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黒潮とグラニオン ~ 鹵獲から始まるガトー級潜水艦の数奇な運命  作者: もろこし


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最終話 海上自衛隊 潜水艦 くろしお 1955~現代

タイトル回収回です。

 終戦後、日本海軍は一旦解体されたものの、復員作業と機雷掃海のための部隊は残されていた。1946年(昭和二一年)には運輸省傘下に海上保安庁が設立され、その傘下に旧海軍の掃海部隊を基幹とした航路啓開部が創設される。


 そして1950年(昭和二五年)の朝鮮戦争勃発と冷戦激化から警察予備隊が創設され、海上警備隊を経て1954年(昭和二九年)についに海上自衛隊が発足した。


 海上自衛隊の主任務は当然ながらシーレーンの防衛であった。戦争で通商路をまともに防衛できなかったことが敗戦の一因であったのだから当然である。特に対潜水艦戦が重要視されていた。


 だが大きな問題があった。


 対潜訓練を行おうにも、その目標役を務める潜水艦を海上自衛隊は持っていなかったのである。米軍の潜水艦が訓練に協力してくれたものの、なかなか融通が利かず満足な訓練ができない。


 このため日本は米国に潜水艦の貸与を強く要望した。だが当初、米国は日本への潜水艦貸与に否定的だった。大戦中に日本やドイツの潜水艦に苦しめられたのだから当然といえば当然であった。




■潜水艦の貸与決定


 それでも粘り強い交渉の結果、1955年(昭和三十年)ようやく日本への潜水艦の貸与が許可された。


 その貸与艦として選ばれたのが『グラニオン』だった。


 米国は日本に最新の潜水艦を渡すつもりは無かったのである。


 グラニオンは、米国返還後に一応の復元修理はされていたが、それは最低限なものだった。建造当時の状態に戻しただけで最新のガピー改装はおろか大戦中に標準装備となっていたSJレーダーやシュノーケルすら装備されていない。


 対潜訓練の目標艦が任務であれば旧式艦でも十分であろう。それが米国の言い分だった。


 しかも貸与にあたり、米国は日本に対して自力でグラニオンを日本まで回航すること求めた。その上、回航要員は全員が米国の潜水学校を履修卒業することも求めてきた。


 士官はともかく英語をまともに話せない兵員にまで履修を求めたことは日本に対する嫌がらせとしか考えられない。


 それでも待望の潜水艦である。海上自衛隊は回航要員として『訓練派遣隊』を編成するため隊員を募集した。


 厳しい条件ではあったがそれでも希望者が殺到し、結果的に選抜されたのは上から下まで全員が元伊五〇一の乗員だった。


 派遣隊の隊長には伊五〇一の最後の艦長であった森永一佐が就任した。副長も当時の先任であった三佐である。そして乗員も全員が気心の知れた仲間であった。


 派遣隊は早速1月からコネチカット州ニューロンドンの潜水艦学校で約半年におよぶ教育訓練を受けた。


 学校での授業内容は厳しく英語でも苦労をさせられた。だが派遣隊員全員が非常に熱心な上にガトー級潜水艦に慣れていたこともあり、最終的に術科成績は同期トップどころか学校開設以来の最高成績で卒業するという快挙をあげたのだった。




■1955年(昭和三十年)6月20日

 カリフォルニア州 メア・アイランド海軍造船所


挿絵(By みてみん)


 潜水艦学校を卒業した派遣隊はメア・アイランド海軍造船所に移動し、そこで10年ぶりに『グラニオン』=『伊五〇一』と再会を果たした。


「いやーまさか再びこの艦に乗れるとはね」


 岸壁に立った森永一佐が感慨深げにグラニオンの司令塔を見上げる。


「懐かしいですなあ、艦長。10年ぶりですが、外見はあんまり変わってませんな」


 横に立つ副長も懐かしそうに船体を眺めている。実際、通信アンテナと備砲以外は当時の姿となんら変わっていない。


挿絵(By みてみん)


「まだこれからだぞ。我々にはこいつを無事に日本へ持って帰るという大事な任務が残っているのを忘れるな」


「そうでした艦長。失礼しました。ちょっと昔にもどった気分になってしまいました」


 そこから森永一佐ら派遣隊の面々は実際にグラニオンを使って2ヵ月間の実地訓練を行った。


 8月15日、サンジエゴで盛大な引き渡し式が開かれ、グラニオンは正式に日本へ貸与された。


 グラニオンは海上自衛隊所属の潜水艦 SS501『くろしお』と命名され、その初代艦長に森永一佐が就任した。


 501という艦番号は、全くの偶然ながら旧日本海軍時代と同じだった。海上自衛隊が発足した際の区分規則に則っただけであったが、何らかの意志が反映された結果かもしれない。


 引き渡し後も厳しい訓練は続けられ、ようやく9月27日に彼らはサンジエゴから日本に向けて出港した。


 そして10月24日、ついに『グラニオン』=『伊五〇一』=『くろしお』は再び日本に帰ってきたのだった。




■海上自衛隊 編入後


『くろしお』は、1960年(昭和三五年)に国産潜水艦の一番艦『おやしお』が竣工するまで、海上自衛隊唯一の潜水艦として、対潜訓練の目標艦や潜水艦要員の育成などに働き続けた。


 その後、1962年(昭和三七年)には貸与艦から供与艦となり、次々と新型潜水艦が就役していくなかでも、『くろしお』は大戦型の旧式艦ながら現役に留まり続けた。


 しかしついに1970年(昭和四五年)、『くろしお』は退役し除籍となる。


 1942年に米海軍SS216『グラニオン』として就役して以来、所属と名前が何度も変わったこの潜水艦は、その28年間にもおよぶ長い任務にようやく終止符が打たれたのだった。




■海上自衛隊 除籍後


 退役した『くろしお』は、本来ならばそのままスクラップとして解体される運命だった。


 しかし、そうはならなかった。各所で保存活動が巻き起ったからである。


 米国で建造され、鹵獲艦として旧日本海軍に在籍し、正規空母を撃沈し、原爆輸送中のインディアナポリスを撃沈して原爆投下を防ぎ、戦後ふたたび海上自衛隊に在籍して新たな潜水艦部隊の礎を築くという、数奇な運命を辿った殊勲艦をこのまま解体してしまうのは惜しいという声が多かったからである。


 当時は反戦運動が強い時代であったため保存に反対する声もあった。しかし元が米艦であるため他の旧軍兵器の保存活動に比べれは反対の声ははるかに小さかった。


 また米国からも保存を希望する声があがっていた。


 77隻も建造されたガトー級潜水艦であったが現存する数はそれほど多くなく、その中でも初期型の姿を残している『くろしお』は大変貴重だったからである。


 しかも戦果の面でみても軍艦撃沈の日米通算スコアでは『アルバコア(SS-218)』や『カヴァラ (SS-244)』を超えガトー級トップである。解体するくらいなら米国に再度返還しろという声が各所から上がっていた。


挿絵(By みてみん)


 これらの声に後押しされる形で、日本政府は『くろしお』の保存を本格的に検討しはじめた。そして1972年(昭和四七年)、ついに『くろしお』の保存が決定された。


 保存場所はグラニオンの調査を行った呉の旧海軍工廠跡地とされ、そこで陸上展示されることになった。




 しかし、せっかく保存され展示公開されるようになったものの、その後の『くろしお』の扱いは酷いものだった。他の保存兵器と同様にほとんど整備されることが無かったからである。風雨に晒されつづけた船体は荒廃し、そのまま時が過ぎていった。


 全体が真っ赤な錆に覆われたその姿から、いつしか『くろしお』は大きな司令塔を背びれに見立てて『赤いコイ(Red Carp)』と呼ばれるようになっていた。地元球団が優勝した年には『くろしお』の前で祭りが開かれることもあった。


 こんな状態ではあったが『くろしお』はそれなりに広島県民に親しまれていたのだった。




■てつのくじら館


 状況が変わったのは2004年(平成十六年)のことだった。


 自衛隊の歴史を伝える目的で『海上自衛隊呉史料館』の建設が決定したのである。『くろしお』が保存されている場所に新たに資料館を建設し、そこへさらに退役した潜水艦『あきしお』が『くろしお』の隣に展示されることになったのだ。


 そして『501』という名誉ある艦番は、海上自衛隊で初めてAIP(非大気依存推進機関)を搭載した新時代の潜水艦『そうりゅう』に受け継がれた。


 『くろしお』の展示にあたって、真っ赤な錆まみれだった船体も修復整備されることとなった。一部の地元球団ファンには大層惜しまれたものの、『くろしお』はかつて現役だった頃の姿を取り戻した。


 2007年(平成十八年)にオープンした『海上自衛隊呉史料館』は、巨大な2隻の潜水艦を生で見られることから『てつのくじら館』の愛称で親しまれ、隣の『大和ミュージアム』と並んで広島の一大観光スポットとして人気を博している。


 近年では、史料館の隣に中国地方で唯一の『ガ○ダムベース広島』がオープンしたため国内外からの観光客が大幅に増え、更なる賑わいをみせている。


挿絵(By みてみん)

【あとがき】


本編は以上となります。最後までお読みいただき、ありがとうございました。


海上自衛隊への『くろしお』貸与の下りは『ミンゴ』が『グラニオン』に変わった以外はほぼ史実です。


おまけの話として、『てつのくじら館 訪問記』を活動報告の方で公開しています。


『くろしお』の現在や『ガ○ダムベース広島』など盛り沢山の妄想訪問記となっております。興味のある方、左端の黒い影が気になる方は、ぜひ読んでください!


https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/72664/blogkey/3684183/


モチベーションのアップになりますので、評価や感想をいただけると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
ゴッグ!? 一瞬、ゴッグに全部持ってかれましたw 原爆阻止で史実よりも民間人の被害が少なく、輸送型潜水艦も活躍したのなら餓死病死した兵士も減った世界なのでしょうか。まあ、餓死病死はしなかった場合は最後…
イラストの黒い影w 訪問者は「さすがはゴッグだ、なんともないぜ」というのがお約束ですね
完結おめでとう御座います。 読めて幸せでした。 ありがとうございました。 それにしても数奇な運命ですねえ。 日本人としては感謝しちゃいますけど。
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