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EVE〜終末世界の整備兵〜  作者: 灰猫J
第二章 神を狩る
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第11話 牙は折れず

 カイロ第一支部へ突入する輸送艇の中で、誰も言葉数は多くなかった。


 ミニヤ駅から離脱してまだそれほど時間は経っていない。医療班が最低限の処置を終えただけで、兵装の本格的な再調整など望むべくもない。アイリス・ファングブレーカーは右脚の支持補助に簡易固定を追加され、肩の筋繊維損傷にも応急の抑制剤を打たれていた。ノクティアは面の斬撃に触れた左側の装甲を急ごしらえで補修され、動けるようにはなっているが、痛みも違和感も残っているはずだった。ロクサーヌのヘルストーム・フレームも、冷却機構を無理やり再起動している。セラフィナのノヴァ・ジャッジメントも、さきほどの出力の乱れを完全には整えきれていない。アストラは狙撃装備の再同調を済ませていたが、その横顔はいつもより明らかに硬かった。


 それでも、戻らなければならない。

 第一支部が襲われている。

 通信ではハサン・アル=ラシード中将が前線に出ていると報告があった。


 しかも、イーサンの胸の奥では、もっと嫌な直感が育ち続けていた。

 カイロにも、ウェプワウェトがいる。

 その直感を言葉にしたところで、今は誰も驚かないだろう。むしろ全員が、半ば同じ予感を持っているように見えた。


 輸送艇が第一支部上空へ差しかかった時、その予感はほとんど確信へ変わった。


 窓の外に見えるカイロは、まだ美しかった。ナイルの流れに沿って伸びる灯の帯、黒い都市の輪郭、その中で白く光る第一支部の外形。だがその白い輪郭の一部が、すでに破れていた。外縁防壁の一角が斜めに切り裂かれ、車両群が燃え、補給路の照明が途切れている。しかもその破壊は、通信映像越しに見たB級二体の荒っぽい爪痕とは違っていた。もっと整っていて、もっと冷酷で、どうしようもなく見覚えがある壊れ方だ。


 ウェプワウェトだ。


 ロクサーヌがそれを見た瞬間、ほんの僅かに顎を引いた。怒りとも、覚悟ともつかない、短い反応だった。アイリスは逆に、口元を歪める。疲労の色が消えたわけではない。だが、その目には明らかに敵を見つけた肉食獣の光が戻っている。


「いたな」


 それだけ言って、彼女はティタノマキア・ブレードの柄を握り直した。


 イーサンは喉を鳴らす。

 怖い。

 相変わらず怖い。


 ミニヤ駅で見たウェプワウェトの圧は、画面越しでも背中が凍るものだった。今度はそれがもっと近い。しかも今回は、疲弊したゼロ大隊が相手をしなければならない。

 それでも彼の頭の一部は、もう整備兵として回転を始めていた。


 ミニヤからカイロへ戻る短い飛行のあいだ、イーサンはほとんど休まなかった。端末を握りしめたまま、アイリスの兵装の再整理を済ませていたのだ。ウェプワウェトの“面の斬撃”は、物理的な高出力斬撃ではない。空間へ「そこが切れていること」を成立させる概念干渉に近い。なら、真正面で受けるのではなく、成立しかけた“端”を踏み抜くように入り込まなければならない。さらにウェプワウェトは一度読んだリズムに強い。だからアイリスには、一撃目の爆発力よりも二手目、三手目でズラす癖を意識してもらう必要があった。


 その観点から整備に少し手を入れた。

 完全な整備ではない。そんな時間はなかった。だが、ティタノマキアの足裏接地補助、腰部支持の返り、慣性補正の戻し方、そのあたりを「まだ一手残る」方向へ寄せている。アイリスは本来、一撃で噛み殺しにいく戦い方の方が得意だ。けれど今回は、削れた身体と兵装で継戦しなければならない。そのための調整だ。

 輸送艇が揺れる。

 降下準備の信号が入る。

 誰ももう余計なことは言わない。

 ただ、出るだけだ。


     *


 第一支部の着陸甲板は、すでに戦場の延長だった。

 降着脚が接地した瞬間、外から熱気と煤の匂いが機内へなだれ込む。コブラ型とワニ型の残骸らしい巨大な黒い影が外縁側に転がり、その周囲には新しい血の筋が走っていた。B級二体を倒した直後の戦場へ、さらに別の災厄が踏み込んだのだと、ひと目でわかる。


 ハッチが開く。

 ロクサーヌが先頭で飛び出す。アイリスはその半歩後ろ。セラフィナとノクティアが左右へ散り、アストラは狙撃位置を確保するため即座に中央棟高所へ向かう。イーサンは回収班と医療班の動線を避けながら、約束された安全圏ぎりぎりの観測点へ急ぐ。


 第一支部の前線はひどい状態だった。

 死体。負傷兵。焼けた車両。半壊した防壁。斜めに裂けた補給棟外壁。どれもが、ついさっきまで人間の理屈で支えられていたものを、神話型が一息で壊した痕跡に見えた。B級・C級殲滅兵たちは決して弱くない。実際、エジプトコブラ型とナイルワニ型を落としている。それでもウェプワウェトが現れた瞬間、戦場の意味が変わってしまったのだ。


 視界の先、中央棟の崩れた外壁近くに、巨大な斬撃痕が走っている。そこが、ハサン中将が切り結んだ場所なのだろう。すぐ横では医療班が数名の兵を運び、そしてその奥に、搬送中のハサン中将の姿が見えた。胸元の装甲が深く裂け、意識がないように見える。


 そこへ、アストラの声が通信へ入る。


『高所到達。視界確保』


 ロクサーヌが短く返す。


「配置維持。アイリス、前」


「わかってる」

 アイリスの返答は荒い。疲労で息が浅いのだろう。だが、その浅さの奥にある気迫の方が強い。


 イーサンは観測端末を開きながら、彼女へ通信を繋いだ。


「アイリス少佐」


『なんだ』


「真正面で押し切ろうとしないでください。相手の面は、中心より端の方がまだ不安定です。噛みつく位置を変え続けた方が強い」


 一拍だけ沈黙がある。

 もしかすると鬱陶しがられるかもしれない、とイーサンは思った。だが返ってきたのは短い鼻鳴らしだった。


『わかってる。お前に言われなくても、食いちぎりやすい場所くらい探す』


 ぶっきらぼうだ。けれど無視ではない。ちゃんと聞いている。


 ロクサーヌがすぐ横から補足する。


「面の成立前に私が火を入れる。あなたは“出来上がる前”を踏みなさい」


「うるせえな、わかってるって」


 そう言いながら、アイリスの声は少しだけ軽くなる。


 それを聞いて、イーサンの胸の中の緊張がほんの僅かだけ和らいだ。

 

 その時、前方の暗がりが動いた。


     *


 ウェプワウェトは、崩れた中央棟の外壁上に立っていた。


 夜の火を背にしても、その輪郭だけははっきりしている。細長い犬頭。異様に整った四肢。再生した右手に握られた双剣。右腕を切り落とされたばかりとはとても思えない、欠損の痕跡すら見せない滑らかさ。神話がそのまま現実へ降りたような姿、と言ってしまえば安っぽいが、他に言いようがなかった。


 そして今回も、何も喋らない。

 人間の言葉を理解し、話すとされているのに、ウェプワウェトは沈黙していた。その沈黙が、かえってこちらの想像を刺激する。怒っているのか。無関心なのか。狩りの途中でしかないのか。何も読ませないこと自体が、ひとつの圧だった。


 アイリスが前へ出る。

 ロクサーヌは半歩下がる。前に立ちたいはずだ。実際、彼女の火線の置き方には、まだ抑制の苛立ちが混じっているように見えた。それでも今回は補助火力だ。前へ出たところで、複数前衛が面の斬撃へ呑まれるだけだと、彼女自身も理解している。


 セラフィナは右側面の壊れた車両群へ入り、熱の置き場を探る。ノクティアは左の影へ沈む。アストラは上から狙撃機会を計り、イーサンは後方観測で全てのフレームを拾う。


 そして、戦闘が始まった。

 最初の一合は、凄まじい速度だった。


 ウェプワウェトが外壁から落ちるように踏み込み、アイリスが真正面から迎え撃つ。ティタノマキア・ブレードが天へ向けて唸り、双剣がその軌道へ噛みつく。普通の人間の視界なら、どこで受けたかもわからないだろう。だがイーサンの端末越しには、辛うじて見える。


 噛み合っていた。

 アイリスは万全ではない。

 右脚はまだ重い。

 肩の内側には痛みが残っている。

 呼吸も浅い。

 それでも、噛み合っている。


 イーサンは一瞬、自分の目を疑った。ミニヤ戦のあと、応急処置と短時間調整だけで、ここまで食らいつけるとは思っていなかった。


 だが次の瞬間、理解する。

 整備が効いている。

 ティタノマキアの足裏接地補助が、床の破断面でも滑らない。

 腰部支持の返りが、一撃を受け流した後の姿勢再構築に間に合っている。

 慣性補正が“殺し切るための一手”ではなく、“あと一手残すための間”を作っている。

 疲弊したアイリスの身体だけでは、とっくに足りない局面だ。けれど兵装が、それをほんの少しだけ支えている。


 アイリスが踏み込む。

 真正面ではない。イーサンが言った通り、面の成立の“端”を踏みに行くように、斜めへ身体を滑らせる。ウェプワウェトが双剣を返す。その返しに合わせて、ロクサーヌの火線が差し込まれる。真っ向から敵本体を撃つのではなく、斬撃領域が出来上がるその輪郭へ、火力を押し込むような射撃だ。


 面がわずかに歪む。

 アイリスが、その歪んだ隙間へねじ込まれるように入る。


 火花。衝撃。砕けた床。双剣と大剣のぶつかる音。


 セラフィナが熱を狭く流し、ウェプワウェトの退避角度を一つ削る。ノクティアは気配を消したまま、その退避の“選びやすい方”へ嫌がらせの糸を通している。アストラの狙撃照準が揺れ、まだ撃たない。まだその一瞬ではない。


 イーサンは端末を睨みながら、通信へ次々と分析を落としていく。


「左です、左端! 今の面は中心が濃い、端はまだ甘い!」


「ロクサーヌ少佐、二拍あとに火を。成立前じゃなく、成立しかけに被せて!」


「アイリス少佐、二手目をずらしてください、同じ角度だと読まれます!」


 自分の声が震えているのがわかる。怖い。間違えば死ぬ相手だ。画面越しでさえ、その圧は骨の奥にまで届く。それでもイーサンの頭の中では、恐怖と同じくらい鮮明に「見えているもの」があった。


 ウェプワウェトの面の斬撃は、やはり単なる高出力攻撃ではない。

 空間に対して、そこが“切れていること”を成立させている。

 物理的な刃を飛ばしているのではなく、ルールを書き換えている。

 だから真正面から受ければ防げない。

 だが成立の端、輪郭の薄い部分なら、まだ踏み切れる。


 そこへロクサーヌの火力で揺らぎを入れれば、アイリスの身体はぎりぎりで生き残れる。


 理屈としては、通っている。

 そして実際、通ってもいた。


 アイリスは食らいつく。

 押してはいない。だが喰らいついている。それだけで異常だった。ウェプワウェトの双剣は、人間の近接戦という概念を数段上から見下ろしているような殺し方をしてくる。ところがアイリスは、その外側へ自分の身体を無理やり差し込み、獣みたいに噛みついて離れない。


 大剣使い、という表現は彼女に合わない。


 剣を振るっているのに、戦い方の本質はむしろ牙や爪に近い。相手の首へ飛びつき、噛み砕ける位置を探し、そこへ何度でも食らいつく。ティタノマキアが重く巨大な刃であることが、逆に彼女の野生味を際立たせていた。


 だが、その野生味にも限界はある。


 数合。十合。もっとかもしれない。時間感覚が潰れるほどの速度で斬り結ぶうちに、イーサンは徐々に嫌なものを感じ始めた。


 ウェプワウェトが、学習している。


 アイリスのズラしに対して、二手目以降の返しが少しずつ深くなる。ロクサーヌの火線の置き方にも、わずかな遅れが生じ始める。セラフィナの熱の幅も、敵の読みが進むにつれて効き方が薄くなっていく。


 アイリスの呼吸が荒い。

 右脚の補助がまだ持っている。

 肩の軸もまだ残っている。

 整備のおかげで、普通ならとっくに継戦不能のはずの局面を越えている。


 それでも、消耗は隠せない。


 ウェプワウェトが一歩深く入る。

 アイリスが受ける。ティタノマキアが床へ押しつけられ、火花が爆ぜる。そこからの切り返しは、間に合う。間に合うが、前ほどの余裕がない。


「まだいける……」


 イーサンは自分へ言い聞かせるように呟く。


 だが、次の瞬間、ウェプワウェトの双剣がアイリスの踏み込み角を、完全に読んだ。


 斬撃が深くなる。

 正面の切り結びではなく、身体を入れ替えながら“面”を斜めに走らせるような軌道。ロクサーヌの火線が入る。だが完全には崩せない。アイリスはそれでも踏み切る。床を蹴り、端を跨ぎ、ギリギリで避ける。


 避けるが、態勢は悪い。


 イーサンの胃がきりりと縮む。


 押され始めている。

 まだ崩れてはいない。

 まだ立っている。

 まだ互角の形を保っている。

 だがそれは、あくまで“形”だけだ。


 中身では、少しずつ差が開いている。


 アイリスは強い。

 人間の領域の極限で戦っている。

 神域に触れたミニヤの時みたいな異常は起きていない。

 今回は、奇跡に頼っていない。

 純粋に、疲弊した身体と整備された兵装と分析と勘と意地だけで、神話型へ噛みついている。


 だからこそ、余計にわかる。

 このままでは押し切れない。


 ロクサーヌの補助火力が、さらに一段密度を上げる。彼女自身、前へ出たいはずだった。今もきっと、アイリス一人へこの圧を背負わせることに苛立っている。だがそれを押し殺して、やるべき支援をやり続けている。

 セラフィナが熱を狭く、鋭く絞る。ノクティアの糸が影の中で一瞬だけ閃く。アストラの狙撃照準が、なおも“通る一瞬”を探している。


 全員が動いている。

 全員が最善を尽くしている。

 それでも、ウェプワウェトはまだ底を見せていないようにすら見える。


 アイリスがもう一歩踏み込む。

 ティタノマキアが重く唸り、ウェプワウェトの双剣がそれを迎え撃つ。火花と面の歪みが同時に走る。床が裂け、柱列の一角が砕け、白い灯が瞬きする。


 イーサンは端末を強く握りしめた。


 足りない。

 整備も、分析も、支援も、全部無意味ではない。むしろ確実に食らいつかせている。

 でも、それだけでは決定打に届かない。

 まだ何かが足りない。

 もっと別の何かを、ここへ投入しなければならない。


 その思いが、戦場の全員に共通して広がっているように感じられた。


 次の瞬間、ロクサーヌの火線がさらに前へ差し込み、セラフィナの熱が駅舎残骸の影を焼き、ノクティアの気配が完全に消える。アストラの声が上から入る。


『一手作る』


 アイリスは立っている。だがこのままでは、届かない。

 ウェプワウェトとアイリスの刃が、もう一度ぶつかる。

 火花が夜のカイロの防衛線へ散り、その一瞬の明滅の中で、イーサン・クロークははっきりと理解していた。

 ここから先は、もっと多くのものが必要になる。そして、その代償もまた、きっと小さくは済まないだろう、と。


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