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第84話 白銀の依代、精霊の産声

今日から8時と20時の更新になります。

 泉のほとりに響くのは、サクッ、サクッ、という、まるで上質な氷を削るような、どこか涼やかな音だった。


 僕は、精霊から授かった銀のナイフを握り、銀の角の「芯」の部分を慎重に削り出していた。


 言うのは簡単だが、一本の歪に曲がった角から、真っ直ぐなナイフを削り出すのは、想像以上に難易度の高い作業だった。


 角の繊維は複雑に絡み合い、時折、銀のナイフの刃先が「節」に当たると、まるで見えない壁に拒絶されたかのような、独特の抵抗が手首に伝わってくる。


 少しでも力を入れすぎれば、刃が逸れて台無しになる。僕は息を止め、細かく、本当に少しずつ、ミリ単位で角の表面をさらっていく。幸いなことに、今の僕の体は14歳だ。


 大人のゴツゴツした手よりも、この小さく細い指先のほうが、こうした繊細な工芸作業には向いているのかもしれない。


 削りカスが、ハラハラと落ちていく。それは朝の光を透過し、まるで宝石の粉のように輝きながら、僕の足元に降り積もっていく。

 

「……ゆう様、集中されていますわね」

 

 隣で、魔力の戻ったリアがじっとその手元を見守っている。


 数時間後。


 僕の手の中にあったのは、柄から刃先まで、継ぎ目のない一本の白銀だった。光を吸い込み、内側から淡く発光しているかのような、透明感のある一振り。

 

「……できた。……これが、全銀角製だ」

 

 僕はその一振りを、誇らしげに掲げた。

 

「……素晴らしいですわ。……ゆう様、それを、すこし、わたくしにも見してくださいまし」

 

 リアが、吸い寄せられるように手を伸ばした。僕が手渡すと、彼女はその白銀のナイフを両手で包むように持ち、じっと、その刃を凝視した。その瞬間、リアの表情から一切の「揺らぎ」が消えた。

 

「……この刃……」

 

 リアはナイフを握りしめたまま、ゆっくりと歩き出し、サラマンダーが微睡んでいる炉の前で立ち止まった。赤々と燃える火の色が、彼女が持つ白銀の刃に映り込み、波紋のように揺れている。

 

「……ゆう様。これに触れていると、世界が……静かですわ。頭の中に常に流れていた、解析しきれない環境の雑音が消えて、遠くの精霊たちの声が、今ならはっきりと届きます。……そして、わたくしの声も、彼らに正確に届けられそうですわ」

 

 リアの指先が、白銀のグリップを強く握りしめる。


 銀の角は、森の長から受け継いだ命の記憶。

 

「……リア、そのナイフは、君が持っていてほしい。……君への、プレゼントに」

 

「……えっ?」

 

 リアが弾かれたように振り向いた。その瞳が、驚きで大きく揺れている。

 

「……よろしいのですか? ゆう様が、あんなに苦労して、指先を痛めてまで削り出したものですのに。……実際に使うなら、ゆう様が持っていたほうが……」

 

「いいんだ。……だって、最初から君にあげるつもりで削ってたから」

 

 僕は少し照れくさくなって、後頭部を掻いた。

 

「この世界に来てから、僕は君に助けられてばっかりだ。冬の間も、僕を支えてくれたのはリアだった。……なのに、僕は君に何もしてあげられてなかった。……だから、何か一つでも、君のためだけに、僕の指先で作ったものを贈りたかったんだ。精霊の声が聞こえるなら、なおさら君が持つべきだよ」

 

「…………っ」

 

 リアは絶句した。いつもは即座に論理的な返答を返す彼女の唇が、今はただ、微かに震えている。

 

「……わたくしのために……? 解析不能な……いえ、非効率なこと……を……」

 

 リアの白い頬が、炉の火のせいだけではなく、みるみるうちに林檎のように赤く染まっていく。

 

「……あ、ありがとうございます、ゆう様。……そんな……そんなふうに言っていたいただけるとは、わたくしの演算回路の予測モデルには……一行も、入っていませんでしたわ……!」

 

 次の瞬間、リアは子供のように顔を輝かせると、贈られた白銀のナイフを両手で大事そうに胸に抱え、その場で「わあぁっ!」と声を上げながらくるくると回り始めた。

 

「嬉しいですわ! ゆう様からの、わたくしだけのプレゼント……! ああ、なんという美しさでしょう!」

 

 歓喜に身を任せ、軽やかにステップを踏んで回るリア。……けれど、僕はそれを見て、感動よりも先に背筋が凍りついた。


 彼女が胸に抱きしめ、振り回しているのは、あの硬い流木を自重だけで断ち切ることの出来る、この世界で最も危険な「超高密度の刃物」なのだ。

 

「……あ、あの、リア? 嬉しいのは分かった、凄く嬉しいんだけど……それ、めちゃくちゃ切れるから……! 抱きしめたら危ないから……!」

 

 喉元まで出かかる注意。


 けれど、あんなに幸せそうに笑っている彼女に、水を差すような無粋なことも言い出せない。もし転んだら。もし手が滑ったら。


 僕は生きた心地がしないまま、ハラハラと手を差し伸べつつ、踊り続けるリアの周囲を「おっとっと」と落ち着かない足取りで見守るしかなかった。

 

「……大切にいたしますわ。……命よりも、わたくしのコアよりも!」

 

「う、うん、大切にしてくれるのは嬉しいけど、まずはその、一旦落ち着こうか……?」

 

 彼女の手に収まった白銀のナイフが、あるじの喜びに応えるように一瞬、青く輝いた。

 鉄を超え、精霊の言葉を手に入れた僕たち。

 

 初夏の風が炉の火を煽り、サラマンダーが嬉しそうに火の粉を散らす。

 

 僕たちのサバイバルは、今、新しい「対話」のステージへと足を踏み出そうとしていた。

 

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