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EVE〜終末世界の整備兵〜  作者: 灰猫J
第一章 焦土と共に
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第8話 獣の剣

 輸送機のモニターに最初に映った時、“ランページ”は走る災害そのもののようだった。


 第13防衛区、外縁第六遅滞線付近。


 戦場監視ドローンから送られる映像は、常に微妙なノイズと揺れを含んでいた。砲煙、熱源、破砕された地形、音圧干渉。普通の戦場ですら映像は不安定になるのに、相手がB級災骸ともなればなおさらだ。それでも“ランページ”の輪郭だけは嫌というほど鮮明だった。大きすぎるのだ。質量がありすぎる。見失いようがない。


 高層防壁の一部を砕いて突進した痕跡が、一直線に地表を抉っている。コンクリートと鉄骨と運搬車両の残骸が、まるで波にさらわれた流木みたいに左右へ押し流されていた。四足歩行型。だが獣のしなやかさではなく、攻城兵器の無慈悲さで走る。前脚は太く、肩部外殻は異様な重層装甲になっていて、あれ自体が破城槌の塊だった。頭部も顔ではない。衝角だ。前方のものを壊し、踏み潰し、道を開けるためだけに存在している。


 もしあれが第13防衛区の市街中心部まで雪崩れ込めば、被害は一瞬で跳ね上がる。避難路は潰れ、残存防壁は破断し、住民圏の奥まで壊される。資料上の脅威評価がどうであれ、イーサンにははっきりわかった。あれは「止めなければいけないもの」ではない。「いまこの瞬間に殺さなければならないもの」だ。


 その真正面に、ひとつの影が降り立つ。


 アイリス・ファングブレイカー。


 彼女の着地は、他のメンバーと比べても異質だった。アストラが天から一直線に敵を刺しに行く槍なら、ロクサーヌは空中そのものを砲撃陣地へ変える火の塊だ。ノクティアは影が落ちるように気配なく侵入し、セラフィナは大気の圧ごと戦場へ連れてくる。


 アイリスだけは、最初から地面の側に属して見えた。


 土と瓦礫と血と衝撃波、その全部を足裏で噛み砕きながら現れる獣。


 《ティタノマキア・ブレード》を肩へ担ぎ、灰色の短髪を風に散らし、彼女は壊れた高架の上へ軽々と降りた。その姿だけで、イーサンは息を止めた。大きすぎる剣。近接戦用の兵装というだけで異常なのに、それを持つ本人の重心がまるで乱れていない。いや、乱れどころか、剣の質量まで含めてすでに彼女の骨格の一部になっているみたいだった。


 モニター越しでもわかる。


 強い。


 理屈より先に、そう感じる。


 “ランページ”が咆哮した。音が映像圧縮を歪ませ、ドローンカメラが一瞬明滅する。あの咆哮には、ただ大きいという以上の重みがあった。音圧が物理的な壁になって押し寄せる。普通の兵士なら、その瞬間に足を止めるか、あるいは体ごと吹き飛ばされる。


 だがアイリスは動かなかった。


 いや、止まって見えたのは一瞬だけで、次の瞬間にはもう走っていた。


「え……」


 イーサンの喉から、音とも息ともつかないものが漏れる。


 速い。


 近接型の重装とは思えない加速だった。ティタノマキアの補助駆動が脚部から腰部へ一気に立ち上がり、そのまま彼女の体幹を前へ射出する。普通なら、あの質量の剣を抱えた時点で初速は死ぬ。だがアイリスの兵装は、剣を負荷として扱っていない。むしろ剣の慣性込みで前へ叩き込む設計だ。重さを背負うのではなく、重さごと突っ込む。


 “ランページ”も迎え撃つように頭を沈め、突進姿勢へ入った。


 質量と質量が真正面からぶつかる。


 そう見えた瞬間、アイリスは正面から消えた。


 左。


 いや、ただ横へ回ったのではない。地面を蹴ったあと、折れたガードレールの破片を踏み台にして、斜め下へ潜り込んでいる。イーサンはそこでようやく、ブリーフィング時のアストラの言葉を思い出す。斜め下から前脚腱を断てる。言葉にすれば簡単だ。だがそれは、突進してくるB級災骸の真正面から、数メートル単位で死の進路を見切れる者にしか成立しない。


 ティタノマキアが振り抜かれる。


 剣というより、断層そのものが横薙ぎに走るような軌跡だった。


 “ランページ”の右前脚が、肘関節の少し上で不自然にずれた。遅れて黒い体液が爆ぜる。外殻、筋繊維、補強骨格、その全部を一撃で切断していた。あり得ない。イーサンは整備兵として即座に理解する。あの外殻厚と速度に対し、あの角度から一刀で通すには、剣の質量も、駆動補助も、運用者の踏み込みも、全部が一ミリも狂ってはいけない。


 なのに、アイリスはそれをやってのけた。


 “ランページ”が体勢を崩す。


 巨体が傾ぎ、道路が割れる。だがB級はそれだけでは止まらない。むしろ崩れながら前脚残存部で地面を掴み、次の衝角突きへ繋げようとする。その動きを、アイリスはまるで待っていたみたいに踏み込んだ。


 二撃目。


 今度は右肩。


 ティタノマキアの刃が、重層外殻の継ぎ目だけを正確に裂いていく。無理やり切り開くのではなく、構造の一番嫌がる場所へ入り込んでいる。イーサンは息を呑んだ。あの剣は力で壊しているように見えて、実際には驚くほど繊細だ。どこを叩けば全体の強度が死ぬか、どこへ入れれば重さそのものが仇になるかを、アイリスは本能みたいに理解している。


 獣じみた戦い方。


 だが、粗暴ではない。


 むしろ洗練されすぎていて、野生の皮を被った技術そのものだった。


 イーサンはいつの間にか見惚れていた。


 これが、ゼロ大隊。


 これが、世界最強の一角。


 近接戦闘というものが、こんなふうに成立していいのかとすら思う。巨大災骸の懐へ飛び込み、質量差も速度差も踏み潰して、相手の「最も壊れたくない場所」だけを連続して断っていく。ティタノマキア・ブレードの完成度も凄まじい。重い、太い、長い、その全部を犠牲ではなく利点へ変えている。剣というより“殺すための慣性”だ。


 だが、イーサンの頭の冷めた部分は、ずっと警報を鳴らしていた。


 危ない。


 この戦い方は、あまりにも危ない。


 アイリスの戦闘は美しい。完成度も高い。だが、その美しさの裏で兵装への負荷が異常な速度で蓄積している。ティタノマキアの主駆動と補助駆動の噛み合わせは、短時間の爆発的な近接には理想的だ。だが連続運動に入ると、剣側の慣性補助が運用者の関節へ跳ね返る。特に左股関節、右肩甲骨側、脊椎基部。いまアイリスは圧倒しているから目立たない。けれど、相手があと一歩だけでも長く粘れば、その一歩が兵装側へ致命的な遅れを生む。


 イーサンは無意識にモニターへ身を乗り出していた。


「危ない……」


 誰に向けた声でもなかった。


 “ランページ”がさらに怒号じみた咆哮を上げる。片脚を潰され、肩を裂かれてもなお突進本能は死んでいない。むしろその巨体は、損傷でバランスを崩したことで、余計に予測しづらい暴れ方へ移行していた。片脚を庇いながら、尾部と残存前脚を使って地面ごと薙ぎ払う。衝撃波が瓦礫を弾丸みたいに撒き散らす。


 アイリスはその全部を、跳ぶでもなく、這うでもなく、斬り伏せながら進んでいく。


 瓦礫が来れば剣の腹で逸らし、尾部が来れば一歩内側へ入り、衝撃波が走れば自分から踏み込んで圧の死角へ潜る。もはや戦いというより、獣と獣の縄張り争いだった。互いに譲らず、互いの呼吸だけを見て、どちらが先に喉を噛み切るかの世界。


 そしてイーサンには、勝負が決まりつつあることがわかった。


 “ランページ”の右前脚はもう死んでいる。右肩も深い。次の一撃で頸部基部か胸部下の再生中枢を断てば終わる。アイリスもそこへ向かっている。視線の置き方、足の運び、剣の持ち替え。全部が「決めに行く」形だ。


 同時に、イーサンの背中に冷たいものが走る。


 そこじゃない。


 その入り方は、危ない。


 アイリスが深く踏み込み、ティタノマキアを下段へ引いた瞬間、イーサンは確信した。今の姿勢では、剣の初動を優先しすぎて、左側の補助姿勢制御が一拍遅れる。その一拍の遅れを、“ランページ”がもし残った前脚か頭部で無理やりねじ込めば――。


「だめだ!」


 叫んだ時には、もう遅かった。


 “ランページ”は死にかけの獣のくせに、いや死にかけだからこそ、最後の反撃へ全質量を賭けた。潰れた体勢から強引に頭部を跳ね上げる。衝角というより頭骨そのものの打撃。常識ならそんな動きは成立しない。だが災骸には常識がない。壊れかけの関節も、裂けた筋肉も、残りの命も、全部まとめて一撃へ変える。


 アイリスのティタノマキアが下から走る。


 同時に、“ランページ”の頭部が横へ弾けるように振り抜かれる。


 ぶつかった。


 鈍い、最悪の音がした。


 映像が大きく揺れ、ドローンの一機が衝撃波で回転する。視界が立て直された時、アイリスの機体が十数メートル吹き飛ばされ、砕けた道路の上を跳ねていた。


「……っ!!」


 イーサンの全身が冷える。


 本当に食らった。


 懸念が現実になった。


 左側の補助姿勢制御が遅れた瞬間を、“ランページ”は踏み抜いたのだ。あの一発は重い。たとえ直撃でなくても、アイリスの兵装にとっては最悪のタイミングだったはずだ。肩か、肋骨か、それとも脊椎基部か。どこかが壊れていてもおかしくない。


 だが次の瞬間、砕けた煙の中から、アイリスが立ち上がった。


 いや、立ち上がるというより、跳ね起きた。


 肩の装甲が一部歪み、ティタノマキアの刃先には衝突で走った傷が見える。それでも彼女の姿勢は崩れていない。むしろ、さっきより低く、さっきより獰猛に沈んでいた。


 モニター越しでもわかる。


 怒っている。


 だが冷静さを失った怒りではない。獲物に一度牙を当てられた獣が、次は本気で喉を食いちぎると決めた時の怒りだ。


「っざけんなよ」


 通信が拾ったアイリスの声は、笑っているようでもあった。


「野良が、調子乗んな」


 その言葉が終わるより先に、彼女は走っていた。


 速い。さっきよりも速い。ティタノマキアの重量を振り回しているのではない。剣の全長ごと地面を裂く軌道へ変え、自分の突進力にしている。まるで剣に振られているようでいて、実際にはその暴力の中心に自分を置いている。兵装の弱点も、“ランページ”の最後のスキルも、そんなもの全部まとめて踏み潰すとでも言うみたいな進撃だった。


 “ランページ”も反撃へ頭部を振る。だがもう遅い。


 アイリスは真正面から入った。


 正面から。


 さっきまでのように死角へ潜るのではない。死角ごと叩き割ると決めたみたいに。


 ティタノマキアが振り上がる。


 下から上へ。


 災骸の顎下、胸郭前面、肩部外殻、再生中枢、その全部をまとめて斬り裂きながら、巨体を半ば持ち上げるように切り上げる。あまりの質量差に映像の方が理解を拒む。B級の巨躯が、本当に少し浮いたのだ。


 その一瞬で終わっていた。


 アイリスは着地と同時に半歩踏み替え、今度は横一文字。


 ティタノマキア・ブレードが“ランページ”の頸部基部へ深く食い込み、再生より先に骨格を断ち切る。黒い体液と肉片と、巨大な外殻片が雨のように飛び散った。次の瞬間、アイリスは剣を捻った。捻じ切るのではない。コアが逃げる方向ごと裂くための、あまりにも的確な手首の返しだった。


 爆ぜた。


 “ランページ”の巨体が内部から裂け、コアが砕ける。外殻全体から一斉に力が抜け、山崩れみたいに道路へ沈み込んだ。


 勝負は決した。


 圧勝だった。


 途中で反撃を一発受けてなお、結果だけを見れば、アイリスが“ランページ”を完全に蹂躙した戦いだった。


 イーサンはようやく息を吐く。


 安堵が遅れてやってくる。冷えていた指先に血が戻る感覚がある。助かった。勝った。アイリスは立っている。ティタノマキアもまだ手の中にある。B級は沈黙した。


 だが、その安堵の底に、別の感情が沈んだままだった。


 危うい。


 あまりにも。


 アイリスの勝利は完璧だった。技量も、兵装運用も、判断も、どれ一つB級災骸に劣っていない。むしろ格が違う。彼女は本当に強い。近接戦という最も死に近い領域で、災骸の反撃も兵装の弱点もまとめて押し潰すだけの隔絶した実力がある。


 だからこそ、脆い。


 強すぎる者の戦い方は、しばしば自分の脆さを覆い隠す。アイリスはそれだ、とイーサンは思った。彼女は勝てる。たぶん、何度でも。だが勝ち方が、常に一歩間違えば致命傷へ直結する場所にある。兵装の限界も、自分の身体の限界も、「その前に相手を殺せばいい」で踏み越えている。


 今回たまたまではない。彼女はきっと、毎回そうやって勝ってきたのだ。


 だから強い。


 そして、だから危ない。


 イーサンはモニターの中で、返り血のような黒液を浴びながら立つアイリスの姿を見つめた。灰色の短髪。巨大な剣。肩で荒く息をしているのに、目だけはまだ獣のままだ。あれは野生だ。鍛えられた兵士の整然とした強さではない。より大きな牙を持った獣が、ただ自分の縄張りを守るみたいに敵を裂き伏せる強さだ。


 その野生味が、圧倒的に美しい。


 そして同時に、どうしようもなく心配だった。


 次はもっと大きな敵かもしれない。次は反撃の一発が、さっきの程度で済まないかもしれない。ティタノマキアの遅れ一拍、左側の姿勢制御、肩部装甲の受け流し、あの辺りをきちんと詰めないと、いつか取り返しがつかない。


 イーサンは知らず、手元の整備端末を強く握っていた。


 助かった安堵と、これから先の不安が、胸の中で同時に渦を巻く。


 モニターの中で、アイリスがティタノマキアを肩へ担ぐ。


 その立ち姿は勝者そのものだった。獣が獲物を喰い終え、次の血の匂いを探している時のような、あまりにも自然な凶暴さ。世界はきっと、こういう人間を頼りにしてしまうのだろう、とイーサンは思った。あまりに強く、あまりにまっすぐ、あまりにわかりやすく敵を殺してくれるから。


 けれど、その背中を支える側に立つ人間は、きっと別のものも見てしまう。


 勝利の美しさだけではなく、その美しさがどれほど薄い氷の上に乗っているかまで。


 イーサンはまだ、その重さに慣れていなかった。


 それでも、整備兵としての目はもう止まらない。


 次にアイリスが帰ってきたら、どこを見ればいいか、もう頭の中で始まっている。左股関節補助、肩部受け流し、剣側慣性補正、踏み込み一拍目の逃がし。少しでも、あの危うさを減らせないか。


 そう考えた瞬間、イーサンは自分がもう完全にゼロ大隊の戦いへ引き込まれていることに気づいた。


 恐ろしくて、見惚れて、心配して。


 そうやって、彼は一人ずつ、この怪物たちの背中を知っていくのだった。



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