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第114話 銀盤の神域と、加速する情愛


 どれほどの時間が過ぎただろうか。


 ようやく重なり合った熱が静かに引き、僕たちはシーツに身を沈めて、天井を漂う朝霧の断片を眺めていた。


 リアの白い肌には、まだ激しい鼓動の余韻が刻まれている。


「……ゆう様。……わたくし、今日という日は一生、再起動リブートできそうにありません……」

 

 ぼうっとした声で、リアが呟く。


 僕は彼女の額に張り付いた銀髪を優しく払い、その熱い頬を撫でた。

 

 ……異変に気づいたのは、それから一時間ほど経ち、二人がようやくベッドから抜け出して朝食の準備を始めた時だった。


「……あら?」


 魔法のカバンから、秋に収穫して保存しておいた野草を取り出し、スープのために刻もうとしたリアの手が、ふと、目にも止まらぬ速さで動いた。


 トトトン、と小気味よい音が響く。その精度、速度、そして無駄のなさ。


「リア、今の……」


「……はい。自分でも驚きました。まるで、包丁の重さを感じないというか……身体が、思考の先を行っているような感覚です」


 彼女は不思議そうに自分の掌を見つめる。


 それだけではない。彼女が棚から木のカップを取り出そうと手を伸ばした時、指先が滑って、カップが床へとこぼれ落ちそうになった。


 あ、と思った瞬間。


 リアは、吸い込まれるような滑らかな動きで、床に届く直前の木のカップを「音もなく」キャッチしてみせた。


「……おかしいですわ。今のわたくしには、カップが落ちる速度が、まるで雪が舞うようにゆっくりと見えましたわ」


 AIとしての演算速度が上がったのか。それとも、エルフとしての肉体が、昨夜のあの「奇跡」を経て劇的な進化を遂げたのか。


 限界を超えて舞ったことによる一時的な覚醒にしては、その感覚はあまりに鮮明で、力強く見える。


「身体が、羽のように軽いですわ。……いえ、それ以上に、世界そのものがわたくしの味方をしてくれているような……そんな奇妙な万能感がありますの」


 首をかしげるリア。


 僕も彼女の肩に触れてみるが、魔力の暴走などは感じられない。ただ純粋に、彼女という存在の「質」が、一段階引き上げられたような……。


「……まあ、いいですわ。ゆう様のために、より速く、より美味しい朝食をご用意できるのですから」


 リアは少し困ったように微笑み、再び軽やかな足取りで野草のスープ作りへと戻っていく。

 

 朝食を終えた後の彼女は、もはや「家事」という概念を超越していた。


 カタカタカタ、と凄まじい音を立てて回転する糸車。残像すら見えるその手つきで、秋に収穫した綿花が瞬く間に糸へと姿を変えていく。

 

 さらに驚いたのは、その後の薪拾いだった。


 一緒に外へ出ると、リアは僕の隣からふわりと姿を消した。

 

 ――速い。

 

 彼女は銀色の閃光となって、倒木や枝が転がる森の中を風のように駆け抜けていく。


 一瞬前まであそこにいたと思えば、次の瞬間には別の影。


 拾い上げた薪は、彼女の手が触れた瞬間に吸い込まれるように魔法のカバンへと収まっていく。


 重力も、空気の抵抗も無視したようなその超常的な身のこなしに、僕はただ圧倒されるしかなかった。


「……リア、ひょっとして……僕、もういらない?」


 あまりの速さに手持ち無沙汰になった僕が、戻ってきた彼女に思わず自虐的に漏らすと、リアは乱れた銀髪をさらりと払い、澄ました顔で答えた。


「……いえ、ゆう様。わたくしの効率に影響しますので、そのままそこで見守っていてくださいまし」


「効率……?」


 僕が困惑して問い返すと、リアはふっと潤んだ瞳で僕を見つめた。


 そのまま、森の静寂の中で僕の耳元に滑るように近づくと、吐息が触れるほどの距離で、妖しく微笑む。


「……家事が早く終われば、そのぶん……夜の時間を長く取れますわ。……そうでございましょう?」


 ――ドクン、と心臓が跳ねる。

 

 朝の光の中で、そんな不敵な、そして熱い誘惑を投げかけてくるリア。


 昨夜の「激しさ」をなぞるようなその微笑みに、僕は言葉を失い、ただ彼女の美しさに深く見惚れてしまった。


「……あら、ゆう様。どうかいたしましたか?」


 リアは、何事もなかったかのようにパッと妖艶な空気を消し、あどけなく小首を傾げてみせる。


 薄緑色の瞳は、いつもの澄みきった輝きを取り戻していた。


「……なんでもない。ただ、リアが綺麗すぎて」


「……ふふ。検索結果にないお言葉、ありがとうございます。では、薪は十分ですわね。次は……」


 昨夜のあの「奇跡」のような時間が、僕たちの身体に何らかの変調をもたらしたのか。それとも、ただ僕たちの想いが重なりすぎて、世界の見え方が変わってしまっただけなのか。


 理由は分からない。けれど、僕たちの日常は今、より濃密で、抗いがたい情熱へと塗り替えられようとしていた。

 

 不思議だなあ。

 でも、悪くない。


 僕は再び、魔法にかかったような足取りで次の作業へと向かう彼女の背中を、ただ温かい気持ちで追いかけていた。

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