第11章:ブサイクと影の奇襲(アタック)
選抜試験の前日。チャドは街のバーに繰り出し、女性をナンパしようと必死になっていた。
「おいおい、なぁ子猫ちゃん。お前がいま話してるのは、WDASの未来のトップヒーロー様だぜ?」
チャドはドヤ顔で、自信満々の笑みを浮かべた。
目の前の女性は、隠そうともしない不信の眼差しを彼に向けた。
「……本気で言ってるの?」
「あぁ、マジさ。ほら、この筋肉を見てみなよ」
チャドが自慢の力こぶを作ると、ノースリーブのシャツの縫い目がパツパツに張り詰めた。女性はうんざりしたように目をそらし、退屈そうなため息を漏らす。
「わぁ……そりゃ凄いね」
彼女の声には、あからさまな皮肉が混じっていた。
「ってなわけでさ……一緒に一杯どう? 俺の奢りだぜ」
「ごめんなさい。でも私、もう連れがいるの」
次の瞬間、チャドが感じたのは、自分の肩を強引に掴み取る巨大な手の感触だった。
振り返ると、そこには敵意を剥き出しにした『四本腕』のメタヒューマンが立っていた。大男は言葉を交わす間もなく、チャドの身体をまるでジャガイモの袋のようにバーの出口へと放り投げた。
チャドは頭からゴミ箱へと突っ込んだ。
服をはたきながら這い出てきた彼は、耳に引っかかっていたバナナの皮を忌々しそうに投げ捨て、自慢のモヒカンヘアを撫でつけて完璧な形へと戻す。
「クソッタレが……。試験で俺を応援してくれて、凱旋した時に両腕で抱きしめてくれるような可愛い女が必要だな」
彼は一人でぶつぶつと毒づいた。
「随分と使い古された、ありきたりな妄想だな(ステレオタイプ)」
暗闇の奥から、陰鬱な声が響いた。
チャドは即座に警戒態勢をとり、声の主を探して周囲を見回す。
「誰だ、いま言ったのは!?」
影の中から姿を現したのは、アリスティア・ソーンだった。
顎まで覆う黒いハイネックのジャケットを着こなし、ネオンの光の下で青白く際立つ肌、そして完璧に整えられた黒髪。その姿には一切の乱れがなかった。チャドは一目で彼が何者であるかに気づき、ベルトから電撃のタクティカルバトン(特殊警棒)を引き抜いた。
「お前を知ってるぜ。選抜試験の志願者だな……あの『エモ系(陰キャ)』の野郎だ」
アリスティアは足を止め、困惑したように瞬きをした。
「あぁ、選抜試験の志願者だというのは間違いないが……。待て、今私をなんと呼んだ?」
「エモ系(陰キャ)の野郎、って言ったんだよ」
「……何だそれは?」
「いや……実を言うと俺もよく分かってねぇんだわ」
チャドは気まずそうにポリポリと後頭部を掻いた。
「確か、旧世界の言葉だった気がする」
「……まぁいい。それよりも、お前と話がしたい」
チャドはポケットから櫛を取り出すと、自慢の髪をサッと梳かし、自信たっぷりにニカッと笑った。
「わりぃな、暗黒系の坊ちゃん。俺様は今、明日の試験で俺を奮い立たせてくれる『運命の女神』を探すのに忙しいんだわ」
「そんなものが勝利の助けになるはずがない」
アリスティアは氷のように冷ややかに言い放った。
「だが、私ならお前を勝たせてやれる」
「あぁ? どういう意味だ?」
「明日、共闘できる仲間が必要なんだ。信頼に足る者がな」
チャドはさらに笑みを深め、自分が優位に立ったことを確信して勝ち誇った。
「へぇー、つまり一人じゃ心細いってわけか? 見かけ倒しだな……思ってたほど大した実力じゃねぇんだな、お前」
アリスティアは奥歯を噛み締めた。
(才能のある志願者の中で、お前が一番『使い捨てやすい駒』だからだ)などと本音を口にできるわけもない。彼は、これから自分が口にするであろう屈辱的な言葉を思い、前もって深い、深い諦めの溜め息を吐き出した。
「それは……お前が、誰よりも『最高にクール』だからだ」
「だよな! 分かってんじゃん。よし、乗ったぜ」
「試験が始まったら、すぐに私からお前を捜索する」
アリスティアはへし折れかけた自分のプライドの痛みを必死に無視しながら、淡々と続けた。
「私の能力は、影を操り、影から影へと転移することだ。それまで馬鹿な真似はするな。いいな?」
「応よ、任せとけって! 俺様はただのイケメンじゃねぇ。脳みそまでイケメンだからな」
アリスティアの顔が、あからさまな嫌悪感で歪んだ。
「……勝手にしろ。せいぜい、お前の『お似合いなレベル』の女性とやらをナンパする任務とやらに戻るがいい。お前のような男には、きっとお似合いの女が引っかかるだろうさ」
それだけを言い残すと、アリスティアは路地裏の濃厚な闇へと溶け込むように姿を消し、完全に気配を絶った。
あとに残されたのは、ショーウィンドーのガラスに映る自分の完璧なモヒカンヘアに見惚れている、チャド一人の姿だけだった。
現在――。シミュレーションの森の中、カルヴィンとラブガールは、チャドの手槍から放たれる執拗な高電圧の電撃に苛まれ、息も絶え絶えになっていた。チャドは傲慢な嘲笑を浮かべて腰を落とし、完全に優位に立った自らの状況を心底楽しむように二人を見下ろした。
「おいおい、見ろよ……。俺様の前で随分と無防備じゃねぇか。アリスティア、こいつら、今すぐ仕留めちまっていいか?」
アリスティアはすぐには答えなかった。彼は微動だにせず、自らの顔の四分の一を覆う金属製のマスクに触れていた。まるで、その下に隠された何かを探り当てようとするかのように、その視線は遥か彼方を見つめている。
「まだ見つからない……」彼は不気味に、独り言を呟いた。
その瞬間、空からハートの形状をした白いドローンが急降下し、凝縮されたエネルギーレーザーを放った。光線はケーブルの一本を容赦なく破壊し、捕らわれていたラブガールを解放する。チャドが反応するよりも早く、彼女は彼の顔面に破壊的な威力の拳を叩き込んだ。怯む隙さえ与えず、彼女はチャドの髪を乱暴に掴み取ると、アリスティアの方向へと力任せに投げ飛ばした。
アリスティアは即座に地面の影へと溶け込み、チャドの身体をそのまま素通りさせる。投げ出されたチャドは、背後の大木へと激しく激突した。
「痛ってぇな、このクソアマが……!」
チャドは頭を摩りながら、忌々しそうに毒づいた。
ケーブルの束縛からようやく解き放たれたカルヴィンが立ち上がり、大剣を構える。しかし、彼が一歩を踏み出すよりも早く、足元の地面がまるで黒い液体のようにドロドロと溶け落ちた。
瞬きをする一瞬の刹那、彼の視界が反転する。気づけばカルヴィンは、元いた場所とは異なる森の開拓地――アリスティアの目の前へと転移させられていた。
「な……何が起きたんだ!?」
方向感覚を失い、カルヴィンは困惑の声を上げた。
アリスティアは、肌が粟立つほどの冷徹な静けさで答えた。
「互いの同盟相手から、十メートルほど距離を離しただけだ」
「あまり賢い選択には見えねぇな」カルヴィンは鼻で笑った。「相棒抜きで、俺に勝てると思ってんのか?」
「最初からこれは個人戦だ。チャドなどただの『使い捨ての駒』に過ぎない。この同盟の真の支配者は私だ」
アリスティアの冷酷な言葉が続く。
「それに、お前は先ほどの護符使いの少女との戦闘で、すでに満身創痍のはずだ」
「……俺たちの戦いを見ていたのか?」
「終始、な。お前はもう少し、自らの『影』に注意を払うべきだった」
アリスティアが自らの片目を手で覆い、そして手を退けた。――その瞬間、彼の眼窩はぽっかりと空洞になっていた。まるで、その瞳が闇に溶け込み、別の場所から全てを監視していたかのように。
それ以上の言葉は不要だった。アリスティアは純粋な影から二本の漆黒の双剣を具現化させると、カルヴィンに向けて容赦なく襲い掛かった。
一方、元の戦場では、ラブガールが忌々しそうに立ち上がるチャドを冷ややかに見下ろしていた。先ほどの白いドローンが彼女の元へと帰還し、磁力によって彼女の背中へとカチリと装着される。
「カルヴィンはどこ?」
彼女は抑揚のない、冷徹な声で問いかけた。
チャドは不敵にニヤつくと、手にした二本の手槍を電撃を纏うツインナイフ(双短剣)へと変形させた。
「アリスティアが別の場所に飛ばしたんだよ。それがアイツの能力さ。影を思いのままに操る。物体や人間、それこそテメェの身体の一部だって影を通じて転移させちまうんだ。冷たくて、妙に乾いた液体に浸かるような感覚でさ……思い出すだけでも鳥肌が立つぜ」
「……あなたは、彼の部下なの?」
「アイツが俺の相棒なんだよ。二人で勝ち残り、WDASで相応しい地位を手に入れるのさ。――ところで、今度は俺から一つ質問させてくれ。お前、人間でもメタヒューマンでもねぇな?」
ラブガールは何も答えず、ただ冷徹に彼を見つめ続けた。
「あのドローン、まるでお前の身体の一部みたいに背中に吸着したろ。それに、お前はさっきから一度も瞬きをしてねぇ。そこから導き出される結論は二つ。お前がただのイカれたバケモノか、あるいは――ただの『無機物』かだ」
直後、ラブガールが腕のエネルギーキャノンを斉射した。しかし、チャドは二本の電撃ナイフを目の前で交差させ、その衝撃を強引に弾き返す。
「私の名前はラブガール。一人の老人が、ある唯一の目的のために私を創り出した」
彼女は自らの胸の奥で怪しく輝くコア(光の結晶)を、手のひらで強く叩いた。
「――世界に『心』を持つことの意味を証明するために。他人が私のことを何だと思おうと関係ない。私はただ、自分の使命を果たすだけ」
「ヘッ、反吐が出るほど安っぽいセリフだな。心だと? 本物の人間ってのはもっと容赦がねぇし、そいつらの心臓はただ血を流すためのポンプに過ぎねぇんだよ!」
これ以上言葉を交わすのは時間の無駄だとばかりに、チャドは両手に狂気的な稲妻を迸らせながら、猛然と突進を開始した。




