一章⑮
15
「そんな名であいつのことを呼ぶな」
吐き捨てるようにアリスターが言った。強い口調に反し、その声はひどく悲しげに聞こえた。
「おかしな言い方。あんた、最悪の魔女の知り合いかなにか?」
そんなはずがないと分かっていながら挑発的に言い返す。動揺から激しく脈打つ鼓動を抑えるための時間を少しでも稼ぎたかったのだ。
が、
「メディは俺様の家族だ。家族を最悪呼ばわりされれば、いかに寛容な俺様でも腹が立つ」
「……なんて?」
予想だにしていなかった反応に、何度目かの混乱に陥るブリジット。もはや冷静という概念ごと彼女の頭からは吹き飛んでいた。
「メディは俺様の家族だ。家族を最悪呼ばわりされれば、いかに寛容な俺様でも腹が立つ」
「いやそうじゃくて! 声は聴こえてるわよ、声は! 分からないのはあんたの言ってる意味!」
一音一句同じ文言を繰り返され、ブリジットは地団駄を踏みながらアリスターを指差す。これが彼女の動揺を誘う作戦であれば、すっかり術中にはまっていると言えた。
「ならば最初からそう言え。しかし俺様には、貴様がなにを理解できないのかが分からん。文も短く、明瞭だろう。……もしや貴様、馬鹿なのか?」
「ぶち殺すわよあんた!? メディっていうあんたの家族が、最悪の魔女とどう関係してくるのよ!」
「だからそう呼ぶな。メディ――メディア・スターは俺様の師であり家族だ。孤児だったらしい俺様を拾い、今日まで育ててくれた。母のような姉のような……いや、見た目的には妹というのが一番しっくりくるんだが」
長々と身内紹介をするアリスターの表情はどこか誇らしげだ。細かな内容はさておき、彼の言わんとしていることの意味はぼんやりと伝わってきた。
伝わってきてなお、ブリジットの混乱は深まる。
「まさかあんた、そのメディアってやつが最悪の――」
「最高の魔術師、だ。四色魔術師とやらが、貴様らの定義する魔術師の最高峰なのだろう。それならばメディこそが真の四色魔術師であり、俺様はその弟子に過ぎん」
言葉を失った。つまりアリスターはあの最悪の魔女――その本名をブリジットは知らないのだが――の弟子だというのか。たしかにそれならば、ろくに魔術教育を受けていないであろう彼が、四色魔術を行使できることにも納得はできる。
いや、しかし、それはありえないことだった。
「嘘よ。そんなことあるはずない。……それともあんた、実は三十歳くらいなの?」
「馬鹿でなく痴呆か、貴様は。俺様と貴様は今朝、一緒に王立魔術学院へ入学しただろうが。必然、俺様は貴様と同じ十五歳だ」
アリスターが呆れ顔を浮かべる。その顔面を張り倒す代わりにブリジットは言い放った。
「ほらみなさい。学がないあんたに教えてあげるけど、最悪の魔女は十五年前に死んでいる――処刑されてるんだから!」
「……ほう」
「それともご立派なアリスター様は、死者から魔術を教わったのかしら?」
大仰に肩をすくめてみせる。初対面から今まで翻弄されっぱなしアリスターに意趣返しをしてやったことに、胸のすくような高揚感が湧き立つ。
明確な矛盾点を指摘されたアリスターは、はたして顔色一つ変えずに言った。
「そうか。で、それがどうした」
「っ……! そ、そうってなによ。あたしの言うことを信じてないのね!?」
「なにも貴様が嘘をついているとは思わん。王宮はそうした記録を作り、貴様はそれを教わった。ただそれだけのことだろう。そんな偽りの歴史よりも、俺様は自分の記憶を信じる。事実として俺様はメディに育てられ、魔術を教わった。今朝も一緒に飯を食ったし、なんならいまだって夕飯の途中で抜け出してきたのだ」
アリスターは揺るがない。その言葉も、目線も、意思も。彼にとってメディアという女性の存在はそれほどまでに大きいのだろう。
家族。ブリジットにとって母のメリルを指すその言葉を、アリスターはメディアに用いた。
もしも誰かが母を侮辱したなら、ブリジットはその者を決して許さないだろう。たとえ相手が王宮――この国全体であっても。
棍棒を燃やしていた炎が消え、辺りを照らす明かりは頭上から降り注ぐ月光のみ。にもかかわらず、先ほどまでよりもずっとアリスターの顔がよく見える気がした。
あらためて――あるいは初めてまじまじと眺めるその瞳は、ブリジットが思っていたよりもずっと澄んでいた。
……ひょっとしてこの男、とんでもない悪人というわけではないのかも?
「さて、もういいだろう」
アリスターが悠然とした足取りで歩み寄ってくる。両掌を上に向けたその構えは、敵意がないことを示していた。
「もう一度だけ言う。ブリジットよ、俺様と手を組め」
「なんのために?」
つい先刻はにべもなく一蹴した提案。しかしいまは、それに惹かれている自分がいる。
アリスターは澄んだ瞳のまま答えた。
「この国を転覆させるためだ」
「とんでもない悪人だったわ!」
距離を取るため後退りを――できない。一瞬早く、アリスターがブリジットの手を掴んでいた。
攻撃されると身構えたのも束の間、掴まれたその手からはなんの魔力も感じない。怪訝に思うブリジットに、至近距離からアリスターの言葉が向けられる。
「勘違いするな。なにもこの国そのものを破壊しようというわけじゃない。ただ国王はじめ、現政権を追放するだけだ。代わりにブリジット、貴様を国王にしてやろう」
「なにを……」
「その見返りに俺様が求めることはたった一つ――メディの汚名をそそぐこと。最悪の魔女などという呼び名を廃止し、最高の魔術師であると認めろ。それだけしてくれれば、後は貴様の好きにすればいい。名君でも暴君でも、勝手気儘に振る舞え」
言い終え、じっとこちらを見つめてくるアリスター。ブリジットもまたそんな彼から目を離せなかった。
その提案は考慮の価値すらない支離滅裂な妄言だ。たかが呼び名ひとつのために、なんてことを企てるというのか。理解できない。できるはずがなかった。
――だが、
「……私が王になんてなりたくない、って言ったら?」
「その発想はなかったな。なりたくないのか、王に?」
「なりたい」
即答だった。なりたい。なりたいに決まっている。王にさえなれば、王宮の誰もブリジットに指図することはできない。
母とまた一緒に暮らすことができるのだ。
視界に光が差した。目指すべき場所が見え、なにをすべきなのかがはっきりと分かった。四肢に力が漲り、言い知れない全能感に酔いしれる。
どうしてこんな簡単なことを今まで思いつかなかったのだろう。ブリジットが望む未来は、すぐそこにあったのだ。
ならば迷う余地などない。必要なのは覚悟だけだ。
「いいわ」
はっきりと力強く答える。
「乗ってあげましょう、アリスター・ドネア。あたしは王になるため、あんたを利用する。その見返りとして最悪の――いえ、メディアの汚名をそそぐ。それでいいわね?」
「無論」
アリスターが笑みを浮かべた。不敵なその笑みが、いまは心強く思える。
つないだ手に力を込めると、アリスターもそれに応え、握り返してきた。
貧民街空き地で月明かりのもと交わされる握手。
それがヴェルランド王国転覆計画の第一歩であった。
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