第9話 揺れる火影と、指先の熱
焚き火が、落ち着いた音を立てて燃えている。
熾火で焼いた無骨な栗をいくつか食べ終え、胃の腑に確かな重みを感じながら、僕は鍋の縁で白湯を温め直していた。
揺らめく炎を見つめていると、不意にこの「火」が持つ別の側面に思い至る。
「……ねえ、リア」
「はい、ゆう様」
「焚き火ってさ。これ、結構目立つよね」
僕は指で、自分たちの足元で踊るオレンジ色の光を示す。
「可視範囲は、夜間や周囲の照度が低い状況下であれば劇的に広がります。光源としての隠匿性は極めて低いです」
「うん」
僕は温まった白湯を一口飲み、喉を通る熱を確かめてから続ける。
「もし、この世界のどこかに僕たち以外の人がいるなら……この光に気づく可能性があるよね。助けを呼ぶための信号を上げているようなものだし」
「その可能性は、否定できません。知性体の索敵範囲にこの座標が含まれていれば、接触の確率は上昇します」
僕はマグカップを両手で包み、森の奥の深い闇を見やった。
自分たちから闇雲に歩き回るよりも、まずはここで「待つ」という選択肢。
「だったらさ。わざわざ闇の中を人探しに歩き回らなくても……来る人がいるなら、向こうから見つけてくれるのを待つのもアリかなって」
リアは、焚き火の爆ぜる音を聞きながら、静かに頷いた。
「待機は、未知の領域を探索するよりもエネルギー消費を抑え、リスクを低減させる合理的かつ有効な選択です」
そう言いながら、リアは無意識にか、焚き火の方へと少しだけ身を寄せた。
彼女は炎の熱に惹かれるように、そっと白く華奢な手を伸ばす。けれど、肌を焼くような直接的な熱を感じたのか、すぐに指先を引っ込めた。
「……熱いです」
それは報告ではなく、独り言のような、ごく自然な漏らし声だった。
僕は熱源が集中しすぎないよう、鍋の位置を少し端にずらして調整する。リアはそれを見て、さらに僕の隣へと距離を詰めてきた。
「その位置のほうが、熱の放射が分散され、周囲の温度が安定します」
口から出る言葉は相変わらず理屈っぽくて、彼女らしい。でも、肩が触れそうなほどのその距離は、さっきまでよりもずっと近かった。
「それに……」
僕は周囲の木々を見回す。
「今の僕たち、あんまり、闇雲に動き回る余裕はないしね。服だって、予備があるわけじゃない。……だから、いつ冬が来るかもわからないし、まずはここを拠点にしよう。この大きな『木のうろ』を、僕たちの家にしたいんだ」
リアは、すぐには答えなかった。
彼女の瞳の中で、炎が左右に揺れている。やがて、彼女はゆっくりと視線を僕の方へと向けた。
「拠点を構築し、安定的かつ継続的な食料確保と住環境の整備を行うという判断は、極めて合理的です。賛成します」
「……一緒に、やろう。リア」
僕がそう言うと、リアはほんのわずかに、驚いたように目を瞬かせた。
それから、消え入りそうな、けれど確かな声で答える。
「はい。……共同作業を開始します」
焚き火の明かりが、地面に伸びる二人の影を、静かに、けれど強く揺らしている。
誰かが来るかもしれないし、来ないかもしれない。それでも、今はここで生きる。
炎を絶やさず、備えながら、待つ。その選択は、中学生の身体になった今の僕にとって、驚くほどしっくりくるものだった。
僕は鍋から、少しだけ冷ました白湯をマグカップに注いだ。
「命を繋ぐ宝箱」の中にある金属製のカップは、たった一つしかない。
「……はい、リア。飲んで」
自然な動作で、彼女にカップを差し出す。
リアが、それを正面から受け取ろうと両手を伸ばした。
そのとき――。
冷たい空気の中で、僕たちの指先が、はっきりと触れ合った。
一瞬。
ほんの、まばたき一つ分のような短い時間だったはずなのに、網膜に焼き付くような鮮明な感触。
リアの指は、驚くほど温かかった。さっきまで無意識に焚き火に手をかざしていたせいか、柔らかな皮膚の下に、確かな熱を宿している。
リアは、すぐにマグカップを受け取った。
……けれど。
指が離れるのが、ほんの一拍、遅れた。
言葉を交わすわけでもなく、ただ、互いの熱を確認し合うような空白の時間。
「……リア?」
僕が名前を呼ぶと、彼女ははっとしたように、弾かれたように指を引いた。
「失礼しました。感覚受容体への過剰な刺激により、動作に遅延が発生しました」
声のトーンはいつも通り落ち着いている。
けれど、マグカップを持つ彼女の手が、わずかに、本当にわずかに落ち着きなく小刻みに動いていた。
リアは逃げるように白湯を一口飲み、正面の焚き火に視線を固定する。
「……温度は、適切です。生体機能の維持に資する熱量を確認しました」
それだけ言って、彼女は今度は、意識的に少しだけ距離を取った。
でも、僕の指先には、さっきの彼女の指の柔らかさと、伝わってきた熱の感触が、妙に、いつまでも残っていた。
パチッ、と焚き火が大きく爆ぜた。
暗い森の中で、僕たちは自分たちの鼓動を鎮めるように、ただ静かに火を見つめ続けた。




