第60話 育てる浴槽、無垢の器
「リア」
「はい」
「お風呂がほしい」
一拍。
「……はい」
即答だった。
「二人で入れるくらいの、ゆったりした大きさのやつ」
今度は、ほんの少しだけ間があった。
「……確認ですが、ゆう様」
「どうぞ」
「家の外、もしくは、はなれではいけませんか?」
僕は、迷わず首を振った。
「家の中がいい、こう、片側の壁を拡張する感じで」
「……理由を、お聞きしても?」
「寒いから」
短く言う。
「あと、雨の日とかも入りたいし」
それと、と少し考えてから付け足す。
「……外まで行くの、面倒だしね」
リアは、納得したように小さく頷いた。
「合理的ですわね」
「でしょ」
「では」
リアは、完成したばかりの家の中を見回した。
壁、床、梁。
「……問題は、風呂釜ですわ」
「うん」
そこが一番の難所だ。
「水を溜める容器、加熱手段、排水経路。それと、床の耐久性ですわね」
淡々と挙げられる条件に、僕は腕を組んで考え込む。
「……土器はどうかな」
「容量が不足しますわ。それに、割れるリスクも高いですの」
「木は?」
「常時の水分と熱にさらされれば、劣化が早すぎますわ」
「……うーん」
しばらく、二人で黙り込む。家を作るのとは、また違う難しさだ。
「……石で囲った浴槽は、どうかしら」
リアがそう言った瞬間、僕は即座に首を振った。
「無理だよ」
「……?」
「重すぎる。運ぶのも無理だし、置いた瞬間、せっかく作った床が終わるよ」
「……」
リアは一拍置いてから、視線を足元の板へと落とした。家の構造を、頭の中でなぞっているのが分かる。
「……確かに。重量を考慮すると、現状の床構造では耐えられませんわね」
「でしょ」
「そもそも、据え付けの時点で困難ですわ」
「うん」
変な間はない。普通に考えて、無理。それだけの話だ。
「じゃあ」
僕は、少し考えてから続ける。
「重いものは使えない前提で考えよう」
「はい」
「床に負担をかけない。運べる。壊れても、直せる」
条件を並べると、リアはすぐに理解した。
「……木製、もしくは半地下式ですわね。家の中に設ける場合、地面に直接重量を逃がす設計が現実的ですわ」
「じゃあ」
僕は、少しだけ笑う。
「まずは風呂釜じゃなくて、浴槽から考えよう」
「はい」
リアは小さく頷いた。無理なものは、無理。でも、欲しいものを欲しいと言って、現実的な形に落とす。それが、今の僕たちのやり方だ。
「ねえ、リア」
「はい、ゆう様」
「ドライアドにお願いしてさ。木を、最初から浴槽の形に“育たせる”ことって、できないかな」
一瞬、リアの視線が家の外――森の方へ向いた。そこに立ち並ぶ木々を、じっと見つめる。僕は何も言わずに待った。
風が、葉を揺らす。しばらくして、リアが口を開く。
「……可能ですわ」
「本当?」
「はい。ドライアドは、成長の方向と速度をある程度、制御できますの。中空構造にすることも、不可能ではありませんわ」
「……じゃあ」
僕は思わず笑った。
「浴槽を“削る”んじゃなくて、“育てる”わけだね」
「はい。無垢材になりますわ。継ぎ目は、一切ありませんの」
「……それ、最高じゃない?」
リアは、少しだけ首を傾げる。
「評価基準がよく分かりませんが……技術的には理にかなっていますわ。床への負担も最小限ですの」
「だよね。じゃあ、お願いできるかな」
「はい」
リアは家の外へ出ると、木々の近くで静かに立ち止まった。
手を伸ばすわけでもなく、声を張るわけでもない。ただ、精霊に向けて、意識を開く。
しばらくして――空気が、ほんの少しだけ変わった。
木々の間で、緑の気配が揺れる。
枝がゆっくりと伸び、幹が太くなる。それは急激な変化ではないけれど、確実に形を持っていく。
「……すごい」
思わず呟いた。木は削られていないし、傷もない。ただ、最初からそうあるべきだったかのように、内側が空いた、なだらかな曲線を描き始めている。
「……完成まで少し時間がかかりますわ。ですが、浴槽としての形状は問題ありませんの」
「……無垢材の浴槽か。贅沢だね」
「そうでしょうか?」
「うん。たぶん、王様でも持ってないよ、こんなの」
リアはその言葉の意味を少し考えたあと、首を傾げた。
「……必要でしたら、表面の処理も調整可能ですわ。水を弾くように、とか」
「……そこまでできるの?」
「はい。木の意思と、相談しながら」
僕は、小さく息を吐いた。
「……家の中に、ちゃんとしたお風呂ができるんだね」
「はい」
二人で入れる、無垢材の浴槽。
まだ出来上がってもいないけれど、この家がまたひとつ、“暮らす場所”へと近づいていく気がした。




