第十話 伊号 第五〇一潜水艦 1945 終戦
■1945年(昭和二十年)9月
広島県 呉海軍基地
終戦後、米海軍はすぐに日本へ調査団を送り込んできた。米国海軍訪日技術使節団:U.S. Naval Technical Mission to Japan、いわゆる『NavTech』である。
キング米合衆国艦隊司令長官の命令によって組織されたこの調査団は、日本海軍の技術開発情報のすべてを調査することを目的としていた。このため事前に海軍情報部(Office of Naval Intelligence, ONI)によって調査対象のリストアップまで行われている。
9月23日に佐世保に上陸した調査団は、事前計画に基づき日本各地の調査に散っていった。
そして9月28日、日本海軍の一大拠点である呉に入った調査団は、多数の残存艦艇の中にとんでもない艦を発見する。
「なぜここにガトー級潜水艦があるんだ!?」
並んで係留されている伊号や呂号などの日本潜水艦のなかで、伊五〇一の特徴的な艦型は一際異彩を放っていた。
調査員はすぐに随行している日本海軍士官に食って掛かった。
「おい!あの艦はなんだ!どうして我が軍の潜水艦がここにある!説明しろ!」
「どうしてと言われましても、我々が鹵獲したから有るのですが……」
「鹵獲しただと?ガトー級潜水艦が鹵獲されたなんて話は聞いてないぞ?」
「そう言われましても実際このように我々は鹵獲しています。たしか時期は1942年の7月頃で、場所はキスカ島だったはずです」
「1942年だと?なんてことだ……就役直後の頃じゃないか……」
確かに良く見れば、背の高い司令塔は極初期の頃に建造されたガトー級である事を示している。
当時最新鋭だった潜水艦が就役直後に鹵獲されていたという事実に、調査員は頭を抱えた。
「元の艦名は?そして乗員はどうなった?」
「貴国での元の艦名は『グラニオン』だったそうです。乗員は全員生存しています。捕虜名簿にも載っていますよ」
これは半分嘘である。
日本は『俘虜の待遇に関する条約』(ジュネーヴ条約)に署名はしたが批准していなかった。このため中立国や赤十字を通して米国と捕虜名簿を交換はしていたが、日本はグラニオンを鹵獲したことを秘匿するため戦時中に渡した名簿に乗員名を載せていなかった。
喪失したはずの艦が敵国に現存していて、戦死したはずの乗員も全員生きていた。その事実に関係者や家族は大騒ぎになった。
死後特進してしまった階級はどうするとか、支払われた遺族年金はどうするのか、もう墓もたてて遺産も相続しちゃったぞ、もう再婚して子供もいるのですが、等々と面倒な話がたくさん持ち上がったが、それは別の話である。
「そうか、こいつが『ゴースト・サブマリン』の正体だったのか……」
調査が進む中で、一人の調査員が納得した様子で言った。
「ゴースト・サブマリン?」
「俺がヌーメアに居た頃の話だがな、所属不明のガトー級潜水艦の目撃情報が度々あったんだ」
「所属不明?」
「ああ。航空機や艦船がガトー級潜水艦を見かけて通信するんだが応答がない。発光信号にも応えない。ただ司令塔から艦長らしき人間が敬礼する。乗員が手を振る。だが後で調べても該当する潜水艦の記録は見つからない。だからゴースト・サブマリンと呼ばれていた」
「なるほど。間違いなくこいつが幽霊の正体ですね」
その後、元伊五〇一乗員への聞き取りや航海日誌を調査した結果、それが間違いなく事実であることが裏付けられた。
腹立たしいことに伊五〇一には捕虜から入手した制服と帽子、そして金髪のカツラまで搭載されており、どうしても潜航が間に合わない時には堂々と米潜水艦のフリをして難を逃れていたとのことだった。
戦争のかなり早い時期にグラニオンが鹵獲されていたという事実からある程度予測はしていたが、調査を進めるにつれて恐ろしい事実が次々と明らかになり調査団の顔を青ざめさせた。
「この一号四型電探ってのは、どう見てもSDレーダーだぞ」
「こっちの三式水測状況表示盤てのはWCAそっくりだ」
「三式潜水艦方位盤ってのは完全にTDCのコピーだな」
「おいおい三式水中聴音探信儀はJKじゃないか。興奮してきたぞ」
「戊型潜水艦とかいうのはガトー級と瓜二つだぞ」
「その潜水艦の電池もサーゴ電池もどきなんだが……」
恐れていた通り、グラニオンの技術は完全に日本側にコピーされていた。しかもその技術は潜水艦だけでなく水上艦艇や地上の機器にも応用されている節があった。
この技術漏洩で、どれだけ日本の潜水艦戦力が底上げされたのか。どれくらい連合国の損害は増えたのか。少し想像するだけでも恐ろしい程の影響があったと思われた。
「売国奴!」「裏切者!」
この事態をもたらした元グラニオン艦長のエベール少佐には当然ながら非難が集中した。海軍も彼を軍法会議にかけ処分しようとした。
しかし調査の過程でグラニオンが鹵獲された経緯が明らかになってくると、その風向きが変わることになる。
なにしろグラニオンは自軍の魚雷の不具合のせいで水上砲戦をする羽目になり、更にまたその魚雷で沈没寸前に追い込まれて降伏し鹵獲されたのだ。
この事実が日本側の記録で明らかになると、逆にエベール少佐に同情が集まり、非難の矛先は海軍自体に向けられることになる。
日本がご丁寧にもグラニオンと鹿野丸の戦闘記録やMk.14魚雷の試験結果、果てはメインタンクから見つかった弾頭部まですべてを保管していたため海軍は言い逃れが出来なかった。
こうなると海軍はエベール少佐に責任を問う訳にはいかなかった。だが本来の責を負うべき当事者だったイングリッシュ少将はすでに事故死してこの世に居ない。
海軍は仕方なくエベール少佐を無罪とし、逆に彼とグラニオンの乗員を英雄として祭り上げ、話を有耶無耶にするしかなかった。グラニオン自体にも殊勲部隊章と従軍星章が贈られることとなった。
一方で伊五〇一は、潜特型や潜高型などの一部をのぞいて全ての日本潜水艦が海没処分される中で、同じく鹵獲艦だった第百二号哨戒艇(米駆逐艦スチュワート )と一緒に米海軍に返還された。
三年ぶりに母国に帰った伊五〇一は米海軍に再編入され艦名もグラニオンに戻された。
だがスチュアートが『Ramp(おてんば娘)』の綽名で親しまれ歓迎されたこととは対照的に、グラニオンに対する風当たりは強かった。
戦時中、米国に対して様々な損害を与えたグラニオンは、その経緯から『Femme Fatale(魔性の女)』という綽名で呼ばれ、水兵たちから忌み嫌われたという。
グラニオンは日本式になっていた装備類を元にもどす修理を受けたのち、カリフォルニア州のメア・アイランド海軍造船所でモスボール保管となった。
保管艦とはなったものの、すでに旧式化していたグラニオンはいずれ除籍解体されるか標的艦となる運命のはずだった。
だが日米関係の変化から、グラニオンは再び歴史の表舞台に立つことになる。
【あとがき】
沈んだはずの艦がひょっこり現れたので米軍も驚いたことでしょう。
捕虜の隠匿については米国もトレイシーとかフォート・ハントで叩けば埃が出まくりなのでお互い様ですね。そもそもイングリッシュ少将がちゃんとしてれば起きなかった事ですからw
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