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黒潮とグラニオン ~ 鹵獲から始まるガトー級潜水艦の数奇な運命  作者: もろこし


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第二話 不運なグラニオン

■1942年(昭和十七年)7月31日 早朝

 キスカ島 東方海上

 日本海軍 特設運送船 鹿野丸


「今のは危なかったな」


「魚雷は船底をくぐり抜けたようですね」


 相浦大佐と森久大尉は顔をみあわせ安堵のため息をつく。身動きが取れない所に撃ち込まれたのだ。皆が死を覚悟したが、白い航跡を引いた魚雷はなぜか船底の下を通り過ぎていった。


「根拠地隊への連絡はできそうか?」


「無理ですね。まだ電源が復旧していません。通信不能です」


「第26号駆潜艇がこちらに向かっているはずだ。島でも戦闘音は聞こえているだろう。なんとか気付いてくれると良いのだが……」


 鹿野丸は今も8センチ砲と13ミリ機銃を撃ちまくっている。さすがにキスカ島にもこの音は聞こえているはずだった。


 だが、まともな照準器もない特設運送船では命中なぞ期待できない。そもそも水面下の目標に対しては8センチ砲弾も13ミリ機銃弾も効果が薄い。それが分かっているのか、忌々しいことに敵潜水艦は悠々と潜望鏡を出して居座っている。


「これで敵が諦めてくれるなんて都合の良いことはないかな?」


「こっちは手負いで足のとまった輸送船ですからねえ。諦める訳がないでしょうな」


 今の魚雷はたまたま外れたが危険は去っていない。こちらに打てる手はない。諦念した相浦大佐と森久大尉は、奇跡を信じて敵潜水艦の潜望鏡を見つめていた。




■米海軍 潜水艦 グラニオン


 お通夜のような状態の鹿野丸とは逆に、グラニオンの方は殺気立っていた。


「相手は止まった的だぞ!次こそは外すな!4番から6番、順次発射!」


 半ば切れ気味のエベール少佐は、今度は念を入れて3本の魚雷を放った。


 だが今度もやはり爆発音は聞こえない。


「艦長、2本は命中したようですが、残念ながらどちらも不発のようです」


 グラニオンはつくづく運に見放されていた。


 たかが1隻の貨物船に6本も魚雷を使って爆発したのは1本だけ。これでエベール少佐は切れた。帽子を床に叩きつけて叫ぶ。


「クソ!クソ!ポンコツ魚雷が!こうなったら近づいて浮上砲撃で沈めるぞ!」


「艦長、危険です!敵は発砲しています!まだ魚雷は艦尾発射管に4本残っています。なにも無理をする必要はありません」


 副長があわてて引き留める。しかし切れて頭に血が上ったエベール少佐には届かない。


「その魚雷がポンコツなせいでこのザマだ!もう魚雷なんぞ信用できるか!いいから命令通りにしろ!」




■日本海軍 特設運送船 鹿野丸


「……どうやら運はまだ残っているようだな」


 相浦大佐が無意識に止めていた息を吐いて緊張を緩めた。魚雷を3本も撃ち込まれた時は今度こそと死を覚悟したが、今回も幸い魚雷は不発だった。


「しかし敵はまだ諦めていないようです。徐々に近づいてきていますね」


 森久大尉が白波を引いて近づいてくる潜望鏡を見つめて言った。


「さすがに年貢の納め時か?」


「時間が稼げたおかげで総員上甲板は完了しています。反対舷に短艇も降ろして移乗も開始しました。今なら撃沈されても何人かは生き残れるでしょう」


「死ぬにしても、せめて一矢を報いたかったな」


 いまだ発砲を続けている8センチ砲をみつめて相浦大佐がため息をつく。


「まったくその通りですね……おや!?敵潜水艦、どうやら浮上してくるようです!」


「おっ?なにか損傷を与えたか?」


 海面が泡立ち敵潜水艦の司令塔、そして船体が姿を現した。距離は400メートルほどしかない。


「撃ちまくれ!こうなったら撃沈してやれ!」


 相浦大佐が檄を飛ばす。


 浮上した敵潜水艦のハッチが開き、中から水兵がワラワラと出てくる。そして司令塔の後ろにある小さな備砲にとりつき発射準備をはじめた。


 8センチ砲弾が敵潜水艦の司令塔をかすめ、通信マストを叩き折る。そして敵の水兵らが発砲準備が整える前に、敵潜水艦の艦尾側から水柱とともに激しく空気が噴出し始めた。


「やりました!命中です!」


 鹿野丸の船橋が歓声で沸き立った。




■米海軍 潜水艦 グラニオン


 司令塔後部の3インチ砲にチームが取りつき準備を始めたその時、艦尾側で大きな衝突音が聞こえた。チームの水兵らが慌てて甲板に身を伏せる。


 その衝突音は司令塔にも聞こえていた。


「どうした!何があった!報告しろ!」


 エベール少佐が叫ぶ。だが結果を聞くまでもなく、艦の後部から激しい空気の噴出音が響いてきた。みるみる艦が左舷側に傾き始める。


「左舷後部、5番、6番メインタンク損傷!空気の流出が止まりません!」


「艦長!だから浮上攻撃は危険だと言ったじゃないですか!このままでは横転沈没します!」


 副長の言葉でエベール少佐はようやく頭が冷えた。そして自らの判断の間違いに気付く。だが全てが遅かった。


「右舷、5番、6番メインタンク、ベント開け!艦のバランスを維持しろ!」


「艦長、駄目です!それでは艦首が浮いてより危険です!」


 副長が慌てて艦長の指示を止めた。


 潜水艦のメインタンクは、艦が傾斜しすぎると下部のフラッドホールから空気が漏れ出してしまう。


「ならば艦首両舷、1番、2番のタンクも注水するか?」


「そこまでやると艦の浮力を維持できません」


 このまま左舷に傾斜したままでも、いつ全ての浮力が失われるか分からない。グラニオンは完全に行動不能となっていた。


「……仕方ない、艦を放棄する!機密の破棄を忘れるな!時間がないぞ!急げ!司令部に状況を報告しろ!場所、時間もだ!」


 エベール少佐が叫ぶ。そして副長に向き直った。


「副長、すまなかった。完全に私の判断ミスだ。降伏の白旗を準備してもらえないか」


「艦長、とりあえずこの場の謝罪は受け入れます。ですが、もし本国に無事帰られたら今回の件は報告させて頂きます」


 副長の言葉をエベール少佐は黙って受け止めるしかなかった。司令塔の乗員らもエベール少佐に冷たい視線を向けている。この時、彼らは貨物船の砲撃が命中したものと信じていた。


 副長は下士官に命じて白旗代わりにシャツを貨物船に向けて振らせた。それを確認したのか貨物船からの発砲はようやく止まった。




■日本海軍 特設運送船 鹿野丸


 見る間に敵潜水艦は傾斜していく。潜水艦の各所のハッチから水兵が湧き出すように脱出して海面に飛び込んでいる。


「ありゃ、敵は白旗を振ってますな」


 双眼鏡で森久大尉が傾いた司令塔の上でシャツを振る敵の乗員を見つけた。


「敵の降伏を確認した。砲撃中止!」


 相浦大佐はすぐに攻撃を止めさせた。船橋と甲板で万歳三唱が沸き起こる。


「すぐに短艇を向かわせろ!こうなったら敵も味方もない。一人残らず救助しろ!」


 鹿野丸は脱出用にすでに短艇を降ろしてあったので、すぐに救助作業にとりかかった。


 1時間後、ようやく駆け付けた第26号駆潜艇の協力もあり敵潜水艦の乗員全員が無事救助されていた。敵艦長の判断が早く、艦は大きく傾斜したもののが浮いており艦内への浸水もほとんど無かったことが幸いした。


 7月末の北太平洋の海水温は20度ほど。凍えるような冷たさではないが、救出された米潜水艦の乗員は支給された毛布にくるまり、鹿野丸の前甲板に集められていた。


 その集団の前に相浦大佐が近づく。彼の階級章を認めたエベール少佐が立ち上がり敬礼をした。相浦大佐もさっと答礼する。


「私がこの鹿野丸の指揮官の相浦大佐です。あなたがあの潜水艦の指揮官ですか?」


「はい、私が艦長のエベール少佐です。まずは部下を含め全員を救助して頂いたことに感謝します」


「あなた方は勇敢に戦いました。今後は条約に則って扱われることをお約束しましょう」


「ご厚意に感謝します」


 型どおりのやり取りを終え、名簿の作成や身体検査などが双方の実務者で行われる様子を眺めながら、相浦大佐はやや砕けた口調でエベール少佐に話しかけた。


「貴官はあの時、浮上砲戦を挑もうとしていたのかね?」


 海上で大きく傾斜して浮いている潜水艦に視線を移し相浦大佐が尋ねる。現在そこでは艦の保全と曳航作業の準備が行われていた。彼らは敵の最新潜水艦を鹵獲する機会をなんとかものにしようと悪戦苦闘していた。


「……はい、まあ、その通りです。恥ずかしながら」


「もしかして魚雷が残ってなかったとか?」


「いえ、まだ艦尾発射管に4本残っていました。今にして思えば、どうしてあんな馬鹿な真似をしたのか……自分で自分を殴りたくなります」


「まあ、気持ちは分かる。どうやら、よほど運に見放されていたようだな」


「全くその通りです。私はこの船に6本も魚雷を放ちました。しかしまともに作動したのは1本だけ……おかげで頭に血が上ってしまいました」


「その不運がなければ我々の方が死んでいた可能性もある。その不運に我々は感謝すべきだろうな」


「それは……」


 エベール少佐は今更ながら、つい先ほどまでこの貨物船を撃沈しようとしていたことを思い出した。そうなれば目の前の大佐も死んでいたことだろう。


「貴官が気に病む必要はない。戦争だからな。そして貴官にとって戦争は一旦終わったことになる」


「ありがとうございます。ところで、これから私たちはどうなりますでしょうか?」


「この船は動けないので、まずはまもなくやってくる別の貨物船に移ってもらう。そこから一旦キスカ島に行って、それから日本本土に送られるだろう。当然、尋問は覚悟しておいたほうがいい。収容所の食事が口に合うことを祈るよ」


「こんなことなら箸の使い方をもっと練習しておけば良かったです」


 エベール少佐は力なく笑った。


 その後、グラニオンは駆け付けた別の特設運送船『菊川丸』に曳航され速やかにキスカ島に運ばれた。


 当たり前だが鹿野丸の曳航は後回しにされた。後日、引き返してきた菊川丸に曳かれてようやくキスカ島に移動できたが、鹿野丸は動けないまま洋上で三日間も待たされる羽目になった。


 その数日後、エベール少佐らグラニオンの乗員は、急遽予定を変更した菊川丸に乗せられて日本へと移送されていった。




■グラニオン鹵獲後


 敵の新型潜水艦を無傷に近い形で鹵獲したという報に、日本海軍は色めきだった。


 さっそく連合艦隊司令部は修理のため特設工作艦『山彦丸』をシンガポールから呼び戻し、さらにミッドウェー海戦後に新編されたばかりの第二航空戦隊(旧第四航空戦隊 隼鷹、龍驤)を護衛につけてキスカ島に送り出した。


 米海軍は暗号解読からこの日本海軍の空母部隊の動きを把握していた。


 しかし米海軍はグラニオンが降伏し鹵獲されたことに気付いていなかった。グラニオンが無線アンテナの損傷で通信を送れていなかったためである。グラニオンが11月に入っても帰投せず通信もないため、喪失したもの見做し除籍していた。


 米海軍は日本空母部隊の動きをミッドウェーの敗戦をカバーするために限定的な攻勢をアラスカ方面で行うものだと予想した。このため米軍はアラスカの守りを固めることを優先し、キスカ島に対する攻撃を一時的に取りやめてしまう。


 こうして米海軍はグラニオンを破壊する絶好のチャンスを逃すことになる。


 その間に、特設工作艦山彦丸によって排水と応急修理を受け、自力で浮上航行できるようになったグラニオンは、第二航空戦隊に護衛され横須賀に移動していった。

【あとがき】


繰り返しますが、グラニオンが鹵獲されたこと以外は『ほぼ史実』です……敵ながら不憫な潜水艦です。


モチベーションのアップになりますので、評価や感想をいただけると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
投稿予告から待ってました しかしこの戦闘がほぼ史実で、実際にはグラニオンが沈んでるだけっていうんですから事実は小説よりもって奴ですね そしてエベール少佐はきっとエリクサーを使い残すタイプ
ネット上で見つかる資料を探してみました。 謎の多い、しかしどのパターンでも運が悪い最後を迎えた潜水艦ですね。 - USS Grunion (SS-216)の英語版Wikipe記事によれば自らが発射した…
しかしよく浮上砲戦で特設輸送船一隻で史実撃沈したものですね。イレギュラーな運用でしたし切り込みで乗り込まれたU505なんてのもありますからまだ潜水艦の運用に齟齬があったりすればこうなるんでしょうかね。…
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