表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

63/126

第63話 春の芽吹き、終わらない日常


 朝。いつもより、少しだけ遅い目覚めだった。


 僕が目を覚ますと、小屋の中は隙間から差し込む柔らかな光に満ちていた。


 いろりの火はすでに起こされており、ぱちり、と爆ぜる小さな音が静かな部屋に響いている。


「……おはようございます、ゆう様」


 朝の支度をしていたリアが、僕に気づいて振り返った。


「おはよう」


 声は、いつも通り。昨夜の甘い熱なんて、最初からなかったかのように。


 けれど、毛皮の寝床から起き上がった瞬間、僕は自分の体の異変に気づいた。妙に、軽い。昨日まで僕を苛んでいた魔力痛の疲れが、嘘のようにきれいに抜けていた。


「……よく眠れた?」


「はい」


 即答だった。


 一瞬だけ、視線が合う。僕たちは同時に、少しだけ早く視線を外した。それでいい。言葉にしなくても、肌に残る温もりがすべてを物語っている。


 朝の支度を始める。水を汲み、火にかけ、干し肉を炙る。いつもの流れだ。


 ただ、家の隅に置かれたあの無垢材の浴槽が視界に入るたび、昨夜の二人の距離感と、鼻先をかすめた銀色の髪の香りが、ふっと蘇る。


「……今日は、何からしますか?」


 リアが、湯気の立つコップを差し出しながら聞く。


「そうだね。家の拡張と……あとは薪の補充かな」


「はい」


「……それと」


 僕は一拍置いて、彼女の瞳を真っ直ぐに見た。


「魔法の練習も、少しだけ。昨日のリアを見ていて思ったんだ。僕ももっと、制御を覚えないといけないって」


 リアは、慈しむような眼差しで小さく頷いた。


「無理のない範囲で、ですわね。……わたくしも、お供いたしますわ」


 外に出ると、春の気配はいっそう色濃くなっていた。

 雪解けの水が小川を勢いよく満たし、冬の眠りから覚めた森の色が、日に日に深く、鮮やかになっていく。


 遠くで鹿の群れが草を食み、空を見上げれば、大きな鷲が円を描くように悠然と旋回していた。


「……今日も、平和だね」


「はい」


 リアは、そう答えてから、僕の隣にそっと寄り添った。


「ですが、世界は静かに動いていますわ。芽吹き、育ち、また巡る……その当たり前の繰り返しが、今はとても愛おしく感じられますの」


 僕は、その言葉に深く頷いた。


 大きな事件も、急激な変化もない。


 ただ、帰るべき家があり、温かな湯があり、そして隣にリアがいる。


 今の僕にとっては、それで十分だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ