしまった。
上級貴族が趣味で嗜んでいるというには、あまりにも本格的だった。
「お上手……なんて言葉では表せないくらいお上手ですわね。絵をお売りになっているの?」
クラリスはつい、商売に結びつけてしまう。
売れそうなものは値踏みする。もはや商人の習性のようなものだった。
「ありがとう! 僕の絵を褒めてくれるなんて、君はいい人だね。お父様もお兄様も絵ばっかり描いてって褒めてくれなかったからなあ。ああ、絵を売ろうと思ったことはないんだ。一枚一枚、大切に描いているからね」
お金にならない、時間とお金を使いそうな趣味――クラリスの理解を超えるが、それが上級貴族というものなのだろうと妙に納得する。
「そうなのですね。公爵閣下としてのご公務もお忙しいでしょうに、素晴らしいですわ」
「ああ、そういうのはほとんど家の者に任せてるからね。僕はいつも絵を描いてるんだよ」
――えっ?
今、何かすごいことを聞いた気がして、クラリスは、その意味を考える。
花嫁修行は一任していると聞いていたけれど、ほとんどの公務を任せている? 本当だろうか?
公爵が、公爵としての仕事を使用人に任せ、自分はいつも絵を描いている。
それは、上手にもなるはずだ。
「そ、それで……お家の方は特に問題ないのですか?」
「ないよ? ねえ、ホーディンク」
ホーディンクはそれまでの無表情から一転、好々爺という様相の柔らかい笑みを浮かべる。
「もちろんですとも、レオナール様」
「そうなのですか、素晴らしい配下をお持ちなのですね」
そう言いながらも、クラリスは見逃さなかった。
ホーディンクの視線が一瞬、厳しく冷たいものとなってクラリスに向けられたのを。
そして、クラリスは商店を経営する上でよく知っていた。
こういう笑みを浮かべて「問題ない」と自信満々に言う者は、大抵、問題があるのである。
――解決しなきゃならないことだらけね、この家。
そうでもなければ私なんかがここにいるわけないか、とクラリスはある意味で開き直った。
「それで、婚約のお手続きがまだだと伺っているのですけれど、進めて構いませんか?」
メイと共に、今日絶対に確認しようと話していた質問だ。
花嫁修行に必然性がないなら、ホーディンクの花嫁修行なんてものに付き合わない。レオナールに許可さえ貰えば良いのだ。
メイはもう少しレオナールと仲良くなってからの方が良いと言っていたが、クラリスは後になればなるほどレオナールが使用人たちから色々吹き込まれ、自分たちの立場が危うくなる危険性の方が高いと踏んでいた。
これは公爵閣下に花嫁修行について「助けを求める」のとは違うから、ホーディンクのルールにも抵触しない。そして、それでいて自分の立場に関わる公爵閣下の認識をはっきりさせられる質問でもあった。
――レオナール様が婚約自体を嫌っていたり、使用人寄りだったら難しかったかもしれないけれど、この感じなら。
少しでも打ち解けて、レオナールの本音を確認する。クラリスはそのために話を絵画の話題に向けたのだ。もっとも、想像以上の話が聞けてしまったのだが。
「旦那様、その件に関しまし……」
「うん、もちろん! もとからそのつもりで婚約を承知したのだし、クラリスいい子みたいだし! 話していて楽しいよ」
ホーディンクが口を挟もうとしたが、レオナールはその前に即答した。
「ありがとうございます! 名前、覚えてくださいましたね」
――やったね! やはり、レオナール様は婚約自体を嫌がってはいなかったのね。
ホーディンクは何事もなかったかのようなそぶりで後ろに控える。旦那様に逆らうつもりはないらしい。
「うん。クラリス、よろしくね」
「はい、レオナール様、こちらこそよろしくお願いいたします」
「旦那様、花嫁修行は継続いただいてよろしいでしょうか」
「うん、そこは任せるよ」
――余計なことを……。
クラリスは、あわよくばこれで全てを終わらせようと企んでいたが、そうはいかないようだ。ただ、自分で自分のことをしたり、家の掃除をする程度、クラリスには大した問題ではない。
「そうですか、かしこまりましたわ」
クラリスは笑顔で礼をする。
こうして、ディナーの夜は更けていったのであった。
――さあ、手続きとやらを早く進めて、正式に婚約者にならなきゃね!




