第108話 不可視の刃と、二度目の秋の洗礼
黄金色に色づき始めた森の中で、僕たちは黙々と栗を拾っていた。
カゴが重くなれば、リアが掲げる『魔法のカバン』へと流し込む。一年前、冬越しのために必死だった頃にはなかった、贅沢で穏やかな時間だ。
だが、僕の頭の中は、拾っている栗のことよりも、この前の遠征で得た「戦訓」の整理で占められていた。
(……不意打ちには魔法が有効だ。でも、あの狼のように、魔法耐性を持つ相手もいる)
僕の使う『文字魔法』は、理屈がはっきりしている。
まず、魔力で空中に文字を正確に描く。呼び水となる僕の魔力に引かれ、周囲の「世界の魔力」が集まってくる。
基本となるのは、現象を指定するメインの文字だ。たとえば『電撃』ならその一文字。その周りに、『威力』『発動』といった補助記号を重ねることで魔法が形を成す。
(現在使えるのは5種類。『電撃』は遠距離から狙えるけど、魔法耐性がある相手には弾かれる。逆に『切断』は耐性を貫通できるけど、至近距離でしか使えない……。ゲームでいう「斬撃飛ばし」みたいな、遠距離物理攻撃が欲しいんだよな)
そこまで考えて、僕は作業の手を止めた。
「リア、ちょっと魔法のことなんだけど」
拾い集めた栗を魔法のカバンに流し込みながら、僕は隣の彼女に問いかけた。リアはカバンの口を広げたまま、小首を傾げる。
「はい、なんでしょう。何か新しい魔法の構築ですか?」
「いや、今ある『切断』を飛ばせないかなと思ってさ。この前、電撃が効かない相手に『切断』がトドメになっただろ? あれを遠くから撃てれば最高なんだけど」
リアは少しの間、瞬きを繰り返した。瞳の奥で、膨大なライブラリを高速検索しているのがわかる。
「……『切断』の遠隔放射、ですね。……検索完了いたしました。この場合は、補助記号の追加で対応可能ですわ。『射出』に相当する文字――これですわね」
リアは近くに落ちていた枝を拾うと、湿った地面にさらさらとその文字を描いて見せた。
「『切断』『威力』『射出』『発動』の組み合わせですわ。斬撃のベクトルを前方に固定し、魔力で押し出します。……やってみますか?」
「ありがとうリア! やっぱり、あったか!」
僕は興奮を抑えきれず、さっそく指先を動かした。
空中に青白い魔力の文字が踊る。念のため『射出』の文字に多めに魔力を込め、照準を前方の太い幹に定める。
「いくぞ……『発動』!」
描き終えた文字がパッと弾けた。
手応えはない。だが、一瞬後――空気を裂く鋭い音と共に、十メートル先の巨木が、まるで紙細工のようにスパリと真横に切断された。
成功だ! 思わずガッツポーズを作ろうとした、その時。
「あ」
スパリと綺麗に切れすぎたせいで、自重を支えきれなくなった巨木が、ゆっくりと、しかし確実に僕たちの方へと傾き始めた。
「ゆう様、危ないっ!」
リアの叫びが響く。僕は咄嗟にリアの腰を抱き寄せ、そのまま地面を転がるようにして彼女を自分の体の下に隠した。
ドォォォォォンッ!!
鼓膜を震わせる轟音と共に、凄まじい土煙が舞う。
静寂が戻り、泥だらけの顔を上げると、僕の腕の中でリアの全身が小刻みに震えていた。
「……リア、怪我はないか? ごめん、威力を込めすぎた……」
心配して顔を覗き込んだ瞬間、僕の背筋に氷を突っ込まれたような戦慄が走った。
リアの足元から、ミシミシと音を立てて地面が凍りつき始めている。彼女の周囲だけ、空気が絶対零度まで下がったかのような痛烈な冷気が漏れ出していた。
「……ゆう様」
腕の中にいたはずのリアが、ゆっくりと立ち上がった。
その背後だ。
陽光を遮るほど巨大な、蒼白い魔力の奔流。それは形を成し、牙を剥き、黄金の瞳で僕を射抜く――あの氷の精霊王、氷狼、フェンリル。
リアの抑えきれない守護本能と怒りに呼ばれ、出てきちゃっている!
「……わたくしを庇って、下敷きになる……? 演算上、もっとも回避すべき最悪のエラーを、あろうことか『保護対象』であるはずのあなたが実行するなんて……」
リアの声は静かだった。だが、その背後のフェンリルが低く唸るたびに、周囲の木々が凍りつき、悲鳴を上げて軋む。
「……万死。万死に値しますわ、ゆう様っ!」
「わ、わかった! 悪かった! リア、フェンリル! フェンリル出ちゃってるから! 落ち着いてくれ、森が、森が凍る!」
僕は慌てて立ち上がり、冷気を放つリアの肩を必死で抱きしめた。
冷たい。まるで氷像を抱いているようだが、離すわけにはいかない。
またお前か、おおん?と、フェンリルの巨大な顎が、僕のすぐ上で今にも吠えようとしている。
「ごめん! 威力を込めすぎた! 倒れる方向も計算ミスだ! だから、その……そんな怖いの出さないで!」
必死の訴えが通じたのか、リアの肩から微かに力が抜けた。
背後の巨狼の影が、吹雪に溶けるように霧散していく。同時に、肌を刺すような絶対零度の空気も、元の秋の涼しさに戻っていった。
「……全く。威力実験をするなら、もっと開けた場所でなさってください。……いいですね?」
ぷいっと横を向いたリア。その耳の先まで真っ赤になっているのは、冷気のせいだけではないだろう。
二度目の秋。新しい魔法を手に入れた代償は、なかなかに手厳しい説教と、凍りついた栗の選別になりそうだった。




