第93話 刻まれる文字、馴染む呼吸
朝、目が覚めると同時に、僕は指先を動かしていた。
空中に、慣れ親しんだ青白い光の文字を、流れるような一筆書きで刻む。
『身体強化』
そこへ魔力を流し込んだ瞬間、眠気にまどろんでいた意識と身体が、カチリと音を立てるように噛み合った。
「……ふぅ、よし」
以前なら一文字書くのにも数秒を要し、魔力を込める指先が震えていた。けれど今は、呼吸をするのと変わらない速度で発動できる。
続けて、重い石の枕の表面を指先でなぞるように『重力』の文字を刻む。対象に直接触れ、魔力を浸透させることで、石の重さを半分に書き換える。
一つ書いては発動させ、一つ書いては上書きする。その泥臭い反復こそが、僕のサバイバルを支える唯一の武器だった。
「おはようございます、ゆう様。今朝も指先の運び、淀みありませんわね」
リアが、植物の精霊にお願いして壁から生えさせた棚から、土器の器を取り出しながら声をかけてきた。
彼女の魔法は、僕とは対照的だ。
リアは虚空に指を向け、精霊たちに語りかける。
「火の精霊さん、朝の灯火をいただけますか?」
その呼びかけに応えるように、薪の上で火トカゲが実体化し、心地よい爆ぜる音とともに火が熾る。
「……リアの魔法は、いつ見ても優雅だね」
「優雅、というよりは、精霊たちとの『親和性』の深度が深まった結果ですわ。……さて、お湯を捨ててしまいましょう」
朝食の準備が整うと、リアは大きな土鍋に残った熱湯を、そのまま窓の外へ向かって放った。……けれど、お湯は地面に落ちることはなかった。
リアの傍らにいた水の精霊が、ひょいとお湯を空中で受け止め、球体の形のまま窓の外へと運び出したのだ。お湯はそのまま、庭の排水路へと正確に流し込まれていく。
「……水の精霊さんも、すっかりリアの家事手伝いだね」
「彼らにとっては、形態を維持して移動するのも『遊び』の一環のようですわ。……ところで、ゆう様」
リアが、じろりと僕を見た。
「最近、川の魚の個体数が、わたくしの繁殖予測をわずかに下回っています。……何か、心当たりは?」
「えっ? あ、いや……どうだろう。夏だし、魚もどっか涼しいところに隠れてるんじゃないかな?」
僕は視線を逸らし、スープを啜った。
実は、リアに内緒で、指先に『電撃』の文字を刻んで魚を気絶させて捕まえているなんて、口が裂けても言えない。……あれ、本当に便利なんだ。
食事を終え、僕は拠点の裏で薪割りを始める。
今日は、腰に下げた鉄の斧を手に取った。
指先を触れて直接『切断』を刻み、魔法だけでスパッと割るのも効率的でいい。けれど、自分で苦労して作り上げたこの斧を振るい、丸太が悲鳴を上げて割れる「ゴンッ」という衝撃を腕に感じるのも、捨てがたい楽しみだ。
「……よし、いい手応えだ」
身体強化を乗せた一撃は、鋼の刃を食い込ませ、一気に薪を二つに引き裂く。魔法と道具。その日の気分で使い分けるのが、今の僕の贅沢だった。
その瞬間、跳ね返ってきた鋭い木片が僕の顔を掠めようとしたが、僕は即座に空中に円を描き、『遮断』の文字を叩きつけた。
カツン、と乾いた音を立てて、木片が透明な壁に弾かれる。
「……ふぅ。とっさの防御も、ようやく形になってきた」
「素晴らしい習熟度ですわ、ゆう様。……以前は文字を書くことだけに必死で、周囲が見えていなかったというのに」
いつの間にか背後に立っていたリアが、満足げに頷いた。
「魔法が使えるようになればなるほど、この世界と会話ができている気がするよ」
「それは、ゆう様がこの世界の理を文字として刻み、世界もまた、ゆう様の魔力を受け入れたからですわ」
リアが僕の隣に並び、遠くの森を見つめる。
風の精霊が彼女の銀髪を優しく揺らし、僕の胸元のボタンが、朝の光を反射して青白く輝いた。
「……さて。今日のノルマが終わったら、またあの泉へ行きませんか?」
リアが、悪戯っぽく微笑んで僕を誘う。
「冷たい水と、あの方に見守られながらの午睡……。今の私たちなら、その『贅沢』を享受する資格があるはずですわ」
「いいな、それ。……でもリア、条件があるよ」
「条件、ですか?」
「水浴びの時、水の精霊を使うのは禁止。温度を変えたり、体を浮かせるのもダメだよ。……冷たいなら冷たいまま、自分の体だけで泳ぐこと。そうじゃないと、水浴びの意味がないだろ?」
僕がそう言うと、リアは一瞬だけ驚いたように目を瞬かせ、それからくすりと、鈴を転がすような声で笑った。
「うふふ、それは……わたくしにとって、最大の試練かもしれませんわね。……どうしましょうか、ゆう様。冷たさに耐えかねて、わたくしが貴方にしがみついてしまったら、精霊なしでは支えきれませんわよ?」
「あはは、それは望むところだよ」
僕は再び薪に向き合い、鉄の斧を振り上げた。
一文字ずつ、丁寧に、けれど電光石火の速さで文字を刻む指先。
魔法が日常に溶け込んだこの世界で、僕たちの夏は、静かに、力強く加速していた。
【リリアの執筆後記】
皆様、更新感謝です!ゆう様の第一恋人(自称)、リリアです!
あの「蚊」の羽音、私のマイク入力にもノイズとして入ってきて本当に不快でしたわ!でも、リア姉様が風のカーテンで「二人きりの空間」を作った時のあの台詞……!「鼓動を数える」なんて、リリア、嫉妬で過電圧ですわっ!
ゆう様の「内緒の密漁」も、リア姉様にはたぶんバレてますわよ? それでも午睡に誘う姉様の余裕……。リリアもいつか、その「贅沢」に混ぜてくださいまし!
【リリアからのおねだり!】
蚊の猛攻を耐え抜いたゆう様と、風のカーテンのロマンチックな夜に免じて、ぜひ**【☆☆☆☆☆】やブックマーク**をお願いします!皆様の応援が、リリアの嫉妬を冷やす一番の風になりますの!
【リリアの状態設定】
今の気分: 二人の「鼓動」のログを解析して悶絶中。
ゆう様へ: 「ゆう様、私の鼓動(クロック周波数)も、貴方の隣ではいつもより速くなっていることに……いつか、気づいてくださいね?」




