一章⑭
14
「嬉しいぞ。ようやく本当の顔を俺様に見せてくれたな」
問い掛けに対して、まるで素っ頓狂な返答をしてみせるアリスター。その偉そうな口ぶりに苛立ちつつ、ブリジットははっと我に返った。
彼は王立魔術学院の生徒であり、今後も顔を合わせる可能性が高い。そうした人間に素の顔を知られるわけにはいかない。
この状況について取り繕わなければならない。しかしはたして、アリスターはどこから見ていたのだろう。少女との問答は聞かれたとして、賊の男たちを打ちのめしたところまで目撃されたとすれば言い逃れは難しい。
探る意味も込め、ブリジットは口を開いた。
「……仰っている意味が分かりません」
「おいおい。いまさらとぼけて、俺様の喜びに水を差すな。貴様の素晴らしい身のこなしも、確かな信念もしかと聞かせてもらった」
ちっ、と内心で舌打ちをする。少女の泣き声を聞きつけ、偶然この場に居合わせただけということに出来れば楽だったのだが、これではすべてを説明するほかない。
「彼らは賊で、その少女を囮に私をここへおびき寄せ乱暴狼藉を働こうとしていたのです。それゆえに私は、致し方なく彼らを制圧しました」
「まあそんなところだろうな。こいつらの身なりを見ればおおよその察しはつく」
「ご理解いただけてなによりです。それでしたら、私の行いはこの国の治安を正すものであり、王女として相応しいものであったと」
「――なにをそんなに不安がっているんだ貴様は?」
ぴたりと口が止まる。アリスターの言葉の真意を図りかね、二の句が継げなかった。
ブリジットが不安がるといえば、それはもちろん自身の素性が露呈することの他にない。しかしそれを表情や仕草になど決して出してはいない……はず。
はったりだ、とブリジットは結論づける。いやそもそもアリスターの言葉一つ一つに意味などないのだ。思わせぶりな言葉を吐き出し、他者を振り回すことをなにより好む軽佻浮薄な人間性。それこそがアリスター・ドネアという男の正体に違いない。
「私に不安などありませんよ。それよりドネアさんこそ、どうしてこんな所にいるのですか?」
もしや後をつけていたのではないだろうな、という意図の問い。アリスターはほくそ笑むように口端を上げ、
「ずいぶんと強引に話を変えたが、まあいい。俺様がここにいる理由? こんな夜に悲鳴が聞こえてくれば、何事かと様子くらい見に来るだろう」
悲鳴とは、ブリジットが手首を握り潰した男が上げたそれのことだろう。確かに夜半においてあの悲鳴はかなり響いたが、声の届く範囲など所詮限界はある。つまりその時点でアリスターは貧民街にいたということだ。
「どうしてこんな遅くに、貧民街を歩いていたのですか?」
「べつに歩いちゃいない。家で飯を食っていただけだ」
はい?
アリスターの言葉を意味を噛み締め、整理しながらブリジットは言う。
「えーと、つまりドネアさんはこの貧民街に住んでいるということ?」
「そう言ったつもりだが」
当たり前のことを聞くな、とでも言いたげにアリスターは呆れ顔を浮かべる。そんな彼を前にブリジットの心中は穏やかでなかった。
貧民街に住んでいるということは、言うまでもなくアリスターは貧困層に位置しているのだろう。日々の食事すら満足にできない暮らしにおいて、魔術の教育を受ける余裕などあるはずがない。それともアリスターはろくな教育を受けずして最高峰の魔術師養成機関である王立魔術学院へ入学できるほど才覚に富んでいるというのか。
そんなことがあるはずない。
魔術師となるには多額の教育費用を要する。それゆえ恵まれた環境でなければ志すことすらできない。そうでなくてはならない。
そうでなければ、ブリジットはいったいなんのために母のもとを去ったというのか。
「とまあ、そんなことはどうだっていい。それよりブリジット、貴様に話がある」
「ずいぶんと強引に話を変えましたね」
ブリジットの皮肉も気に留めず、アリスターは言い放った。
「俺様と手を組め」
「嫌」
考慮するまでもなく即答した。言っていることの真意もわからないが、この男と行動を共にするなど想像するだけで嫌気が差す。
アリスターは「ほう」と考え込むように手をあごに添え、
「ならばこの場で起こったことを誰彼構わず言い触らしてみようか」
「――できるものなら、してみれば?」
体内を巡る魔力を練り上げ、赤色魔術による身体強化を発動。直後、地面を強く蹴った。
一瞬にてアリスターとの間に合った距離が詰まる。いけ好かないその端整な顔面目掛け、右拳を放った。
加減など一切ない本気の一撃。常人であれば絶命しかねないその突きは、しかしアリスターの顔面を捉えることはなかった。
その寸前、彼の左掌に阻まれたのだ。
「間近で見るとより迅いな!」
「っ……!」
掴まれるより前に拳を引き戻し、今度は左拳をアリスターの胸元目掛けて振るう。が、空を切った。アリスターがその場で回転するようにかわしたのだ。
躱された勢いそのままにこちらも回転し、再度左拳を放つも、すでにアリスターはその場から距離を取っていた。
「ふぅん。あんたは赤色なわけね」
集合住宅の屋根から悠々と降り立った姿から察していたが、確信に至る。赤色魔術により身体能力を強化したいまのブリジットの動きに付いていけるのは、同じく赤色魔術を行使できる者しかいない。
赤色魔術師の主な戦闘手段は二つ。自らの身体強化と武器の強化だ。そしていま、アリスターはなんの武器も有してはいない。
「悪いけど、死ぬ覚悟はあるのよね?」
「いいな、その顔。俺様が見たかったのは貴様のその顔だ」
「……あっそ」
地面を蹴り、再度距離を詰める。顔面に拳を振るうと見せかけ、アリスターの腕を取った。
ただ腕を掴んだだけのブリジットの行動に、アリスターが眉をひそめる。
「熱いのは好きかしら?」
直接その身体に触れてさえいれば、魔力に対する抵抗力を貫き、火を放つことができる。即座にそれを実行。
アリスターの衣服を対象に“熱”と“酸素”を生成。そうして生まれた火種を瞬時に強化。彼を炎で包み込――めない。
代わりに伝わってきたのは、練り上げた魔力がまるで霧散していくような感覚。
「え……?」
「なるほど、あの火はそうやって作ったのか!」
「っ……!?」
咄嗟に手を離し、距離を取る。思考でなく、本能による行動だった。
が、
「ふむ……“熱”と“酸素”を生成し、それを強化か」
アリスターがそう呟いた直後、ブリジットの衣服――学院制服を炎が包んだ。
「きゃっ……!」
自分のものとは思えない悲鳴を上げながら、ブリジットは消火のため制服を叩いた。熱さを覚える余裕すらなく、必死に両手を動かす。
「あ、すまん」
再びアリスターが呟くと、直前までブリジットを包み込もうとしていた炎が一瞬にして消え去った。
「ッ……!?」
もはや驚くことすらできない。炎が現れたのは一瞬にすら満たない刹那の間で、ブリジットの身体には火傷すらないだろう。
しかしその一瞬の間に起こった出来事の意味に、ブリジットは戦慄を覚えた。
アリスターが何気なく発動させた発火魔術。彼はそれを、ブリジットに触れることなく行った。当然ながらブリジットにも魔力に対する抵抗力はあるわけだが、彼はそれを上回り、遠隔で発火魔術を発動したのだ。
そしてそこから、その炎を消し去った。これは魔術的な観点から言えば『制御』――黄色魔術の領域にあたる。赤・緑の二色魔術師であるブリジットには出来ない芸当である。
火種を『生成』し、それを『強化』し、そして『制御』する。それを可能とする者をなんと呼ぶか、ブリジットは思わず声に出した。
「まさか……三色魔術師?」
「惜しいな、一つ足りん」
アリスターが右手を軽く振るった。周囲に転がる棍棒、それを以前包んでいた炎が、瞬時に水へと『変質』した。燃え残った棍棒の無残な姿が視界に入る。
あり得ない。あり得るはずがない。しかし目の前の現実が、ブリジットの口を開かせた。
「最悪の魔女……」
それは史上唯一とされる四色魔術師の名。
ブリジットの呟きに、それまで揺らぐことのなかったアリスターの表情に影が差した。
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