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EVE〜終末世界の整備兵〜  作者: 灰猫J
第一章 焦土と共に
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第2話 灰の式典

 2149年3月30日14時30分。東京湾岸統合防衛庁舎、中央式典ホール。


 ホールの天井は高く、壁面には旧時代の都市を模した光学パネルが幾重にも走っていた。かつて人類が空を支配し、海を越え、繁栄を当然のものとして享受していた時代の都市景観。青空の下でガラスの塔が輝き、街路樹が風に揺れ、平穏な人流が笑顔で行き交う。いまでは映像資料の中でしか見られない世界が、式典ホールの壁面いっぱいに映し出されている。


 その光景は、ある種の皮肉だった。

 現実の空は灰に濁り、都市は防壁と砲座に分断され、平穏な人流は避難導線に置き換わって久しい。だが、それでも人類は儀式をやめなかった。歌をうたい、勲章を授与し、節目を祝う。滅びかけの世界でなお形式を捨てないのは、それが文明の最後の骨だからだ。秩序を演出することは、秩序がまだ生きていると世界に言い聞かせることでもある。


 GDF創設三十周年記念式典は、まさにそのための場だった。

 ホールには各防衛区から招かれた士官、政府関係者、提携研究機関の代表、そして報道各社の記者たちが集められていた。軍服の肩章が照明を反射し、記録用ドローンが天井近くを静かに旋回する。壇上中央には、GDFの紋章――地球を囲う鋼鉄の輪と、その前面を貫く三本の槍――が巨大な立体映像として浮かび上がっていた。


 やがて音楽が止み、壇上へひとりの女が歩み出る。

 GDF統合広報局長、エレナ・ヴァイス准将。四十代半ば。均整のとれた立ち姿に、声だけで場を掌握できる種類の女だった。濃紺の礼装軍服に銀の徽章を並べ、髪を一糸乱れぬ形にまとめている。表情は柔らかい。だが、その柔らかさは完璧に管理されたものだと一目でわかった。


「皆様、本日はご参列ありがとうございます。」


 エレナの声は、広いホールを無駄なく満たした。


「本日は、Global Defense Force――GDF創設三十周年の節目にあたり、私たちが果たしてきた役割、そして今後の使命を、改めて皆様にお伝えする機会としたいと考えております」


 背後のスクリーンに、古い映像が映る。


 災骸出現初期の混乱。崩壊する街。退避する市民。失われた国家群の地図。そこから画面は徐々に切り替わり、防衛線都市群の構築、各国軍の統合、共同研究機関の発足、そしてGDF成立へと至る年表が現れた。


「GDFは、単なる軍事組織ではありません。災骸に対し、人類圏全体の防衛・保全・再建を担うために設立された、統合防衛機構です。その任務は大きく四つに区分されます」


 スクリーンに四層の構造図が広がる。


「第一に、防衛線都市および居住圏の軍事防衛。第二に、災骸出現予測、観測、分類、脅威分析。第三に、対災骸兵装および関連技術の研究・開発・運用。第四に、民間避難計画、都市再建支援、物流確保を含む生存圏維持です」


 聴衆の多くは知っている内容だった。だが、エレナはあくまで丁寧に、噛み砕いて説明した。広報の語りとして正しい調子だった。専門性は保ちながら、恐怖よりも秩序を印象づける口調。


「現在、GDFは統合参謀本部を頂点とし、その下に五つの中核部門を置いています。すなわち、前線運用を担う防衛作戦総局。兵装・機体・殲滅兵装適合運用を管轄する戦術兵装総局。観測と予測、分類分析を担う脅威解析局。研究・開発・医療技術支援を担う総合技術研究院。そして広域避難・市民保全・復旧支援を管轄する民生保全局です」


 図表が切り替わり、それぞれの部門が連関する模式図が表示される。色分けされたラインが、災骸出現から迎撃、避難、収容、復旧までの一連の流れを結んでいた。


「報道の皆様におかれましては、GDFを“軍”として表現されることが多くあります。しかし、正確には、私たちは戦争だけをしているわけではありません。生き残った人類社会を、今日一日、そして明日へと繋ぐための基盤維持機構でもあります」


 柔らかい拍手が起こる。

 エレナはわずかに微笑み、次のスライドへ進んだ。


「続いて、GDFの運用体系についてご説明いたします。通常防衛は、地域防衛軍、機甲部隊、砲撃部隊、航空迎撃部隊、そして避難誘導を含む支援要員によって構成されます。しかし、災骸は通常兵器に対して極めて高い耐性と再生能力を持つため、脅威等級の上昇に伴い、より高度な対処が必要となります」


 スクリーンには災骸の等級分類が現れる。E、D、C、B、A、S、SS。その呼称と脅威レベルが簡潔に示される。観客席の記者たちが端末へメモを打ち込む。


「この現実に対応するため、GDFは殲滅兵装運用体制を確立しました。殲滅兵装とは、災骸内部コアの破壊を主目的として開発された特殊戦術兵装群の総称であり、適合者による運用を前提としています。適合率は極めて低く、選抜・訓練・運用は戦術兵装総局の専任管理下で行われています」


 さらに次の映像。整備棟、訓練映像、兵装接続試験、適合判定、出撃映像。記録媒体向けにかなり整えられた内容だが、嘘はない。表現されない部分があるだけだ。


「殲滅兵は、任務内容と適合段階に応じて複数の運用階梯に分類されます。通常防衛線に組み込まれるC級殲滅兵。より高い火力・対大型災骸戦に対応するB級上級殲滅兵。広域戦域での単独制圧を想定したA級戦域殲滅兵。そして、最終対応戦力として位置づけられるS級単騎戦略級。いずれもGDFの存立に不可欠な戦力です」


 また拍手。

 エレナはそこで一瞬間を置いた。広報として最も注意を要する領域に入る前の、目立たない息継ぎだった。


「そして、皆様の関心も高いであろう特別編成についてご紹介いたします」


 ホール内の空気が僅かに変わる。


「第零機動殲滅大隊。通称、ゼロ大隊」


 スクリーンに現れたのは、部隊章だった。黒地に刻まれた零の紋。そこにだけ照明が一段落とされ、映像の輪郭が鋭くなる。


「ゼロ大隊は、防衛線崩壊時、あるいは通常戦力での制圧が不可能と判断された高脅威災骸に対し投入される、GDF最終対応部隊です。全員が高適合者で構成され、都市奪還、敵群単独殲滅、超大型個体への打撃など、通常戦術の外側にある任務を遂行します」


 そこまでの説明は正確だった。嘘はない。だが、式典の場にふさわしい言葉だけが選ばれている。

 本当は、ゼロ大隊が投入される時点で、その地域は半ば捨てられていることも。

 本当は、彼らの出撃が「守る」より「これ以上は失わないために焼き払う」に近いことも。

 

 それらは一切語られない。


「GDFは創設以来三十年、失敗も損失も経験してまいりました。それでも、なお人類圏が存続しているのは、現場で戦い、支え、復旧を続けた無数の隊員たちの尽力によるものです。私たちはこれからも、防衛の最前線としての責務を果たしてまいります」


 会場が拍手に包まれる。記者たちも義務的に手を叩く。舞台上の言葉は完成されていた。恐怖を管理し、秩序を演出し、なおかつ組織の輪郭だけは正確に伝える。まさに広報の言葉だった。


 式典はその後、戦没者追悼、勲功章授与、技術研究成果の概説と続き、予定通りに進行した。

 そして後半、祝賀の空気が表向きにはまだ残っている時間帯に、そのホールから少し離れた防音会議室では、別の意味で極めてGDFらしい会談が始まっていた。


     *

 会議室の扉が閉まる。

 防音ロックが作動し、外の拍手も音楽も完全に途絶えた。

 室内にいるのは三人だけだった。


 GDF統合総司令官、アルベルト・グランハイト元帥。66歳。


 GDF創設前夜、欧州方面統合軍の司令官として第一次広域防衛線構築を主導し、各国分断状態にあった残存軍を統合運用へまとめ上げた男だ。現場叩き上げでありながら政治折衝にも異様に強く、GDF成立以降は15年にわたり組織全体を率いている。灰色の髪を短く刈り込み、顔には深い皺が刻まれているが、その眼光は老いていない。感情を見せないのではなく、感情を必要経費として処理している人間の目だった。


 GDF副総司令兼防衛作戦総局長、ミレイユ・カスティール大将。58歳。


 若き日に南米沿岸防衛圏の戦区参謀として頭角を現し、その後、アジア太平洋方面の大規模住民移送作戦を成功させたことで名を上げた。前線運用と住民保全を両立させる手腕で評価されたが、近年は損失許容に最も現実的な判断を下すことで恐れられている。短い黒髪に鋭い眼差し、書類をめくる指先まで無駄がない。


 戦術兵装総局長、ヴァルター・シュタイン上級大将。54歳。


 もとは技術将校であり、殲滅兵装初期開発計画の実務責任者だった。適合運用と兵装体系の現在の形を作り上げた中心人物で、殲滅兵を「兵士」ではなく「戦術資産」として規格化した張本人でもある。痩身、銀縁眼鏡、神経質なほど整った軍装。喋るたびに理屈が先に立つ男だ。


 三人は互いに敬礼も交わさない。ここではそれが不要だからだ。


 アルベルトが端末を卓上へ投げるように置いた。先刻の戦闘記録がホログラムで立ち上がる。東京郊外、防衛線都市、第18防衛区。B級災骸一体。投入戦力、第零機動殲滅大隊所属、ロクサーヌ・ヘルストーム少佐。戦闘時間、二分四十七秒。周辺被害、許容範囲内。前線損耗、中程度。民間被害、当初予測より大幅減。


「優秀だな」

 アルベルトが言った。

 褒め言葉には聞こえない声音だった。


 ヴァルターが即座に応じる。

「機体負荷は限界域です。ヘルストーム・フレームtype-Dの砲身交換は必須、肩部ミサイルラックも一部損耗。神経系への反動は蓄積しているはずです。戦闘後の自律値も出ています」


「だが壊れてはいない」

 ミレイユが言う。苦笑まじりに。

「壊れていないなら使える、と言うのだろう。ヴァルター?」


 沈黙が落ちる。

 この会議では、誰も綺麗事を言わない。表で使う言葉が必要ないからだ。


 アルベルトが映像を見たまま言った。

「ゼロ大隊全体の稼働率は」


「下がっています」

 ヴァルターが答える。

「セラフィナ・ドレッドノヴァは依然として出力制御に難がある。アイリスは前回の近接戦で右上肢骨格に負荷損傷。ノクティアは夜戦向きで、昼間の広域戦域では効率が落ちる。アストラは安定していますが、狙撃運用は地形依存が強い。即応力、汎用性、単独制圧力を総合すると、現時点で最も回しやすいのはロクサーヌです」


「回しやすい、か」

 ミレイユが乾いた笑みを浮かべた。

「人間に使う言葉じゃないわね」


「彼らは兵士である以前に、運用資産です」

 ヴァルターは平然としている。

「そう設計したのはあなたでしょう、副総司令」


 ミレイユは肩をすくめただけだった。否定しない。


 アルベルトが指を組む。

「寿命は」


 それは誰の寿命か、あえて明示しなかった。


 ヴァルターは理解している。

「肉体か、神経か、あるいは適合保持かで変わります。ロクサーヌの場合、標準的な見積もりはとっくに過ぎています。現状維持でも長くはない。ただし、実戦投入を躊躇する理由にはなりません」


 アルベルトが問う。

「理由は」


 ヴァルターが答える。

「最も効果が高いからです」

 あまりにも即物的な返答だった。


 ミレイユが続ける。

「今の防衛線密度で、B級以上の出現頻度はさらに上がる。各区画へゼロ大隊を分散配備する余裕はない。ならば、もっとも“見せ場を作れる駒”を酷使するしかないでしょう。ロクサーヌは戦果が大きい上に、住民への心理効果も高い」


「英雄として使える」

 アルベルトが言う。


「はい」

 ミレイユは迷わなかった。

「英雄は、市民のためにすり潰れる役割を負わざるを得ません。少なくとも、この時代では」


 その言葉に、さすがのヴァルターも何も足さなかった。


 アルベルトは長く黙り、やがて戦闘記録の停止画面を見た。焼けた街の中心で、ひとり立つロクサーヌの姿が映っている。報道に流せば、人々は歓声を上げるだろう。恐怖しながら、同時に熱狂するだろう。絶望の時代において、分かりやすい強者は麻薬になる。


「決定だ」


 アルベルトが言った。

「ゼロ大隊は現行方針を維持。ロクサーヌ・ヘルストームを引き続き最前線へ優先投入する。整備・医療・補充は最低限でいい。戦果を落とすな。擦り潰れるなら、その時に次を考える」


 淡々としていた。

 それがあまりにも当然の行政判断であるかのように。


 ミレイユが頷く。

「広報には英雄像の維持を徹底させます。疲弊や反動症状は表に出させない」


「適合維持試験も継続します」

 ヴァルターが言う。


「使える限り使う。彼女だけでなく、他も」

 アルベルトは立ち上がった。

「人類圏の存続は、贅沢の上には成り立たん」


 それだけ残して、会議は終わった。

 三人はまた、それぞれ表向きの顔へ戻るために扉を開く。外ではまだ祝賀音楽が流れている。誰もがGDF30年の歴史を讃えている。その陰で、最前線の人間ひとりの寿命は、数字として処理された。


     *

 同時刻。帰投中の重装輸送艇、機内。


 輸送艇の内部は薄暗かった。


 戦闘帰りの機内には独特の匂いがある。焼けた金属、冷却材、火薬、油、そして微かな血の臭い。機体が振動するたび、兵装固定具が低く軋んだ。壁面ランプの鈍い赤が、機内を不健康な色に染めている。


 ロクサーヌ・ヘルストームは壁に背を預け、片膝を立てたまま座っていた。ヘルストーム・フレームの主要固定は解除してあるが、完全脱装まではしていない。外骨格の冷却蒸気が時折細く漏れ、赤熱していた砲身はすでに切り離され、機内後部の収納ラックに仮固定されている。


 疲れている。


 そう認識するまでに、少し時間がかかった。

 戦闘中はいつもそうだ。痛覚も疲労も恐怖も、兵装側が大半を切り落とす。便利な機構だと思う反面、その反動は必ずあとから来る。戦闘が終わった途端、体のどこが悲鳴を上げているのか、まとめて請求書を突きつけられるみたいに押し寄せてくる。


 ロクサーヌは首を鳴らし、目を閉じた。

 瞼の裏に、さっきの戦場がまだ焼きついている。B級の骨格、コアの位置、射線角度、避難路の確保、砲撃の制限。全部はっきり覚えている。忘れる方が難しい。


 通信ランプが点滅した。


 ロクサーヌは片目だけ開ける。

「……何」

 最低限の応答で回線を開く。


 現れたのはアストラ・ヴィレルガンの顔だった。モニタ越しでもわかるほど、うんざりしている。長い銀髪を一つに流し、いつものように整った美貌をしているのに、表情だけが著しく不機嫌だった。


『またセラフィナがやったわ』


 開口一番、それだった。

 ロクサーヌは眉を上げる。


「何を」


『出力誤差。補助試験中にノヴァ・ジャッジメントの副砲列を半開放して、サポートの整備士を吹っ飛ばした。今月だけで三人目』


 ロクサーヌは一瞬、黙ったあとで鼻から息を漏らした。

「死んだ?」


『そこまではいってない。でも二人は重傷、一人は腕の複雑骨折。継戦能力の維持を考えると笑えない』

 アストラは本当に笑っていなかった。

『これじゃ整備班が保たない。また上に補充を要請しないといけない。手続きが増える。面倒。ほんとに面倒』


 最後の二語に、彼女の本音が凝縮されていた。


 ロクサーヌの口元がわずかに緩む。

「お疲れさま、副官殿」


『あなた、他人事だと思ってるでしょう』


「実際、手続きはあなたの担当でしょ」


『最悪』

 アストラが即答する。


 その反応があまりにも早くて、ロクサーヌは少しだけ笑った。ほんの少し。本当に少しだけだったが、それでも戦闘後の顔としては珍しい柔らかさだった。


「補充申請は任せる。必要人員、今のうちに多めに積んでおいて。どうせ一回じゃ通らない」


『わかってるわよ。だから嫌なの。上は現場の神経を紙で数えられると思ってる』


「数える気もないんじゃない」


『それはそう』


 アストラは深々とため息をつく。モニタの向こうで何か資料をめくる気配がした。


『……それで。あなたの方はどう? また無茶したみたいだけど』


「いつも通り」


『その“いつも通り”が危険なのよ』


 副官らしい言葉だった。だがそこに過剰な感傷はない。同じゼロ大隊にいる者同士の、実務的な気遣い。壊れたら困るから確認する。だが壊れなくても次は出る。その前提を共有した上での会話だった。


 ロクサーヌは答えかけて、ふと黙った。

 脳裏に、別の光景が浮かんだからだ。

 焼けた通り。逃げ惑う市民。B級の咆哮。そして、その進路上へ飛び込んだ一人の青年。


 下級整備兵。


 認証タグの階級表示は一瞬しか見ていない。整備兵、しかも下位。武装もろくに持たず、戦力として数える価値もない。顔立ちだって、特別整っていたわけではない。鍛え抜かれた兵士の体格でもなければ、歴戦の指揮官めいた迫力もない。本来なら、ロクサーヌの記憶に留まるはずがない男だった。


 それなのに、残っている。

 はっきりと。


 怯えていた。間違いなく。彼はロクサーヌを見た時も、災骸を見た時も、顔色を失っていた。膝だって震えていた。強い人間ではないのだと、一目でわかった。

 なのに、逃げなかった。


 市民を庇って前へ出た。自分が何もできないと理解している目だったのに、それでも飛び出した。そして戦闘後には、明らかにロクサーヌを怖がりながら、それでも声をかけてきた。あの一歩。


 あれは何だったのだろう。


 勇敢、とは少し違う。もっと不器用で、もっと危なっかしい。正義感と優しさだけで無理やり足を前に出したような、そんな踏み込みだった。


 ロクサーヌは、軽く眉を寄せた。


『ロクサーヌ?』


 アストラの声で我に返る。


「……何でもない」


『その顔、“何でもない”じゃない時の顔だけど』


「うるさい」


 即答すると、アストラがわずかに目を細めた。長い付き合いだ。こういう時のロクサーヌが、珍しく何かを気にしていることくらい、すぐ察する。


『で、何? 機体トラブル? 司令部案件?』


「どっちでもない」


 言ってから、ロクサーヌは一度視線を外した。

 自分でも妙だった。

 何を言おうとしているのか。なぜそれを言おうとしているのか。ゼロ大隊の運用中に、戦場で見かけた一整備兵のことを副官に探させるなど、合理性だけでいえば無意味に近い。名前も知らない。功績があったわけでもない。適合者の可能性を感じたわけでもない。兵装知識が特別優れている証拠もない。普通なら切り捨てる情報だ。


 なのに、切り捨てられない。

 あの男の目が、妙に残る。


 怖がっていたくせに、真っ直ぐだった。自分を見上げる時の視線に、媚びも憧れもなく、ただ恐怖と、それでも退かない意思だけがあった。そんなものを向けられたのは、いつぶりだろう。


 いや、違う。

 そんなふうに考えている自分の方が、よほど不気味だった。

 ロクサーヌは舌打ちしたい気分を押し殺し、淡々とした声を装った。


「……新しい整備兵に、少し心当たりがある」


『は?』

 アストラの顔が露骨に曇る。


「名前は知らない」


『最悪の始まり方やめてくれる?』


「大まかな所属と、外見の特徴ならわかる」


『もっと嫌な予感しかしない』


 ロクサーヌは小さく息を吐いた。


「東京郊外の第18防衛区にいた、下級整備兵。年齢は……20代後半くらい。髪は暗め、背格好は平均的。派手な特徴はない」


『今の情報量で人探しをしろって?』


「できるでしょ、あなたなら」


『できるできないじゃなくて、手間が増えるって言ってるの』

 アストラは額を押さえた。


『補充申請だけでも面倒なのに、なんでそこに“名前も知らない整備兵を探せ”が追加されるのよ。ゼロ大隊副官の職務に探偵は入ってないのだけど』


 ロクサーヌは苦笑した。

 自分でも笑うのが不思議だった。さっきまで街を焼く勢いで撃ち続けていたのに、今はこんなことで少しだけ肩の力が抜けている。


「手間をかけるのはわかってる」


『だったら諦めて』


「嫌よ」


 答えてから、ロクサーヌ自身が一瞬だけ黙った。

 今の「嫌よ」は、あまりにも素直だった。


 アストラも気づいたらしく、じっとこちらを見る。

『……何、その反応』


「別に」


『別に、じゃないでしょう。あなた、自分で探したいほど気にしてるってこと? ただの整備兵を?』


「ただの、かどうかは知らない」


『さっき自分で下級整備兵って言ったじゃない』


「そういう意味じゃなくて」


 言葉が詰まる。


 ロクサーヌは視線を逸らした。輸送艇の小窓の向こうには、雲の下でまだ黒煙を上げる街が遠ざかっていく。その景色のはずなのに、脳裏には別のものがいる。焼けた路面に立つ、あの青年の顔。名も知らない。印象に残るほど美形でもない。強くもない。兵器としての価値もない。


 それなのに、気になる。

 なぜだ。

 自分は何を気にしている。

 怯えながらも踏み込んできた、その一歩か。

 市民を守ろうとしていた背中か。

 それとも、自分を「怖い」と思いながら、それでも礼を言った声か。


 どれもロクサーヌの知る戦場の論理とは噛み合わない。強いか弱いか、使えるか壊れるか、生きるか死ぬか。その尺度で見れば、彼は背景に埋もれる側の人間だ。

 なのに、その背景が、妙に心に引っかかる。

 まるで砲身に小さな欠片が噛んで、回転のどこかが僅かに狂うように。

 それが不快で、そして少しだけ落ち着かなかった。


『ロクサーヌ』


 アストラが今度は少し柔らかく呼んだ。


『ほんとに何なの、その整備兵』


 ロクサーヌはすぐには答えなかった。

 言葉にすると、余計に自分が妙なものに囚われている気がしたからだ。だが沈黙を長引かせると、アストラはますます勘ぐる。


「……わからない」


 結局、それが一番正直だった。


「ただ、少し気になっただけ」


『あなたが“少し気になる”って言う時、大体少しじゃ済まないのよね』


「そうかも」


『認めるんだ』


「自分でも、よくわからないから」


 その告白は、ロクサーヌらしくなかった。アストラもそう思ったのだろう。しばらく黙って、それから大きくため息をついた。


『わかったわよ。補充申請のついでに、該当防衛区の整備兵名簿を当たる。階級、年齢帯、配置記録、現場映像、全部洗えばたぶん絞れる』


「助かる」


『全然助かってないのは私なんだけど』


「あとで埋め合わせする」


『書類を代わりに書いてくれる?』


「それは無理」


『知ってた』


 アストラは露骨に嫌そうな顔をした。ロクサーヌはまた少しだけ笑う。自分でも変だと思いながら。こんなふうに、たった一人の無名の整備兵の話で気分が動くこと自体が、自分らしくないと思いながら。

 回線の向こうでアストラが肩をすくめる。


『本当に、また手間が増えたわ』


「ごめん」


『謝るくらいなら増やさないで』


「それはたぶん無理」


『……はいはい。見つけたら連絡する』


「お願い」


 通信が切れる寸前、アストラが最後にぼやいた。

『セラフィナの後始末に、整備兵補充に、名も知らない男探し。副官手当、倍にしてほしいわ』


 その言葉に、ロクサーヌは今度こそはっきり苦笑した。

 回線が切れる。

 再び機内に静けさが戻った。


 ロクサーヌは窓の外を見たまま、しばらく動かなかった。

 妙な話だ、と心のどこかで思う。

 災骸のコア位置を覚えるより、敵の射線を読むより、もっと理解しがたい。自分が誰かを気にかけること自体は珍しくない。部下の稼働状況、機体の損耗、副官の疲労、隊員の戦力維持。そのどれも把握している。だが、それは管理の一部だ。


 今回のこれは違う。

 管理したいわけでも、使いたいわけでもない。

 ただ、もう一度顔を見たら何かわかる気がする、という、それだけの曖昧な衝動だった。

 そんなものに従う自分が、少しだけ気持ち悪い。

 そして、その気持ち悪さを、どこかで否定しきれない自分がもっと妙だった。


 輸送艇は雲を抜け、基地への進路を取る。

 ロクサーヌは目を閉じた。

 瞼の裏に浮かぶのは、爆炎ではなく、怯えながらも前へ出てきた青年の姿だった。

 名も知らない、特徴も薄い、武力もない下級整備兵。

 本来なら記憶に残らないはずの男。

 それでも残っている。

 残ってしまった。

 その事実に、ロクサーヌ・ヘルストームは、まだうまく名前をつけられなかった。


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