表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/29

第16話 空からの客人と、緑の祈り

昨日の更新の14話がおかしかったので修正しました。

15話の後書を追加しました。


 魚を抱え、満足感に浸りながら歩いていた、その時だった。

 地面を、巨大な影が猛烈な速度で横切った。

 

「……っ?」

 

 反射的に、空を見上げる。

 青空を切るように、黒い何かが旋回しているのが見えた。


 ――いや、違う。旋回ではない。ふらついている。

 

「……あれ」

 

 言葉にする前に、羽ばたきが乱れた。空中で大きな影が不自然に傾き、次の瞬間。


 バシャァッ。


 鈍く、重い音。泉の方角から、水が大きく跳ねる音がはっきり聞こえた。

 

「……今の、落ちたよね」

 

「はい。自由落下に近い衝撃音を確認しました」

 

 顔を見合わせる暇もなく、僕たちは泉へと走った。

 縁に着いて最初に見えたのは、水面に浮かぶ、岩のようにも濡れた布の塊のようにも見える、巨大な「何か」だった。

 

「……生き物?」

 

「未確認です」

 

 一歩、また一歩。慎重に近づいたその時、バサッ、とそれが動いた。

 広がったのは、大人の背丈ほどもある大きな翼。

 

「……鳥類。おそらくは、鷲と分析します」

 

 リアの声が低くなる。

 泉の縁に這い上がろうとしているそれは、鋭い嘴と濡れた羽毛を持つ、紛れもない鷲だった。

 だが、片方の翼が不自然に折れ、水面には赤い色が滲んでいる。呼吸は浅く、僕たちを睨む力さえ残っていない。

 

「……ひどい怪我だ」

 

 リアは、すぐに駆け寄ると鷲のそばに膝をついた。彼女の瞳が、高速で対象をスキャンするように細かく動く。

 

「……右翼橈骨(とうこつ)および尺骨の複雑骨折を確認。軟部組織の広範囲な挫滅、ならびに開放性外傷による持続的な失血……。心拍数は低下し、呼吸不全を併発しています。……この個体の生命維持システムは、まもなく……完全停止(シャットダウン)へと移行しますわ」

 

 淡々と、冷徹なまでに事実を並べるリア。けれど、その視線は鷲の弱りきった瞳から一秒たりとも離れない。

 

「……計算上の生存確率は、0.3パーセント以下。……手遅れです。放置し、自然のサイクルに任せるのが『合理的』な判断……。ですが。……ですが、ゆう様。私は……この、目の前で消えようとしているデータを、単なる『損失』として処理したくありません。……この状態は。……回避したい」

 

 理屈じゃない。合理や判断という言葉とは明らかに違う、切実な響き。


 その瞬間、空気が変わった。風でも光でもない、何かが集まってくる感覚。

 

 リアの周囲に、淡い緑の光が、ふわりと漂い始める。

 

「……生命の意思……? ……と、接続を確認しました」

 

 彼女自身が戸惑いながらも、そっと手をかざした。


 指先は鷲の傷口からわずかに離れた位置で止まる。


 触れてはいない。それなのに、光が、集まり始めた。


 最初は気のせいかと思うほど淡い、朝露が光を反射するような柔らかな輝き。


 やがてそれは、緑がかった、あたたかい光の塊へと変わっていく。見ているだけで肌に温もりが伝わってくるような色だった。


 リアの表情は、これまで見たことのないものだった。


 眉をきつく寄せ、唇を噛み締めている。

 

 それは分析でも判断でもない、必死に願っている顔だった。


 泉の水面が、風もないのにわずかに揺れた。


 水の中から、小さな光の粒がふわりと立ち上る。


 蛍のように、しかしもっと静かで淡い光が音もなく揺らめき、リアの方へとゆっくり昇っていく。まるで、彼女を励まし、寄り添うように。


 この幻想的な光景を、見ているのは僕だけだった。


 光の粒がリアの背後で静かに弾けると、傷口を包む光がいっそう強まった。


 赤かった傷が、ゆっくりと色を失っていく。


 鷲の胸が、大きく上下した。深く、息を吸う。


 生命が、はっきりと戻ってきている。


 リアは肩を震わせながらも、決して手を下ろさなかった。この瞬間だけは、現実だとか昼だとか、そんなことはどうでもよかった。


 ここには確かに「言葉にできない、けれど存在する何か」があった。


 やがて光が収まると、鷲の羽根が力強く震えた。


 僕は、罠から取り出したばかりの一番大きな魚を一匹、鷲の前にそっと置いた。

 

「これ……食べて。体力をつけなきゃ、飛べないだろ?」

 

 鷲は僕とリアを交互に見つめ、やがてその鋭い嘴で魚をがっしりと咥えた。

 

 バサァッ、という力強い羽ばたき。


 鷲は一瞬だけ旋回して、森の奥へと去っていった。

 

「……行っちゃったね」


「はい。……生命維持のサイクルへ、無事に帰還しましたわ」


 リアの言葉はいつもの落ち着きを取り戻していたけれど、その瞳には、先ほど見た幻想的な光の余韻がまだ静かに残っていた。


 彼女自身、今起きた現象をどう処理すべきか測りかねているような、どこか遠い目。


 ふと、自分の手元を見る。


 鷲に差し出した一番大きな魚の代わりに、掌には生臭さと、ぬるりとした水の感触だけが残っていた。


(……さっきの、あの光は何だったんだろう)


 リアの手のひらから溢れ出した、あの柔らかな翠の輝き。水面から立ち上り、彼女に寄り添うように踊っていた光の粒。科学も、物理法則も、リアの言う「演算」も、あんな現象は説明できないだろう。


 この場所が持つ「ルール」そのものが、僕たちの知る世界とは根本的に違っているのか。


 思考の渦が、脳裏をかすめる。けれど、僕は小さく首を振って、その疑問を意識の隅へ追いやった。


(……いや。今は、そんなことどうでもいいことか)


 理屈なんて、後でいくらでも考えればいい。


 大事なのは、折れていた翼が繋がり、消えかけていた鼓動が再び力強く刻み始めたこと。


 そして、僕たちが分かち合った一匹の魚が、ひとつの命の力となったことだけ。


 それだけで、今は十分すぎるほど十分だった。


「リア、戻ろう。……この魚は、今日の仕事が全部終わるまでのお楽しみだ。これをご褒美にすれば、夕方まで全力で動けるだろ?」


肯定(イエス)ですわ、ゆう様。……目標(ゴール)が明確であれば、空腹によるパフォーマンス低下も、精神的充足(モチベーション)で相殺可能ですわね。……わたくしも、今なら記録(ログ)が真っ赤に染まるほどの効率(スループット)で、開拓作業を完遂できそうですわ」


 僕たちは顔を見合わせ、今度こそ本当の満足感を胸に、拠点への道を歩き出した。


 背負ったカゴの中で跳ねる魚の重みが、これからの厳しい労働を支える、何よりの「希望」に変わっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ