第2話 公爵家のおもてなし
公爵家の門前で、妙な無言の間が開く。
――お父さんから今日伺うという話は通っているはずなのに……日を間違えた? いや、そんな。さすがに何度も確認して、準備して、それでやってきたのに。
クラリスは、ついてきてくれた侍女のメイを見る。
何も知らないとブンブン首を振るメイ。
それはそうだ。一人では格好がつかないからとついてきてもらっただけで、メイはクラリス専属の侍女ではない。
クラリスが何を言うべきかと考えを巡らせていると、老紳士が口を開く。
「こちらの方で手違いがあったかもしれません。どうぞ、ご逗留いただいてレオナール様のお戻りをお待ちください。明日か、明後日には戻られるかと思いますので」
「そ……そうですか。では、そうさせていただきます……?」
訪ねた相手が不在なのに、こんなに気安くお相手の家に泊まってしまって良いものか? 一度帰るべきか? クラリスは慣れないことばかりで頭の中がグルグルしてしまったが、絶対に戻らない決意で出てきた手前、お申し出を受けることにした。
「では、こちらへ。遠路お疲れ様でした、ボルワート男爵令嬢」
――えっ? 私、男爵令嬢って言ったっけ?
疑問には思ったものの、クラリスは違和感を表には出さず、ひとまず案内に従った。
*
屋敷の中も、絢爛豪華の一言だった。
ついキョロキョロとしてしまう二人。
調度品、絨毯、階段の手すり。
クラリスが商家の生まれだからこそわかる、一級品の数々。
そして階段の上には公爵閣下のご家族の肖像だろうか、大きく立派な絵が掛けられている。
――金貨、百……いや百二十……。
つい、値踏みしてしまうクラリス。
「どうぞ、こちらでおくつろぎください」
通された部屋は客間だろうか、飛び抜けて豪華とは言わないが、侍女と二人で過ごすのにはなんの不便もない。それくらいの広さの部屋だった。
案内してくれた老紳士は下がり、部屋にはクラリスとメイの二人だけとなった。
クラリスは緊張の糸がぷつりと切れ、ベッドに座り込んだ。
「ふう。貴族って、侍女と本人で違う部屋に通されるのかと思っていたけど、こういう形もあるのかしら」
クラリスは、貴族の流儀にまだ疎かった。
「クラリス様……いや、普通は別々なんじゃないですかね?」
「うーん、私はメイと一緒の方が心細くなくていいけど……そうよね」
クラリスは部屋を見回す。
カーテン、テーブル、ベッド。どれも悪くはない品。だがこのお屋敷で見た一級品とは程遠いものだった。公爵家が客間に使う品々とは思えなかった。
「……おかしい、わね。やっぱり」
「でしょ?」
クラリスは少し公爵家の雰囲気に飲まれていたのかもしれない。冷静になってみると、おかしなことばかりだ。
「ご夕食の用意ができました」
しばらくしてドアがノックされ、先ほどの老紳士が現れる。
「はい。さ、参りましょう、メイ」
「かしこまりました、お嬢様」
初めが肝心と、少し気取ったそぶりをしてみるクラリスに、メイも乗り気で付き合った。
食堂は、二人にとってはボールルームかと思うほどの、とんでもない広さだった。
「メイ」
呆気に取られているメイを小声で促し、クラリスはカトラリーとナプキンが用意されている席の前に立つ。
メイが椅子を引き、クラリスが席につく。
「レオナール様が不在となり申し訳ございません。心ばかりのお食事をお楽しみください」
メイはただクラリスの後ろに立っている。
食卓が使用人と別なのはボルワート家でも同じなので、そこにはクラリスも違和感はない。
「ボルワート男爵令嬢、確認しましたところ、本日がお約束の日で間違いございませんでした。この度は公爵家の不手際、誠に申し訳ございません」
食事をしながら、そんな話をされる。
周りの給仕や使用人が一斉に頭を下げるので、クラリスの方が逆に気まずさを感じてしまう。
「そ、そうでしたか。誰でも間違いはございますわ。ではアーヴィング公爵がお戻りになるまでお世話になります」
「寛大なお言葉、誠にありがとうございます。どうぞお寛ぎください。では、おもてなしはお任せしましたよ、侍女長」
「かしこまりました」
侍女長と呼ばれた壮年の女性が恭しく返事をする。
老執事は他に用事があるのか、食堂から出ていく。
そんなこんなでクラリスがスープと前菜をいただいていると、デザートが運ばれてきた。
――あれ? メインディッシュは?
「どうかされましたか?」
困惑するクラリスを見て、侍女長が怪訝な顔をする。
「いえ……」
この後に出てくるのかと思い、クラリスはデザートスプーンを手に取った。
しかし、その後他の皿が運ばれてくることはなかった。紅茶が淹れられる。
「おしまい、ですか」
「はい、左様でございます」
侍女長は顔色も変えずに答える。
――これは、なかなかの仕打ちね。
客人のメインディッシュを「忘れる」など、このような立派な家で、あり得ない。
門でのやりとり、公爵閣下の不在、部屋の質、そして、メインディッシュ。
クラリスのなかで、違和感は確信に変わった。
クラリスも「平民上がりの男爵令嬢ごとき」と軽んじる者もいるだろうとは思っていた。しかしこれほどあからさまな「歓迎」を受けるとまでは、想像していなかった。
――問題は、これが公爵閣下の考えなのか、使用人の独断なのか、ね。今騒いでも公爵閣下は不在。「みっともなく騒いだ」みたいに曲げられても困るわね。さて、どうしましょうか。
クラリスは、ティーカップを持つ手が怒りで震えないよう、注意しながら紅茶を啜った。
すると、一度部屋を出ていた老執事が戻ってきた。
「ボルワート男爵令嬢。明日からは、全ての身の回りのことをご自身で行なっていただきます」
老執事はクラリスの脇に立ち、相変わらずの微笑みで語りかけてくる。
「食事の用意、片付け、ベッドメイク、着替えなど。お付きの方の手伝いもご遠慮いただきます。また、掃除、洗濯など家事全般について屋敷の仕事を行なっていただきます。よろしいですかな」
――これが、お父さんの言っていた「花嫁修行」か。
「それは、何故にですか」
目線のみを執事へ向ける。クラリスの視線と執事の視線が交錯する。
「公爵夫人として相応しい方は、上に立つ者として、差配するだけでなく実務も身につけていなければなりません。これはそのための花嫁修行でございます」
正しい話のように聞こえはするけれど、何もそこまで下働きに力を入れなくとも良いのではないか。クラリスはそんな疑問を抱くものの、騒ぐにしても今ではないと考え一旦は受け入れることとした。
「承知しました。メイ、私が全て行うから、手出しは無用です」
「それから――」
――まだ、何かあるの?
「レオナール様やご実家など、花嫁修行に関して他者へ援助を申し入れた場合、その時点で婚約を辞退されたことになりますので、こちらも併せてご承知おきください」
――怪しい。
クラリスは、無言でまた一口、紅茶を啜る。
上質な茶葉の苦味が、喉まで出かかった言葉を飲み込ませた。
*
「間違い、嫌がらせ、正当な花嫁修行……どれが正解でしょうね。あるいは、全てか。ご不在では公爵閣下の真意がわからないわね……」
部屋に戻ったクラリスは、独り言を呟く。
メイはクラリスと別に食事を摂りに行っているので、クラリスは独り、今日のことを考えていた。
しかし、考えても結論づけるにはヒントが足りない。
しばらくして、メイが部屋に戻ってきた。
「いやー、聞いてくださいよクラリス様」
「どうしたの?」
「私、他のメイドたちと一緒の部屋で、一人だけ離れた机で食べさせられて。どれも冷えてるな、でも使用人の賄いなんてこんなもんか、って思ってちらっと横をみたら、他の人の皿からは湯気が立ってたんですよ!」
「いただけたならいいじゃない。私はメインディッシュ抜きよ」
「クラリス様、私たち一応お客様じゃないですか。公爵家ともあろうものが客人のメインディッシュ飛ばすと思います? 冷めたご飯出すと思います?」
クラリスは首を横に振る。
「いいえ。嫌われたものよね」
ひとつ肩をすくめ、クラリスは続ける。
「ただね、メイ。公爵閣下が私と結婚したくないのか、使用人が結婚させたくないのか。あるいは、伝統やしきたりみたいなものがあってのこの扱いなのか。まずはこれらを見極めないといけないわ」
「使用人が勝手にやってるかもってことです? まさか!」
「あり得るでしょう? いろんな令嬢がアーヴィング公爵との結婚に至れなかったという事実があるもの。訳アリの『訳』がこれかもしれないわ」
「なるほど。結婚がお嫌なら婚約の申し入れを受けなければ良いだけですもんね。誰に何のメリットがあってそんなことをするのか、ってことですね」
「そう。私が消えて喜ぶのが公爵閣下なら、それはおとなしく去った方がいいでしょうけどね。問題は、使用人だった場合よ」
クラリスは、むしろその可能性が高いと踏んでいた。公爵閣下にとって、婚約者との破談が続くことにメリットを見出し難いからだ。適格者を選ぶ必要はあるにしても、過剰な嫌がらせは本末転倒だ。
「……よし!」
腰掛けていたベッドから勢いよく立ち上がるクラリス。
「厨房にパンをもらいに行きましょう。腹が減っては戦はできぬ、ってね!」
「了解です。厨房の場所ならさっき覚えたから、ご案内いたしますわ、お嬢様」
クラリスの決意に、メイはお茶目なカーテシーで応えた。
厨房にクラリス自ら入っていくと、使用人たちからギョッとしたような目を向けられる。
しかしクラリスはお構いなしだ。
「パン、もらっていくわね。何でか知らないけど、お腹が空いちゃったから。何でか知らないけどね」
止める者はいない。
目を見れば、誰もが気まずそうに目を逸らす。
――全員が全員、私が邪魔ってわけでもなさそうね。
パンをいくつか持って部屋に戻る二人。
「メイ、明日は様子を見ながら反撃するわよ」
「了解です!」
二人はパンを齧りながら作戦会議を開く。
――お父さんにも、トーマスにも、すぐ逃げ帰ってきたなんて思わせないんだから!




