第37話 見知らぬ月、一つの器
その夜は、風がぴたりと止んでいた。
窓の外が、驚くほど明るい。
降り積もった雪が、空に浮かぶ巨大な満月の光を反射して、世界を青白く照らし出していた。
「……リア、外へ出よう。今夜は、お月見だ」
僕が誘うと、リアは少し意外そうに目を瞬かせたけれど、静かに頷いて僕の後に続いた。
小屋の前に小さな焚き火を熾す。
パチパチと爆ぜる火の粉が、凍てつく夜気に吸い込まれていく。
僕は一つのマグカップに熱い白湯を注ぎ、リアに手渡した。
「……一緒に飲もう」
彼女の指が僕の手をかすめ、カップを受け取る。
一口含み、僕に返される。
重なり合う手の温もりと、縁に残る微かな熱。
それを交互に繰り返しながら、僕たちは並んで夜空を見上げた。
「……綺麗ですわね。でも……」
リアの言葉が、ふと途切れた。
彼女はカップを抱えたまま、食い入るように星々を見つめている。
その視線は、単に美しさを愛でるものではなく、何かの答えを「検索」して、照らし合わせているようだった。
「……リア?」
「……見つかりませんわ。北極星も、オリオン座も。……この時期、この高度にあるはずの、私が知っている星座が、一つも存在しません」
リアの声が、微かに震える。
満月は、確かに地球で見ていたものとよく似ている。
けれど、その周りを囲む星々の配置は、あまりにも見覚えがなかった。
ここは、地球ではない。
その事実が、凍てつく寒さよりも鋭く、僕たちの胸に突き刺さった。
僕たちが知っている世界から、途方もなく遠い場所に飛ばされたのだという、底知れない孤独。
沈黙が、重く、シリアスに流れようとしたけれど。
「……なぁんだ」
僕は、ぽつりと独り言を漏らした。
リアが驚いたように、僕の横顔を覗き込む。
「……どうかしましたか? 座標不明の異常事態ですわよ」
「いや、さ……。ほら、いわゆる『異世界』って、月が二つあったり、三つあったりするのが基本だと思ってたから」
僕は焚き火に枝を放り込みながら、おどけたように笑った。
「月が一つしかないから、てっきり地球だと思ってた。なんだ、サービス精神が足りない異世界だなぁ……なんて」
「…………」
リアは呆然と僕を見つめ、やがて、ぷっと吹き出した。
「……ふふ。……あはは! サービス、ですか。確かに、もう一つくらい浮かんでいれば、もっと早く確信が持てましたわね」
彼女の笑い声が、冷たい夜気に溶けていく。
シリアスな絶望は、僕のくだらない冗談に押し流されて消えた。
月が一つだろうが二つだろうが、ここが地球だろうがなかろうが。
こうして焚き火を囲み、一つのカップで白湯を分け合い、笑い合える相手が隣にいる。
それだけで、十分ではないか。
「……月が一つで、良かったですわ」
「どうして?」
「欲張って二つもあったら、私たちの祈りが分散してしまいますもの」
リアはそう言って、再びカップを僕に差し出した。
見知らぬ空の下。
けれど、繋ぎ合わせた毛皮のような僕たちの絆は、一針ごとに、より強く紡がれていく。
僕たちは、いつまでも一つの月を見上げ続けていた。




