第107話 琥珀の風と、静かなる再会
朝の空気に、明確な「変化」が混じっていた。
夏の熱狂を冷ますような、凛とした琥珀色の風が聖域を吹き抜けていく。
「……ゆう様、見てくださいな。あの方たちが、いらっしゃいます」
リアに促されて泉の方へ目を向けると、そこには懐かしい光景が広がっていた。
銀色の角を誇らしげに掲げたあの鹿の一団が、ひんやりとした水辺の岩場に身体を横たえ、静かに微睡んでいる。
銀に薄く光る角はすっかり元通りで、雄々しさを取り戻している。
こちらをチラリとみて、フンッと鼻を鳴らした。
「……ああ。僕らは無事帰って来たんだね……」
彼らがここに居座るということは、この聖域の平穏が保たれている証拠でもあった。
野生の鋭い感覚を持つ彼らが安心しきっている姿を見ると、僕の心も自然と落ち着く。
そんなことを考えていた時、鋭い羽ばたきの音と共に、大きな影が僕たちの頭上を掠めた。
バサリ、と音を立てて少し離れた岩の上に降り立ったのは、あの鷲だ。
鷲は僕たちに近寄ることなく、足元に掴んでいた丸々と太ったウサギを無造作に放り出すと、すぐに大きな翼を広げた。
「……あっ! ありがとう!」
僕が声を張り上げると、鷲は一度だけ鋭い嘴をカチリと鳴らし、一切の馴れ合いを拒むように空へと舞い上がった。
「ふふ、やっぱりあの子ですわね。わたくしたちがいない間、何度もお裾分けを持ってきては、誰もいなくて持ち帰っていたのかしら。少し、怒っているような羽ばたきでしたわ」
「そうか……悪かったねぇ。これからはずっとここにいるから!」
遠ざかる影を見送りながら、僕は去年のことを思い返していた。
あの時は、転生した混乱の中で秋が始まっていて、冬の足音に怯えながら、ただ目につく栗を夢中でかき集めるだけで精一杯だった。
「……リア。今年は、去年できなかったことを全部やろう」
「去年できなかったこと……。例えば、どのようなことですの?」
「まずは、ドングリ。去年はアク抜きの手間を惜しんで後回しにしたけど、今年はたっぷり時間がある。魔法のカバンに入れれば、焦って加工しなくてもいいしね」
僕は腰の魔法のカバンをぽんと叩いた。
去年、カチカチに乾燥させて保存していたのは、カビさせないための苦肉の策だった。けれどこのカバンなら、拾い上げた瞬間の鮮度を保ったまま保存できる。
「それから、キノコもいっぱい採ろう!……あ、でもリア、毒キノコとの区別、分かるよね? 検索でしっかり判断できる?」
僕の問いに、リアは「もちろんですわ」と悪戯っぽく微笑んだ。
彼女はそっと自分のこめかみに指を添える。
「……お任せくださいませ、ゆう様。視界に捉えたキノコの形状、色、胞子の特徴から、瞬時に地球上の既存種および類似種を検索し、成分表まで照合いたします。……毒の有無から、一番美味しい調理法まで、わたくしのライブラリに不可能はありませんわ」
「頼もしいね。……あとは綿花。去年は枯れ草を敷いてしのいだけど、今年はふわふわの寝具を作りたい。冬の夜、二人で暖かく過ごせるようにさ」
「……。ゆう様、それは、わたくしとの距離を縮める口実ではなくて?」
リアが少しだけ頬を染め、僕の腕に自分の胸を押し当てるようにしがみついてきた。
「……う、うん、まあ、それもあるけどさ。……あとはオリーブ。あれを絞って油にすれば、夜の明かりにもなるし、料理の幅も広がる。……薪も、雪が降る前に、あの頃よりずっと高く積み上げておきたいんだ」
「ふふ、お仕事が山積みですわね。……でも、去年のように焦る気持ちはありませんわ。……だって、今はこんなに心強いカバンと、そして……何より、去年よりも成長したゆう様がいてくださるんですもの」
リアは僕の肩に頭を預け、黄金色に染まり始めた森を愛おしそうに見つめた。
「ゆう様。……今夜は、あの子が届けてくれたウサギと、残りの野イチゴを使いましょうか」
「ああ。最高の秋の始まりにしよう」
二度目の秋。
不器用な隣人たちが戻り、頼もしい道具があり、そして隣には最愛の彼女がいる。
僕たちは、新しい収穫の一歩を踏み出した。




