第63話 春の芽吹き、終わらない日常
朝。いつもより、少しだけ遅い目覚めだった。
僕が目を覚ますと、小屋の中は隙間から差し込む柔らかな光に満ちていた。
いろりの火はすでに起こされており、ぱちり、と爆ぜる小さな音が静かな部屋に響いている。
「……おはようございます、ゆう様」
朝の支度をしていたリアが、僕に気づいて振り返った。
「おはよう」
声は、いつも通り。昨夜の甘い熱なんて、最初からなかったかのように。
けれど、毛皮の寝床から起き上がった瞬間、僕は自分の体の異変に気づいた。妙に、軽い。昨日まで僕を苛んでいた魔力痛の疲れが、嘘のようにきれいに抜けていた。
「……よく眠れた?」
「はい」
即答だった。
一瞬だけ、視線が合う。僕たちは同時に、少しだけ早く視線を外した。それでいい。言葉にしなくても、肌に残る温もりがすべてを物語っている。
朝の支度を始める。水を汲み、火にかけ、干し肉を炙る。いつもの流れだ。
ただ、家の隅に置かれたあの無垢材の浴槽が視界に入るたび、昨夜の二人の距離感と、鼻先をかすめた銀色の髪の香りが、ふっと蘇る。
「……今日は、何からしますか?」
リアが、湯気の立つコップを差し出しながら聞く。
「そうだね。家の拡張と……あとは薪の補充かな」
「はい」
「……それと」
僕は一拍置いて、彼女の瞳を真っ直ぐに見た。
「魔法の練習も、少しだけ。昨日のリアを見ていて思ったんだ。僕ももっと、制御を覚えないといけないって」
リアは、慈しむような眼差しで小さく頷いた。
「無理のない範囲で、ですわね。……わたくしも、お供いたしますわ」
外に出ると、春の気配はいっそう色濃くなっていた。
雪解けの水が小川を勢いよく満たし、冬の眠りから覚めた森の色が、日に日に深く、鮮やかになっていく。
遠くで鹿の群れが草を食み、空を見上げれば、大きな鷲が円を描くように悠然と旋回していた。
「……今日も、平和だね」
「はい」
リアは、そう答えてから、僕の隣にそっと寄り添った。
「ですが、世界は静かに動いていますわ。芽吹き、育ち、また巡る……その当たり前の繰り返しが、今はとても愛おしく感じられますの」
僕は、その言葉に深く頷いた。
大きな事件も、急激な変化もない。
ただ、帰るべき家があり、温かな湯があり、そして隣にリアがいる。
今の僕にとっては、それで十分だった。




