第120話 聖域の異端児、加速する世界
翌朝、パチパチと爆ぜるいろりの音で、彼女は意識を浮上させた。
「……っ……ここは……?」
震える声が、静かな小屋の中に響く。
毛皮のシーツを掴む指先に力が入り、彼女は痛みに顔を歪めながらも、ゆっくりと上体を起こした。
不思議そうに、けれど警戒を孕んだ瞳で、彼女は部屋の中を見渡す。
木造りの壁、整理された棚、そして、暖かな火を湛えるいろり。
「……あなたたちは……?」
僕とリアの姿を捉えた瞬間、彼女の瞳が大きく見開かれた。
そこで、彼女は記憶の断片を繋ぎ合わせるように、はっと息を呑む。
「……そうだ、私は、聖域の中で倒れたはず。……この、包み込むような清浄な魔力。間違いない……ここは、聖域……!?」
彼女は自分の身体を見下ろし、それから再び僕たちに視線を投げた。その顔には、驚愕と、ある種の畏怖が混ざり合っている。
「……なぜ……? なぜ聖域の中に『家』があるの!? 人が、立ち入ることすら許されないはずの、この神聖な場所に……っ!」
混乱し、激しく呼吸を乱す彼女を宥めるように、リアが静かに一歩前へ出た。
「……まずは、落ち着いてくださいまし。ここは安全ですわ」
「落ち着けるはずがないわ! 答えて、あなたは……何者なの!?」
僕は、彼女の剣が手元にないことを確認しながら、努めて穏やかな声で言った。
「……とりあえず、自己紹介から始めよう。僕はユウキ。……ゆう、と呼んでくれ」
「ユウキ……? ゆう……?」
彼女はその響きを反芻するように繰り返すと、僕の顔を凝視した。そして、僕の短い髪や、エルフとは異なる耳の形に気づいた瞬間、その絶叫に近い叫びが小屋を震わせた。
「に、人間!? 人間が、なぜ聖域の中にいるのよ! 禁忌を犯して、この場所を汚したというの!?」
彼女は逆上したように、痛みを忘れて僕に掴みかかろうと身を乗り出した。
――その時だった。
スッ、と僕の前にリアが割り込んだ。
その瞬間、小屋の中の空気が一変した。春の陽だまりのような暖かさは消え失せ、底冷えするような鋭い冷気がリアの足元から立ち昇る。
かつて氷の精霊王と対峙し、『友』と認められた彼女の「怒り」が、無意識にフェンリルを呼び寄せていた。
「……わたくしの『共同経営者』に、無礼な真似をするのは止めていただけますかしら」
リアの言葉は、氷の刃のように冷たかった。
エルフとしての、いや、ゆうの守護者としての圧倒的な威圧感が、負傷した少女を射抜く。
「……わたくしは、フィリア・アルヴェリア・シルヴァノール。……さくら様の命を受け、あなたをこの聖域の懐へと運び込んだ者ですわ」
完璧な所作。けれど、その薄緑色の瞳に宿るのは、侵入者を値踏みするような冷徹な光。
リアは冷たい声で、彼女に問いかけた。
「……さて。わたくしたちの平穏を乱した、不運な同族さん。……お名前は?」
リアの放つ冷気と気迫に圧倒され、少女は掴みかかろうとした手の行き場を失い、傷の痛みも相まって、くたっ、とその場にうずくまった。
「……あ……う……」
いろりの火が、一瞬だけリアの冷気に押されて小さく揺れた。
聖域の中に現れた「家」と「人間」。そして、自分を圧倒する同族。
少女の混乱は、もはや飽和状態に達していた。




