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第48話 世界の層、神の文字


 春に向かう空気は、まだ少し冷たい。


 泉のそばで、リアが立ち止まった。


「……ここ、少し濃いですわね」


「なにが?」


 そう聞くと、リアは不思議そうにこちらを見る。


「……魔力です」



 一瞬、言葉に詰まる。


「……魔力?」


「はい」


 リアは、当たり前のように言った。


「ここは、世界の魔力が集まりやすい場所です」


 言われて、周囲を見る。水、岩、空気。いつもと、何も変わらない。


「……ごめん。正直、分からない」


 リアは、少しだけ考えた。


「……そうでした」


 納得したように、小さく頷く。


「あなたは、地球の存在でしたね」


「うん」


「地球には、魔力が存在しませんでした」


 その言葉は、妙に重かった。


「ですから、最初は認識できなくて当然です」


「……じゃあ、リアはどうして分かるの?」


「自分の内側の魔力は、感じられるからです」


「……内側?」


 リアは、こちらに一歩近づく。


「目を閉じてください」


 言われるまま、目を閉じる。


「……今、呼吸していますね」


「うん」


「その感覚に、少しだけ意識を向けてください」


 言われた通りにする。


「……次に、“自分の内側にある何か”を探してください」


 正直、よく分からない。


 でも――胸の奥に、ほんのわずかな、温度のようなものを感じた。


「……なんか、ある気がする」


「はい」


 リアは、少しだけ声を柔らかくした。


「それが、あなたの内側の魔力です」


「……これが?」


「はい」


 一拍。


「ですが」


 リアは、続ける。


「それとは別に、外にもあります」


「……外?」


「世界の中に」


 言われた瞬間――泉の水音が、少しだけ、違って聞こえた。


 風が、肌を撫でる感触が、わずかに変わる。


「……あ」


 言葉が漏れた。


「今、少しだけ触れました」


 リアは、静かに言った。


「世界の魔力に」


 正直、よく分からない。何かを探せと言われても、暗闇の中で手探りをしているような感覚だった。


「……やはり、難しいですね」


 リアの声が、近い。


 次の瞬間――胸の奥に、ふっと、あたたかいものが触れた。


「……っ」


 思わず、息が止まる。


 熱ではない。でも、冷たくもない。じんわりと、内側から広がってくる感覚。


「……今、わたくしの魔力を、少しだけ流しています」


 リアの声は、落ち着いていた。


「重ねることで、感覚を共有できます」


 胸の奥が、満たされていく。空っぽだった場所に、ゆっくりと何かが注がれるような――そんな感覚。


「……これが……」


 言葉にしようとすると、うまく形にならない。


「はい」


 リアが、静かに頷く。


「それが、魔力です」


 そのまま、リアは指を離した。


 ――なのに。あたたかさは、消えなかった。


 むしろ、今度は外へと意識が引っ張られる。

 風が、さっきよりも近く感じる。泉の水音が、ただの音ではなく、流れとして伝わってくる。


「……外にも、同じ感じがある」


 自分でも驚くほど、はっきりと言えた。


 リアが、少しだけ目を細める。


「はい。それが、世界に漂う魔力です」


 目を開ける。景色は、何も変わっていない。水も、岩も、空気も、昨日と同じはずなのに。


 ――世界が、一段、深くなったような気がした。


「……今まで、なかったよね」


「はい」


 リアは、はっきり答えた。


「地球には、存在しませんでしたから」


 胸の奥に残る、微かなあたたかさ。それは、すぐに消えてしまいそうで、でも、確かにそこにあった。


「……これを、使うんだ」


 ぽつりと呟く。


「はい」


 リアは、迷いなく言った。


「あなたの魔法は、世界の魔力を使います」


 まだ、よく分からない。けれど――分からないなりに、触れてしまった。


 それだけで、十分だった。


 僕は、初めて知った。この世界には、地球にはなかった“もう一つの層”が、確かに存在しているのだと。


 吐く息はまだ白いのに、どこか柔らかい。


「……寒いけど、冬じゃないね」


 そう言うと、リアは地面に視線を落とした。まだ雪が残る土。けれど、その下は濡れている。


「はい」


「移行期です」


 相変わらず、はっきりと言う。


「世界が、冬から春へ移っています」


 泉の縁では、氷が薄くなっていた。割れず、ただ、静かに後退している。


 薪を足し、残った保存食を確認する。冬を越えた、という実感が、ようやく湧いてきた。


「……リア」


「はい」


「魔法の話なんだけど。春になったら、少し試してみようって話」


 リアは、すぐには答えなかった。空気の流れを感じ取るように、一瞬、目を閉じる。


「……環境条件、安定しつつあります」


「大きな反動が出る可能性は、低下しています」


 淡々とした声。


「じゃあ……」


「はい」


 リアは頷いた。


「小規模であれば、問題ありません」


 川辺に移動する。雪解け水で、水量は増えているが、流れは穏やかだ。


「何を、すればいい?」


 そう聞くと、リアは少し考えた。


「……これが、該当する形式です」


 リアが示したのは、見たことのない文字だった。文字、というより――概念をそのまま刻んだ図形。一つの文字の周りに二つの文字。


「雷を示す、魔法の文字です。大きな文字が、『電撃』小さな文字が『威力』『発動』です」


「……これ、書いてあるだけで発動するの?」


「いいえ」


 即答。


「正確に描き、正確に魔力を流し、正確に“維持”する必要があります」


 地面を、指でなぞる。


 一画目。二画目。


 ――三画目で、崩れた。


 文字が、光になり、すぐに消える。


「……失敗?」


「はい。線の角度が、基準値から外れました」


「基準値って……」


「測定可能です」


 ため息が出る。


 もう一度。


 また失敗。


 何度も、何度も。


 成功したのは、日が傾いてからだった。


 ――ぱちり。


 ほんの小さな、静電音。雷とは呼べない。ただの、兆し。


「……成功?」


「はい」


 リアは、わずかに間を置いて続けた。


「ですが、これは“発動した”だけです。実用には、程遠いです」


「……難しすぎない?」


「はい。詠唱魔法と比較すると、取得難度は極めて高いです」


「じゃあなんで、これを選んだの?」


 そう聞くと、リアは少し考えてから答えた。


「あなたが使える可能性が、最も高かったためです」


 その一言で、文句は言えなくなった。


「……普通の魔法って、こんなに大変なんだ」


 正直な感想だった。呪文を唱えるだけ、というイメージとはだいぶ違う。


「個体差はあるようです。慣れれば、安定すると考えられます」


「……慣れ、ね。難しいな」


 リアは少し考えてから答えた。


「一般的な魔法、だと思います」


 その言葉に、疑う理由はなかった。


 また、光が滲んで消えた。


「……うまくいかないね」


「はい。再現性は、まだ低いです」


「こんなに練習いるんだ」


「個人差があるようです」


 それで納得してしまう。魔法というものは、こういうものなのだろう、と。


 もう一度、描く。一画目、二画目。

 今度は最後まで形を保った。

 ――が、何も起きない。


「……あれ?」


「魔力の流量が、基準に達していません」


「加減が難しいな……」


「慣れの問題だと思われます」


 リアは、本当にそう思っている声だった。

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