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EVE〜終末世界の整備兵〜  作者: 灰猫J
第一章 焦土と共に
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第9話 優しい天罰

 アイリスが“ランページ”を斬り伏せた直後も、戦場は少しも静かにならなかった。


 輸送機の内部に残ったイーサンの耳へは、複数の通信と警報が途切れなく流れ込んでくる。外縁防壁の一部崩落報告。避難路の再設定。熱源分布の更新。アストラの狙撃ライン再構成。ノクティアの潜入経路変化。そして何より、“スリザー”の侵入予測が刻々と悪くなっていた。


 戦術卓上の投影地図では、細長い赤い反応が市街中層を滑るように移動している。


 速い。


 いや、速いというより、読みにくい。普通の災骸なら、質量と破壊痕から進路をある程度推定できる。だが“スリザー”は違う。外殻の一部を液状に近い状態へ変質させ、地形の継ぎ目や配管、排水路、半壊した地下連絡路まで利用して、まるで都市そのものに溶け込むように進んでいく。大型でありながら、形を固定しない。その性質が不気味だった。


 対処に当たるのは、セラフィナ・ドレッドノヴァ。


 イーサンの前のモニターに、別系統の俯瞰映像が開く。


 そこにいた彼女は、基地で見た時と同じ茶髪の女だった。見た目だけなら、やはり戦場にいるようには見えない。肩の線は華奢で、表情もどこか柔らかい。輸送機の中で出力手袋を見つめながら小さく数を数えていた時の雰囲気が、そのまま残っているようにすら思える。


 だが、その背に接続された《ノヴァ・ジャッジメント》は、人類が礼儀正しく扱っていい兵器には見えなかった。


 砲、という言葉では足りない。


 いくつもの砲身と補助砲列、展開式の出力環、脊柱みたいに背中へ食い込む制御ユニット、肩から腰までを繋ぐ冷却導管、そして前方に向けて浮遊する観測兼収束リング。全体としては砲撃兵装なのに、設計思想はむしろ儀式装置に近かった。出力の蓄積、演算、偏向、再収束、そのどれもが常識的な兵装より一段深く、複雑すぎる。


 イーサンは初見で理解した。


 これがゼロ大隊一、複雑な兵装だ。


 複雑というのは、単にパーツ数が多いという意味ではない。構造そのものが異常なのだ。普通の兵装は、どれほど高性能でも「どういう理屈でその出力へ届いているか」が追える。冷却系、電力系、神経接続、駆動補助、そのどれもが最終的には人間の理解へ戻ってくる。


 だがノヴァ・ジャッジメントは、途中で理解の梯子を外してくる。


 この収束環の逆位相制御は何だ。


 この補助砲列の同期遅延はわざとか。


 この出力制御弁は、なぜ安全側へ振っているようでいて、実際には暴走を前提に逃がしを作っている。


 わからない。


 イーサンは、見ただけで少なくとも十箇所以上、完全に理解不能な箇所があると直感した。整備兵としての自尊心が痛むほどだった。理屈を追えないのではなく、そもそも「なぜその形で成立しているのか」の説明がつかない。


 異常な兵装。


 それでも、まったく支離滅裂なわけではないこともわかる。


 この兵装はたぶん、初期設定そのものが「使用者の練度で何とか成立する」位置に置かれている。完全自動でもない。安全側でもない。かといって兵装側が全部を握るわけでもない。運用者が天才であれば、暴走寸前の出力をぎりぎり制御しながら、本来あり得ない火力へ届くように作られている。


 つまり、兵装の責任を使用者へ押しつけている。


 こんなものを平然と実戦投入している時点で、ゼロ大隊が普通の部隊ではないと改めて思い知らされる。


 そしてその異常兵装を、セラフィナはいま扱い切れていなかった。


 彼女は弱くない。


 そこは最初から、イーサンにもはっきりわかる。身体能力も異常だ。外骨格と砲撃兵装を接続した状態での姿勢保持、砲列切替時の重心移動、出力反動に対する踏ん張り、視界内の熱源処理。そのどれを取っても、普通の人類では到底届かない水準にある。メンタルも同じだった。第13防衛区の真ん中で、B級災骸が地下避難路へ侵入しつつある最中に、彼女の呼吸はまったく乱れていない。


 問題はそこじゃない。


 単純だ。


 技術が足りないのだ。


 セラフィナはノヴァ・ジャッジメントを“怖がりすぎている”。


 基地でアストラに「いつもより控えめに」と言われたことが、たぶん彼女の中へ残っている。加えて、今の相手は高熱に弱いとされる“スリザー”だ。だから焼きで封じて、固定して、そこから撃ち抜く。その理屈自体は正しい。


 だがセラフィナは、出力調整を意識するあまり、撃つたびに半歩引いていた。


 第一射。


 高熱散布。


 街区の一角が白く染まり、半壊した建物の外壁が飴みたいに垂れた。普通の災骸なら、それだけで行動を止める熱量だ。だが“スリザー”は違う。体表の一部を流体化させ、焼けた部分ごと切り離して前進する。熱は通る。だが致命打にならない。


 第二射。


 今度は収束を少し強めた熱線。だが強めたといっても、まだ逃がしが大きい。セラフィナは明らかに砲列の同期を安全側へ寄せている。だから熱量が一点にまとまりきらず、“スリザー”の中層外殻を焼くに留まる。


 第三射。


 補助砲列を開く。だが開き切れていない。観測環との位相がずれ、発射のたびにノヴァ・ジャッジメントの背部ユニットが嫌な震え方をする。


「だめだ……」


 イーサンは小さく呟いた。


 セラフィナは決して弱くない。むしろ出力そのものは圧倒的だ。問題は、圧倒的すぎる火力を制御するために、毎回慎重になりすぎ、その慎重さのせいで最も重要な一線を越えられていないことだった。


 “スリザー”が反撃に移る。


 裂け目だらけの体表から、細い高圧流が幾本も射出される。液体でもなく、固体でもない、災骸特有の侵食性物質だ。地面に触れた箇所からアスファルトが泡立ち、壁面の配線が一瞬で腐食していく。


 セラフィナは躱す。


 躱し方がまた綺麗だった。砲撃型の鈍重さはどこにもない。必要最小限のステップで、高出力兵装の全重量を崩さずに横へ抜ける。身体能力も反応速度も、やはり化け物じみている。


 なのに決め切れない。


 イーサンはモニターを食い入るように見た。


 セラフィナの挙動を、頭の中で分解する。


 砲列展開、一・三秒。補助環同期、わずかに遅れ。背部冷却圧、保守的。右足荷重、五%外。視線の置き方は正しい。照準の切り替えも速い。呼吸も乱れていない。心理的動揺もない。


 なのに撃ち切れない。


 なぜか。


 理由は次第にはっきりしてきた。


 セラフィナは“正しすぎる”のだ。


 ノヴァ・ジャッジメントの教本的な運用、設計者が想定した手順、事故を避けるための切替、それらを高い水準で守っている。だがこの兵装は、そこへ収まるようにできていない。規格どおりに丁寧に扱えば、確かに暴走は減る。けれど火力の核へ届かない。つまりこの兵装は、どこかで運用者が「怖いが踏み込む」判断をしなければ、ただの高価で危険な未完成品のままなのだ。


 セラフィナには、それをやる技術がまだ足りない。


 イーサンは端末へ身を乗り出した。


「セラフィナ少佐、聞こえますか」


 通信を開く。雑音が強い。


『……こちら、セラフィナ……少し聞こえにくい、です』


 やはり妨害がある。“スリザー”の周辺では、災骸由来の高周波干渉が強い。こいつは体内構造の変位だけでなく、通信系への汚染まで同時に行っているらしい。


 それでもイーサンは続けた。


「今の制御だと火力が散ってます。主砲を怖がらないでください。補助砲列は――」


 ノイズ。


 ざり、と音が崩れる。


「第二、第四を閉じて、観測環を――」


 またノイズ。


 通信が千切れかける。最悪だ。よりによって一番重要なところで。


 セラフィナの姿がモニターの向こうで僅かに揺れた。聞こえているのか、いないのか、判別できない。だが彼女は確かにこちらの声に意識を向けた。


「少佐、砲列を全部使う必要はありません。主砲と左偏向環だけで――」


 ぶつ、と音が途切れる。


 通信が死んだ。


「くそっ……!」


 イーサンは思わず拳を握る。今のだけでは足りない。言葉の切れ端しか届いていない。砲列のどれを閉じるか、どの順番で出力を逃がすか、観測環の位相をどこで合わせるか。そこまで伝えなければ意味がない。


 だが戦場のセラフィナは、そこで止まらなかった。


 彼女は次の回避に入りながら、ほんの一瞬だけ目を細めた。


 その表情の変化を、イーサンは見逃さなかった。


 考えている。


 あの柔らかい顔の奥で、猛烈な速度で考えている。


 “スリザー”が再び流体化しながら接近する。建物の残骸を巻き込み、細い体をあり得ない角度へ曲げて、まるで路地そのものが襲いかかってくるように迫る。普通ならその異常さに飲まれる。だがセラフィナは下がらない。下がらないまま、砲列を一つずつ切っていく。


 第二砲列、停止。


 第四補助環、沈黙。


 観測環の左偏向角、微調整。


 イーサンの心臓が跳ねた。


 まさか。


 届いていたのか。いや、全部ではないはずだ。単語の断片だけだ。それなのにセラフィナは、自分の言葉の欠片から、本来必要だった正答へ近づいている。


 天然な女の顔はしている。


 柔らかく、少し抜けて見える。普段の彼女だけ見れば、こういう局面で複雑な演算を一瞬で組み立てるようには到底見えない。


 だが今の彼女は違った。


 頭が良い、という表現では足りない。兵装と戦場を同時に読む種類の、異様な明晰さだ。砲撃という一点において、セラフィナは天才なのだと、イーサンは遅れて理解する。


 彼女は音声を聞いていない。聞いたのは断片だけだ。けれどその断片から、「イーサンが何を見て、どこを直そうとしていたか」を逆算している。しかも戦闘中に。


 “スリザー”が口腔にも見える裂け目から高圧の侵食流を噴いた。


 セラフィナは避けない。


 その場で膝を落とし、ノヴァ・ジャッジメントの主砲軸をわずかに下げる。普通なら危険だ。近すぎる。自分の砲撃で周辺ごと焼きかねない距離だ。


 だが彼女の目は静かだった。


「……そういうことなんだ」


 小さく呟く声が、かろうじて機内へ届く。


 次の瞬間、ノヴァ・ジャッジメントの出力環が一斉に明滅した。


 さっきまでの発射音と違う。低い。深い。砲撃というより、何か巨大な装置が正しい位相へ嵌まった時の鳴動だった。


 主砲だけが撃つ。


 いや、主砲だけに見えて、左偏向環と背部補助収束器がぎりぎりのところで同期している。過剰な砲列を切り、必要最小限だけを残したことで、今まで散っていた出力が、初めて一本の暴力になった。


 白い。


 視界が一瞬、真っ白になる。


 高熱が“スリザー”の中層を焼く。だが今回は、ただ焼くだけでは終わらない。体表を流体化して逃がそうとした箇所へ、偏向熱が先回りして回り込んでいる。焼く、封じる、固める。その順番が初めて噛み合った。


 “スリザー”の体が、一瞬だけ止まった。


 止まった、というのは正確ではない。


 自分で自分の変形に失敗したのだ。流体化しながら前進しようとした部位が、高熱で部分的に硬化し、そのせいで内部の変位が噛み合わなくなる。長大な体が途中で節くれ立ち、まるで巨大な蛇を無理やり鉄線で縫い止めたみたいに、不自然な拘束が生まれる。


「いま……!」


 イーサンが思わず叫ぶ。


 セラフィナはもう動いていた。


 砲列の再展開。だがさっきまでとは違う。焦りがない。順番が整理されている。主砲を核に、補助を必要なだけ従わせる。兵装の暴走を完全に制御したわけではない。背部ユニットの一部ではまだ危険な発熱が走っているし、出力弁も悲鳴を上げている。けれど「暴走しそうだから全部抑える」段階は抜けた。


 暴れ馬の手綱を、ようやく片手で握れたのだ。


 それで十分だった。


「ノヴァ・ジャッジメント、収束」


 セラフィナの声が、驚くほど静かに通る。


 その顔は、普段のほんわかした雰囲気をどこにも残していなかった。優しげな輪郭のまま、頭の中だけが完全に戦闘用の精密機械へ変わっている。柔らかく見える人間が、実は刃物みたいな知性を持っていた時の怖さを、イーサンは初めて知った。


 主砲が放たれる。


 今度は真正面ではなく、やや斜め上から“スリザー”の拘束された節の奥へ刺さる角度だった。焼ける。裂ける。内部構造が炙り出される。そこへ補助砲列の一発だけが、遅れて打ち込まれた。


 たった一発。


 だが位置は完璧だった。


 イーサンには見えた。熱で硬化し、変位に失敗した部位のさらに奥、流動コアが一瞬だけ固定される。その瞬間へ、セラフィナはぴたりと合わせている。


 爆ぜた。


 “スリザー”の長大な躯体が内部から膨張し、次の瞬間には中ほどから裂ける。裂け目をさらに主砲が焼き広げ、逃げようとする流動部位を残らず蒸発させていく。再生の余地がない。流れる前に固め、固まる前に撃ち抜いた。完璧な処理だった。


 戦闘は、そこから先が早かった。


 セラフィナは危なげなく距離を取り直し、残滓の挙動を二度だけ確認すると、必要最低限の追撃でコア反応を完全消失させた。さっきまでの苦戦が嘘のようだった。いや、嘘ではない。苦戦は本物だった。ただ、解き方を見つけた瞬間、彼女はそれを一気に制圧へ転換したのだ。


 モニターの中で、セラフィナが小さく息を吐く。


 それから通信へ向かって、いつもの柔らかい声に少しだけ戻った調子で言った。


『イーサンくん、さっき途中まで聞こえたの、たぶん合ってたよ。ありがと』


 イーサンはしばらく返事ができなかった。


 感心しすぎていた。


 驚きすぎていた。


 あの天然なセラフィナが、こういう形で戦うとは思っていなかった。基地では少し抜けていて、柔らかくて、どこか危なっかしさすら漂わせるのに、戦場では違う。頭の回転そのものが別の生き物みたいに速い。通信の切れ端から戦術の核心を復元し、自分の兵装の暴走を一部ながら制御下へ戻し、そこから最短で勝ち筋へ入る。


 天才だ。


 それも、ただ勉強ができるとか、理屈がわかるとか、そんな種類の天才ではない。戦場で、兵装と災骸と自分の限界を同時に演算し、正答へ飛び込める種類の頭脳。


 その事実と、普段の彼女の雰囲気との落差が、イーサンには眩暈がするほど大きかった。


「……少佐、すごすぎるでしょ……」


 誰にともなく漏れた声に、後方支援席の別オペレーターが何も言わず頷く。


 セラフィナはたぶん、まだ未完成だ。技術不足も確かにある。ノヴァ・ジャッジメントを最初から十全には扱えていない。そこに迷いはある。けれど、それでも彼女は天才だった。不器用な天才。最初の一歩で躓くことはあっても、解法を掴んだ瞬間に凡人の数手先まで飛ぶ。


 そしてイーサンは、そんな彼女の兵装を、もっとまともに扱える形へ寄せられるかもしれないと、ほんの一瞬だけ考えてしまった。


 いまの制御。第二、第四砲列の閉鎖。左偏向環の前倒し同期。主砲基軸の強制維持。あの辺りを兵装側の補助で少しだけ安定させられれば、セラフィナは最初からあの解答へ入れるかもしれない。


 そう思った瞬間、自分が完全にゼロ大隊の兵装担当の思考へ引きずり込まれていることに気づく。


 怖いのに。


 戦場は怖いし、災骸は化け物だし、目の前で繰り広げられる戦闘は人間の尺度を何度も踏み越える。それでも、見えてしまう以上、考えてしまう。どうすれば彼女たちがもっと生き残れるか。どうすれば次の一戦で壊れずに済むか。


 セラフィナのモニター映像が、残滓処理のため少し引いた画角になる。


 茶髪の女はそこに立っていた。巨大なノヴァ・ジャッジメントを背負い、周囲にはまだ高熱の残光が揺れている。見た目はやはり柔らかい。けれどいまイーサンには、その柔らかさの下にあるものがはっきり見えていた。


 ぼんやりした天然じゃない。


 極度に賢い人間が、普段はその賢さを前へ出していないだけだ。


 だからギャップが恐ろしい。


 だからこそ、戦場での彼女は美しい。


 やさしく笑う顔のまま、都市一つ消せる兵装の解法を一瞬で掴む女。そんな存在が普通であるはずがない。ゼロ大隊はやはり、ひとりひとりが別種の異常だった。


 そしてイーサンは、その異常の輪郭を、一戦ごとに、少しずつ理解し始めていた。



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