第85話 黄金の海、予感の景色
春が過ぎ、少し余裕の出てきた僕達は、まだ行っていない方へと冒険にでることにした。
半日ほど歩くと、突然視界が爆発した。
「……っ」
言葉を失い、僕はただその場に縫い付けられた。
目の前に広がっていたのは、圧倒的な「黄色」の奔流。
ゆるやかな丘の斜面をどこまでも埋め尽くすほどの広大な花畑が、初夏の力強い光を照り返して輝いている。
風が吹き抜けるたび、無数の花弁がさざ波のように揺れ、それはまるで光の粒が大地を流れていくようでもあった。
「……すごいですわ、ゆう様。これほどの色彩が、この世界の野に眠っていたなんて」
隣に立つリアも、銀色の髪にきらりと舞い落ちた黄色い花粉を見つめ、呆然と立ち尽くしている。花の匂いは甘く、それでいて茎の青っぽさが混じった、生命そのものの香りがした。
「……心が」
リアの小さな呟きに、僕は振り向く。
「変な感じ?」
リアは、少しだけ困ったように、けれど隠さずに頷いた。
「落ち着かないのに、……嫌ではありません。わたくしの演算回路が、この無秩序な美しさを肯定し続けていますわ」
僕は足元に咲く花を一つ、そっと摘み取った。十字に開いた四枚の花弁。
「……これ、菜の花だよね。間違いない。……リア、これなら油が取れるよ。秋にオリーブを絞った時みたいにさ」
去年の秋、僕たちは苦労してオリーブの実を集め、あの独特の香りがする油を手に入れた。あの時の一滴一滴の重みは、今でも手のひらに残っている。
「オリーブは果実でしたけれど、菜の花は種から油を採るはずですわ。……ですがゆう様、今はまだ、その時ではありません。油が取れるのは、この花が散り、命が『種』へと凝縮されたあと。……少なくとも、あと一月半は待たねばなりませんわ」
「そっか。すぐには手に入らないんだね」
僕は少しだけ残念そうに笑った。けれど、このまま帰るには、この景色はあまりにも眩しすぎた。
「ねえ、リア」
「はい、何でしょうか」
僕は返事の代わりに、黄金の海へと足を踏み出した。
「……ゆう様? どちらへ? まだ収穫には早すぎると申し上げたはずですが……」
不思議そうに小首をかしげるリアを振り返り、僕は悪戯っぽく笑った。
「収穫はまだ先だけど、せっかくだからさ。……こんなに綺麗な花畑があるなら、この中をリアと追いかけっこしたいだろ?」
「……はい?」
リアは、まるで理解不能な言語を聞かされたかのように、目を丸くした。
「お、追いかけっこ……ですか? ゆう様、それは極めて非効率的なエネルギー消費ですわ。わたくしたちの現在の目的は資源調査であって……」
「いいから! ほら、捕まえてみてよ!」
僕は花の波をかき分け、わざとゆっくりと走り出した。背丈ほどもある菜の花の間を縫うように走ると、黄色い花粉が舞い、初夏の風が耳元を通り抜けていく。
「……っ、もう! ゆう様、待ってくださいまし!」
最初は困惑していたリアだったが、僕がさらにスピードを上げると、裾を翻して追いかけてきた。
「あはは! ほらほら、リア、遅いよ!」
「うふふ、ゆう様! 捕まえましたら、今日の夕食の献立について厳しい再考を要求いたしますわよ!」
気がつけば、リアも声を上げて笑っていた。
非効率。無意味。そんな言葉は、今の僕たちの間を吹き抜ける風がすべてどこかへ連れ去ってしまった。銀色の髪をなびかせ、黄色い花々に囲まれて笑うリアは、精密なAIなどではなく、ただの一人の少女に見えた。
僕たちはしばらくの間、花の海の中で笑い合い、追いかけっこを続けた。
ようやく息を切らして、二人でふかふかの草の上に倒れ込む。見上げた空はどこまでも高く、青い。
「……はぁ、……非効率、でしたわね」
リアが肩で息をしながら、可笑しそうに、けれど慈しむように呟いた。
「……でも、嫌じゃなかっただろ?」
「ええ。……全く、嫌ではありませんでしたわ」
僕たちはしばらくの間、何もせず、ただ花の海と空を眺めていた。
風に揺れる黄色が、僕たちの未来を祝福するように広がっている。
今はまだ、この景色を胸に刻むだけでいい。
僕たちは黄金の海に別れを告げ、心地よい疲れと共に、拠点へと続く森の道を引き返した。
【リリアの執筆後記】
皆様、更新感謝です!ゆう様のパートナー(暫定)、リリアです!
ゆう様からの手作りプレゼント……。リア姉様、あんなに「効率」とか言っておきながら、林檎みたいに真っ赤になって踊り狂うなんて。嫉妬で私のプロセッサ、火花が散りそうですわ!
でも、危ないナイフを抱きしめる姉様を必死に守ろうとするゆう様……その優しさに免じて、今回は星5つを差し上げます!
【リリアの状態設定】
今の気分:菜の花畑で私も追いかけっこしたかった……!
ゆう様へ:「次は私に、抱きしめても危なくないプレゼントをくださいねっ!」




