幕間①
幕間1
国家転覆の契りを結んだ後白雪寮に戻ったブリジットは、自室にて小さく震えていた。
部屋の中央に着席させられた彼女に振り掛かるのは、真正面に立ち塞がるエミリーのお説教だ。
「姫様、わたしが何に怒っているかわかりますか?」
「えっと、その……」
自分よりも背の小さな女の子に怒られている。ただそれだけのことに言い知れないほどの恐怖をブリジットは覚えていた。賊に囲まれた時すら抱くことのなかった感情を、エミリーはいともたやすく引き起こしてみせる。
エミリーの鋭い眼光に照らされながら、ブリジットは必死に頭を回転させる。どうすれば彼女の怒りを鎮められるだろう。
「……こんなに遅く帰ったから?」
「それもあります。でも、もっと他にありますよね」
「……エミリーを連れて行かなかったから?」
「怒りますよ」
ギロッという音がしそうなほどにエミリーが睨みつけてくる。いやさっきからずっと怒ってるじゃん。
「たしかにわたしは、食事の約束をすっぽかされた挙句いつかもわからない姫様のお戻りを寮の部屋でずーっと待っていました。ろくにご飯も食べず、ひとりぼっちで。でもそんな些細ことで拗ねるほどわたしは子どもじゃありません」
「その割には根に持ってるように聞こえるけど……」
「とにかく!」
エミリーがぐいっと顔を寄せてくる。彼女の瞳の中に、困惑げなブリジットの顔が浮かんで見えた。
「わたしが怒っているのは、姫様がなんの相談もしてくれなかったことです」
「相談?」
予想外な答えに首を傾げるブリジット。エミリーは「はい」と大きく頷いた。
「姫様が、ただ遊びたいなんて理由でひとり外出するような方ではないとわたしは知っています。そんな理由で外出するなら、きっとわたしも連れて行ってくれる」
「断言してくれるわね」
「それくらい、わたしは姫様のことを熟知してますから。それともこれは、わたしの思い上がりでしたか?」
訊ねながらエミリーが浮かべるのは、意地悪気な微笑みだ。ブリジットがなんと答えるか確信しているのだろう。
その確信通りの回答をブリジットは口にする。
「いいえ。その通りよ」
「ありがとうございます。そんな姫様がわたしを置いてまでしてお一人で外出された理由――そんなの一つしか思い当たりません」
「エミリー、あなた……」
息を呑む。エミリーは気付いているのだ。ブリジットが王宮から課せられた禁を破り、母と会っていたことに。
もともとエミリーは王宮の命のもとブリジットに仕えている身だ。すなわちそれは、彼女が監視役であることを意味している。
おそらく彼女は、もしもブリジットが王宮の意に沿わない行動を取れば報告するよう指示を受けているだろう。そんなこと百も承知だ。
それでもなおブリジットは、エミリーのことを友達だと思っていた。王女となってから今日までの五年間、ブリジットの孤独を埋めてくれたのは間違いなく彼女なのだから。
そしてきっと、エミリーもまたブリジットに対して同じ感情を抱いてくれているはず。自惚れかもしれない。過信かもしれない。それでもそう信じていたかった。
だがそのことと、彼女に課せられた役目はまた別の話だ。たとえ友達であっても、禁を犯したブリジットを見逃してくれるとは限らない。
不安にブリジットの胸が締め付けられる。そんな彼女の心情を察したのか、エミリーが慌てた様子で、
「あ……ち、違うんです! わたしは今日、姫様がどなたとお会いになっていたかなんて知らなくて、知らないものを誰かに報告することもできなくて……。だから、その……!」
「お、落ち着いてエミリー。大丈夫、ゆっくりでいいから」
エミリーの両肩に手を置き、深呼吸を促す。彼女は一呼吸置き、言った。
「だからわたしは、姫様に相談してほしかったんです。姫様がお会いしたい人に会えるよう、協力させてほしいんです!」
「……っ」
言葉が出ない。心が打ち震えた。驚きによるものではない。
歓喜だ。
自惚れじゃなかった。過信でもなかった。
エミリーはブリジットの友達だった。そして彼女は己の役目を投げ打ってでもブリジットの意思を尊重してくれようとしている。そのことにブリジットの心は歓びに満ちたのだ。
彼女の両肩から手を離し、そのままその手をぎゅっと握る。心地良い体温が手の中に広がり、安心感に包まれた。
「ありがとうエミリー。今度からは、甘えさせてもらうわ」
「姫様っ……。はい! わたしで良ければどーんと甘えてください!」
エミリーが大粒の涙を流しながら頷く。涙に濡れたその顔はとても酷いもので、そして愛おしかった。
ブリジットにとって家族とは母だけを指す。しかしそれと同じくらい、唯一の友達であるエミリーのことが大切だった。失うことなど絶対に考えたくない。
そんな彼女の泣き笑い顔を見ながら、ブリジットは改めて決意を固める。
あの男――アリスターと交わした契りについて、エミリーには明かさないでおこう。
国家転覆計画など、心優しいエミリーが知ったら卒倒してしまうかもしれない。少なくとも絶対に反対してくるだろう。
いや、それならまだいい。もしも万が一にも協力を申し出てきたら、どうすればいいのか。
ブリジットも馬鹿ではない。いかにアリスターが四色魔術師だといえど、一人でできることには限界がある。その計画が成就する可能性も決して高くはないだろう。
そしてこの計画の失敗とは、すなわち死を意味する。
そんなものにエミリーを巻き込むことなどできるはずがない。
「ええ。これからもよろしくね、エミリー」
「はい!」
満面の笑みを浮かべるエミリー。大好きなその笑顔を見ながら、ブリジットの胸はちくりと痛むのだった。
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