第3話 初めまして、レオナール様
「朝食をもらいに来たわ」
翌朝。クラリスはすでにベッドメイクを済ませ、着替えを整え、準備万端で厨房へ向かった。
返事を待たずにトレイにパンとミルク、サラダを乗せる。メイの分も併せて二人分だ。部屋で食べるためにそれを持って廊下を戻る。
「ほう、きちんとご自身で取りにこられたと」
部屋の前で、執事と会った。
「おはよう。そういえばまだ名前を聞いていなかったわね」
クラリスは、この男の花嫁修行とやらに乗ることにした。しかし、使用人に敬語はやめる。立場を明らかにするためだ。
「これは失礼、申し遅れました。アーヴィング家の執事を務めます、ホーディンクと申します」
「ホーディンクさん、公爵はいまどちらにお出かけされているのかしら?」
「レオナール様のご予定につきましては、外部の方にはお伝え致しかねますので、ご容赦ください」
「あら、私は婚約者となるためにここに参りました。婚約相手のご予定を伺うことに何か問題でも?」
クラリスは、彼らが自分たちをどう認識しているか、まずはそれを明らかにしようとする。
しかし、予想外の答えが返ってくる。
「まだ、ご婚約は成立しておりませぬ故」
――えっ? そうなの? お父さんは決まったと言っていたような?
クラリスは内心驚いたものの、なるべく顔には出さずに続ける。
「……決まったと、聞いているわ。そうでなければここに来ないでしょう」
「左様でございますな、いまはいわば内定の状態。手続きがまだ済んでおりません」
「手続き?」
「これは失礼いたしました。貴族になりたてではご存じないのも無理はございませんな。貴族の婚約成立には王宮への届けが必要なのでございます」
――そんなものがあるのね。それにしても、少し癪に触る言い方ね。事実だけど。
馬脚を現してきた。そう考え、クラリスは次の手に移る。
「そう。じゃあいいわ。良いお部屋を用意してもらったけれど、少しベッドが固かったわ。他の客間を見させてもらっても? いま、他にお客様はいらっしゃるの?」
二人が通されたのは最低ランクか、下手をしたら客間ではなく使用人の部屋ではないかと考えている。花嫁修行と、ただの無礼は違う。花嫁修行を嫌がらせの隠れ蓑にすることを許さないための確認だった。
「他にお客様はいらっしゃいませんが……客間は新たな来客向けに整えてありますので」
「荒らしたりなんてしないわ。ちょっと拝見するだけよ。少し待っていて」
クラリスは一度部屋へ入り朝食のトレイを置くと、廊下に戻り隣の部屋へと向かう。
中で待っていたメイもついてくる。
部屋のドアを三度ノック。
返事はない。
「空いている部屋なら、扉を開けてちょうだい」
「ですが……」
「開けて」
「……」
ホーディンクが扉を開ける。
するとそこには、二人が泊まった部屋とは比べ物にならないほど豪奢な部屋が広がっていた。
「……ここは、客間?」
「はい、客間のひとつにございます」
ホーディンクは悪びれもせずに答える。
「なぜ私たちをこの部屋に通さなかったのです? 空いているのよね?」
「客間はお客様向けでございますので」
クラリスは、一瞬、言われた意味を理解できなかった。
これは……明らかな侮辱ではないだろうか? そう考え、ホーディンクへ向き直す。
「……私たちは客ではないと? 公爵夫人の候補なのでしょう?」
「婚約者候補様は身内の候補。つまりはお客様のうちではありません」
――だから正式な客間でなくて良いと? 本気で言っているの?
詭弁にしか思えなかったが、昨日言われた花嫁修行のルールも踏まえると、貴族の流儀に疎いクラリスは判断に困った。
「僭越ですが」
メイが口を挟む。
「私たちが泊まった隣のお部屋、あれはこの豪華なお部屋に泊まる方の、使用人向けの部屋ではありませんか?」
埒が明かないと、単刀直入に聞くメイ。
ホーディンクは、ハァ、とため息をつく。
「あの部屋で充分でしたでしょう?」
――あら。馬脚どころか馬体まで出てきた。
「へえ。それは公爵閣下の指示? それともあなたの考え?」
そっちがその気なら――クラリスもお貴族様モードをやめる。
「これまで、レオナール様には伯爵家より下位の家からの縁談などありませんでした。それでもご成婚に至らなかった。つい先日まで平民であった方にはこの意味がわかりませんかな?」
当然、クラリスにも意味はわかる。そんなところに男爵家の娘、それも平民上がりごときがしゃしゃり出ても無駄だと。そう言いたいのだろう。
貴族の社会に染まったご令嬢なら、あのような嫌がらせや、下働きの強要をされれば困惑もするだろうし、酷い侮辱と感じる者も多いだろう。しかし、クラリスは良くも悪くも商家の娘。この程度で引き下がるつもりはなかった。
「身分に差があろうとも、これは正式な縁談よ。公爵家が、公爵閣下が受けたから私はここにいるの。良いも悪いも決めるのは公爵閣下であって、使用人であるあなたではない! 違う!?」
か弱いご令嬢のような気品はないかもしれない。しかし、クラリスには商売で鍛えた胆力があった。
強く言い返されると思っていなかったのか、ホーディンクは答えに詰まる。
「もう一度だけ聞くわ。私たちを使用人の部屋に押し込んで下働きをさせようというのは、公爵閣下ではなくあなたの独断なのね? どうなの!?」
クラリスの声になんだなんだと使用人たちが顔を出してくる。
「……私がレオナール様より一任された花嫁修行でございますので。このお屋敷での振る舞いは社交界にも広く知られることになります。どうかお気をつけを」
――社交界の評判。それは貴族のご令嬢は震えるでしょうね。そうやって過去の婚約者候補を黙らせてきたのかしら?
「その物言いは何? そう言えば引き下がると思ったのかしら? 私は掃除だろうと洗濯だろうとなんだってやるわよ。ただね、公爵閣下ではない使用人がその立場を悪用して侮辱してくるのなら容赦はしない。そう言っているのだけれど?」
クラリスはホーディンクから視線を外し、使用人たちを見回す。
「皆さんも、伝統ある公爵家の使用人なら、その家名を背負っていると肝に銘じなさい。私が平民上がりのたかだか男爵家の娘であることは事実よ。ただ、それで甘く見るのならそれ相応の覚悟をしておきなさい!」
クラリスが視線を向けるたびに、使用人たちはそそくさと隠れていく。
「……まったく」
その時だった。
エントランスの方から声がする。
「どうしたんだい? 随分賑やかだね」
「だ、旦那様! お帰りなさいませ」
ホーディンクがエントランスにすっ飛んでいく。
「あら、あなたがアーヴィング公爵閣下ですの? 初めまして、あなたの婚約者になる予定のクラリス・ボルワートです……わ?」
クラリスは、自分の目を疑った。
なぜなら、そこに立っていたのは、四日前にお店で筆を買って行った青年だったからだ。
――まさか、もう会っていたなんて!?
「えっ? 婚約者? 新しい人? 今日来る話だったっけ?」
痩せ気味の青年は、金色のくせっ毛がくるくると巻いていて、年齢よりも若く見える。
驚いて固まっているクラリスの方に駆け寄ってくる。
「もしかして、待たせちゃった? ホーディンクから今日って聞いた記憶はないんだけどな……。ごめんね、絵を描きに行ってたんだ」
――私だって、気づいていない? どうしよう……?
クラリスは会ったことがあると言うべきか、悩んでいた。「四日前まで商店に立っていた女」という事実は、公爵閣下と釣り合いが取れた話ではない。公爵閣下がどういう方かまだよくわからない中では、気がついていないなら言わない方が良いかもしれない。
「……いえ、お約束は昨日でしたので一泊させていただきましたわ。使用人の方々と『楽しい』やり取りをさせていただいていたところでしたの。おほほ」
クラリスは扇で顔を隠す。公爵閣下の考えや人となりがわかるまでは穏便な会話に徹することに決めたのだ。
「昨日だったの!? それは失礼しました。ああごめん、ちょっと画材をしまってくるね。またあとでお話ししましょう」
そう言って、公爵閣下は使用人たちと共に大荷物を抱え、バタバタと廊下の先へ行ってしまった。
残されたのはクラリスとメイのみ。
「……何あれ」
メイが呟く。
「あの方、画家さんなのよ」
クラリスは肩をすくめる。
絵筆を真剣に見るレオナールが、クラリスの脳裏に浮かぶ。
「ご存知なんです?」
「ちょっとね」
「あの〜……」
ぼそっ、と声をかけられる。
クラリスが振り向いた先には、使用人の女の子。
「はい?」
「私、エイルって言います。その……さっきはスカッとしました! ありがとうございます」
それだけ言って、タタタっと駆けていった。
「……なんなんでしょう?」
「きっと、さっきの執事さんとのやりとりでしょ。いろいろありそうね、この家」
クラリスは腰に手を当て、呆れたように言った。
「とにかく、あることないこと吹き込まれる前に公爵閣下に会えたのは良かったわ。……次は、公爵閣下対策ね」




