第57話 魔力痛、あるいは無防備な朝
翌朝。目を覚ました瞬間、体に違和感があった。
「……っ」
起き上がろうとして、体が動かない。正確には、動かそうとした瞬間に、全身を鋭いナイフでなぞられるような激痛が走った。
腕、脚、背中、腰。全部だ。
「……い、た……」
声に出しただけで、胸の奥がひりつく。普通の筋肉痛とは違う。見えない無数の神経を、直接ザラついた布で擦られているような感覚だ。
「……やりすぎた、な……」
身体強化。昨日は、調子に乗りすぎた。動ける、運べると分かった瞬間、何度も重ねて使ってしまった報いだ。
小屋の中に、聞き慣れた足音が響く。
「……ゆう様? 起きていますか」
リアの声。
「……起きてるけど……正直、一ミリも動けない」
すぐにリアがそばに来て、僕の顔を覗き込んだ。
「……全身に、強い拒絶反応がありますわね」
「……筋肉痛、みたいなやつ……」
「それに加えて、魔力に由来する痛みも、あるようですわ」
やっぱりか。昨日の、あのひりつく感覚が今も体の内側に残っている。
「……ごめん。調子に乗った」
「はい」
否定はされなかった。けれど、リアは僕の言葉に答えた後、そのまま動かなくなった。
じっと、僕の顔を見つめている。
痛みで顔を歪め、浅い息を繰り返す僕の姿を。
その視線が、いつもと少し違う気がした。
分析するような冷たさはなく、かといって純粋な心配とも違う。何か……僕の知らない感情が、彼女の瞳の奥で小さく、熱を帯びて揺れているような。
「……? り、リア?」
名前を呼ぶと、彼女ははっとしたように、わずかに肩を震わせた。
「……なんでもありませんわ。今日は、無理に動かないでくださいまし」
彼女は即座に視線を外すと、いつになく手早く毛皮を整え始めた。
その指先が、不意に僕の首筋に触れる。
「……っ!」
それだけで、全身を電撃が突き抜けた。
「……すみません。触れるだけで反応が出ていますわね」
リアはそう言いながら、もう一度僕を見た。
その口元が、ほんの一瞬、柔らかく綻んだように見えたのは気のせいだろうか。
結局、その日はほとんど動けなかった。
リアはずっとそばにいた。
「……水、飲めますか」
コップを差し出され、受け取ろうとした僕の手を、彼女の指がしっかりと包み込む。
「っ、あぅ……」
「……痛みますか?」
「……うん。すごく。ごめん、手が震えて……」
リアは少しだけ間を置くと、今度は、より慎重に僕の背中に手を添えた。
僕を支え、体を起こす。
けれど、その手の平が背中に触れるたびに、僕は声を殺して身悶えするしかなかった。
「……っ、う……」
僕の反応を確かめるように、彼女の手の動きが一瞬止まる。
見上げたリアの顔は、ひどく落ち着いている。けれど、その指先は離れようとせず、むしろより丁寧に、僕の肩や、額の汗を拭い続けていた。
……おかしい。
いつもなら、もっと効率的に看病を済ませるはずなのに。
僕が声を漏らし、体が震えるたびに、彼女はどこか満足そうな、静かな余韻を湛えた表情を見せるのだ。
「……っ、リア……お願い、もう……。自分でするから……」
「いいえ。まだ熱がありますわ。……大人しく、していてくださいまし」
その声は凪いでいたけれど、どこか逃がしてくれないような、奇妙な圧迫感があった。
外の光が傾き始めるまで、僕は彼女の過敏なほど丁寧な「看病」に、翻弄され続けていた。
「……ね、ねえ、リア……。精霊魔法で、癒せない……かな?」
僕が絞り出すようにそう言うと、リアの動きが、唐突に、完全に停止した。
沈黙。
彼女は数秒間、彫刻のように固まっていた。
「……あ」
小さく漏れた、かすかな声。
リアは、今初めてその選択肢に気づいたかのように、深呼吸をして目を伏せた。
「……可能ですわ。……すぐに、行いますわ」
彼女の手から柔らかな光が溢れ、僕の体を包む。
張りつめていた痛みが、劇的に、しっとりとほどけていく。
「ふぅ……っ」
ようやく、まともに息が吐けるようになった。
「……どうですか?」
「……動ける。……ありがとう、リア。助かったよ」
「……いえ」
リアは、すぐさま背中を向けて、食器の片づけを始めた。
心なしか、その歩みはいつもより少しだけ急いでいるように見えた。
僕は、まだ少し重い体を引きずるようにして、毛皮の上に座り直す。
嵐のような痛みが去った後の、静かな小屋。
カチャリ、と木皿が重なる音。
その背中に声をかけようとした、刹那だった。
「…………これが『可愛い』……」
消え入りそうな、吐息のような小声。
背中を向けたリアが、自分でも無意識にこぼしてしまったかのようなその呟きが、僕の耳にかすかに届いていた。
「……え?」
僕が聞き返すと、彼女の肩が、目に見えてびくりと跳ねた。
「……なんでもありませんわ。……いいから、今日はもう休んでくださいまし」
振り返った彼女の顔は、いつもの冷静な無表情に戻っていた。
けれど、その耳の端が、焚き火の光のせいだけではない、確かな赤みを帯びていたのを、僕は見逃さなかった。




